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第5話

「じゃあ、行ってきます」

お店が一段落し、追加のケーキも焼き上げた時、アーサーさんから『宰相閣下のとこ行くなら行って良いぞ』と言われたので、手早く準備をした。

「しっかり許可もぎ取っておいでよー!」

あたしの手にしっかりミキサーのカタログを握らせ、にっこりと笑うヘルガさんにしっかり頷く。

「分かりました!」

「うまくいったらルリちゃんの大好きなオムレツ作ってあげるからね!」

その言葉にあたしは一層奮起する。ヘルガさんの作るオムレツは絶品なのだ。想像するだけで口の中に唾が沸く。

ヘルガさんの言葉に押されるように、あたしは意気揚々とお店を出た。



「……なるほど、新型ミキサーの導入ですか」

あたしが執務室に持ち込んだカタログを眺め、アイム様はぽつりと呟いた。

「確かに今あるものより性能は遥かに良さそうですね。何より己の魔力をエネルギーに変換して起動出来るあたりが非常に便利だ」

「じゃあ、購入しても…?」

意気込んで尋ねるあたしに、アイム様は珍しく渋い表情をした。

「私のポケットマネーで済む話ならすぐに許可するところなんですが、城内の設備投資なんでね、いささかややこしい手順を踏まなければなりません。それに、この手の話は私一人の独断で決められるものではないのですよ」

「え、そうなんですか?」

意外だ。アイム様はこのお城のみならず、魔族の世界の色んな事に対して決定権があると思っていたのに!

「まぁ、最終的な決定権は私にあるのですが、こういった事はまず財務担当の者に書類を提出しなければいけません。その書類を財務担当が吟味して、取捨選択をした後に私のところへ持ってくるのです」

つまりあたしは色んなプロセスをすっ飛ばして最終決定者のもとに直接持ってきちゃったというわけなのか。そう聞くとなんだか自分が物凄く場違いな事をしている気がして気まずくなった。

「ご、ごめんなさい…」

「あぁ、ルリが謝る事はありませんよ。おおかたヘルガとアーサーにそそのかされて来たのでしょう。ルリの言う事なら何でも聞くだろうと、ね」

「う、うぅ…」

アイム様ははい、ともいいえ、とも言えずに俯いて口ごもるあたしに歩み寄り、ソファーに座っているあたしの隣に腰掛けた。

「まぁその判断は正しいと言わざるを得ないでしょうね。私はルリに弱い。頼まれれば何でも引き受けてしまいそうになりますからね」

そっと髪を撫でられて顔を上げると、優しい笑みを浮かべたアイム様と目が合った。深い蒼に煌めく瞳が真っ直ぐこちらを見つめていて、心臓がとくん、と跳ねる。

「アイム様…?」

「ただ悲しいかな、これは仕事なのでルリだけ贔屓してしまっては他の者に示しが付きません。それは理解して頂けますね?」

あたしはこくんと頷く。それはそうだ。あたしのお願いをほいほい聞いちゃったら、他にも何か買って欲しいと思ってる人達に不公平だと思われちゃう。そんな事で波風立てるのは嫌だ。

「………でも」

そこでアイム様はなぜかニヤリと少々意地悪な笑みを浮かべた。……な、何?

「もしルリが私の喜ぶ事をしてくれたら、ミキサー、買ってあげますよ?」

「よ、喜ぶ事?」

なんだろう、とてつもなく嫌な予感がするんだけど…

「そうですね…キス、してくれたらとても嬉しいですが」

「えぇっ!?」

予想外というか案の定と言うか、やっぱりそう来たか!

音もなくすっと距離を詰められ、思わずお尻でじりじりと後ずさる。

「おや、どうして逃げるのです」

「に、逃げたくもなります!だって、キス、なんて…!」

「いつもしているではありませんか。その位置が頬から少し移動するだけです、ここに、ね」

ここに、と言いながらアイム様はあたしの唇を長い指でそっとなぞる。

「や、でも、あの…」

「あぁ、陛下ともまだしていないんでしたね。それなのに私が奪うわけにはいきませんか」

なんでそれを知ってるんだ、という突っ込みをしたい衝動に駆られたが、今はそんな事を口に出せるような雰囲気でもないので飲み込んでおく。

「さすがに陛下より先にルリの唇を奪ってしまうのは気が引けますね…ふむ」

何やら考え事をし始めたアイム様から僅かに距離を取り、ついでに机に置かれたままのカタログをそっと手に取る。

「おや、どうしたのですか?」

「………あの、ごめんなさい。出直してきます。ちゃんと財務を担当している人にこの書類渡して、正しい手順でアイム様のところに持ってきます…」

「ですが、担当者の時点で却下されるかもしれませんよ?」

間髪入れずに突っ込まれ、うっと言葉に詰まる。そりゃそうだ。最初の段階で却下されれば、当然アイム様のところにまで書類が来るはずもない。

「…もしそうなっても、仕方ないです。あたしばっかり贔屓されるわけにはいきませんから」

ヘルガさんはがっかりさせちゃうかもしれないけど、ちゃんと説明すれば分かってくれる。

ソファーから立ち上がろうとすると、「まぁお待ちなさい」とアイム様に服をちょいっとつままれた。

「そういう聞き分けの良いところも好きなのですが、とりあえず話を聞きなさい。それから退室したって遅くはないでしょう」

「話……?」

なんだろう、話って。まさかさっきのキス云々を再び引っ張り出してくるんじゃ…!

「考えてる事が顔に出てますよ、ルリ。…まぁ、キスも捨てがたいですが、陛下に消し炭にされてしまいますから断念しましょう。まぁ、話というのはひとつ提案があるんですよ」

「提案、ですか?」

何だろう。首を傾げたあたしに、アイム様はとてつもなく意味ありげな微笑みを投げる。

「そう。…ルリ、貴女は魔道杯という言葉をご存知ですか?」

「魔道杯…」

なんかさっき魔法使いのお姉さんから誘われたものと同じなんだろうか。

「あの、魔法使いさんどうしが戦うものですか?」

「そうです、よく知っていましたね。…率直に言います。ルリ、魔道杯に出場してみませんか?」

「……はい?」

突然の提案に、あたしは口をぽかんと開けてアイム様をまじまじと見つめた。

「なんて顔をしてるんですか、ルリ」

「いやだって、魔道杯なんてあたしが出たってすぐに負けますから!そんなとこに出るなんて…」

「魔道杯の優勝者は、突拍子もない内容ではない限り、ひとつだけ願いを叶えられるのですよ。もしルリが今回の魔道杯で優勝したら、私は喜んでミキサーを購入しましょう」

「でもあたし、魔法なんて使えません…!」

「なら、学べば良いではないか」

アイム様との押し問答をしていると、背後から声が掛かった。ぐりんと首を動かせば、執務室のドアにもたれかかるようにしてルシ様が笑いを堪えるような顔でこちらを見ていた。

「以前からルリには魔法を教えようと思っていた。魔道杯に出るならちょうど良い機会だな」

「ルシ様まで…!」

「ルリは俺に次いで魔力が高い。魔道杯に出場すればまず間違いなく優勝するだろう。ただし、己の魔力をしっかりと制御出来れば、だが…」

「魔道杯までまだ時間があります。一度訓練場に行ってみてはいかがですか?」

「本当は俺が直接手取り足取り教えてやりたいんだがな」

「ダメですよ、陛下は仕事が山積みなんですから。訓練場に連絡しておきましょう。講師は誰が適任ですかねぇ?」

「まずは基礎の基礎からだからな。メリッサに任せればまず間違いないだろう」

………なんか、口を挟めないままどんどん外堀が埋められていってる気がする…

物凄く不服そうな顔をしていたのか、ルシ様があたしに近付き、頬に軽くキスをした。

「そんな顔をするな。以前からお前に魔法を覚えて貰いたかったのだ」

「どうしてですか…?」

「以前にも言ったが、ここはルリが以前住んでいた世界とは何もかもが違う。大抵の厄介ごとなら俺が払ってやれるが、それでもある程度自分の身は自分で守れる術を持っておくに越した事はない。…なんせ、ここは魔界だからな。俺ですら予測できない事態にならないとも限らない」

そう言ってルシ様はあたしをすっぽり包み込み、髪のてっぺんに顔を埋めた。

「もしも俺が万が一ルリを助けてやれない状況に陥った時、魔法を覚えていないお前はあっという間に消えてしまうだろう。…それが怖い」

「ルシ様…」

いつになく弱気なルシ様の言葉に、あたしはどう返事をするべきか迷う。いつもなら『ルリに害を成す輩は消し炭にしてやる』って強気な発言をするのに…

「だから、初歩的な事だけでも構わない。ルリの内に秘められた己の魔力を認識するだけでも良い。…やってくれるか?」

赤と紫の瞳に真っ直ぐ見つめられ、その視線の強さに思わず頷く。と、唇の端をきゅっと上げて微笑んだルシ様は、あたしのおでこにキスをした。

「という訳だ、アイム。メリッサに明日より向かわせると言っておけ」

「了解しました。頑張ってくださいね、ルリ」

……あれ?明日??

そこであたしは、はたと大事な事を思い出した。


「……あの、訓練所に行ってる間、喫茶店の仕事はどうなるんでしょうか…」

「ん?そりゃぁ訓練と仕事は同時進行できないから喫茶店は休むことになるな」

「は、はぁっ!?」

サラッと言ってのけたルシ様の首を思わず絞めそうになり、慌てて距離を取った。

「む、無理無理無理!無理に決まってるじゃないですか!ただでさえギリギリの人数しかいないのに、あたしが休んじゃったら誰が喫茶店のスイーツを作るんですか!?」

「その辺は心配要りませんよ、ルリ」

ルシ様に詰め寄る私をなだめるようにアイム様が手をひらひらさせてあたしに声を掛ける。

「どういう事ですか??」

「ルリが訓練に出ている間、お城の厨房から一人スイーツ担当を喫茶店のお手伝いに行かせますよ。まぁルリの腕には及ばないかもしれませんが、それでもいないよりはマシですしね」

お城のパティシエさんが激怒しそうなセリフをさらっと吐くアイム様だったけど、あたしの心配はそこじゃない。

「…あの二人とうまくやれますかね、その人」

そう。一番の問題はアーサーさんとヘルガさん、それぞれ抜群の個性を持った二人とうまく連携を取ってお店を切り回せるかなのだ。

『………………』

あたしの質問に対し、二人は同じような顔をして黙り込んだ。

そしてややあって口を開いたのは、ルシ様だった。

「………まぁ、色々鍛えられるだろ」

あ、投げた。


かくしてあたしはあれよあれよという間に、明日から魔法の訓練を受ける事と相成った。

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