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ハイ、シートベルト

作者: 虎の介

実在の人物・団体とは一切関係ありません


「山田先生、来月の契約更新は無しで。長い間、本当にご苦労様でした」


突然の解雇宣告に、ヒョロリと背の高い男は言葉を失った。


「所長、それ僕クビってことですか……?!」

「うちも色々きつくてねぇ」


所長と呼ばれた初老の男は、窓の外を遠い目で見る。


二階の講義室からは、荻ヶ窪ドライビングスクールと赤いロゴが入ったクルマがよく見える。

丸い植木が囲む教習コースを白いセダンが繰り返し走る様子は、まるでよくできたジオラマだ。


「ほら、君はうちでは一番若いし、優秀だから。すぐに次が決まるよ!」

「若いっても、30は超えてますけど」


男のつぶやきに、所長の目が泳ぐ。

ため息を殺した男は、丁寧に頭を下げると部屋をあとにした。


入れ違いに、事務員が顔を出す。


「あれ。山田先生、辞めちゃうんですか?クレーマー担当、助かってたのになぁ」

「彼は教官としても優秀だったからねぇ」


残念そうな声に、所長は後退した生え際をもむ。


「知ってるかい?山田先生はフィギュア大会で七年連続優勝で殿堂入りしてるんだよ」

「へー、ガンダム好きそうっスもんね」

「そっちじゃなくて四輪競技のほうだよ」

「レースっすか?」


首をかしげる事務員に、所長は短い首を振る。


「スピードではなく、純粋に運転技術を競うスポーツだよ。ギリギリ幅への車庫入れやバックスラロームとかね」

「でもそれって教習所で習うやつじゃないっすか?」

「その日常の運転力を極めた運転精度を競うんだ。彼のドライビングは鳥肌ものだよ。まるで空中で見えない手が車体を動かしているような滑らかなラインどり!」

「マニアな世界……」

「ファンも多いんだよ。まぁ彼なら、どこに行ってもうまくやるでしょう」


肩を落として車に乗り込む男の姿を、所長は上からにこにこと眺めていた。



(はぁ。たしかに最近、生徒さん減ってたもんなぁ)


夜間の部が終わり、車の定期点検をしながらため息をつく。

問題も起こさず真面目にやってきたが、それだけでは食っていけない世の中らしい。


暗闇のなかで白く浮かび上がる教習車は、ホンタのシビックだ。


街中で見ることがなくなったセダンだが、自分にとっては車といえばやはりこの形である。

パールホワイトのボディに、低いノーズに少し吊り上がったライトはシャープなのにどこか親しみやすく、堅い足回りに利きの良いブレーキは昔気質な職人といった風情だ。


(ブレーキオイルは大丈夫、あとは洗車だ)


ボンネットを戻し、車にホースで優しく水をかける。

水滴ひとつを残さないようフロントガラスの溝まで拭き上げたときには、心の中のモヤモヤも一緒に流されていた。


7年間、命を預けた俺の大事なパートナーだ。


「大変お世話になりました」


シビックに向き合い、深々とお辞儀をした瞬間、ヘッドライトが突然光った。


「え?ちょっ、おっ?おっ?!」


まばゆい光はどんどん強く広がり、身体が白く包まれた。


ゆっくりと目を開けるとコンクリート道路の上だった。

周囲には民家ひとつなく、青い空と灰色の道路だけが直線にどこまでも続いている。


(なんだ、ここ。車の天国か?)


まるでドイツの高速道路アウトバーンみたいだ。


「おい、にーちゃん!そんなところで何してんだ!」


耳触りの良い声に、キョロキョロとあたりを見渡すが人影はない。


しゅるるる~


落下音に慌てて空を見上げると、大きく翼を広げたシルエットがこちらへ急降下してくる。


(鳥?いや、人か?!)


空から降ってきたのは 天使のような美少女―――ではなくオッサンだった。

白い翼を背負い、タンクトップからムキムキの筋肉質な手足を生やしたオッサンだった。(2回目)


大柄なオッサンは背丈ほどの翼を器用に操り、バレリーナのように華麗に着地した。


「翼はどうした?ぼんやりしてっとあぶねーぞ!」


こちらを心配そうに見つめるのは、意外にも、つぶらな瞳。


「えーと、成仏できなかった天使ですか?」

「なに馬鹿いってる!奴がくるぞ!」


オッサン天使が怒鳴ると同時に、空気がピリピリと震え、足裏から振動を感じる。

遠く後方に見えるのは、豆粒ほどの青い物体だ。


「あれは?」

「逃げろ!足ぃ動かせ!!」


さっきまで随分離れたところにいたはずの物体は、気付けばもうこちらへ迫ってきていた。

オッサン天使に腕をつかまれ、路傍のマンホールへギリギリ滑り込む。


―――ブォオオオオンッ


豪快なエンジン音を響かせ、マンホールの上を駆け抜けていったのは機械人形。


俺の二倍はありそうなボディは深海のように青く、大きく開いた銀色の口に、頑強な二本足だ。


(あれ、どこかで見たことある?)


初めて見るのに、なにか引っかかる。

あれに衝突していたら、ひとたまりもなかったろう。


「ここはもうATの支配下だぞ、知らなかったのか。まぁいい、ついてこい」


面倒見の良いオッサンに連れられ、そのまま地下道へ降りていく。

しばらく水路沿いに歩くと、ワニの背中のようなボードが浮かんでいるのを見つける。


「本来一人乗りでな、振り落とされんようにしっかり掴んでおけよ」


オッサンは本物そっくりな翼を太腿のベルトに格納すると、太い腰をポンっと叩いた。

タンクトップにおそるおそる手をまわし、足を載せると、ワニは水面をくねるように進んでいく。


(動力がエンジンじゃないのか?先ほどの翼型の飛行道具といい、動物に近い動きだな)


オッサンとの水上ツーリングに別の汗がにじんできた頃、たどり着いたのはマンションの地下だった。

駐車場らしき場所には、ラクダや牛のような形をした乗り物が埃をかぶっている。


「陸を走る道具ですよ。あなたの世代には、珍しいかもしれませんね」


家電量販店のようにモニターが並ぶ一画から、涼しい声がする。


顔を出したのは、オール白髪の眼鏡をかけたオジサンだ。

銀色のケースから水のボトルを取り出すと、こちらへ投げてくれる。


「にーちゃん、もしかしてATを見るのも初めてだったか?」

「ATがこの島国に落ちてきてから三十年。若い方は見たことないでしょう」

「あちゃあ。俺も歳をとったもんだな!」


天使のオッサンは、黒い炭酸をうまそうにグビグビと飲んだ。


「残念だが、ここらはもう完全に奴らのテリトリーだ」

「テリトリーって、さっきの道路みたいな?」

「えぇ。ATのタイプによって地形パターンが異なりますが、彼らは領地を自身に最適な生存環境へと作り変える能力を持ちます」


先ほどの草一本生えていない、アスファルトの道を思い出す。

ドライブには最高だが、人間にはさぞ住みづらかろう。


「こうして人類は突如出現したATに陸地を奪われ、海に追いやられたってわけさ」

「僕らはATに対抗する地下組織ってわけです。まぁ日々動向を監視解析しているだけですけどね」

「ジジイはやっぱ陸じゃないと落ち着かんのよ」


オッサンたちは何がおかしいのか、ひゃっひゃと笑いあっている。

そのとき、スピーカーからサイレンが低く鳴った。


「どうした」

「新たなATが出現しました」


オッサン天使に、おじさんが眼鏡をずらし目をすがめて応える。

モニターの映像には、先ほどの青い機体とは異なる、深紅の機体が映っていた。


紅く輝くボディは流麗なラインに縁どられ、しなやかな立ち姿は美しい猛獣のようだ。


衛星地図データでは、青と赤の二つの点が点滅し、猛スピードで接近している。


「接触するぞ!」

「第八支部より、緊急連絡。第十七区ロードエリアで新しいATを確認」


眼鏡おじさんが、冷静に他局と中継通信を始める。

二つの点はついに重なり、青と深紅の二台が対峙した。


「同エリアにAT2機は初めてのパターンだな」

「戦闘でも始めるのか」


皆が固唾をのんで見守るなか、地面に白線が浮かび上がる。二台は、同じ方向を向き、白線についた。

頭上に出現したタテ型の信号機が、赤く点滅をはじめる。

軽快なシグナル音でカウントダウンが始まり、信号がグリーンになった瞬間、青と深紅の機体は一斉に走り始めた。


キュイーーーーーーン


スピーカーが震え、地下駐車場に轟音が反響する。

ジェット機よりも軽やかで、ギターよりも力強い、まるで獣の咆哮のような、心がざわめく音。


「この音はフェラーリ!! そうか、青い方はBWMの5シリーズか!」


機械人形に感じていた違和感の正体に、思わず叫ぶ。

二台は速度無制限の直線を、競うように駆けていく。


「これは一体」

「おそらくレースですね」

「おいおい、駆けっこ勝負でもしてるってのか」


オッサンは信じられないという顔で天井を仰ぐ。


「だとすると、ゴールはテリトリー終着点の西宮港か」

「この調子だと三十分足らずで到達します」


オッサンは眼鏡おじさんの試算に頷くと、膝を打ち、勢いよく立ち上がった。


「ヨシッ!それじゃ今のうちメシにするぞ」

「あれ、見届けないんですか」

「決着がついた後、何が起こるかわからんからな。食える時に食っておけ。焼き飯でいいか?」

「は、はい!」

「じゃ屋上から長ネギ抜いてきてくれ、ついでに爺さんも起こしてもらえるか」


言われるまま年季の入ったマンションの屋上へあがると、小さな畑のような家庭菜園が広がっていた。

ハンモックには、坊主頭の爺さんが赤ん坊のような安らかな寝顔でゆらゆらと揺られている。


「あのぅ、お昼ごはんですよ」


声をかけると爺さんはカッと目を見開き、飛び起きた。


「坊主、どこからきた」

「えっと」

「同じ匂いがする」

「はい?」


爺さんは俺の手をつかみクンクンと嗅ぐと、そのままズンズン地下へ引っ張っていく。

オッサン天使とくっついていたせいで同じ臭いがするんだろうか……。


連れていかれた先には、一台の機体が座り込んでいた。


薄暗い地下でも上品に輝くパールホワイトのボディには、なぜか見覚えがある。

青と赤のラインに、銀色の薄い三日月のようなクールなフェイスは。


「シビック!!!」


そうだ、教習車を二足歩行ロボットへ変形させたような姿だ。


「やはりコイツを知ってるのか」

「これもATですか?」

「見た目は近いが、人間が乗らないと動かんタイプだ。ATが人間を排除するAnti-man Technology であるのに対して、こっちは人間と共生する可能性からMan-friendly Technology、MTと呼ばれている」


爺さんは、シビックの膝にのり目元を撫でる。


「だが他のMTと違い、こいつは故障してるのかピクリとも動かねぇ。そのせいでここに放置されてる」


爺さんが手入れを欠かしていないのかMTと言われたシビックは埃一つなく、今にも動き出しだしそうだ。


「直してやりたいが、未知の動力で手がつけられん。この世界にはない理だ」


なるほど、動植物の動きを模した技術が主力のこの世界で、自動車技術はこの世界では異端扱いなのか。


爺さんは頭部へよじ登り、手招きをする。

どうやらそこがコックピットらしい。


「お邪魔します」


機体の前で一礼をしてから、土足で失礼する。


「こいつに感情はないぞ」

「言葉の通じないときほど、礼儀は大切ですから」

「ちがいねぇな」


カカカと笑う爺さんと乗り込んだコックピットは、ツーシーターの狭い空間だった。

前面には車と同じインストルメントパネルがついている。ハンドル、ギアに分かれたシフト、3つのぺダルをみて、マニュアル車だと確信する。


爺さんが席にちょこんと腰掛けスタートボタンを押すが、シビックは無反応だ。


「ほらな、なに押しても動かん。壊れてるんだわ」

「あぁ。それは―――」


手を伸ばそうとした瞬間、外から張りのある声がした。


「おい!メシだぞ!!」


エプロンをつけたオッサン天使が、お玉を片手に仁王たちしていた。


「あの熊男、ああみえて几帳面なんだ」


肩をすくめた爺さんに背中をつつかれシビックを降りる。

モニターの前の空いているパイプ椅子に座ると、オッサンが焼き飯を大皿に盛ってくれた。


艶やかに脂をまとった米にしょっぱめの卵、甘口のチャーシューに刻まれた鳴門がちらりと覗く様は実に食欲をそそる。


「いただきます!」


レースも終盤に差し掛かり、モニターでは深紅のATが青を引き離していく様子が映し出されていた。終着点の埠頭では、黒白チェックのゴールラインが浮かび上がっている。


「そろそろ勝負がつきそうですよ」

「結構、差がついたな」

「何が起こるんでしょう」


深紅の機体は、そのままゴールをぶっちぎり、大きく勝利の咆哮を上げた。コースを映していたすべての画面が真紅の光の粒子で染まる。

光の霧が晴れると、モニターに映し出されたのは広大なサーキットだった。


「テリトリーの地形情報が……上書きされました」


先ほどまで一直線に伸びていた高速道路は、観客席付きの立派なサーキットになっていた。


「レースで勝つと、相手の陣地が奪えるのか!」

「なんてこった。どんな兵器でも駆逐できなかった奴らの攻略法が、まさかスピード勝負だとは」

「暴走族の縄張り争いと同じですね……」


空の大皿を抱えたオッサン達がうなる。


「ということは、俺たちもあいつらにレースで勝てば」

「都市を取り戻せるかもしれません」

「しかし陸地であのスピードと張り合えるものがあるか?」

「MTの研究が進めばもしかしたら」

「うちのは故障中だしなぁ」

「いえ。多分、動くと思いますよ」


不思議そうな顔をしているおじさんたちの前で、肩から腰へ斜めに指を切る。


「これですよ」



「ハイ、シートベルト」


低反発シートに手をつき、左上に隠れていた銀色のフックに指をひっかけ、グイッと手前に引きだす。


「なんだそいつは。固定ベルトか?」

「はい。死亡率が桁違いなので必ず装着してください」

「他のMTはベルトなしでも動いていたようだが」

「おそらく教習車シビックの性格からして、シートベルトなしの走行は許せないんでしょう」

「ほぉ」


爺さんとオッサンに見守られながら運転席に深く座り、シートベルトを装着する。


「動かせるのか?」

「クルマの運転と同じかと思うんですけど」


シート位置とバックミラーの角度を調整していると、再びサイレン音がした。


「おいおい、今日は何なんだ」

「まずい。先ほど敗北した機体が、こちらへ向かっています」


筒状の通信機から、くぐもった眼鏡のおじさんの声を聞き、オッサンは舌打ちをした。


「次はここらをテリトリー化するつもりか」

「クソ!なんとかこの拠点から目をそらしたいが」

「分かりました」


戻りの良いペダルを深く踏みこみ、スタートボタンを押す。


「どうするんだ」

「シビックで相手をします」


ヴォンッという鋭い音がしてエンジンがかかり、機体が震え始めた。


ドッドッドッドッドッドッ


一秒の狂いもなく規則的で力強いリズムは、まるで心臓の鼓動だ。


「動いたぞ!」


爺さんが嬉しそうに背中を叩く。

両手で握ったハンドルからは、跳ねるような軽快な振動が伝わってくる。


「おい、にーちゃん!笑ってる場合かよ!」


隣に目線をやると、助手でデカいオッサンが身体にシートベルトを巻き付けていた。


「あれ、同乗されます?」

「お前ひとりに任せたら大人のメンツ丸つぶれだよ」

「ではご一緒に」


アクセルペダルを優しく踏み、クラッチをつなぐ。


(絶対に己の力を過信するな)


発進前にいつもの戒めを唱え、ギアを入れる。


「では、行きます」

「おう!」

「気ぃつけてな」


爺さんに見送られ、おじさん二人組を乗せた二足歩行シビックは、滑らかに地下駐から発進した。


温まってきたエンジン音を聴きながら、もう一段階アクセルを踏み込み、北北東へハンドルを切る。

カーナビに映し出された地図で、青い点がこちらへ向きを変えたのが分かる。


「おっ、釣れたぞ!このまま追いかけっこでもするか?」

「単純な速さ勝負だと、確実に負けます」

「おいおい!」

「もともとのスペックが違いますから。重量の違う相手に殴り合い挑むようなもんですよ」


国産のシビックは"市民"という名の由来の通り、機敏な操縦性能で運転しやすい。対してBWMの5シリーズは同じセダンだが、ドイツ車らしい重厚なボディと安定感のある走行性能を誇る。


「5シリーズは高速走行に特化した足回りに、馬力も排気量も格上です」

「うむむ。アイツ見るからに、ゴツイよな」


ついにバックミラーに姿を映した青い機体を、隣のゴツイおっさんが評する。


(さすがに速いな。スピードが出やすい直線、大通りは避けたい)


「建物が密集している場所はありますか?」

「それなら駅前に商店街跡がある」


追いかけてくるATを引き連れ、住宅街をチョロチョロと走り回りながら向かう。


(ブレーキングは荒いな。おっと、随分と余裕のあるコーナリングをする)


ATの走りのクセを見極めていると、カーナビの画面が突然切り替わる。


『Are You Ready?』


「なんだ、なんだ」


『競争圏内です。3分以内に、スタート地点・ゴール地点を設定してください』


「なるほど、このルート情報を設定するとレースが始まるのか」

「通過ポイントも設定できるんですね……ルート次第では、勝機があるかもしれません」

「本当か!」


オッサンの荒い鼻息を感じながら、脳内でルート計算を始める。

先ほどの街全体を映した空撮映像と、ナビの地図情報をもとにルートを組み立てていく。


(過信は禁物)


格上の相手に勝負を挑むのは、絶対に勝てる道筋を立ててからだ。


「今から言う場所に、ルート設定をお願いします」



「これでいいんだな?」

「はい。今回の場合、市街地戦が圧倒的に有利です」


決定ボタンを押すと、スタート地点に設定した商店街の入り口に白線が現れた。

青いATが横に並ぶと、頭上に信号が現れ、カウントダウンが始まる。


『レースを始めます』


オッサンが助手席で前を向いたまま、つぶやく。


「悪かったな、巻き込んじまって」


ポンッ


「いえいえ。炒飯、美味しかったですし」


ポンッ


「勝ったら、鼻血出るほどいいもん食わせてやる」


ポンッ


「いいんですか?僕、負けたことないんですよ」


ポーンッ


最後のスタートシグナルと同時に、アクセルを踏みギアをあげていく。

商店街の端に機体を寄せ、店の前スレスレを走る。


「おいおい!どこ走ってんだ!!」

「ここです」


和菓子屋とソバ屋の間の、狭い路地を狙う。

路地に差し掛かるタイミングで、ハンドルを一気に左回転させ直角に曲がる。

目測通り、シビックが通れる幅ギリギリの隙間だ。機体の肩をねじこんだのを確認し、そのままブロック塀で両脇を挟まれた空間を直進していく。


「おいおい!こんなとこ通るのか?!」

「ここを抜けると近道なんです」

「少しでも身体がブレたら、ぶつかるぞ」

「まっすぐ走行するときは、肩の力を抜いて基本姿勢を守ったまま、遠くをみるのがコツです」



青いATもこのショートカットに気づいたのか、勢いよく突っ込んでこようとする。


「おい、後ろから追突されるぞ!!」

「大丈夫ですよ」


ATは猛スピードで路地へ侵入しようとするが、手前で急停止した。

隙間へ入ろうと足を出すが、躊躇った様子で諦め、悔しそうに表通りへ後退していく。


「どうしてだ?」


おっさんは可愛らしい瞳をぱちくりさせた。


「狭い路地で、ボディを傷つけたくないんでしょう」

「そんなことATが気にするのか」

「みたいですね」

「どうしてわかった」

「うーん、カーブの曲がり方の感じから、そうかなと」

「曲がり方?」

「スピードを出す割に内角は攻めてこなかったので」

「それだけか?」

「運転って、性格出るんですよね」


ぼやくと、オッサンは笑う。


「にーちゃん、見た目によらず、肝が据わってるな!」

「路上教習なんて命がけですから」


ドライバーの技術だけでなく性格も見極めなければ、大事故につながる。


そのまま路地を抜け、裏通りに出る。

裏道のショートカットを繰り返しながら距離を稼ぎ、ATとほぼ同時に最初の通過ポイントへ辿り着く。


「ここの屋上か」


大型スーパーの9階建ての自走式立体駐車場には、フロアの端にスロープが半階ずつ配置されている。


キュッ、キュッ


青い機体が猛スピードで駐車場を上がっていく。

スロープのカーブを曲がるたび、ブレーキングの音が響く。


「なぁ、足元のペダルを踏むとスピードが出るんだな?」

「はい」

「俺の足元にもでかいペダルがあるぞ!これ踏めばもっと加速するか?」

「助手席のペダルは補助ブレーキです……!絶対やめてください!!」


ソワソワするオッサンを隣に乗せ、シビックは細い路地や私有地を突っ切り、街を快走していく。



一方の待機組は、基地でモニター観戦をしていた。


「すばしっこい身のこなしは、まるでネズミだな」

「MTは研究所で解明が始まったばかりだと聞いていましたが」


空撮映像をみながら、眼鏡のおじさんが口笛を吹く。


「よくあの細い道を、あんなスピードで走れるものだ」

「コイツのヤバいところは、速さよりも、速度が全く変わらないところだな」


眼鏡のおじさんが首をかしげると、爺さんが首を振る。


「普通、下り道は加重で自然と加速するし、角を曲がるときには遠心力がかかる。スピードが出るほど、身体がデカくなるほど、その力は当然大きくなる。それが自然の摂理だ」

「なるほど」

「なのに、こいつはどんな道でも一定のスピードで走り続ける」

「たしかに出発から、ずっと同じ速度を維持しています」

「異常だよ。機体を自分の身体以上に操っていやがる」


考え込む眼鏡おじさんの横で、爺は腕組みしたまま、画面から目を離さない。


「なにより人間が操縦する以上、角を曲がる前には恐怖心から無意識に減速するもんだ。だが、こいつは一切しない」

「一体、彼は何者でしょう」

「よほどの自信家か、馬鹿のどちらかだな」

「優しそうな青年にみえましたけど。でもなぜレース中にそんな難易度の高い操縦を」

「速度が一定だと、機体にも乗っている人間にも負担がかからないのは確かだな」

「なるほど。やはり優しい子だ」


おじさんの微笑みに、爺は肩をすくめた。


「ありゃ、並大抵じゃない経験と知識に裏打ちされた操縦技術の持ち主だ」


モニターでは青と白の二台がほぼ同時に、最終ラップへ突入したところだった。


駐車場のスロープを登っている途中で、猛追してきたATに抜かされる。


「駐車場を降りたら、すぐゴールだぞ!」


オッサンが叫ぶが、すでにタコメーターはレッドゾーンを振り切っている。


(これ以上スピードを出すと負担がかかりすぎる)


最上階に差し掛かったところで、猛スピードで降りてきた青い機体とすれ違う。

ATがこちらをチラリと見て笑う。


「クソ!!」


オッサンが悪態をついた瞬間、ATの足がもつれた。

そのままバランスを崩し、フェンスを突き破って地上へ墜落していく。


「おい!落ちたぞ!」

「落ちましたね」


計算通りだが、オッサンは引いている。


「どんな細工をしたんだ?」

「高速回転する円盤を、両手で止めたらどうなります?」

「摩擦で手がすりきれるな」

「ブレーキペダルを踏むと同じことが起きます。あの高速をいちいちブレーキで殺しながら坂を下っていたら」

「負荷がかかってブレーキが効かなくなる、ってことか」

「奴の走りのクセを見抜いてたのか?」

「はい。直線走行に慣れていたせいで、ブレーキングが下手だったので」

「なるほど。だから下り坂が多い立体駐車場をわざわざ通過ポイントに指定したのか」

「坂道って、下り坂のほうが足にくるんですよね」


オッサンは思い当たる節があったのか、膝をさすっている。

あおむけ倒れたATを横目に大通りを駆け抜け、ゴールする。

カーナビには『WINNER』の文字が躍った。


「これは、勝った、のか?」

「はい」


あっさりとした勝利に、オッサンは腑に落ちない顔をしている。


「なんかずるい気もするが」

「レースは、どんなに速くてもゴールするまでが勝負なんですよ」


基地へ戻るべく、先ほどの巨大駐車場の横を通り抜ける。


(あれ、ATが消えている……)


横目で確認したとき、急にガクンと身体が前に出た。

とっさに助手席のオッサンを見ると、補助ブレーキを踏んでいる。


次の刹那――― ゴンッ!!!!


機体の目前にフェンスが落下し、地面にめり込んだ。

先ほどの落下の影響でネジが緩んでいたようだ。


「大丈夫か?」

「すみません、僕の確認不足でした」

「いいって。そのために、こっちにもペダルついてんだろ?」


オッサンはペダルをパタパタ踏む。


「俺らは一蓮托生ってやつだ。な?」


陽気に笑うオッサンにつられ、思わず頬がゆるんだ。



地下駐車場へ戻ると、両手を広げた爺さんたちに迎えられる。


「実に見事な操縦でした!今日はお祝いですね!」

「儂は年代物の酒を開けるぞ」


盛り上がっているオジサンたちの横で、オッサンがつぶやく。


「なぁ。もしかして、十七地区に出現した赤いATも倒せるのか?」

「ルート次第では」


方法はなくもない。それを聞いたオッサンが、ガバリと頭を下げる。


「頼む!俺に操縦を教えてくれないか?」


オッサンは、真剣な眼差しで。


「やっぱり大人として、俺が操縦したいんだ」


オッサンとおじさんと爺さんを、見つめ返す。


「もちろんです。それが僕の仕事ですから」


こうして擬人化したクルマたちから陣地を奪い返すため、オッサンと俺の教習が始まった。


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