@婚約破棄は九時半からです
まったく忙しいったらない。
仕事を終えてドレスに着替えて、急ぎ足でパーティー会場に向かう。
パーティーも終わりがけではあるけど、顔を出す義務くらいは果たせるな。
エスコートしてくれている秘書のクラークに尋ねる。
「今日の予定は?」
「九時半から婚約破棄です」
「は?」
「以上です」
以上って、思わず呆気に取られた。
まあ婚約破棄されるのが本当なら、以後の予定なんてないも同然か。
私が分刻みのスケジュールをこなしているのも、第一王子エドワード様の婚約者だからなのだもの。
エドワード様に好かれていないのは知ってた。
婚約解消もあり得るかなあと思ってたけど、王家が私を手放すのはどうだろうと、疑問に思っていたということもある。
「驚きになりますか?」
「婚約破棄されるのよ? 普通は驚くでしょうに。今日なのは間違いないのね?」
「そうですよ。自分の予報によれば」
「クラークの予報は外れないじゃない」
「ハハッ。残念ですか?」
「少しはね。もっと早く言ってくれればよかったのに」
「カリナ様はどうでもいい報告を聞くより、睡眠時間の方が大事だったではないですか」
それを言われると一言もない。
婚約破棄されるのがどうでもいいことかと問われれば……どうでもいいことだな。
「私は時間のムダが嫌いなのよ」
「存じております」
「婚約破棄されることがわかっていれば、引継ぎの資料を持ってきたのに」
「ええ? パーティー会場に引継ぎの資料って。顰蹙ものですよ」
「そう?」
「そうですよ。実に面白くない、婚約破棄のやり直しを行う、なんてエドワード殿下が仰ったらどうします?」
「困るわね」
エドワード様ったら実務ではほぼ無能だけど、美意識だけはムダに高いからな。
本当にそういうこと言いそうで気が滅入る。
せいぜい見栄えのするよう、婚約破棄されなければならないのか。
逆に効率重視の私は、エドワード様の婚約者として相応しい美意識を持っていたかというと、ごめんなさいするしかない。
いや、そもそも婚約者の私をエスコートせずパーティーに出席って、エドワード様の美意識はどうなってるんだろうな?
美意識じゃなくて倫理観の問題なのかな?
「せいぜい格好良く婚約破棄されてください」
「おかしな忠告だこと」
面白くもなさそうな会場へ。
◇
「カリナ・ノールズ男爵令嬢! 僕はそなたとの婚約を破棄する!」
「ああ……」
クラークの予報は正確だな。
本当にピッタリ九時半だ。
これで褒めると調子に乗って、真実の愛の進行具合がー陛下も王妃様もいないタイミングがーパーティーのスケジュールがーって。
聞きたくもない説明を鼻を膨らませながら始めるだろうから、あえて無視する。
時間のムダだ。
クラークの顔は私の好きなタイプだけど、あのドヤ顔は嫌い。
そして私は無意味なことも嫌い。
婚約破棄の宣言を聞いて卒倒するのが美しいかなあと思ったが、ケガすると嫌だからやめた。
よよと頽れてみたけどどうかな?
クラークがサムズアップしてるから良さそう。
「大体カリナは身分が低いし、美しくもないではないか。そもそも僕の婚約者に相応しくなかった」
ごもっとも。
私は身分や容姿でエドワード様の婚約者になったわけじゃないと思うけど。
でも『美しくもない』って面と向かって言っちゃうのはどうだろう?
紳士らしくないんじゃない?
エドワード様の美意識はよくわからんなあ。
「マージョリー・ハリーケレット公爵令嬢。僕の新しい婚約者だ!」
歓声が上がる。
マージョリー様か。
美しいことは知っていたけど、着飾っていると尚更だなあ。
睡眠不足でボロボロの私とは確かに大違いだ。
男爵家の娘である私と違ってエドワード様と身分も釣り合っているし、お似合いなんじゃないの?
「まだいたのかカリナ。もはやそなたの居場所はない。早々に立ち去れ」
「はい」
入場してから一〇分も経ってないのに退場か。
クラークの手を取って立ち上がる。
私達を見る視線は、嘲笑と同情と好奇心が同率くらいかなあ?
結構だよ。
予定通りだから。
出口に向かいつつ、誰にも聞かれないだろう位置まで来た時、クラークに文句を言う。
「クラーク。あなたのスケジュールには余裕がなさ過ぎるのではなくて? 食事を取り損なったわ」
「まあまあ、可愛らしい顔が台無しですよ」
クラークったら。
こんな時ばっかり機嫌を取ろうとするのだから。
「厨房控え室に席を用意してありますよ。シェフがすぐにオムレツを焼いてくれます」
「まあ、クラークはできる男ですね!」
「恐れ入ります」
オムレツは私の好物だ。
王宮の首席シェフの火の入れ加減は名人芸なんだよなあ。
婚約者をクビになって、あのオムレツをもう食べられないかと思うとちょっと切ない。
「カリナ様が食事を取っている間に、自分が引き継ぎ書類をエドワード殿下付きの者に渡しておきます」
「本当にムダがないのね。王妃様に挨拶できないのは残念ですけれど」
王妃様は本当によくしてくださった。
だから王妃様が倒れた後でも私は頑張れた。
王妃様に罪があるとすれば、エドワード様という息子を産んでしまったこと。
エドワード様は自分の政務を丸投げしてくるだけではなくて、私の価値を理解していなかった。
だから婚約破棄なんてことをしでかすのだ。
エドワード様の婚約者でなくなった私には、もう決裁の権限がない。
書類仕事が滞りツィルケフ王国は混乱するだろうけど、私にはどうにもできないのだ。
「もし首席シェフを雇えそうなら、勧誘お願い」
「手配しておきます」
◇
現在のティルマウス朝ツィルケフ王国の開祖王は英邁だった。
であるがために、王が全てを決定するという価値観が定着した。
その価値観は間違いではなく、英邁な王の下では効率もよかったが、王のこなすべき仕事は周辺国より格段に多かった。
ティルマウス王家は代々有能な王を輩出したため、王の仕事量など問題にならなかった。
むしろ仕事の多さは王族の義務として、誉れでもあったようだ。
国の拡大と成熟に伴って王の仕事量が増えたとしても。
現在の王、七代ライオネルは凡庸だ。
ツィルケフ王国の王の義務は、既に凡庸な王の処理できる仕事量を越えていた。
悪いことに王の義務を分担できる近い親族もいなかった。
どうしたか?
有能な王妃に仕事を割り振り乗り切った。
仕事に追われる中、国王夫妻は一人の子を儲けるのが精一杯だった。
しかしその子エドワードは出来が悪かった。
国王夫妻は考えた。
エドワードには優秀な婚約者が絶対に必要だと。
エドワードの婚約者に選ばれたのはカリナ・ノールズ男爵令嬢だった。
またカリナの能力を十二分に生かすため、平民ではあるが優秀なクラーク・ヘンウッドを補佐につけた。
ツィルケフ王国一の才媛と名高いカリナは期待に違わず、貴族学院に通いながら政務に携わり、さらに妃教育をこなすという離れ業を見せつけた。
国王夫妻は喜んだ。
これでツィルケフ王国は安泰だと。
カリナを信頼し、可愛がった。
外交に力を入れるならこのタイミングだった。
留守を王妃とカリナに任せ、ライオネル王自ら各国を訪れた。
政務の一人当たりの分配量が増えた。
王の留守でエドワードが頼りにならないのならと、その双肩にかかる重圧に耐えきれず、王妃が病気に倒れた。
しかし学業と妃教育がありながらもカリナの政務は破綻を見せず、王の帰還と王妃の復帰を待てばよかった。
エドワードはバカだった。
政務を放り出しカリナに丸投げしていたので、その重要性を理解できなかったのだ。
決裁とは印を押すだけの仕事と思っていた。
カリナを追い出した次の日、エドワードは早速やらかした。
全ての書類に許可印を押した結果、一〇日分の予算を一日で使いきり、揉め事の処理を全て回された司法院はパンクした。
司法院の混乱は直属の警察組織に波及し、機能が麻痺した。
王都の治安はいっぺんに悪くなった。
王妃はエドワードがカリナとの婚約を破棄し、王都の統治機構が働かなくなったとの報告を聞いて仰天したが、心臓の発作を起こし、そのまま亡くなった。
識者はツィルケフ王国の施政がいかに個人の能力に頼っていたかを改めて思い知り、怖気を震った。
このままでは王の帰還まで、ツィルケフは持つまいと。
◇
――――――――――ノールズ男爵家領への途上。カリナ視点。
「あ~あ。皆放り出してきちゃった。しーらないっと」
「自分も取り立ててもらった恩はありますけれどもね。ツィルケフ王国の施政手法はひど過ぎますよ」
頷かざるを得ない。
何でもかんでも王が決めるというやり方は、現代のやり方じゃないと思う。
各分野の専門家集団を作って、権限を委譲すべきだろう。
それが近代国家のあり方だ。
もっとも初代開祖王から続く伝統的なやり方で、しかもこれまで問題がなかったからなあ。
変えるとなると、それはそれで批判が集中しそうではあった。
政治って難しい。
「王都、どうなってると思う?」
「カリナ様がいたから一人で支えられてたんですよ。王妃様が復帰されたとしても、ちょっと処理が追いつかないと思います」
「エドワード様がいるじゃない」
「ものの役に立つと思います?」
「思わないけど」
「思ってたら男爵領に即逃げなんかしないですよね」
苦笑い。
クラークの言う通りだ。
どうせ収拾つかなくなるに決まってるから。
私が王都に残っていたとしても、政務に戻ってっていう悲鳴と権限がないだろっていう原則論でしっちゃかめっちゃか。
結論、処置なし。
とりあえずノールズ男爵家領に戻って父様と兄様に情報を提供し、領内をまとめておかないと。
どうせ王都をはじめとする中央では王家の求心力なんか雲散霧消する。
多分陛下が帰ってくるまで持ち堪えられないと思う。
内乱になるから巻き込まれないようにすべき。
「心残りはありますか?」
「……そうね。貴族学院を卒業できなかったことと、おいしいオムレツを食べられなくなったことかしら?」
「王宮シェフのですか? カリナ様は意外と食いしん坊なのですね」
「あら、絶品なんですからね。もう食べられないかと思うと残念で」
「悪い意味ではありませんよ。国の行く末よりもオムレツの心配をするカリナ様は大物だなと」
国の行く末か。
「……クラークはどうなると思う? この先のツィルケフ王国、というかティルマウス朝は」
「まるで読めないですね。普通に考えれば王家とハリーケレット公爵家が組んで、王権を維持しようとするパターンですか」
「公爵も見栄だけの人よ? マージョリー様を焚きつけたのは公爵なのでしょうけれども、私をクビにしたら何が起きるかわかってないんだもの」
「立て直しは不可能と見ますか?」
「ゴタゴタしない内に権限委譲ならうまくいったかもしれないわ。でもエドワード様がトップじゃ、否応なくガラガラポンになってしまう。だからクラークほどの予測能力があっても先が読めないんでしょう?」
「そうですね。今後の対応が重要ですが……」
今後の対応か。
私に限って言えば心配はしていない。
ノールズ男爵家の領地は、政争の中心地となるであろう王都近辺からは外れも外れの僻地だ。
情報収集にだけ気をつけておいて、国を統一しそうな勢力があれば擦り寄ればいい。
さもなくば西の隣国ナビカに帰属してもいい。
幸いナビカとはいい関係だから、ナビカ軍をバックに勢力を広げ、親ナビカの国を建ててもいい。
やりようはいくらでもある。
「カリナ様はどうなさるおつもりですか?」
「クラークと結婚したいと思ってるわ」
あれっ?
目が点になってるぞ?
クラークともあろう者がどうしたんだろう?
「そう来るとは……」
「思わなかった? クラークほど先読みできる人でも、自分のことはわからないものなのね」
「自分は平民ですからね」
「私はろくでもない王族の婚約者でしたからね。身分なんか乱世の役に立たないことを知っているの」
クラークがふうと息を吐き、呟く。
「……乱世、ですか」
「歓迎すべきことではないですけれどもね」
「言い得て妙です。ふむ、乱世ですか」
妙に納得したみたいだな。
乱世って言葉が気に入ったみたい。
「……乱世ならば、平民が貴族の令嬢を娶ることもあり得るというわけですか」
「そこがツボなの?」
「カリナ様はお会いした時から自分の姫でしたよ」
「会ってから一年も経ってないじゃないの」
「時間は関係ありませんよ」
「……そうね」
私は時間のムダが嫌いだ。
時間のムダを消すようサポートしてくれていたクラークを誰より信頼している。
そういえばクラークを知った時からできる男だ、好感が持てると思ったな。
顔がちょっと好みだというのとは関係なくだ。
「カリナ様を婚約の頸木から解放してくださったエドワード殿下には、感謝してもしきれません」
「エドワード殿下に感謝するの? とっても微妙」
「このクラークめの手を取っていただけますか?」
「もちろんよ」
ノールズ男爵家領への道のりの後半は甘々決定だな。
今まで一生懸命仕事してたのだから、少しくらいは御褒美だと思う。
◇
ツィルケフ王国はあっけなく崩壊した。
いやもう、私の予想を超えた早さだった。
陛下そのまま亡命しちゃって、帰ってこなかったもん。
各領主貴族が睨み合い、小競り合いが頻発する中で、エドワード殿下はハリーケレット公爵家に裏切られた。
あっさり殺されちゃったのはビックリ。
その公爵も怒りに燃えた王家派連合に滅ぼされて。
目的を果たした王家派連合はケンカ別れした。
これぞカオス。
メチャクチャな情勢の中で、ノールズ男爵家の安定度は際立っていたね。
いち早く西の隣国ナビカと連携したから。
却ってナビカとの交易が多くなったくらい。
ただナビカも面倒事を抱え込むのは嫌だったようで、ノールズ男爵家の帰属は断わられた。
むしろノールズ男爵家を緩衝地帯として使いたい思惑があったようだ。
だったらナビカの意を酌んだ手法を取ればいい。
ナビカの後押しをバックに周辺各領に声をかけ、どんどん影響力を大きくしていった。
ノールズ男爵家の勢力拡大とともに、争いを避けて傘下に収まりたい領主貴族は雪だるま式に増えていく。
結局大した抵抗もなく、私はツィルケフの再統一に成功した。
王都の武官文官は私の政治能力を知っているから、諸手を挙げて歓迎してくれた。
よっぽど無能がトップになることによる混乱に懲りたみたいだな。
ある意味エドワード殿下のおかげ。
私は王位に就いた。
大きな統治機構の変更?
ないない。
既存の組織に多くの権限を与え、代わりに王直属の官房機関を設けて各組織をチェックさせることにしただけ。
これなら王に不測の事態があっても国は動くから。
各組織にとってみればやることほぼ変わらないし。
保守的な人からは楽することばかり考えている王だ、なんて言われ方もした。
でも逆境に強い国を作るのも王の仕事だからね。
現場からは概ね好評だからいいのだ。
実際に隣国ナビカが何かしてくれたというわけではなかった。
しかしその存在は、ツィルケフの再統一のために大きかった。
礼物とともに、ナビカの王太子殿下の元にツィルケフ~ナビカ間の国境通過手続きの簡素化と関税の廃止を提案させてもらった。
王太子殿下には大喜びされたわ。
ノールズ朝ツィルケフ新王国がナビカに友好的なのは、王太子殿下のおかげという印象を植えつけることができるからね。
ナビカ次代の王として威信が増すだろう。
我が国も今お金がないから、細かいところで気を使わないと。
「優秀なクラークを王配にできたのは、我が国の二番目にいいところじゃない?」
そう、私が王位に就いた時、同時にクラークと結婚した。
世が世なら、仮にも王子の婚約者に望まれた私が平民と結ばれることはなかっただろう。
クラークの言い方を借りるなら乱世万歳だ。
私のお腹の中には赤ちゃんがいる。
でもクラークがいて官房機関があるなら、国政には何の心配もない。
「ほう? 一番は何ですか?」
「当然絶品オムレツよ」
「野に下っていたシェフを探し出し、王宮に呼び戻した自分の功績ではないですか」
「もう、クラークは私のナンバーワンになりたいんですから」
アハハオホホと笑い合う。
計算された平和と安寧があるのだ。
私は幸せ。
「ところでマージョリー様ってどうなったか知らない?」
「さあ? ハリーケレット公爵家滅亡時に巻き込まれたという見方が優力ですが、ひょっとしたら逃げのびているかもしれません。調査しましょうか?」
「いいわ。ムダなところに税金使いたくないし」
カリナはとってもドライ。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どう思われたか↓の★~★★★★★の段階で評価していただけると、励みにも参考にもなります。
よろしくお願いいたします。