第十五話「勇者アルムの戦い」
それは、何の変哲もない、金属の板みたいだった。
だけどそれが、私たちを導いてくれた。
いや、正確には、出会いを与えてくれたんだ。
今胸に思い起こすのは、その人の笑顔だった。
「……アルム、どうやってもこの結界を突破することは無理よ」
「そんな! なんとかならないの!? 魔王城まではあと少しなのに!」
「物理も魔法も効かない。結界の強度が強すぎる……。解除するには、発生装置を探さないと」
ここまでの旅の中で、いつもその深い知識で私たちに道を与えてくれた魔法使いのジョリー。
彼女は今まで嘘なんてついたことがなかった。
「この結界に対しては今現在、私に打てる手立てはないわ。……そもそも、魔法力が足りないのよ」
魔法力が足りないのは、魔物が襲ってくるから。
この魔王の支配するガイニーオ半島に入ってからは特にその頻度が増している。
魔法なしで倒せるほど、この島の魔物は甘くなかった。
流石に魔王のおひざ元と言わざるを得ない。
ジョリー言うのなら、本当に手立てはないのだろう。
彼女がなんとかできないものを、私がどうこうできるはずもなかった。
「でも、これさえ突破できれば……あそこに魔王がいる! 魔王を倒せば、世界に希望が戻るんだ」
「私だってわかっているわよ!」
「わかっているなら、なんとかしてよ!」
「なんとかしたいわよ!」
怒鳴ってしまって、怒鳴れて、ふと冷静になる。
気まずくて、顔を逸らした。
ダメだ。冷静さが全然足りてない。
私も、ジョリーも。
「二人とも、今こうしていても仕方がないわ。とにかく今は少しでも休みましょう」
「……でも」
ミリアがそう声をかけてくれるけど、全然そんな気にはなれなかった。
「せめて、何か食糧が調達できればよいのだが……」
ブルミスの呟きに、私たちも同意するしかない。
でも、ここにはなにもない。
ここでは、人が食べられるようなものは一切とれない。
毒の沼地と深い霧。生えている毒草には鋭い棘があった。雨水は黒く汚れていて、魔物の肉は魔素に侵されていて食べられない。
まさに死の大地だった。
話には聞いていたので、食糧は大目に持ってきたはずだった。
でも、進むことの困難な沼地と今まで以上に協力な魔物たちを前に、私たちの進みは鈍くなっていた。
満足にとることのできない食事。
睡眠も必要最低限。
休憩すらもままならない。
「ワギャ! ワギャ!」
だってほら、フルタンが鳴いている。
フルタンがこんなふうに鳴くということは、近くに魔物がいるっていう証拠なんだから。
「また魔物であるか」
「ジョリーとミリアは下がってて。危なくなったらお願い」
「わかったわ」
フルタンの向いている方向に向かって、剣を抜いて構えた。
次第に音が近づいてくる。
ズルッ……ズルッ……。
何かを引きずるような音。
深い霧のせいで、敵の姿はよく見えなかった。
「……音が、止まった?」
「いや違う……来るぞ!」
霧の中に突然立ち上がった影は、音もなくその距離を一気に詰めてきた。
振り下ろされた腕を剣で受け流す。
もう片方の腕はブルミスによって受け止められていた。
接近されたことで、その姿は霧の中であっても鮮明となる。
「……バラク・ナーガか!」
私たちを襲ってきたのはバラク・ナーガ。
全長十メートル以上もある長い蛇の体を持つ亜人型の魔物だった。
長い腕の先には鋭利な爪が生えていて、強力な毒を持っている。少しでもかすったら麻痺して、放っておけば少しの時間で腐ってしまう。
顔は亜人型とはいうものの、蛇のそれに近い。深くさけた口には鋭い牙が並んでいて、瞳には第三の目を持っている。体は固い鱗に覆われていて、普通の剣で傷つけるのは困難だ。それにこの鱗はバラク・ナーガの意志によって逆立てたり、射出することができる。鱗の先は鋭利な刃物のようになっているので、これに触れればもちろん皮膚を裂かれる。
一匹出現したら、普通の村……いや小さな町くらいなら簡単に全滅してしまう。
それがこのバラク・ナーガという魔物だった。
私の体が小さく発光する。ミリアとフルタンの補助魔法だ。
「アルム、補助魔法をかけたわ!」
「ワギャ!」
二人の言葉を聞くな否や、大地を蹴ってバラク・ナーガに迫る。
だけどこのぬかるんだ沼地では、いつものような速さは出なかった。
これが、この土地での戦いが困難な理由のひとつ。
しかも敵はこの土地に合わせたような魔物しか出てこない。
適材適所というやつだろう。魔王とて、当たり前だけど知性のある相手だ。
バラク・ナーガは迫る私ではなく、後方にいる仲間たちに目を向けながら、腕を交差させる。
前に見たことがある。これは、バラク・ナーガのある攻撃の前行動だった。
「ブルミス! みんなを!」
「任せろ!」
私の考えはそれだけで伝わった。
伊達にここまで苦楽を共にした仲間じゃない。
ブルミスは大盾を構えてジョリーとミリアの前に立ちふさがった。
直後、バラク・ナーガは両腕を振る。
それと同時に矢のように射出される鋭い無数の鱗。
私は剣を振って弾くが、全てを防げるわけじゃない。頬や腕をかすめた鱗は私に血を流させる。
でもそれが私の足を止める理由には成り得なかった。
「であああああ!」
渾身の力を込めて、剣を振るう。
狙ったのは腕だ。鱗を攻撃の手段として射出した直後、当然そこに本来体を守るためのそれは生えていない。
数十秒も経てば鱗は復活するのだけど、そんな時間は勿論与えない。
毒の爪で私を攻撃してきたそれを躱し、腕を切り落とした。
「ガアアアアアアアアア!!」
バラク・ナーガの苦しみの咆哮が放たれる。
紫色の血が腕の付け根から吹き出して、血の匂いが辺りに広がっていった。
悲鳴のような声をあげながら巨体を暴れさせるバラク・ナーガ。
長い尾がぬかるみに激しく叩きつけられ、泥と泥水がまき散らされる。
その間隙をぬって繰り出されたのは、強烈な尾による攻撃だった。
そう、こいつは決して無暗に暴れていたわけじゃない。全部計算のうちなんだ。
人のような姿をしているだけあって、狡猾な魔物。それがバラク・ナーガという魔物だった。
だけど、それも全てお見通しだ。
「やあああ!」
尾の攻撃を跳んでかわして、その尾を切りつける。
鮮血が舞い、鋭い鱗が散った。
致命傷にはなっていない。
バラク・ナーガは鬱陶しい私を倒そうと躍起になっていた。
噛みつこうとするも、尾で弾き飛ばそうとするも、私は怯まない。それどころかバラク・ナーガの体には傷が増えていく。相手のいらつきがよくわかった。
バラク・ナーガは吠えると一旦大きく距離をとった。
これは、奴がある攻撃をするときの動作。
体を丸めて、力を溜めている。
でも、それを見逃す私たちじゃない。
「今だよ!」
「わかっているわ! アルム、避けなさい!」
「うん!」
その声に私はジョリーとバラク・ナーガの射線上から飛び退く。
直後、轟音とともに放たれたのは、赤く光る炎の槍。
ジョリーの得意とする魔法のひとつ『マグナバーナク』だ。
炎と溶けた石を混ぜ合わせて槍のように生成したものを、高速で飛ばす魔法。
発動までには時間がかかるけど、魔法力の消費が少ないからって、ジョリーはこの魔法をよく使っていた。
体を丸めていたバラク・ナーガに『マグナバーナク』が突き刺さり、全身が炎で包まれる。
「グガアアアアアアアアアア!?」
今度こそ本当の悲鳴だった。
バラク・ナーガはのたうちまわって、やがてそれすらもできなくなって、炭と化した。
青白い光の粒子がその炭から立ち上がっていくのを見て、私は小さく息を吐いた。