赤髪助っ人外国人選手の霍乱
実在の選手や試合を元にフィクションとして再構成。
2012年。その二年前に某メージャー球団傘下の3Aから
大阪コモンズへとやって来た助っ人外国人選手の
マイケル・バーガー。
バーガーは来日当時28歳、身長185cm、99kg。
右投右打の外野手で、
コンパクトなスイングで広角に打球を打ち分けることのできる、
いわゆる技巧派のバッター。
メジャーリーグでも3年目にはレギュラーとして144試合に出場し、
打率.297、13本塁打、62打点の成績を達成し、
来日の前年には調子を落としメジャーで26試合、打率.250と低迷していたが、
マイナーの3Aでは97試合で打率.324と、流石の底力を発揮していた。
コモンズではその前年に抜けた一番、俊足レギュラー選手の
代わりとして獲得に動いた。
契約金は5,000万円で年俸1億円の2年契約。
といってバーガーは特に俊足ではなかったのだが、
球団としてはとにかく彼が打ちまくって出塁し、
自らが得点源となるチャンスメーカーとしての役割を彼に期待した。
「ニホンノ ミナサン コンニチハ。バーガーデス。
チームノ タメニ イッショウケンメイ ガンバリマース」
各スポーツ新聞社の集まる記者会見の席上、
バーガーは片言の日本語ながら笑顔で丁寧な挨拶を行い、
そして記者達の質問を受けつつ、
通訳を通して来日以降の、自身の新所属球団での抱負を英語で克明に語った。
長身ながら100キロ近い恰幅のいい体型で、
透けるような白い肌に艶のある赤茶色の短髪が、
見る人に鮮やかな印象を残す選手だった。
コモンズとの契約を終えたバーガーは、その翌年、
年明けとともに早めの来日を果たすと、
2月の春季キャンプ開始から早速チームの合同練習へと参加。
そしていよいよ実戦へ。
が・・・、
ところが周囲の期待とは裏腹に、その内容は芳しくなく、
チーム内の紅白戦でも凡打を連発。
球団OBのH解説者からも、
「重心移動が全くなく貯めも無い。これではボールに力が伝わらず、
彼がシーズンで成績を残すのは難しいでしょう」などと
酷評されてしまうほどだった。
やがて、
「おいおい・・・、バーガーって大丈夫なんか?」
などと、
ファン達の間からも、
不安の声が囁かれるようになっていった。
コモンズ球団では伝統的に、
当てたときは、球史にも残る優れたレジェンド級の選手を獲得するのだが、
外した場合、
目も当てられぬほどのダメダメ選手を連れてくることも多く、
それがプロ野球界でも有名なネタの一つとして定着していた。
「もしかしてまた、○○の再来ちゃうんか・・・?」
「いやもう、○○以下の選手なんて、おらへんやろ」
などと、
ファンは日ごと、
伝えられるニュースを見聞きしながら、
シーズン開幕前まではとにかく、やきもきさせられる毎日となった。
特にコモンズ球団には、
かつてメジャー・リーグでシルバースラッガー賞を獲得したこともあるほど、
鳴り物入りの超大物選手として入団しながら、
「神の声を聞いた」と、
たった7試合の出場のみで一本のホームランも打たず、
そのままアメリカへと帰国してしまった悪夢の選手が存在していたので、
ファンとしては気が気でならなかった。
「しっかしほんま、誰があないなガイジンつれてきよるんやろな?」
「○○に関しちゃ、こっちが騙されてるゆう面もあるらしいで」
「騙される?何を騙されるんや」
「わいら、メジャーでシルバースッラガーなんてゆうたら、
もう“ワー!”って、なってしまうやろ?」
「せやな。そらマイナーでもなく、
ただ現役のメジャー選手ゆうだけでもドエライことやのに、
シルバースッラガーなんてどんだけやねんな」
「せやから○○なんて、放っておいても勝手に値がつり上がっていくやろ?
せやけどメジャーの向こうから日本へと来る選手なんて、
いうてもやはり、キャリアの落ち目やからな」
「ああ、そうか・・・」
「しかも海外の選手は契約にシビアやからな。
こっちが“そんなん酷いわ”ゆうても、全く相手にもせえへん」
「せや、シビアなんや」
「○○はS監督も取ろうとしていたそうやけども、海外の事情通の人に聞いたら、
“あいつは単に日本でゴルフがしたいだけですよ”とか言われて、
それで止めたゆうとったらしいで」
「え~、ホンマか?」
「アカン、アカン。気い付けなあかんで、ホンマ」
「けどバーガーはいいヤツなんやろ?熱心なクリスチャンとか聞いたで」
「せやせや。しかも名門ジョージア工科大学の出身で、
めっちゃ頭いいらしいで」
「そんなん勉強ができても野球やるんやな。
一体どんなヤツやねん?バーガーて」
「さあな、それこそ“神のお告げ”かもわからんな」
「やめ~や!」
しかしバーガーが非常に真面目な選手だというのは本当だった。
2月のキャンプ中、
バーガーは度々、他の日本人中堅ベテラン選手と混じって、
ランチ特打を行った。
ランチ特打とは文字通り、本来なら昼ごはんを食べている時間のときに行う
バッティング練習のことで、
これはまあ昼飯抜きで頑張るというより、
お腹が満腹になってしまうと動きが鈍くなってくるので、
その前に、冴えた集中力を活かして効果的な練習をこなすという
意味合いがあった。
「彼は良く考えながら、練習をしているようだね」
バーガーのバッティング・ゲージの後ろに立ちながら、
コモンズ監督の黛が打撃コーチの八田に語り掛けた。
「ええ、彼は本当に真面目で、練習熱心で、
そして常に、打撃技術上達の研究に前向きに取り組んでいます」
八田も現役当時から、優れた観察眼と緻密なデータを元に、
それを活かして自分のさらなる打撃向上へと繋げて励んでいた、
指導者としても理論派のコーチだった。
「君とバーガーならウマも合いそうだが、どうだ?
バーガーはコーチである君の言うことは聞いているのか?」
これは外国人選手に限らず、
プロの選手達はやはり皆、自分達自身の技術論には激しい拘りと
プライドを持っていて、
余りコーチの言うことも聞かず、
聞くのはその場でコーチの話を聞くだけで、
自分のプレースタイルは頑なに変えないという場合も多かった。
「バーガーは人の意見を良く聞いていますよ。
彼は打撃コーチの私だけでなく、他の野手の選手達や、
あるいはピッチャーなんかからも、
自分から積極的に離しかけて、情報収集に取り組んでいますから。
監督も彼のノートをご覧になったでしょう?」
「ああ、見た」
バーガーは良くゲームの終わった後など、
一人でベンチに居残って、
分厚いノートを膝上に抱えながら、
何やら俯きながら黙々と、熱心にペンを走らせて書き込んでいた。
「あそこに対戦した投手の球種やクセ、
またそれに対しての自分の欠点や対処法など、実に細かく書き記していますよ。
中には審判ごとのゾーンの特徴なんかまで書いてある」
「ほう、そんなことまで?」
「ええ、大丈夫です。今のところ実戦での結果は余り良くはないですが、
何れキッチリと合わせてくる筈です。
“プロ”ですよ。彼は」
カキーン!カキーン!
と、
黛と八田が二人そんなことを話している間も、
バーガーはゲージの中で、
バッティグピッチャーを相手に鋭いライナー性の当たりを連発し、
快音を球場内に響かせていた。
カキーン!カキーン!
しかし柵越えするまでの大当たりは殆どなく、
長距離バッターならば、大体60~70スイングに間で15~20くらいの
柵越えの当たりがあるのだが、
バーガーは多くても10本前後くらいにしかならなかった。
そんなバーガーのバッティングを見ながら、
また黛が八田に対して話しかけた。
「まあ、元々ホームランバッターとして獲ったわけではなかったが、
ただ足がない分、10本前後のホームランは欲しいところだが・・・」
「いや、それくらいは打つでしょう。確かに前後の体重移動は少ないですが、
見てください、この体格ですよ」
バーガーはパッと見、痩せ身にも見えるのだが、
体重でいうと185 cmの長身に100kg前後の体重と、
外国人選手に多いアンコ型の重量挙げタイプの体型ではなかったが、
それでもレスラー並みのガッシリとしたガタイを持っていた。
「良く引き付けながらあの体重を活かし、スタンドまでそのまま
パワーで持っていくこともできます。
また球を懐深くまで待って呼び込むため、様々な変化球にも対応が利き、
相当、率も期待できるかと思います」
「ふむ~・・・」
黛は八田の意見を考えながら、腕組みをしてアゴに手をあて、
色々と考えを巡らせているようだった。
「監督、監督はバーガーをどのように起用していかれるお積りですか?
球団としては引退した葵の代わりに取ったわけですが・・・」
前年まで、コモンズ球団の不動の一番打者といえば、
球団史上最多となる381盗塁をマークした俊足巧打の葵選手で、
バーガーは彼の代わりとして獲得した選手だった。
そして守備位置も葵と同じ、センターに入ってもらう予定でいた。
「葵とバーガーを同じ基準で比較されてしまうと・・・、
特に関西のファンはヤジが凄いですから(笑)」
八田はバーガーの実際の起用法について、
その点を心配していた。
特にバーガー自身、来日時の記者会見でも、
「自分は引退した葵の代わりで来たわけではない。
飽くまでも自分がチームの勝利に貢献をすることが第一条件で、
その方法は問わない」
と、
そのように語気を強めて、群がる記者達に向かって語りかけていた。
しかしコモンズ監督の黛は、
「ふむ、その点は私にも拘りはない。
とにかくどんな形でも、先ずはチームのためにプラスとなってくれさえすれば」
と、
八田に対して語った。
「そうですか」
「バーガーも守備と走塁に難点を抱えているが、
日本のプロ野球ならば大抵、
そうした選手はドラフトの時点で弾かれてしまうだろう」
「ええ」
「しかしアメリカならばメジャーにしろ、マイナーにしろ、
そうした選手達でも普通に契約をしてプレーをしている」
「そうですね。ジャビッツの某選手なんかキャッチボールの球すら
満足に捕球できない。
それがバッティングに関しては、打てば三冠王並みの成績を叩き出すのですから。
彼なんか日本に生まれていればとても大成はしなかったでしょうね。
“そもそも何で、
お前みたいなヤツが野球をやっているんだ”なんて(笑)」
「同じ関西球団、元ブルズの黒人選手なんかも三振かホームランだったな。
率も決して高くはなかったが、
しかし大事な場面を決める一発に関しては、
何よりも重要な意味合いを持つ、まさに値千金のホームランだった」
「ええ」
「ゲームの勝ち負けを優先していては、やはり選手は育ちにくい。
既に出来上がった優秀な選手達を、何もせず、
球団が次から次へと補充していってくれるのであれば、それでもいいが、
そんな金もないのだから、
我々は育てた選手達の個々の力で勝負をしていくしかない。
一番は足の速い俊足巧打の選手で、
二番は小技の利く選手と、
そんなことも、それは今、ウチにいる選手達のそれぞれの個性や
適応次第というわけだ」
と、
黛は八田に言うと、
キッと真っ直ぐ、バーガーの飛ばす打球の向かうグラウンドの遠方眺めながら、
「バーガーは一番センターで使う。
バーガーにはランナーを気にせず、先ずは自由に打席へと入って貰って、
そうしてとにかく、打って打って打ちまくることだけ考えて貰いさせすれば
それでいい。
そこからチームの勝利も開けてくるだろう」
と、
最後に彼は強く断言をした。
するとその次の瞬間、
カキーン!
と、また、
バーガーの放った打球が、
鋭く美しいライナーの軌道を描きながら、
勢い良く、左中間の外野席へと飛び込んでいった。
そしていよいよ3月のオープン戦。
キャンプインからチーム内の紅白戦までは精彩を欠き、
色々と周囲を不安視させたバーガーだったが、
ところがオープン戦に入ってもその直後は12打席連続ノー・ヒットと
相変わらず凡打の山を築き、
もはや開幕一軍入りさえ危ぶまれる事態となった。
「ああアカン!全然ダメや!こいつもやっぱりダメ外人やったんや!」
と、
熱烈なファン達からさえ、いや、むしろその激し過ぎるチームへの愛情ゆえ、
厳しい批判のヤジが直接球場のスタンド外から、
凡打してベンチへと引き上げてくるバーガー選手に向かって投げられる光景が、
徐々に多く見られていくようにもなってきた。
「こら~!オープン戦やゆうても、そんな成績じゃ開幕一軍にも残りゃせんぞォ!
もっと気合入れ~!」
ファン達がガンガンと手にしたメガホンなどの鳴り物を掻き鳴らしながら、
バーガーに対して奮起を促した。
このメガホンが球場内にまで投げ込まれるようなると、いよいよ重症だ。
が・・・、
そこからだった。
バーガーはその翌日以降の試合から、
猛烈な勢いで次々とヒットを量産し始めたのだ。
カキーン!カキーン!
と、
いつものライナー性の鋭い飛球を右へ左へ、
外角低めの難しい投球を、無理に逆らわず逆方向へと流し打ちしたかと思えば、
反対に内角の窮屈な球を、
思いきり左ひじを抜いて引っ張ってみせたりと、
まさに模範的な広角打法の実演のようなバッティングだった。
そしてオープン戦に出場した14試合の内、
最終的にバーガーは球団やファンの不安を覆す見事な活躍で、
打率.354、打点3、本2と、
打率はチーム内で2位、全体でも8位と抜群の好成績を残すのだった。
「なんやバーガー!やればできるやないけ!
ワイは始めから信じとったんやでー!」
「せやせやー!」
熱い手の平返しで知られる在阪のコモンズファン達も、
バーガーのこの成績には大興奮。
丸で借金を返し終えた途端、それまでの態度とは一変させて
「ワイも苦しかったんやけどな。これも仕事やさかいな。
気い悪くせんと、いつでもまた構へんさかいな」と、
愛想の良くなる高利貸しのように、
コモンズファンはバーガーの活躍に絶賛の声援を送った。
しかしオープン戦では好調でも、シーズンへと入った途端、
また調子を崩していく選手も多い。
その点ではバーガーも未だ日本での実績がなかったため、
依然、バーガーの今後の活躍も未知数といったところだったが、
ところがそんな不安の声もどこ吹く風。
開幕した4月以降も、バーガーのこの快進撃は続き、
5試合連続安打や15試合連続出塁を記録すると、
3月末に行われた広島戦では遂に待望の来日初ホームランを、
何と球場の外へと飛び出す特大の場外ホームランで決めた。
その後も月間で4本の本塁打を放つなど、
意外なパンチ力を示し、
また隙あらば果敢に盗塁も狙い、4つの盗塁を決めた。
そして3.4月を終え通算で、27試合123打席で打率.348、39安打、11打点、
出塁率.407、長打率.509、OPS(出塁率+長打率).915と、
まさに助っ人の名に相応しい好成績を残した。
バーガーのバッティングスタイルは以前にH解説者からも
指摘を受けたように、
両足を大きく開いてスタンスを広く取り、打つ瞬間にバットを垂直に立てて、
テークバックも殆ど取らないため、
前後の体重移動が少ない。
その分確かにパワーは小さくなってしまうのだが、ただその一方でまた、
頭が前に突っ込むという、
低打率バッターにありがちな悪癖に陥る弊害もなくなり、
重心がブレず、ドッシリとした下半身の安定を得られるようになる。
バーガーはその構えからとにかくギリギリ、
自分の懐深くまで相手ピッチャーの球を引き付け、
そしてそこから体をコマのようにギュンと鋭く回転させながら、
一気にバチンと弾くようにしてボールを右に左にまんべんなく、
自由自在に広角に打ち返していく。
球を引き付けて打つので変化球への対応もしやすく、
また体を開かず軸の中心がブレない構えはスイングの安定へとつながり、
内角の球を反対のライト方向へ流し打ちにしたり、
あるいは逆に外角の球を反対のレフト方向に引っ張るなどという、
脅威のバッティングさえ可能にしてしまった。
バーガーは4月以降も好成績を維持し、
5月に打率.354、長打率.392、
6月に打率.365、長打率.419と、変わらぬ安定さを保ち、
7月夏のオールスターゲームにも監督推薦での出場を果たした。
そしてこの頃になるとテレビのスポーツニュースなどでも頻繁に
バーガーの特集が組まれるようになり、
プロ野球ファンのみならず、一般の人々に間にさえ、
バーガーの名前は広く知られていくようにもなっていった。
何せこのシーズンのバーガーの打撃成績は、
単に調子がいいという類の活躍ではなく、
これまでチーム内の他の選手が有していた打撃記録、
さらには球界全体の公式記録さえ塗り替えるほどの凄まじさだったのだ。
そしてオールスター明け、
7月の月間成績では打率.292と、連続3割の成績は逃すものの、
8月にまた打率.339、9月には打率.412と、
後半戦に入りその打棒はいよいよ精度を増していった。
そしてその絶好調の9月に記録更新ラッシュの波を迎え、
9月1日に来日1年目の外国人史上最多となるシーズン175安打を記録し、
9月16日には前一番打者葵の持つ年間190本安打の記録に並び、
またその同日中に、実に60年以上も作られた球団記録である191安打にまで
到達をした。
そして9月18日には球団新記録となる192安打、
9月23日にはNPB史上4人目となるシーズン200本安打を、
自身の17号ソロホームランとともに達成。
さらに9月25日に203本目を打って史上単独3位の記録保持者となり、
9月28日には205安打で史上2位、セ・リーグでは史上1位となる新記録を更新。
そして翌の10月3日、210安打目を放って球界史上の最高記録と並ぶと、
10月5日には遂に211本安打を打って歴代史上最高の記録を達成。
それから残り2ゲーム。
バーガーはさらに3本のヒットを上乗せし、
最終的に214安打のNPB史上最高の記録を残してシーズンを終了した。
ただ打率自体では.349ながらリーグ3位の成績と終わり、
惜しくも首位打者獲得までには至らなかったが、
最多安打のタイトルに加え、ベストナインにも選出された上、
プロ野球史上3位となるシーズン24回の猛打賞や、
史上3人目となるシーズン200安打以上、100得点も達成するなど、
まさに怒涛の一年となった。
「神や!まさに神外人や!」
ひ~かり~、輝や~く、栄光ォ~目指~し~♪
夢を~乗せて~、や~ってき~た、レッツ・ゴ~ォ、バーガー♪
「それ、バーガー!バーガー!」
新記録達成のたび、球団の外野スタンド応戦席のファン達は、
一斉にバーガー選手の応援歌を熱唱し、大熱狂の渦の中、
その栄光の記録を称えるのだった。
しかし年間を通じこれほどの好成績を維持するとなると、
とても選手個人の才能や技術だけでは不可能なことだ。
誰でも人間である以上、好不調の波があり、
スイング一つを取っても、
相手の内角攻めや変化球の多投などにより、
本人にも気づかぬ内に微妙な狂いが生じてきて、
徐々にバッティング成績も一緒に降下させてしまうことが多い。
相手投手だって対戦バッターを常に研究し、
弱点を探って攻略しようとしてくる。
だがバーガーは、
「準備は自身につながる」との言葉をモットーに、
日々、試合開始前の練習で細かな打撃フォームのチェックを欠かさず、
もし打てなければ、
何故、打てなかったのかと、
名門ジョージア工科大学出身の頭脳に裏打ちされた緻密なデータ研究を行い、
直ぐにその原因を調べ上げて、
そして次の機会にはもう、対策を練ってさらなる成績の向上へと繋げていった。
彼は自分のどこの場所を攻められても満遍なく、
器用に左右へと打ち返し、
そして初めての対戦で打ち取られてしまった投手相手にも、
次の対戦時にはその問題点を克服し、ヒットでお返しをした。
彼がベンチに持ち込むファイルには1打席毎の対戦投手の特徴と攻略法が記され、
また打ち終わった後も一々、
新たに気付いた問題や反省点をその都度その場で、
細かく書き込んでいくことを怠らなかった。
これは彼のメジャー時代から変わらず行ってきたことだったが、
こうした彼の研究熱心な所や練習態度、真面目な性格は、
環境の違う国でのプレーに対する高い適応力となり、
シーズンを通して安定した成績を残す見事な結果にも繋がった。
“一度抑えられた相手に、何度も同じ手を食うわけにはいかない”と、
バーガーの記すファイルは相手のチーム別、投手別だけでなく、
時期別にも分かれていて、
自分のバッティングに相手がどのように対応してきたかという事までが、
キッチリ把握できるようになっていた。
だからシーズンの途中で、相手ピッチャーの自分の攻め方が変わっても、
直ぐに対応して、年間を通して安定した好成績を残すことができたのだ。
結果、
自身の入団一年目は自らの好調とともに、
チームも最終的に首位と僅か1ゲーム差の2位となり、
惜しくもプレーオフで敗れこそしたものの、
“いよいよ来年こそは・・・!”といった、
ファン達にも来季優勝への期待ムードが一気に高まるシーズンと
なったのだった。
「ミナサン、セイエン、アリガトウ!ライネンコソハ、ミンナデ、ユウショウ、
ガンバリマリマショウ!」
そして明くる2011年。
バーガー自身の契約も二年契約の二年目。
チームも前年度2位の波に乗り、さあ勝負の年といったところだったのだが、
が・・・、
それもこのシーズンは最終的に、
バーガーやコモンズ球団のみらなず、その他全てのプロ野球選手達にとって、
まさに試練の、受難のシーズンとなってしまうのであった。
その最大の理由・・・、
それは、
試合で使用する公式球のボールの規格が変更されたことだった。
それが『統一球』と呼ばれる新ボールの導入。
近年ではWBCその他、日本のプロ野球界も各種国際試合の割合が
増えてくるようになったので、
先ずはそこで行うゲームと、普段からのペナントレースとの間とで、
ボールの違いによる違和感の差をなくし、
引いては世界での日本代表チームの成績向上にも繋げようとの狙いを持って、
導入が決定された事案だった。
日本のペナントレースで使用されていた硬球は、
メジャーリーグなど、他の国際試合で使われていたボールよりも
飛びやすいと言われていたため、
国際規格に合わせて、普段から自分達で使用するボールも、
飛びにくいボールにしようというのが最も大きな目的だった。
それまで日本のプロ野球では、公式球の供給メーカーを
ミズノ、ゼット、アシックス、久保田運動具店(2010年時点)の
4社から供給かされていて、
球団側は各チーム毎に、その4社の作ったボールの中から
好きに選んで使っていいということになっていた。
勿論、バラバラに作っても幾つか共通の基準があり、
特にボールの飛びにくさを表す「反発係数」を、
0.41~0.44の間で設定し、
その範囲内に収まる数値であれば合格となり、
公認としてのマークが付けられ、
その中でのボールの使い分けだった。
しかし2011年度からはまた、
それまで4社で別々に製造していたボールを、
NPBが指定したミズノ一社だけに限定し、
各球団毎でバラバラにチョイスしていた試合でのボールを全球団で
同じ物を使うように変更。
それで誕生したのが『統一球』というボールだった。
そしてミズノ社はそこからさらに、ボールの中心のコルク芯を覆うゴム材に
特殊な低反発ゴムを用い、
0.41~0.44の許容値の、ギリギリ下限を狙った飛びにくい低反発球を新たに開発。
またボールの縫い目も米大リーグの使用球に感触を近づけようと、
幅を1ミリ広げて8ミリとし、
高さも 0.2ミリ低い0.9ミリへと変更した。
ところがこれが・・・、
想像以上に激しく、打者達の成績急落へとモロに直結してしまった。
この『統一球』はただ飛ばないという以上に、
もはや“打者殺し”といっていいほどに飛ばないボールだった。
さらに以前のボールと比べて縫い目に指が掛かりやすくなったことで、
ピッチャーの変化球の曲がり具合が、
それまでよりも全体的にキレが増す結果となった。
しかも変更はそれだけに止まらず、ストライクゾーンに関してもまた、
メジャーに合わせて外目に広く取っていくことが、
セ・パ両リーグの審判の間で決められる運びとなった。
ゾーンが広がれば自ずとバッターは不利となる。
ボールを捕えるインパクトの際に、
腕が伸びて打球に力が伝わらなくなるからだ。
バッターは打てず、逆にピッチャーのほうは良く抑えるようになり、
通常では余り見られない、防御率1.00台の投手も数多く出現するようにもなった。
そして最終的にはこの『統一球』導入のシーズン終了後、
両リーグ合わせての本塁打数は、前年の1605本から939本へと激減。
またホームラン数だけでなく、
2010年に比べ2011年は打率、出塁率、長打率の全てが低下。
フィールドへと飛んだ打球でそれが安打になる割合も、
2分近く下がる結果となってしまった。
まさにバッター冬の時代。
そして大阪コモンズのバーガーもまた他の多くの選手達と同様、
やはり成績を低下させた。
もちろん統一球への変更で懸念される問題点に対しては、
各球団、各選手達が、それぞれ対応に取り組み、、
例えばあるチームの場合では飛ばないボールへの対策として、
バットを重くするなどしたりしていたが、
バーガー選手も飛ばないボールへの事前対策として、
彼の場合は足を以前より大きく上げるなどフォームの改造を行ったのだが、
しかしそれが返って彼のバッティングのバランスを崩す結果にも
つながってしまったのだ。
二年目のシーズンは開幕から序盤は打率1割台を経験し、
4月を終わっても、上がってやっと.230まで。
しかし5月からはまた猛烈に打率を向上させて3割復帰。
バーガーは結局また、バッティング・フォームを元に戻すことによって
以前の調子を取り戻し、
そして以降は8月に一度また2割台を記録したのみで、
後はずっと3割のまま。
昨年同様、首位打者こそ逃したもののシーズンを終わってリーグ打率2位の成績に、
2年連続となる最多安打のタイトル獲得とベストナイン選出。
依然、変わらぬ実力と存在感を示し、
大阪球団とも新たな二年契約を結んだ。
だがバーガーが異常に飛ばない『統一球』対策に、
思わぬフォームのバランスを崩し、打撃成績まで悪くさせてしまったように、
これには他の選手達もまた、同様の辛酸を舐めるシーズンとなった。
例えばもっと打球を遠くへ飛ばすパワーを求め、
筋力アップを図ろうとしたことが、
逆に身体全体の動きのバランスを悪くして、
返って前よりも打てなくなってしまうということがあるのだが、
この新たな『統一球』の導入では、
それ以前までは、リーグを代表するほどの記録を残していた選手達が、
今はもう何をどうしても、以前のような活躍を取り戻せず、
ずっと深刻なスランプから脱出できないようなケースも頻出した。
バーガー自身も単に成績を落としただけでなく、
シーズン中には他にも色々、
例えば絶不調のドン底にあった5月には、
キャッチした外野フライをアウトカウントを間違え、
そのまま観客スタンドに投げ入れて失点を許してしまうなどの
ポカを犯したりもした。
・・・そして、その頃からだろうか。
そうした彼の成績降下に伴い、それまでは殆ど出てくることのなかった、
彼の欠点に対してのネガティブな批判がチラホラと
散見されるようになっていったのは・・・・・。
ファン達の間にもやはり、
相当なフラストレーションが溜まっていたのかもしれない。
何せ大阪コモンズでは前年の、首位と1ゲーム差の2位から、
2011年の今シーズン、いきなりBクラスの4位にまで転落してしまったのだ。
ペナント開幕序盤の3・4月は7勝7敗1分の五分で3位に食い込むも、
その翌月には一気に最下位に。
6・7月に巻き返して2位にまで浮上するも、
8月に入ってからまた負けがかさみ、最終4位でフィニッシュという結果に
終わってしまった。
とにかく色々と噛み合わないシーズンだった。
最も大きかったのは跳ばない『統一球』の導入によって、
コモンズバッターの多くが打撃不振に陥ってしまったこと。
特に昨年まではチームの主力として活躍をしていたベテラン選手達への
影響が甚大で、
彼らはその翌年になっても遂に復調せぬまま、
何と現役生活引退にまで追い込まれてしまうほどだった。
FAで獲得した期待の即戦力投手も僅か1勝止まり。
補強が補強にならず、
投手陣においてもまた、高齢化による選手成績の低迷が
顕著に現れるようになってきた。
コモンズでは最終10月の月間成績を3位でフィニッシュするなど、
それなりに建て直しの兆しもみせていたのだが、
やはり最後はBクラスに落ち込んだという結果の責任を取り、
監督の黛も未だ二年契約の途中だったが、
今シーズン限りでの退任が決定された。
黛の監督就任期間は通算で3年だった。
そして次年度の2012年より、
黛の後任として新たなコモンズの監督として就任をしたのは、
黛とともにバーガーの日本での生活を公私に渡って支えてきた、
打撃コーチの八田だった。
八田は就任会見の席上、
「今シーズン、我が球団はBクラスに落ち込んだものの、
既に回復の傾向にあり、来シーズン以降、
現有戦力に今少しの新たな+要素を加えるだけで、
再びまた、優勝争いに食い込む力強いチームへと蘇らせることができるでしょう」
と、
自信に満ちた会見を行った。
だが内心では、八田はチームの今後の先行きに大きな不安も感じていた。
今シーズンのチームの低迷は、
何も『統一球』導入による選手成績の降下だけでなく、
ベテラン選手の高齢化に伴うパフォーマンスの低下や故障の発生、
および新人戦力の伸び悩みなど、
もっと構造的な部分からきている側面もあった。
故に、とても一監督個人の努力で、
その問題点の全てが改善されるという性質のものでもなかったのだ。
「君には何というか、申し訳ない。こんな状態でチームを譲る
ハメになって・・・」
と、
前監督の黛は退団が決まった際、
新監督就任が決まった八田に対して語り掛けた。
「いえ、そんなことは・・・」
「私のほうからも球団のほうに話はしたが、
だが新たな人事面でのテコ入れを行ったとして、まだまだこれから数年は、
本格的な建て直しには時間が掛かるかもしれない。
だからそれまでは思うような結果が残せず、
その間の世間からの批判も、全て君に覆い被さってくることも考えられる」
黛は退任後、球団からは離れて、民間のマスコミ・スポーツ解説者就任が
決まっていた。
もう自分が直接チームに対して力になってやれないことを憂い、
新監督となった八田にも、
申し訳なさそうに頭を下げるしかなかった。
しかし八田は、
「私も監督の任を引き受ける以上、その覚悟はできております。
ですがチームがBクラスの成績に落ち込んで、一番惨めな思いをするのは
選手達自身です。
だからこそ、そんな彼ら自身が必死に頑張って、
きっとまたチームを活気に満ちた状態へと蘇らせてくれることでしょう。
私はそう、信じております」
「そうか・・・」
危機のときには必ずチームを救うような救世主が、
球団選手達の中から現れる。
“選手たち自身がきっと・・・!”
と、
八田はそう信念を持って、
秋のキャンプでも主に、成長株の若手選手達に期待をかけ、
猛練習を行った。
しかしそうした八田の思いも、
返って選手を追い込んでしまうような結果となってしまった。
2012年度のシーズンが開幕し、
確かに八田の思惑通り、“自分がやらねば・・・!”と、
意気込んで奮闘をする中堅の選手達や、
積極起用によって先ず先ずの成績を残す者達は現れたが、
しかし彼らがチームを支えようとすればするほど、
自分の抱える負担も大きくなり、
開幕序盤の好調も、ペナント中盤からは目に見えて
失速を遂げていくようになった。
明らかに過労だった。
『統一球』の導入は投手には大きく+に作用するため、
コモンズでも先発投手陣は比較的順調だったのだが、
一方で中継ぎ・抑えのリリーフ陣がもたなかった。
コモンズでは元々、12球団でも代表するような豊富で優れた中継ぎ陣を
抱えていたのだが、
3年前の2009年に、その救援投手陣を中核となって支えていた一人の
外国人投手が高齢のため現役を引退してしまうと、
それを境に、他のリリーフ陣に、彼が抜けた分の負担が
急激に増加することとなってしまった。
しかし他の救援投手陣たちも非常に優秀だったため、
彼らはその負担も何とか吸収することができてしまった。
だがそうして彼らが頑張れば頑張るほど、ますます登板過多に陥り、
最終的に自ら肩を壊す結果となってしまったのだ。
もちろん若手を抜擢してその穴埋めを行おうとしたが、
しかし地力不足の若手では、たとえ一時は好成績を残しても、
それをシ-ズン終盤まで持続していくなど、
とても不可能なことだった。
コモンズでは2012年度、
3、4、5月と、序盤までは選手達の頑張りでAクラスの3位を
キープしていたものの、
それが6月に入った途端、丸でその頑張りの糸がプツリと途切れてしまかのように、
チームは一気に5位へと転落をした。
そして7月、
チームはとうとう最下位に。
「こらー!一体何をしとんじゃー!どいつもこいつもヘマばかりしくさって!
お前らそれでもプロかー!」
チームの成績が落ち込めば、その分、マスコミの批判や球場での
観客からのヤジも、一層激しいものとなってくる。
そしてバーガーもまた同様に、
去年との成績の比較でいえば、むしろチーム内で彼が最も酷かったかもしれない。
開幕序盤の3.4月で打率.231、出塁率.231、長打率.297。打点6、本0。
昨年も3.4月は打率.234、出塁率.279、長打率.344。打点4、本2だったのだが、
他の月では8月に打率.241となった以外は、
一度も打率3割を下回ることはなかった。
しかし2012年、『統一球』導入2年目の今シーズンに限っては、
5月に入っても打率.258、出塁率.289、長打率.344。打点12、本1。
6月、打率.227、出塁率.261、長打率.333。打点3、本2。
7月、打率.280、出塁率.314、長打率.415。打点5、本1。
2年連続で出場していたオールスターにも落選し、
また後半戦へと入っても、
以前、彼の打率は2割台のまま。
8月、打率.233、出塁率.313、長打率.233。打点1、本0。
と、
一向に回復の兆候を見せぬまま、成績は下降の一途を辿った。
「こらー!バーガー!お前もじゃー!金だけもろて、
ちゃんと仕事せんかー!」
そして打てないことへの批判は彼のバッティングだけに留まらず、
他の守備面や走塁面にまで及んで、
厳しい追求を受けるところとなった。
元々バーガー選手は守備は得意とはいえず、
走塁技術も高くはなかった。
だからとにかく打ちまくってチームの得点に絡むというのが
彼の持ち味で、強みだったのだが、
しかしその肝心のバッティング成績が下がってきたことで、
ここで彼の持つ他の欠点面までが、
モロにクローズアップされる事態となってしまったのだった。
打率が1割台にまで落ち込んだ苦手の春先には、
解説者のY氏から緩慢な守備(ヒットへのチャージが甘く
ランナーのホーム生還を許したり、あるいは他の外野手のカバーに
シッカリと回り込まなかったりなど)や、
怠慢と思われる走塁(ファールフライの打球にバッターボックスから
ピクリとも走る気を見せなかったりなど)を、
それこそ「全くやる気が無い!」と、厳しい批判を受けてしまう。
そしてそんなバーガーの問題はマスコミを通じ、
地元ファンの間にも徐々に認知されるところとなった。
「何やっとんねん!アホー!もっと真面目にやらんかー!」
バーガー選手は元来、非常に敬虔なクリスチャンとして知られ、
自身のブログでも良くそのことが語られて有名だったのだが、
しかし“そんな真面目な人が、どうしてあんな怠慢プレーを・・・?”
といった疑問が、
やがてコモンズファンに止まらず、広くプロ野球ファン全体の間でも、
ネットなどで頻繁にささやかれるようになっていった。
彼らの間に広まったこの頃のバーガー選手に対する印象としては、
とにかく打てないことへの苛立ちからか、
他のプレー面全般についてまで、
ふてくされて、やる気がないように見えるといった、
そんな感じだった。
そして極め付けは8月に入った、ある日の試合での出来事。
その試合で、
記録にこそ付かなかったが、バーガーは実質のエラーを二連続で犯して、
そのまま懲罰交代でベンチへと下げられ、
さらにその試合終了後、
バーガーのその、プロとして余りのプレーの酷さに激昂した
守備走塁コーチの関ヶ原と、
バーガーはベンチ裏で激しい口論となった。
「なんや貴様、あの守備は!いい加減ナメとんか?
今まで何度同じヘマやって来たと思うとんのや!
もう我慢の限界や!
やる気もないんやったらゲームなんか止めてしまえ!
お前みたいなヤツおったらチーム全体に迷惑が掛かる!
真面目にやってるヤツが可哀想や!」
と、
元来が非常な硬骨漢として知られた関ヶ原コーチだったが、
再三に渡るバーガーの失態に、
相手が外国人選手だとの区別もなしに、
猛烈な剣幕でがなり立てた。
しかしいくらコーチからの叱責とはいえ、
“やる気がない”とまで言われ、
始めの内は何とか堪えていたバーガーも、
遂にここで、込み上げてくる自身の感情を爆発させてしまった。
「ヘイ!黙って聞いていれば、何だその言い方は?
一度目のミスは私が予想した判断とは逆の球筋だった事が原因で、
二度目の取り損ないにしても、
それは難しい飛球を何とか捕りにいこうとしたアプローチの末の結果だ!
やる気が無いなどと、
いやしくもプロの選手がワザと自分からミスをするなど
考えられないことだ!」
「なんやと・・・ッ!」
しかしバーガーはその前の6月にも、
怠慢守備を指摘してきた記者達に暴言を吐き、
球団社長から直接に口頭注意を受けるなどの問題を起こしていた。
その日の試合では2アウト二塁の場面で、
コモンズ側は敵ランナーの本塁生還を阻止すべく、
外野は前進守備を布いていたのだが、
やはりバーガーの捕球への突っ込みと返球の遅さが原因で、
敵に得点を許してしまった。
関ヶ原コーチとしてはその事も踏まえ、
以前と何も変わっていないと怒りを爆発させたのだが、
ただその関ヶ原コーチのバーガーに対する叱責と、
6月の怠慢守備で彼が記者陣から指摘を受けた際の質問内容は
全く同じ言葉、
“何でそんなミスをしたんだ?”と、いうことだった。
しかしバーガーにとってミスは単純に結果であって、
そもそもミスにそれをする理由などありえない。
例えば自分が味方チームの登板ピッチャーのことが嫌いだから、
そんなことをしたのだとか、
記者達の言う“何で?”とは、詰まりそういう意味のことなのか?
結果がマズければ自分が首脳陣から更迭されるだけで、
それ以上、ミスの理由を追及されても何の答えようもない。
それをひたすら“何で?何で?”とは・・・、
要するにそれは、ヘマした自分を侮辱してバカにしているのか?
記者達の追及に、
その時バーガーは思わず、
「レット ゼム スコア(敵に得点させてやったんだ)」
と、
返してしまった。
そしてそれが即、翌日の各スポーツ新聞の一面となった。
しかし例えばファールフライなどにしても、
外国人選手の場合、特にそれが序盤のケースなど、
たとえタッチ・アップで相手に一点を献上することになったとしても、
確実にワン・アウトを取ることを優先し、
敢えて取ってしまうことがある。
だがこれなども日本人の場合はその一点に目くじらを立てて、
「何て事をするんだ」と騒ぎ出す。
だから日本人の場合は失点はどんなケースでも、
それがマイナスにしかならない。
だがこれが同じ1失点でも、
防御率1点台のピッチャーと3点台のピッチャーでは、
もう全然、意味合いが異なってきたりするのだが、
詰まり日本人は基準が常に絶対評価で、
物事の価値を相対思考で考えることができない。
仮に3割のバッターを獲得したとして、
しかしその選手は特定のチームだけでは非常に高い打率を残すものの、
他のチームでは全然低い打率しか残さないとなると、
全体では負けてしまう結果となる。
だからたとえ打率2割のバッターでも、
相手チームとの相性を考えて上手くバランス良く使えば、
トータルでは3割の打線を組むことだって、可能になってくるわけだ。
しかしそれが理解できず、
高年俸の強打者をわんさかと揃えつつ、何故か試合には勝てないと・・・。
バーガーのプレーは基本、今までと何も変わらない。
“バーガーの怠慢だ!”とバッシングを受けた様なプレーでいえば、
それはこれまでも似たようなものだった。
そもそも外国人選手の大半が打撃重視で守備には関心が薄く、
だから海外から連れて来る選手達の殆どが始めからみんな守備ベタで、
元々守備が下手な人がエラーをする場合、
それはそれこそ“当たり前”でしかないなのだが、
しかしそこが日本人にはどうしても納得ができず、
“守備が下手なら練習しろ”と言って聞かない。
が、そもそも日本のプロ野球球団が助っ人外国人選手達に求めることは、
とにかく“打ってくれること”が第一で、
守備などは飽くまで二の次。
だから海外選手を起用するチームの側にしても始めから、
打撃面と守備面のメリットとデメリットを相殺させ、総合的に判断をした上で、
“最終的にプラスになってくれれば”との判断で連れてきている。
確かに欠点は欠点で、それがチームに損害を与えていることには変わらないと、
詰まり絶対基準でのマイナス評価を持ち出されれば、
それはその通りでしかないのだが、
ではそうした問題の選手達を切って、
他に誰かその穴をキッチリと埋めてくれる選手がいるのかとなった場合、
そんな選手だってどこにもいない。
結局はまた「あいつがダメ、こいつがダメ、誰がダメ。
あぁもう、どいつもこいつもみんなダメ」と、延々同じことの繰り返し。
他に満足な代わりの選手がいない以上、
例えもし実際に首切りを繰り返したところで、
それが結果の向上にまでは繋がらず、
チーム全体の成績も上がらず終い。
しかし「欠点」とは、それ自体は絶対評価なので、
相対評価と違ってハッキリ“ダメ”だと言い切ることができる。
そこが日本人には安心なのだろう。
何か一つ、人の欠点を見付けると大喜びで飛び付くが、
だからこれがプラスの評価の場合にしても、そうすると今度は、
何点を取ったとか、どこの学校を出たとか、
何々の賞を貰ったとか、どこそこの大会で優勝をしたとか、
逆にそういう評価には極端に弱く、何も言えなくなる。
一般に日本人は曖昧でハッキリしないと言われる割に、この辺りがどうも、
だから議論をしても日本人は評価が絶対基準なので、
この場合は逆にハッキリし過ぎてもう、
子供のケンカのようにしかならなくなってくる。
(私が今、受けている批判とは一体何なのか・・・?)
バーガーにはとてもわからない。
どうしてエラーという一つの結果が“エラー=怠慢”という図式にまで
結びついてしまうのか・・・。
もし始めから“守備も上手いから”と取った選手がエラーしたのであれば、
それはシッカリして貰わねばならないが、
しかしそういった選手ではない、例えばバーガーのような選手までが何故、
全てを求められるのか・・・?
が・・・、
ただ実際問題、彼自身のやる気、モチーベーションの低下ということでいえば、
それもまた一面で事実だった。
バーガーには不満があった。
それは球団に対して。
球団は選手の成績が落ちれば当然の様にそれを責めるし、
場合によっては2軍への降格など、事実上の懲罰さえ行われることもある。
が・・・、
では球団のほうはどうなのか?
球団は選手の責任を追及するが、しかし現状の、
チームの下位低迷の要因はとても選手個人にだけは帰せられない、
もっと根本的なところに問題があった。
チームは今季、人気球団の豊富な資金力を駆使し、
リーグでもトップレベルの総年俸を支出し、
外部からトレード等を駆使して大幅な戦力補強を行った。
ところが、例えば元々FAやトレードで途中加入してくるような選手達は、
豊富なキャリアを持ち実戦での活躍の計算がしやすい反面、
その分、年齢的には高齢で選手としての耐用年数が短くなり、
またケガや故障の心配が非常に高くなってしまうといった弊害も抱えていた。
そしてまさに今季、シーズン開幕前、球団の行った積極補強では、
そうしたことが見事に裏目に出てしまったのだ。
即ち、新たに獲得した有名大物ベテラン選手達が次々と故障、
あるいは一気に力が衰えてしまったのではないかと思われるほどの
成績の低迷に落ち込み、
そして彼らはシーズン中、相次いで一軍登録を抹消されて二軍落ちをし、
今では一軍スタメン選手の多くが実力不足の若手ばかり。
そのため大阪コモンズでは一軍選手の総年俸の額と二軍選手の総年俸の額とが、
逆転してしまうといった珍現象まで見られるほどだった。
そしてチーム全体の成績が悪いときはやはり、
選手やコーチ陣もまた非常にナーバスな状態となり、
そんなときにはチーム内でのゴタゴタや揉め事も自ずと増えてくる。
バーガーと関ヶ原コーチの衝突も、
そんな最悪のチーム状態の期間中に起こった事件の一つだった。
「結果で自分が処分されるのは構わない。
実際、成績が悪いのだからそれは仕方がない。
しかし態度を責められるというのは一体どういうわけなのか?
全く意味がわからない」
バーガーは関ヶ原の詰問に、率直な自分の考えをぶつけて反論をした。
が、
関ヶ原もまた、
「何を言うとるんや!態度が悪いからヘマを犯すんや!」
と、
負けずにやり返す。
「人の態度が問題になるというのであれば、
では球団は一体どうなのか?
選手達の不振に一切の責任を押し付けるばかりで、
本当に自分達は、為すべきことをきちんとこなしているといえるのか?」
「アホうッ!そんなことは選手が考える問題やない!
選手達は皆、現場で一生懸命プレーすることだけ考えておれば、
それでええんや!」
「私は真面目にプレーしている」
「してへんから言うてんのやろが!選手なら誰でも当たり前のことや!
何でそれが出来へんのや!」
「私のプレーはいつだって変わらない。
成績さえ良ければこんなことはいわれない。
他の選手だってそうじゃないか。
大抵の外国人選手達が皆、始めから守備難を抱えているが、
打ちまくってさえいればそんな批判はどこからも出ることはない。
確かに私は今シーズン、これまでとは違う、
新たなボール、新たなゾーン、
そして相手投手の新たな攻め方に苦しんでいるが、
何れきっとその問題も克服できると信じている。
今までだってそうしてきた。
それなのにあなた方首脳陣は、この私の選手としての
信頼感まで失うつもりか?
もしそうならこの私にもどうにもならい。
それならばただ、
黙って契約を切ってくれれば、いいだけの話だ」
「何やとォッ!貴様このッ!
そういう態度が日本では一番嫌われるんやッ・・・!」
関ヶ原コーチはもう、バーガーの襟首を掴んで殴り掛かる勢いだったが、
しかし他のコーチや選手達が慌てて二人の間に割って入り、
何とかその場だけは取り収めた。
が・・・、その翌日。
当然のことながら、球団からの公示でバーガーの二軍降格が発表された。
来日三年目で初の二軍降格。
しかも来日から二年続けて最多安打獲得の
球界トップバッターの懲罰人事。
その話題性からも、
発表当日のスポーツ新聞の一面はおろか、一般紙のスポーツ欄でも
バーガーの記事は注目の的となった。
「・・・あ~あ、とうとうやってしまいよった」
「バーガー、キレたんか」
「バーガーか?怒っとんのは関ヶ原コーチのほうやないか?
バーガーこの記事の写真じゃ笑っとるで」
「そりゃ落とされるやろ」
バーガーは無論、自分でも守備が上手くないことは認識していたが、
しかし試合でのミスは飽くまでも自分なりに考えて、
ヘタでも積極的にボールを掴みにいこうとした結果のことだった。
それは飽くまでチャレンジで、
アメリカでならその姿勢を責められることはない。
が、
日本ではそのミスしたその姿を衆目にデカデカと晒し上げられた挙句、
失態を嗤われる。
これは例えば日本のテレビではお馴染みの「珍プレー集」番組など、
同じプロスポーツのJリーグでは川淵チェアマンが怒って
もう早い段階で止めさせてしまったが、
他のスポーツ新聞などにしても、記事になるのは目立った記録とか
劇的な展開のゲームばかりで、
細かい試合内容といったところまでは、中々まともに取り上げては貰えない。
「日本のマスコミはパパラッチか何かか?
我々は野球をしているのに、
彼らはスキャンダルな事件や面白おかしい出来事に飛び付くばかりで、
肝心の野球の内容には碌に関心を示そうともしない・・・」
登録の抹消から最短で再び一軍へと戻ってこれる期間は10日間だが、
結局、
バーガーは一ヶ月近くもの長い間、
ずっとファームでの長い調整を強いられることとなってしまった。
そしてその懲罰明け。
バーガーの復帰は9月某日。
本拠地・甲子園で迎える球界随一の名門球団との3連戦と決められた。
しかしその試合、
バーガーはせっかく久し振りに一軍に上がってきたというのに
スタメンのオーダーからは外された。
監督の八田としてはむしろ気を遣ってそうした感じだったが、
バーガーは不満だった。
八田がベンチの横からチラリとバーガーの表情を窺ってみると、
バーガーは一人ベンチで詰まらなそうに、
グラウンドに向かってピーナッツを指で弾いて飛ばしていた。
バーガーが二軍で燻っていた間のチームは、今シーズンの
悪い流れを象徴するかのように、
勝ったり負けたりを繰り返していた。
先発が良くても中継ぎや抑えが守れない。
逆にリリーフ陣は良くても先発の序盤の大量失点が悔やまれるといったケース。
もしくは打線が全く打てなかったり、
せっかく打っても投手陣の踏ん張りが効かなかったりなど、
とにかく悉く裏目に出て、上昇へのきっかけが一向に掴めないままだった。
そしてバーガーの復帰戦となったその日の試合でも、
先発が序盤の3回までに早々と、何と6失点もしてしまい、
ベンチではまたかといった感じの重い空気に包まれた。
特に最近では打撃陣の調子がドン底で、
序盤に6点も奪われては、全く逆転できる予感がしなかった。
「あ~、何や今日もダメダメな展開やなあ・・・」
「アカンでほんま。一体いつまでこんな状況が続くんやろか?」
「バーガーも漸く戻ってきよったが、せやけどもうバーガー一人で
何とかなる、ゆうもんやなくなってもうたわ」
「せやな。今のバーガーは確かに状態悪いが、
それでも他に規定届きそうなヤツで、
チームで一番打率いいの、バーガーやからな」
「アカンな・・・。終わとるで・・・・・」
しかし5回までに何とか打線が2点を入れ、6-2と詰め寄ったものの、
が、それをさらにその直後の5回裏。
ノック・アウトされた先発に代わってリリーフした中継ぎのピッチャーが
再び2点を取られて8-2・・・・・。
「あ~、もう!何をしとるんやー・・・」
と、
さすがにもう、誰の目にも今日の試合は決まってしまったかに思われた。
が、
そんな中盤の6回表。大阪コモンズの攻撃。
相手チームは前回の攻撃時のチャンスに早めに先発を降ろして
代打を送っていたため、
ピッチャーが代わってそれまでのベテラン左投手から、
新たに右の中継ぎ投手へと変わっていた。
代わった相手リリーフの加川はこれまで44試合に登板、
防御率が2.84。
本来はもっと実力の高い選手なのだが、
今シーズンは序盤に調子を落として度々打ち込まれる場面が多かった。
中盤からは盛り返し、従来の安定感を取り戻しつつあったのだが、
しかしコモンズ打線はこの加川の、安定感を欠く
代わり端を捕らえた。
何とこの回、先頭の5番・6番・7番が三連続ヒットの集中打で1点を返し、
猶もノー・アウトで1・2塁という、
ビッグ・イニングの大チャンスが到来した。
「お・・・?何や何や?」
「何でもいいわ!一点でも返したれや!意地見せーい!」
と、
このチャンスの場面に、大阪コモンズの打順は8番キャッチャー藤木。
前の回にリリーフの渡瀬が2失点していたので、
次のピッチャーの打席に代打を送るなら、
キャッチャーの藤木も一緒に代えてピンチ・ヒッターを送り込んで構わない。
「(通常、右投手の代打なら左を使うところなのだが・・・)」
などと、ベンチの監督八田は思案しつつ、
打撃コーチの諸岡を自分の側まで呼び寄せると、
二人でデータの確認を行った。
当然、
バーガーはベンチに控えていたのだが、
今季に関しては若手左バッターの今井が対右投手打率で
3割を超える成績を残していた。
「今井は相手ピッチャーの加川に対しても、成績は悪くないです」
打撃コーチの師岡が、自分のデータファイルをめくりながら、
監督の八田に対して話しかけた。
「今日の今井自体の調子は?」
「それも問題ありません。試合前の打撃練習でも快音を響かせ、
いい当たりを連発していましたから」
「ふむゥ~・・・」
しかし猶も八田は渋い表情を浮かべたまま、
中々思案がまとまらなかった。
「(代打はやはり今井で、バーガーは次の回からの守備に回すか・・・)」
八田はバーガーが来日してきた当時の打撃コーチで、
これまでも二人で協力しながら共にバーガーの打撃成績向上に努力をしてきた、
言わば盟友同士だった。
そのため、今年から監督となった八田はバーガーに関し、
特に気を遣う面があった。
「(バーガーは復帰初戦だし、色々なしがらみもあるから・・・)」
などと考え込んでいると、
その盟友・八田の前にバーガーが立った。
「ヘイ、ボス!何を迷っているのか?
この場面でのピンチヒッターならこの私を措いて他にはいない。
もしあなたがこの場面で私を使わないというのなら、
それこそあなた自身がもう、
チームの最後の優勝への望みまでを捨ててしまったということになる。
それでは我々は今、何でこのフィールドに立ってプレーしているのか?
ファンの皆は何のために一生懸命、
声を枯らして声援を送ってくれているのか?
今ここで全てを無にしてもいいのか?」
「・・・・・」
八田監督は現役の頃から理論派として知られ、
これまでもその理詰めの計算された緻密な頭脳野球を展開していた。
ただ今シーズンに関しては非常に負けが多かっただけに、
自分の信じるセオリー通りに試合を進めていって、
で、一度や二度の負けならまだいい。
が、それが5回も6回も続いてくるとなると、
果たしてどこまで自分の理論を信用していいのか、
わからなくなってくる。
“この前はあれをしてこうなる筈がああなった”とか、
あるいはまた、
“ここでこうすればこうなる筈なのだが・・・”などと、
もし失敗してしまった先のことを考え出すともう、
正しい解答など全く見付けることができなくなってしまった。
「・・・・・」
八田はなおも腕組みをして思案している様子だったが、
そこへまた、
「ヘイ、ボス!」
と、
バーガーが真剣な眼差しで、自らのバットを片手に詰め寄った。
「フッ・・・」
すると漸く八田も意を決し、
バーガーの催促に、
八田は迷いを振り払ったかようにベンチを出て、
主審に代打バーガーの名を告げた。
「(考え過ぎか・・・)」
“大阪コモンズ、バッター8番・藤木に代わりまして、
バーガー。藤木に代わりまして、バーガー。”
球場内一杯に、代打バーガーの場内アナウンスの声が響き渡った。
ワー!
そしてその報せに沸き返る球場のコモンズファン。
「おーし!、ええどー!いつまでもやられっぱなしじゃアカンでえ!」
「いったれー!かましたれー!」
ワー!ワー!ワー!
専用の入場曲が流れる中、
ネクストバッターズサークルからゆっくりと打席に向かうバーガー。
厳しい表情を浮かべながらバッターボックスへと入り、
土をならした後、
両足の間隔を広く、彼独特のスクエアに大きく開くフォームで
バットを構えた。
そして、
「プレイ!」
という審判のゲーム開始の掛け声とともに、
ピッチャーの加川もまた、セットポジションの体勢へと入った。
バーガーはホームランバッターという程ではないが、常時ほぼ、
長打率が4割を超えるパンチ力を持った中距離バッターだ。
年間で大体15本前後のホームランも放っている。
だから相手投手の攻め方としてはとにかく低め。
ランナーを溜めていることもあり、この場面では何より一発が怖い。
そしてその第一球目。
ピッチャーの加川はバーガーへの初球を外角低めに、
威力のあるストレートを思い切り良く腕を振って投げ込んだ。
バスン!
が、
「ボーッ!」
ボールは大きく外側に外れてボール。
続く2球目。
やはり低め。
が、
今度はフォークでストライクゾーンからボール球へと、
鋭く落ちる変化球を打者の手前に投げ入れた。
バシン!
「ボールッ!」
バーガーはややボールにお辞儀する様な格好になるも
やはり手は出さなかった。
バーガーはストライクとボールの見極めの優れた
非常に選球眼のいいバッターだった。
カウント、ノーストライク・ツーボール。
これで打者有利のバッティング・カウント。
相手投手としては次にボールを出してしまうともう3ボールで後がなくなるので、
ここはやはりストライクが欲しい。
しかし打者も当然それをわかっているので、
単純にストライクを取りにはいけない。
加川はキャッチャーからのサインに頷くと、
3球目、
バーガーの内角胸元へ、鋭く抉るようなシュートを投げ入れた。
バシィ・・・ッ!
「ストラーーーイクッ!!!」
これでカウント、B2-1S。
一度相手に内角を意識させれば次からの外へのボールを
バッターにより遠くに感じさせることができる。
セオリーならここで外角の球だが・・・。
B2-1Sからの4球目。
加川がバーガーへと放った投球は真ん中寄り、やや低めのストライク。
・・・から、
さらに外へと逃げるスライダー。
「・・・ッ!」
カキーン!
「ファール!」
バーガーはその球をカットして、
ボールは一塁側スタンドへと飛び込むファールボール。
これでカウントB2-2Sの平行カウント。
ピッチャーからは逆に、
後一球はまた、ボール球を放れる余裕があるという計算に変わる。
ここまでバーガーが手を出して来た球は比較的球足の速い
シュートの一球のみ。
そして意識はやはり、ランナーをホームへと帰しやすい
右方向にあるようだ。
「(となると・・・)」
ツーストライクと追い込んだ5球目。
ピッチャー加川の投じた球は今度もやはり低め。
が、
今度は、
ポーン!
と、
打者のタイミングを大きく外す緩い球。
山なりのスローカーブだった。
「ムッ・・・!」
カキーン!
「ファール!」
しかしバーガーは体を大きく崩されながらも何とかカットして、
また一塁側へのファールフライとした。
「チッ・・・!」
ピッチャーとしては打ち取った当たりだったが、
しかしボールはギリギリ、ファールゾーンへと切れてしまった。
依然B2-2Sの平行カウント。
6球目。
「(前の緩い球のイメージーがあれば・・・)」
加川は再びバーガーの胸元へと、
今度こそ全力のストレートを投げ込んだ。
ビシュウゥゥゥ・・・ッ!
が、
ガキーン!
「!」
良く引き付けて弾き返された打球は強烈な勢いで
ファーストの左から抜け、
ライト右翼の一番奥深くへと突き刺さった。
ワーッ!
「何ィ・・・ッ!」
「フェア!フェア!」
一塁塁審が大きく腕を振ってゼスチャー。
ワーッ!ワーッ!ワーッ!
「回れッ!回れッ!」
三塁コーチャーの指示に、二塁ランナーに続いて一塁ランナーも勢い良く
三塁を蹴ってホームベースへと突入。
ボールはライトからファーストを経てバック・ホームへと
返されるも間に合わず、
キャッチャーは受け取った球をそのままセカンドへと送球。
しかし打ったバッターランナーのバーガーは悠々とセーフ。
見事な2点タイムリー・ツーベースヒットとなった。
ワーッ!
一斉に沸き上がるコモンズ・ファン。
「いいぞ!バーガー!良くやった!」
「信じとったでー!」
彼らの手に持った応援メガホンや応援バットを打ち鳴らす音とで、
大歓声に包まれる場内。
そしてセカンドベース上、
ゆったりと足のレガースやひじあてを外しながら、
左手を上げてスタンドの声援に応えるバーガー。
ひ~かり~、輝や~く、栄光ォ~目指~し~♪
夢を~乗せて~、や~ってき~た、レッツ・ゴ~ォ、バーガー♪
「それ!バーガー!バーガー!」
そこにはもう、今の今までバーガーが二軍落ちしていたことも、
彼に対する批判も何もなかったかのような、
ファンとチームとの一体感があった。
「バーガー!頼れるのはやっぱりお前やー!」
「帰らんでくれー!」
「応援してるでー!」
ワーッ!ワーッ!ワーッ!
来日3年目となった2012年。
飛ばない『統一球』の導入により、以前までの調子を崩され、
大いに苦労をしたバーガーだったが、
シーズンを終えてチーム内、
規定打席に到達した4人の打者の内、
バーガーは打率2位の成績でフィニッシュ。
最終的な数字は、121試合、473打席で118安打、
打率.260、出塁率.290、長打率.342、打点8、本5、盗塁2と、
やはり随分寂しい結果となってしまったが、
しかしながら今シーズン開幕の当初から、
月間で一度も3割を超えることのなかった打率が、
8月に二軍落ちして再び一軍へと戻ってきた9月以降では、
21試合で打率.321、出塁率.341、長打率.385、打点11、本1と、
バーガーは殆ど好調時と変わらぬほどに成績を回復させ、
その点、これまで散々苦しめられていた『統一球』にさえ、
彼は見事に対応し、アジャストしつつあったのだ。
打てば神様、
打てなければゴミ扱いで即契約解除。
プロスポーツ選手の宿命とはいえ、
ただ球団とバーガーとの契約期間でいえば、
まだ後一年を残していた。
マートン選手ですけど、
やはりまだ日本での活躍をして貰いたいと思っています。