政略結婚
「結婚するために神装学院を辞めて本国に帰る!?」
喫茶店『ディープフォレスト』にてアレットから話を聞かされるやいなや、チェリルが叫びながら机を叩いて立ち上がる。
ただ、愕然としているのは他の面子も同じだ……あまり表情を出さないミリアですら完全に言葉を失っているのだ。よほどのことだろう。
全員から穴が空くほど注目を受ける中、アレットは小さく目を伏せながら頷く。その隣では、レオナ・クロフォードがどこか疲れたような様子でため息をついている。
「な、何で突然、結婚なんて……」
「……突然でもないの。もともと、卒業したら結婚することにはなってたの。ただ、その期限が目の前に来たってだけで」
「そんなこと、今初めて聞きましたよ、アレット姉さん」
「……うん、誰にも言ってなかったから」
あまりにも突然のこと過ぎて、間の抜けた表情のまま、何も言えなくなっているラルフの隣で、ミリアが目を細める。
「相手は誰ですか」
「……ルディガー・バルクニル。ピューレル血族次期族長で、神装学院の二年生。『輝』クラスで、所属リンクはファンタズム・シーカーズ」
「血筋も、実力も、アレット姉さんに見合う相手ってことですか」
所属がファンタズム・シーカーズということは、それだけ武勇も学業も優れているということだろう。
しかも、ピューレル血族は九血族連合の中でも強い力を持つ血族だ……高嶺の花であるアレットに対しても見劣りすることはない。
嘆息交じりのミリアの隣で、ふと、ラルフは脳裏を過った一つの予想を口に出す。
「もしかして、姉ちゃんがトラム乗り場で話してた、あの黒髪のビースティスのこと?」
「……うん」
控えめなアレットの肯定に、ラルフは敵意を向けられた理由をようやく察した。
美しい許婚の隣をちょろちょろと動き回る男がいれば、さぞ目障りだろう……ルディガーにとって、ラルフは目の前を飛ぶ羽虫のようなものなのかもしれない。
「アレット先輩、いつ帰っちゃうの? すぐに帰っちゃうの?」
少し泣きそうになりながら縋り付くように問うチェリル。
人見知りの気が強い彼女からすれば、アレットは初めての優しい先輩だ……別れたくないと思っているのだろう。
チェリルの言葉に弱った表情を見せながら、アレットは視線を横にずらす。
グラスを磨きながら聞き役に徹していたレオナは、娘からのパスを受けると苦笑いを浮かべた。
「まだはっきりとは決まっていないの。九血族連合の中でも色々と意見が錯綜してるから。ただ……全体的に『すぐにでも』って流れになっているみたい」
「しかし、神装学院を中退してまでというのは、アレット姉さんとルディガーさんの経歴に傷をつけることになりそうですが。神装も使えなくなってしまいますし」
ミリアの質問に、レオナは軽く頷く。
「ミリアちゃんは相変わらず鋭いわねぇ。今、アレットちゃんに猶予が与えられているのは、そこで血族連合の族長達の意見が分かれているからね。まぁ、ルディガーさんもアレットちゃんも優秀だから、特例として神装の封印はされないと決まったんだけどね」
「アレット姉ちゃんは分かるとしても、そのルディガーって人もか……」
つまり、現状でも卒業できるほどの実力を有していると言うことだ。
あの隙のない立ち姿から見て相当な実力者だとはラルフは感じていたが、これほどとは。
ラルフが一人唸っていると、レオナは困ったように頬に手を当てる。
「ほら、ビースティスって五種族の中で唯一大型終世獣『ヤマタ』の襲撃を受けた種族だから、皆、終世獣の動向に対してすごく敏感でね。そこに、最近終世獣の動きが活性化してるとか、大型終世獣が発見されたとか、色々あって国全体が凄く暗くなってるの」
『なぬ? 大型終世獣が発見されただと?』
聞き役に徹していたアルティアが、その一言に敏感に反応する。
しかし、それは他の面子も同様だ……アレットですら驚いたように目を見開いている。そんな一同の様子を見て、目を丸くしたレオナは、何かに気が付いたように口元に手を当てた。
「あら、そう言えば無用な心配は与えないようにって、神装学院内では口にしちゃいけなかったわ。みんな忘れてね」
「……無理」
一斉に全員が頷くのを見て、あらぁ、と少し困ったようにレオナは笑う。
レオナ・クロフォードという女性はどこか食えない所がある……本当に口を滑らせただけなのか、怪しいものである。
『その大型終世獣はどのような姿をしていたのだろうか。良ければ詳しく聞かせてはもらえないだろうか』
「そうね。こう、全体的にぬぺっとした白い体で、目が無くて、髭みたいなのが生えていたと報告にはあったわね。ただ、ファンタズ・アル・シエル上空に設置された見張り浮遊島から一瞬だけ観測されただけで、すぐに森の中に消えていったらしいけど」
レオナの言葉に、アルティアはうめき声を上げた。
『ジャバウォックか……』
「鼻フック?」
『ジャバウォックだ、馬鹿者』
もふっと翼チョップをラルフの頭頂に叩き込み、アルティアが肩まで下りてくる。そして、レオナに聞こえないように耳元に口を寄せた。
『第Ⅶ終世獣ジャバウォック。本格起動する前に封印を施した大型終世獣なのだが……ロディンの言うとおり、本当にマーレとレニスに奪取されていたとは』
「大丈夫なの、それ」
『んむ……恐らく、すぐに森の中に消えたのは動けなくなったからだろう。今の世界は大気の霊力が薄い。まともに活動できるほどに霊力が蓄積されるまで猶予はあるだろう』
「あらー。二人とも何を話してるのかしら?」
ニコニコしながらも、どこか鋭い視線が見詰めてくるレオナに対して、アルティアとラルフは同時に首を横に振る。そんな一人と一羽を一瞥したレオナは、小さくため息をついた。
「まぁ、そんなこんなで今、ビースティスに必要とされているのは、暗いニュースを吹き飛ばす明るいニュースなの」
「そこでアレット姉さんの結婚を持ってくるわけですか」
「ミリアちゃん、正解」
出来の良い生徒を褒めるようにレオナは微笑む。
対して、何故そこでアレットの結婚が繋がるのか分かっていないラルフとチェリルは、二人そろって首をかしげている。
どうやら、チェリルは実験や霊術に関しては造詣が深いが、社会の動静や人心の把握についてはあまり詳しくないようだ。
そんな二人に説明するように、ミリアが振り返る。
「まず、大前提に付いてですが……ビースティスの中でもアレット姉さんが大きなネームバリューを持っており、有名人だということは知ってますよね」
「え、そうなのか!?」
「知らなかったけど、アレット先輩の立ち位置を考えれば妥当だよね」
「兄さんはそこで話が終わるまで土下座で地面に頭突きし続けていてください。続けますよ、チェリルさん」
「あっさり兄ちゃんを見捨てないで!?」
悲鳴を上げるラルフに半眼を向けた後、ミリアは説明を続ける。
「救国の英雄として国民から絶大な人気のあるフェリオ・クロフォードの娘。更に絶世の美貌、強力な神装者、文武両道を地で行き、トドメにレオニス血族の姫君ですよ? 人気が出ない方がおかしいです」
ミリアの説明に、えへへ、とアレットがはにかむような笑顔を浮かべる。
そう、こうしてラルフ達が何気なく付き合っているアレットだが、ビースティス本国での人気は熱狂的なものがある。その影響力は決して無視できないものだ。
「そんなアレット姉さんが、これまた美男子で、実績があって、ピューレル血族次期族長のルディガーさんと結婚する……これが盛り上がらないわけがない。語弊を覚悟して言ってしまえば、次世代の希望の象徴ですよ」
「さらに捕捉すると、レオニス血族とピューレル血族は双方強い力を持っていても付き合いが薄いのよねぇ。今回の結婚は、血族同士の架け橋ともなりうるの」
「ま、待ってくれ!!」
レオナとミリアの説明に対して、ラルフはすぐさま待ったを入れる。
先ほどから話を聞いていて感じていた違和感が――結婚という祝いのイベントを前にして、どうしてアレットがこうも表情を暗くしているのか、その理由に思い至ったのである。
てっきり、学院を中退しなければならないからこんなにも悲しげなのだろうと、そう思っていたのだが……もしかしたら、ラルフはどうしようもない思い違いをしていたのかもしれない。
「おいおい、それ聞くと……まるで、アレット姉ちゃんが『望んでもいない相手と結婚させられる』みたいじゃないか」
ラルフの言葉に場が水を打ったように静まり返る。
まるでそれは、ラルフの言葉をこの場にいる全員が肯定しているかのようで。
「だ、だって親父と母さんはお互いに好きで結婚したって……アレット姉ちゃんとルディガーさんも両想いなんだよな?」
「…………うん、そうだよ。私はルディガーさんのことが――」
「姉ちゃん、それで嘘ついてるつもりなら、俺のこと馬鹿にし過ぎだ」
バッサリとラルフが断ずると、アレットは気まずそうに顔を逸らす。
付き合いの長いラルフは分かる……その表情が完全に無理をしているということに。
認めたくない一方で、ラルフの中にずっと存在していたアレットに対する疑問が紐解かれてゆく。
アレットは将来の話になるとすぐに話の内容を変えようとしたり、何だか寂しそうな表情をしたりと、どこか距離を置いているように感じていた。
原因は分からないが、アレットが将来に何かを抱えていることは分かっていた。
そして――それが、この結婚だったとしたら全ての辻褄が合う。
「兄さん、結婚にもいろんな形があるんです。そのうちの一つが、他者の利益のために婚姻関係を結ぶ政略結婚というものが――」
「ミリアはそれで納得できるのか!?」
悲痛な声で訴えるラルフに、ミリアが鋭い視線を向けてくる。
「できるものですか。だからこうしてレオナ様に色々と聞いているんです」
ラルフはレオナの方へと振り返る。
「レオナおばさんは……それでいいんですか?」
悲しげに聞いてくるラルフに、弱り切った表情でレオナは嘆息する。
「納得できていたら良かったんでしょうけどね。ただ……今回の結婚はピューレル血族が持ってきたお話で、アレットちゃんが納得して完全に受け入れているの。全力で拒否してくれれば、私も夫も、もっと動きようがあるんだけどね」
「どうして……ビースティスは純潔の種族だったんじゃないのかよ……」
ラルフの答えに、アレットは小さく微笑み……そして、自分の胸の前で手を組み、目をつぶる。
「……あのね、ラルフ。さっきミリアが言ったとおり、今、皆には希望が必要なの」
その姿は、まるで殉教寸前の聖女のようで。
「……皆が明日に怯えてる。終世獣の脅威を前にして、これからも無事に生活が出来るのかって。『ヤマタ』が襲ってきた時の恐怖が、今も皆を苦しめている」
自分がどれだけ足掻いたとしても覆すことなどできない、死の権化――そんなものが突如として目の前に現れた時の恐怖は、きっと計り知れないものだろう。
圧倒的なまでの暴力を前にし、絶望と恐怖の中で誰もが思い知ったはずだ。
当然のように在った日常が、その実、砂糖菓子よりも脆いモノなのだと。
毎日のようにやってくる夜の闇の向こう側に、牙を剥いた終世獣がいるかもしれない……常に影のように付きまとってくる不安と、心にこびり付いたまま剥がれることのない恐怖。
討滅されてなお、大型終世獣『ヤマタ』は、ビースティスという種族全体に、漠然とした未来への閉塞感を与え続けているのだろう。
「……だから、私とルディガーさんが結婚することで少しでも皆が明るくなってくれたらって、そう思っているの」
「姉ちゃん……」
すでに、ずっとずっと前から覚悟をしてきたのだろう。
それ以上の言葉も反論も許さない澄んだ瞳を前にして、ラルフは二の句を告げなくなってしまった。
ただ……その時だった。
「クロフォード先輩は本当にそれでいいんですか」
いままでずっと沈黙を保ってきたティアが、アレットを見詰めながら静かに問うた。
静かな声であるにもかかわらず、どこか不思議な迫力を感じるティアの問いかけにも、アレットは動じることなく頷いてみせる。
「……うん、ビースティス全体の――」
「いえ、他人のことを抜きにしたクロフォード先輩の気持ちが知りたいんです」
ティアはそう言って、小さく息を付くと……再びアレットに問いかける。
「愛してもいない男性と生涯連れ添うことになるんですよ。本当にそれで……クロフォード先輩は納得できるんですか」
「……どう、だろうね」
アレットは躊躇いがちにそれだけを言い、ティアを真っ向から見据える。
「……でも、もう決めたことだから」
「そう……ですか」
ティアはアレットの言葉に頷いたものの……どこか納得できていないようだった……。
100話と相成りました。
これでもプロットの1/2進んだかどうかってどういうことなんだろうか……。もう少しコンパクトに話をまとめられるようにしたいなぁ、と思う今日この頃です。
ここまでお付き合いくださった皆様方、本当にありがとうございます。
これからもがんばりますので、どうぞ、引き続きよろしくお願い致します!