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魔法使いは0にならないように見張り続ける。

作者: 儚 無理

 少年は見知らぬ部屋で目を覚ます。

 横になっていた体を起こすが、周りにはたくさんの本が積まれており視界は開けない。立ち上がりかかとをあげてようやく、そこがとても小さな部屋であることがわかった。

 そしてもう一人、少年以外の人間がいることにも。


「ああ、目が覚めたんだね」

「ここはどこ?」

「さあ……すまないね。僕にも生憎、わからないんだよ」


 男はそう言って、くあ、と大きなあくびをした。少年もつられそうになって、奥歯をかみしめてぐっとこらえる。

 男は不思議な格好をしていた。ゆったりとしたローブに、三角の帽子。


「魔法使い」


 少年は思わずそう言った。

 男は笑う。


「その通り、僕は魔法使い。きみは?」

「僕は……小学生」

「しょうがくせい……それはとても難しい概念だね。生憎この部屋には出口がなくて、もちろん部屋の中に小学校というものは存在しない。じゃあ君は、なんだろう」

「……男?」

「残念ながらここには女の子はいない。僕もこの通り、男だからね。その時、僕らは男だって、本当に言えるんだろうか」

「わからない」

「そうだね。わからない。おっと」


 男は少し慌てたように、開いた一冊の本の上に手のひらを置いた。すると不思議なことに、そのかざした手のひらからぽうっと淡い光がもれる。危ない、危ない、と男はほっと胸をなでおろし、それから本を閉じた。


「何をしているの?」

「僕かい? 僕は悪い魔法使いと戦っているのさ」

「悪い魔法使い?」

「そう。このたくさんある本の中の数字を全部0にしようとしてくる、とっても悪い奴なんだ。見てて?」


 そう言われて、少年は本の山をかき分けて男の隣に行く。それから手元の緑色の表紙の重たそうな本を覗き込んだ。

 そこには目がちかちかするくらいたくさんの数字が印刷されていて、どこを見ていいのかよくわからない。男はそれに気づいたのか、ある場所をそっと指さしてくれる。

 そこには12という数字が書かれてあった。

 少年はそれをじっと見つめる。すると。


 こちょこちょこちょっと、まるでくすぐられているかのように12が踊り始める。

 それから線はとけ、つながり、一瞬あとには0に変わっていった。

 男はそこに手をかざし、細く長く、呼吸する。

 淡い緑の光が0を包み、少年が一度まばたきする間には12に戻っていた。


「これが悪い魔法使い?」

「これが悪い魔法使い」


 男は頷く。それから愛おしそうに、12を撫でた。


「僕はこうやって戦ってる。悪い魔法使いがどこにいて、どんな奴で、男なのか女なのか、若いのか年寄りなのか、それは全く知らないけれど、戦っているんだよ」

「どうして戦うの?」


 少年がそう聞くと、男はとても驚いたように目を丸くした。


「数字が0に変えられてしまうからさ」

「それはいけないことなの?」

「12が0になっていたら困るだろう?」


 そうかもしれない。少年は小さくうなずいた。


「魔法使いさんは、いつからここにいるの?」

「君と同じくらいの時かな。気が付いたらここにいて、僕の前にはおじいさんがいた」

「その人も魔法使い?」

「その時、僕はまだ魔法使いじゃなかった。おじいさんは魔法使いだった。そしておじいさんも、数字を0に変える悪い魔法使いと戦っていた」

「おじいさんはどうして戦ってたんだろう」

「さあね。僕もそういえば、いま思い出したけれど、君のような質問をいつかおじいさんにしたことがあったな。その時は、なんと答えてくれたんだっけ。なにしろもうずっと前の話だからね。すっかり忘れてしまったよ」

「おじいさんは、死んじゃったの」

「うん。死んじゃった。だから僕が代わりに、悪い魔法使いと戦ってる」

「それは、お金とかはもらえるの?」

「もらえないよ。この部屋の中では、お金も、食べ物も、なんにもいらないんだ。だから欲しいとも思わないかな」

「おなかが空かないんだ」

「うん。もうずっと、何も食べてない」

「食べたくない?」

「味を忘れた。おっと」


 男は山積みの本の中から、今度は小さな手帳を取り出して、そこに手をかざした。今度は5月が0月になろうとしていたみたいだった。少年はそれを見ながら、なんだか少しだけ悲しくなって、鼻の奥がつんとした。


「僕もいつか、魔法使いになるんだね」

「そうかもしれない」

「それはとても、悲しいことだね」

「……君は僕を怒らせたいのかい?」


 男の声が、不機嫌な音となって空気を震わせた。少年はそれが余計に悲しくて、とうとう涙がこぼれそうになる。


「……ごめんなさい」


     *


 男はほとんど眠ることをしなかった。時計も、窓も、そもそも太陽があるのかさえもわからないから、いつが朝でどうすれば夜なのか、それはさっぱりわからない。それが理由というわけではないだろうが、男はほとんど、眠ることを、しなかった。


 男はたまに眠る時も本を手放さない。そして目を閉じたと思った次の瞬間、ぱちっと開いて本をかき分け、0になった数字をもとへ直す魔法を使う。そして小さく、危ない、危ない、とつぶやいて満足げに頷いた。


 少年はそれを少し離れたところから見ながら、本を開く。

 それくらいしか、この部屋の中ではすることがなかったのだ。男の言う通り、お腹が減ることはない。それに眠くもならないから、何をしていいのかもわからない。仕方なく、本を手に取ってその文字に目を通す。

 知らない言葉があったら男に尋ね、読み進める。

 ただそれだけをして過ごしていた。


 そしてとうとう、それは起きた。


 少年がちょうど読んでいる最中の本の数字が、変わり始めたのだ。

 線がとけて、つながり、0になる。

 少年は慌てた。大変だと思った。だから魔法使いの男を呼んで、数字をもとに戻してもらった。


 0になった数字は、元は41だった。そして今はしっかりと、41となっている。

 少年は胸をなでおろす。男が少年の頭を優しく撫で、安心していいからね、と柔らかい言葉をかける。


 その時少年は、ああ、駄目だ、と思った。

 僕はこれから、魔法使いになるのだと、そう確信した。


 だって数字が変わるのを見て大変だと思い、直ってよかったと、思ってしまったから。


     *


 少年は見知らぬ部屋で目を覚ます。

 横になっていた体を起こすが、周りにはたくさんの本が積まれており視界は開けない。立ち上がりかかとをあげてようやく、そこがとても小さな部屋であることがわかった。

 そしてもう一人、少年以外の人間がいることにも。


「ああ、目が覚めたんだね」

「えっと、ここはどこですか?」

「さあ、僕にもわからないな」


 男は奇妙な格好をしていた。ゆったりとしたローブに、三角帽子。


「お兄さんは、魔法使いなんですか?」

「そうだね。そして、悪い魔法使いと戦ってる」

「どうして戦うんですか?」


 少年の質問に、男は悲しげに笑った後、答える。


「……さあね。僕にもよく、わからなくなってきた」



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