最後の響きが眠るまで
広い広いホールの中で、舞台上の私たちだけに向けられる、目が眩むほどの強烈な光と研ぎ澄まされた何千もの聴覚。私の前でカチンコチンに固まったタキシード姿の学生指揮を見て思わず吹き出しそうになるけれど、笑い声は心の中だけに留めておいた。まるで古い時代のロボットのようにぎこちなく礼をすると、何事もなかったかのように彼はすっと指揮台に「降り立った」。そこにはもう、絵に描いたみたいな緊張で顔を強ばらせた彼は居らず、いつものように柔らかい笑みを浮かべ、瞳には音楽に、そして私たちに真っ直ぐに向き合おうとする力強さが垣間見えた。
「これが最後だ」
拍手の残響の中で、声には出さなかったが確かに淋しそうにそう言った。瞬間、今までの長い長い私たちの思い出が、走馬灯のごとく溢れだした。
一緒に笑って、一緒に泣いて、時には喧嘩して内部分裂を起こして練習どころではなくなったりもして。それでもこうして、最後の今を同じもののために共に過ごしている。いつだって賑やかで騒がしかったあの日々はもう戻らないのだろう。不思議と後悔はなかったけれど、やはり何か心に染み入るものがあった。
相変わらずの眩しさのはずなのに、大きな扉が目の前に立ちふさがっているかの様に暗転して押し黙った空気の中で、指揮者はタクトを宙に浮かべた。それにならって一斉に楽器が構えられる。今この瞬間を少しでも見逃すまいと、まばたきすら惜しんで僅かな動きまでこの目に焼きつけようと試みる。独特の乾いた空気、この世の全てを押し出したかのような静寂、熱を帯びた光。何もかもが静止画のように止まって感じられたその時、私の目は微かに動く小さな輝きを捉えた。
さあ、うたおう。最後の響きが眠るまで。大きく息を吸うと、扉が音もなく開き、ホールのライトとは違った穏やかで温かい光が流れ込んでくるような気がした。
Fin.