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僕の記憶の中の彼女 

作者: ぼく

  カーテンの隙間からは外の焼けた光が迷い込んでいる。

 外で、蝉がぎいぎいと鳴いている。床が軋む音みたいだ。


 蝉というのはメスの方は鳴かないそうだ。オスのセミが、メスを呼び寄せるために鬱蒼とした林の中で鳴いている。セミの一生は短い。


 セミは、幼少を土の中で過ごし、成虫になれば這い出て、少しの間、その生命の輝きをこれでもかというほど主張し、交尾して命を落とす。彼らは、生きている。


 短い生の中で伴侶を見つけ出し、そして逝くのだ。死が刻一刻と迫る中でこそ、生は命たりうるのだ。そんなことを君が小さい時に教えてくれた。


 それに比べて私はどうであろうか。いつからかは覚えていないけれど、昔から私は、毎日をこの部屋の中で過ごしている。


 少し思考に耽っていたら、近所のうるさいぼんぼん車のエンジン音が聞こえた。


 ぶるん、ぶるん。今は朝の5時半くらいであるらしい。あそこのうちの父親は朝早くから、ビンテージな車で出かけるのである。きっと仕事に行くのだろう。


 仕事場で、車の騒音がクレームされそうである。もしくは、あの犬が威嚇するようなエンジン音は、尻尾を踏まれた犬のように可愛くなるのだろうか。


 頭がじんわりと痛む。きっとこの喧騒のせいだ。私は、ベッドサイドテーブルにある栓で耳に蓋をして、全身の力を抜いた。


ーーーーーーーー


 君は僕の道を照らしてくれる太陽であった。君は聡明で、人の痛みに寄り添える人であった。小学校低学年のとき、母親と父親が離婚した。僕の親権は母親が得ることになって、苗字が変わった。


 それまで優しかった父親に捨てられたように感じた。みんなにも捨てられるのが怖くて、僕は自ら自傷行為をしていた。そうすればみんなが僕を注目して、気にかけてくれると思ったのだと思う。


 友達はそんな僕を、次第に遠ざけるようになった。でも君だけは違った。君だけは、僕を捨てないで、親身になってくれた。学校からの長い帰り道で、なんで優しくしてくれるのか問うたことがある。


 小さい頃の君は体が弱く、病院に入院することが多くあったらしい。その時に優しく接してくれた看護師のお姉さんみたいになりたい。学校の帰り道、君は少し照れくさそうに、でもどこか誇らしげに、そうやって話してくれた。

 

 君はそのときから、僕の光であった。


 ランドセルを使わなくなってからも君はいつも僕のことを気にかけてくれた。

 そんな君との生活を通して、僕は捨てられるという孤独から、次第に解放されて、自傷行為をすることもなくなった。


 あれは、中学校3年生の夏のことだったと思う。公立の中学校だったけど、3年生には夏期講習というのをやってくれた。


 僕は数学がとても苦手で、でもあの子は苦手なものはなくて。わからない相似のところを日が暮れるまで教えてもらったり。あの子はうちから坂を下って3つ下の家に住んでいて。


 夏期講習最後の日で、夏休みが明けるまで会う予定はなかった。学校からの帰り道であの子といつもみたいに喋りながら歩いていたとき。僕はその先のことを考えていた。高校生になったら僕たちは、お互い別の道を行くんじゃないかって。



 汗が肌に纏わりついて、蝉の歌があまりにもうるさかった。


 僕はあの子と過ごす時間が、もう終わるように感じてしまって。


 心が、それを拒絶していた。


 そうしたら、その時間が愛おしく感じてしまったんだ。君の顔を見ようとしたけど、なぜかできなかった。

 

 ーーーーーー 

 

 幸運にも、僕はあいつと同じ高校に合格することができた。地元では頭のいい高校であって、僕の合格は先生方に驚かしてしまった。ギリギリの合格ではあったが、あいつと同じ高校に行けるのだ。


 だけど、僕とあいつのクラスは違ったのである。この高校は、学力順でクラスが決まる高校で、彼女は学年で3位という受験の結果であった。


 それに比べて、僕はなんとも不甲斐ないことか。でもそのときは、あいつと過ごす時間がまたそこに存在することが、僕の心を満たしていた。


 あいつの制服姿は、可憐であった。膝丈より少し短めのチェックのスカートにクリーム色のカーデガンが、チョコレートの髪によく映えた。今でもその姿を鮮明に、思い出すことができる。卸したての学生鞄には、水色のキャラクターのストラップが付けられていた。


 クラスは違ったけど、朝は欠かさず一緒に登校していた。中学と違って、電車で二駅先のところから15分歩く、そこそこ長い道のりではあったけど、登下校は、僕のつまらない人生の楽しみであったと思う。


 2年になると、その学校では文系か理系かを選択しなければならなかった。僕はそのときになっても数学が苦手で。消去法的に文系を選ぶことにした。


 といっても、古典や世界史はそこそこ得意であった。あいつは、理系を選んだ。生物と化学を抜けなく勉強したいのだと語った。そしてまだ彼女は看護師になりたいのだという。


 自らの本懐を認識している彼女を、僕は羨ましく思った。そして同時に、誰かのために自らを削る彼女に、尊敬の念も抱いていた。


 2年の夏休み明けのことであった。彼女は、生徒会に入りたかったらしい。生徒会副会長になりたかったそうだ。彼女はそのために、いつもより少し早く登校して、夕方、最終下校の時間まで奉仕活動をするといって僕と過ごす時間はめっきり減った時期があった。僕はそれに不安を感じていたんだと思う。


 無償の奉仕活動や人の優しさというのは、多くの場合無意味であると思っている。優しさというのは、自らの内側にある盃に、いくらかある幸せを他人に分け与える行為である。それを不特定多数の人に無償で分け与えるなどといったことは、無駄である。


 それに、優しさというのは自己そのものだから、もしそれに生きようものならば、きっと自分の優しさが全て、なくなってしまって干からびてしまう。


 社会奉仕といった職業に生きる人を見ると、僕はいささか憤りを感じてしまう。彼らは自らの幸せを顧みず、他者に対する優しさをただひたすら振り撒いている。給料もその労働量に対して充分であるとは言えない。自己より他人を優先するような人生は、僕には想像がつかない。


 しかしその甲斐あってか、彼女は、副会長どころか、生徒会長になってしまったのである。通常、生徒会長というのは、前年で生徒会副会長を経験した人が、次の年になるものであると思っていた。


 実際、そのときの生徒会長は、前年の副会長を務めた者だった。けれど壇上で演説する彼女は、そんな常識を軽々と越えていた。遠くから見ているだけなのに、大きく見えた。その姿を目にしたとき、僕は危機感を覚えた。けれども、それからも、僕と彼女の大切な時間は、変わることはなかった。



 ーーーーーー


 全てが終わったと。そう僕が知ったのは高三のときの11月4日の終わり頃であった。鳥肌の立つような肌寒い日曜日であった。


 彼女のお母さんが日が変わる少し前にうちにきて。嗚咽混じりにその日、あったことを伝えてくれた。


 彼女は横断歩道で車にはねられたと。即死だったらしい。受験前だというのに、彼女は老人ホームへよくわからないボランティアに行っていたそうだ。


 その老人ホームの前の少し大きな交差点で、赤信号を無視し交差点に入ってきた白いクラウンと衝突したらしい。皮肉にも、それを運転していたのは78歳の老人であった。


 その日あとのことはよく覚えていない。気がついたら僕は学校にいた。学年集会があった。体育館で、学年主任の先生が、彼女が事故に遭って、入院していて、卒業式さえも参加できないこと、皆事故に気をつけるようにと、そんなようなことを言われた気がする。


 彼女は、もうここにはいないのだ。


 僕の全てと、勝手に喩えた彼女は、あっと言う間を与えることなく、僕の目の前から消えてなくなった。


 僕のこの宛を失った気持ちは、形になることなく、過去のものとなった。


 朝、彼女はもう僕のことを家には迎えにきてくれない。


 下校のチャイムが鳴ったら校門で僕を待ってくれる彼女も。


 僕の手を取って暗闇から導き出してくれた彼女は。もう。


 僕の記憶の中にしか生きていないのだ。



 ーーーーーー



 それから僕は、部屋に閉じこもって、毎日彼女のことを反芻する日々を続けている。彼女のことは、何があっても忘れたくない。だけれど、記憶というのは儚くて脆い。誰に気づかれることなく忘れてしまう。だから僕は、今日も思い出すのだ。


 蝉の声は煩わしい。僕が記憶の海に沈んでも、その存在を主張し続けている。ドアの下に隙間から、一枚、可愛らしい水色の魚人のシールで封をされた手紙がのぞいていた。


 それは、彼女が学校のカバンに一時期つけていたお気に入りのマスコットキャラクターと同じであった。ばくばく、ばくばく。それは、僕の心の臓を沸騰させた。


 何か、何か。その手紙が、大切なもののような気がしてならなかった。彼女がまたそこにいるような気がした。止まっていた時計の針が、かすかに動き出した気がした。もう会うことのできない彼女は、僕に、生きる道をまた示してくれた。

ここまで私の拙作をお読みいただきありがとうございました。

中身のない僕を照らしてくれた彼女はもうここにはいませんが、そんな僕を彼女はまだ照らしてくれたのです。

時間があれば続きも書きます。感想やレビューをいただけるととても喜びます。


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