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第7話:巨大要塞とコタツの中の絶対零度

 博多から再び魔法の鉄竜(新幹線)に揺られ、私は一路、北陸の地を目指した。

 この国のインフラ技術は底知れない。つい最近、これまで関西から特急列車でしか行けなかった北の地域へ向けて、新幹線の巨大な結界が延伸されたのだという。

「次は、終点、敦賀。敦賀です」

 私は降車の準備を整え、扉が開くのを待った。

 やがて列車が滑り込んだその空間を見て、私は思わず目を見開いた。

「……なんという建築物ダンジョンだ」

 私は首が痛くなるほど上を向いた。

 そこは、地上から約三十七メートル――ビル十二階分に相当する高さに建設された、超巨大な駅のホームだった。

 周囲を見渡せば、幾重にも重なるフロア。吹き抜けの神殿のような大空間。そして、下層から上層へと無数の人間を運搬し続ける『エスカレーター』と呼ばれる自動昇降機群。

 それはもはや駅ではない。異世界から襲来する飛行魔獣を迎え撃つための、難攻不落の巨大要塞そのものだ。

(……この国は狂っている(褒め言葉)。ただ『真っ直ぐ遠くまで移動する』というたった一つの目的のために、これほどの途方もない質量と建築魔術を動員しているのか)

 さらに恐るべきは、その結界構造の複雑さだった。

 新幹線という最上位の鉄竜から、在来線や特急と呼ばれる下位の鉄馬たちへと乗り換えるための『乗り換え改札トランスファー・ゲート』が無数に配置されている。

 一般の旅行者(平民)たちは迷い、ためらいながら己の通行証(切符)を握りしめているが、私は違う。

 これまでの旅で蓄積した魔導インフラの知識と、『直感』スキルをフル動員させ、一度も迷うことなく要塞の最深部――駅の出口へと到達した。

「よし、第一関門突破。……まずは、この要塞の周囲を制圧(探索)するとしよう」

 要塞(敦賀駅)の外に出ると、そこには肌を刺すような冷たい北風が吹きすさんでいた。西日本の温かな気候から一転、ここは雪国の入り口なのだ。

 私の目的は一つ。

 この厳しい日本海の海中にのみ生息するという、伝説の甲殻系モンスター。

 全身を重装甲で覆われ、鋏一つで人間の指など容易く切断するという冬の味覚の王様――『越前ガニ』の討伐である。

 私は気合を入れ直し、駅の両隣に併設された強固な食料庫(商業施設『くるふ敦賀』および周辺の海鮮市場)へと足を踏み入れた。


「……こいつが、冬の王様」

 私は市場の生簀いけすの中でうごめく、その巨大な赤い装甲をまとった魔物――『越前ガニ』と対峙していた。

 長い脚、棘に覆われた甲羅。それはまさに、異世界の海底神殿を守護していた重装甲クラブ・キングをスケールダウンさせたような姿だった。

 だが、その一杯(一匹)に付けられた値札を見て、私は戦慄した。

『二万五千円』

 金貨数十枚。これまで私が食してきた立ち飲み屋やラーメンが千円以下であったことを考えれば、これは破格の懸賞金……いや、討伐費用である。

「構わん。一番活きのいい奴を茹でてくれ。ここで食う」

 私は商人(店員)に銀貨と紙幣の束を叩きつけ、数十分後、見事に全身を真っ赤に染め上げられ、湯気を立てる茹でガニ一匹を丸ごとテーブルの上に召喚した。

 周囲の観光客たちは、専用のハサミ(魔導カッター)や細いフォークのようなものを使い、悪戦苦闘しながらカニの硬い殻(鎧)と格闘していた。

 だが、私にそんな生温い道具は不要だ。

「……フスッ!」

 私は一瞬の呼気とともに、『解体(Dismantle)』のパッシブスキルを両手に集中させた。

 異世界において、オークの硬い皮膚や飛竜の鱗を、刃こぼれ一つ起こさずに『関節の隙間』から正確に切断・解体してきた真の戦士の技。

 武器は己の十本の指のみ。

 私は素手でカニの長い脚の関節ウィークポイントを正確に見極め、一切の力みを排した動きで「パキッ、スッ」と引き抜いていく。

 甲殻系モンスターの持つ物理防御力を、構造的な弱点を突くことで完全に無効化するのだ!

 一分後。

 私の目の前の皿の上には、殻から完璧に分離され、ぷりぷりとした純白の脚肉だけが綺麗に積み上げられていた。

 周囲の客たちが、私の異常な解体速度と美しさに言葉を失っている気配を感じたが、気にしてはいられない。

 私はその白い肉塊を、何もつけずにそのまま口へと放り込んだ。

「……むうっ!」

 美味い。

 強固な装甲の内に秘められた、日本海の荒波が育んだ極限の甘みと塩気。繊細な繊維の一本一本が口の中で解れ、極上の旨味が爆発する。

 だが、これはまだ前哨戦だ。本命は、甲羅の中に隠されている。

 私はカニの胴体を開き、その中心部に鎮座する暗緑色のペースト――『カニ味噌(脳髄)』にスプーンを突き立てた。

 濃厚な磯の香りが立ち昇る。

 私はそれを掬い上げ、一気に口の中に流し込んだ。

 ――ズドォォォォンッ!!

「……ッ!? あ、あぁ……」

 あまりの濃厚さ、あまりの旨味の奔流に、私の脳髄が激しくスパークした。

 これは、精神攻撃マインド・ブラストだ!

 舌根から直接脳へと叩き込まれる、旨味という名の強烈な快楽物質。このカニ味噌は、食べた者の自我を溶かし、ただ快感に溺れさせる恐るべき魔のペーストだったのだ。

 私は【状態異常無効】スキルすら貫通してくるその強烈な旨味の暴力の前に、完全に屈服した。

 王の冠を戴く魔物(越前ガニ)。

 その討伐は私の圧勝に終わったかに見えたが、最終的に私の精神を蕩けさせたのは、やつらの方だった。

 私は敗北の甘美な余韻に浸りながら、最後の一欠片まで、王の残骸をしゃぶり尽くしたのだった。


 カニ味噌の精神攻撃によって足取りがおぼつかなくなった私は、予約していた雪深い山間の温泉宿へと逃げ込んだ。

 通された和室の中央には、奇妙な正方形の魔導具が存在感を放っていた。

『コタツ』である。

 木製のやぐらの上に分厚い布団が掛けられ、その下には超小型の炎属性魔法陣(赤外線ヒーター)が設置されている。

「……こんなものに、元勇者であるこの私が……」

 私は警戒しつつも、凍りついた足を布団の中へと滑り込ませた。

「……あぁっ……」

 一瞬だった。

 足元から全身に駆け巡る、狂おしいまでの温もり。

 この魔導具は、人間を堕落させるために生み出された最悪のトラップだ。一度入れば最後、そこから二度と立ち上がる気力を根こそぎ奪い去っていく。

 私がまんまと捕獲され、完全に骨抜きにされていると、仲居と呼ばれる宿の女性が、お茶と四角い箱を運んできた。

「ようこそおいでやす。こちら、福井名物の『冬の水ようかん』でございます」

「……冬の、水ようかん?」

 私の知識(商人ギルドのデータ)によれば、水ようかんとは夏の暑い時期に、涼をとるために食される冷たい氷菓の一種だったはずだ。

 外は凄惨な猛吹雪ブリザードである。窓がガタガタと鳴り、木々が凍りついている。

 こんな極寒の日に、わざわざ水分が多くて冷たい菓子を出すとは、這い寄る狂気か新手の嫌がらせか。

 私は訝しみながらも、箱を開けた。

 平たい厚紙の箱に、一面に真っ黒な水ようかんが流し込まれている。表面は微かに波打っており、水分量が極めて多いことが視覚からも理解できた。

 私は付属の小さな木製ヘラ(エクスカリバー)を手に取り、箱の底から丁寧にようかんを掬い上げた。

 黒糖の深い香りがふわりと立つ。

 口に入れる。

「……ッ!!」

 冷たい。だが、ただ冷たいのではない。

 外の荒れ狂う吹雪の冷たさとは違う、研ぎ澄まされた氷の魔力のような、心地よい冷たさ。

 それが、コタツという灼熱の魔導具によって火照りきった私の口腔内を、優しく、そして滑らかに冷やしながら溶けていくのだ。

 黒糖の強い甘み。

 それが、冷たさを伴って食道を下り、コタツで温められた胃の腑へと落ちていく。

「……なんという、温度の逆転魔法」

 私は震えた。

 部屋を暖めるのではなく、自分自身の周囲だけを局所的に熱帯コタツへと変貌させ、その最強の防御陣地に引きこもった上で、あえて冷たいものを食す。

 外気(極寒)と足元(熱帯)、そして口内(氷点下)。

 この途方もない環境のギャップこそが、あらゆる高級料理をも凌駕する、究極の贅沢を生み出しているのだ。


 翌日。

 私は敦賀の要塞駅の近くへ戻り、この長大なる西日本制覇の旅路を締めくくるための、最後の昼食バトルに臨んだ。

 ヨーロッパという名の西方の古都(ヨーロッパ軒)を冠する、歴史ある大衆食堂。

 そこで供されるのは、福井が誇る『ソースカツ丼』である。

「……おお」

 運ばれてきた丼には、はみ出しきらんばかりの巨大な豚カツが三枚、漆黒の特製ソースをたっぷりとまとって鎮座していた。

 卵で綴じる和の優しさは、ここには存在しない。

 あるのは、熱い白米、薄く叩き伸ばされた豚肉、極限まで細かく挽かれたパン粉の衣、そして酸味と甘みが同居するウスターソースのみ。

 武骨だ。

 見渡せば、地元の兵士(客)たちは皆、最初の儀式として、丼のシールドを取り、そこへカツを二枚ほど一時退避させている。

 何故なら、そのままでは米を掘り進むことすら不可能な重装甲(カツの厚み)だからだ。

(……見事な戦術配置)

 私も彼らに倣い、カツを蓋へと緊急避難させたのち、残された一枚のカツと、ソースの染み込んだ白米を一気に口へとかき込んだ。

「……サクッ! ジュワァッ!!」

 ソースの酸味が豚肉の野性味を完全に抑え込み、細かいパン粉がソースを極限まで含んで最強のアーマーとなっている。

 卵のエクストラバフなど不要。己の持つ素材の味と、歴史の重みだけで勝負を仕掛けてくる、堂々たる正面突破の陣形。

 それが、ソースカツ丼の真髄だった。

 ……美味い。

 私は静かに、そして確固たる決意を持って三枚のカツを平らげた。

 腹の底から、底知れぬ力が湧き上がってくる。

 魔王の呪いすら凌駕する、現代日本の食の暴力。私は、この圧倒的なまでの平和とカロリーの前に、完全に屈服していた。

「……負けた。私の完敗だ」

 私は最後の白米を一粒も残さず腹に収め、空になった丼に向かって一礼した。

 店の外に出ると、日本海から吹きつける冷たい風が、満腹の身体を火照りから醒ましてくれた。

 大阪から始まり、兵庫、岡山、広島、福岡、そして福井。

 この西日本という巨大なダンジョンには、まだまだ私の知らない恐るべき(そして旨すぎる)魔物たちが無数に潜んでいることだろう。

 魔王はとっくに倒した。

 世界は平和になり、私が振るうべき剣は、もはや箸とヘラに変わった。

 それならば、私はこの新たな武器を手に、この狂おしいほどに美食に満ちた現代日本を、死ぬまで探索し尽くしてやろうではないか。

「次は……四国か? いや、南の果て、沖縄という結界の島も悪くない」

 私は手元にあるスマートフォン(魔導具)の画面を光らせながら、不敵な笑みを浮かべた。

 元勇者の、食欲に任せた平和すぎる探求の旅路は、まだまだ、永遠に終わらない。

(本編第一部 完)


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