3-Ex3. 守られた小さな約束
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楽しんでもらえますと幸いです。
夜。リッドは冒険者が足繁く通う大きな酒場の前でディナーを伴にするレセと合流した。彼の服装はいつもの冒険者然とした格好ではあるものの、金属籠手や額当てなどの装備を外して、いくつか新調した厚手の布服を着ているためか清潔感も十分にあった。
リッドの右手にはいつもながらの贈り物の花束を用意している。ただし、以前にあったクレアとのやり取りによる教訓を経て、花束はかなり小さくなっていた。
そのリッドの隣には夕飯を伴にするレセがいる。
レセはこのディナーがとっさに決まった話の仕事帰りといった様子で、ギルドの受付嬢の制服よりも少しばかりラフな襟付きで長袖の布服にえんじ色のロングフレアスカートという出で立ちでリッドの隣に収まっていた。
ただし、彼女は仕事中に決して付けないだろう薄赤色の口紅を軽く引いて、髪をいつもよりも綺麗にまとめている。
「リッドさん、先ほどはありがとうございます。まさか、待っている間に別の男性に絡まれるとは思いませんでした」
レセが言うように、彼女はリッドと合流する直前に酔っていた男2人にナンパされて困った状況に遭遇してしまったのだ。
「いや、すまなかった。レセが人気なことをすっかり忘れていたな。もう少し俺が早めに着いて待っていれば良かったんだが」
「そんなことはないですよ。リッドさんってば、おおげさですね」
レセはリッドの言い回しにクスクスと笑いをこぼしながら、彼との距離感を図るように近くへ遠くへと身体を揺らしていた。
「それよりも本当にここで良かったのか? たしかに飯は美味いが……レセのような素敵な女性との食事はもっとオシャレな所がいいと思うんだが……」
「ありがとうございます。でも、冒険者の皆さんが口にするものにも興味がありますし、何よりリッドさんが気兼ねしない方が私も気兼ねしなくて済みますから。それに、そういうところへ行くならもっとオシャレな格好をしたいなって」
リッドが何の気なしに「女性との食事ならオシャレな所の方がいいのでは」と改めてレセに問うも、彼女は即座に首を横に振っていた。
レセはちらりと自分の姿を見てから、リッドに向かって気遣いの言葉を掛ける。
リッドはレセの言葉にホッと安堵して、急に思い出したかのように花束を彼女に見せてみる。
「そうか。じゃあ、せめてこれをテーブルに飾らせてほしい。レセへのプレゼントだ」
リッドは花言葉にも気を遣って、赤い薔薇などの情熱的なものを避けて、しっとりとした落ち着きのある花言葉のもので取り揃えていた。
なお、花に複数の花言葉があることなど、彼に知る由もない。
「綺麗なお花ですね……素敵……ありがとうございます」
「では、行こうか」
リッドは男性がエスコートするものだという考えから、レセに手を差し伸べる。
レセは頬を赤らめながらもリッドのその手を取って、連れられるがままに脚を運んでいく。
酒場の広さに対して照明はそれほど多くないからか、全体的に暗がりの印象があった。ただし、その陰気さを吹き飛ばすほどに、酒場の中は活気にあふれている。今日も一仕事二仕事を終えた冒険者が酒を飲み、肉をかぶりつくように食い、笑い話や失敗談、自慢話で話に花を咲かせる。
ある者は自慢し、ある者は愚痴り、ある者は嘆き、ある者は夢を追い、ある者は夢を眺めることにし、ある者は夢を誰かに託す。この悲喜こもごもが世界のすべてを濃縮したかのように途絶えない話になっていく。
活気と熱気に朝の仕事ラッシュを一瞬でも思い出したのか、レセは苦笑いを口の端だけに浮かべつつも彼にエスコートされるがままに歩いていく。
「おう、リッド! 一番奥のテーブルだ! 仕切りもつけてやったぞ!」
リッドが酒と肉の匂いに満ちた店内へと入って数歩ほど進んだ先で、筋骨隆々の姿で複数の皿を持ち運んでいたウェイターがここにいる誰にでも聞こえるかと思うくらいの声量でリッドに話しかける。
「ありがとう、助かるよ」
リッドはギルドで成功報告をしてからレセに突如誘われたが、過去に取り付けた「一緒に食事をする」という小さな約束を守るためにその誘いを了承したかと思えば、自らその足でこの店とやり取りをして席の予約を取り付けていた。
「周りがうるさくて、あんまり見えねえからって変なことすんなよ?」
ウェイターの軽口にレセが頬を口紅の色ほどに赤らめる。
一方のリッドは少し困った表情で思わず肩を竦めた。
「今日はここの飯を楽しみに来たんだ。それ以上のことはないさ」
「はっはっは! そりゃあいい! じゃあ、その石頭をぶっ壊すくらいの興奮剤でも盛っといてやる! もしくはそっちのお嬢ちゃんに盛った方がいいか?」
「ええっ!?」
リッドの言葉にウェイターが面白くないとばかりにさらに過激な軽口で応戦する。
レセはそのやり取りに顔を徐々に真っ赤にしていくばかりだ。
「おいおい、冗談だろ? ここはいつから酒場から盛り場になったんだ?」
「冗談に決まってんだろ? そんな顔をするな、サービスで酒を一杯ずつ出すから勘弁してくれ」
ウェイターは軽口が過ぎたと詫びのサービスを提案し始めた。
リッドも揉めたいわけではない。彼はここらで手打ちにするべく、レセに話を振る。
「だ、そうだ。レセ、許してくれるか?」
「え、えぇ……私は別に」
リッドはウェイターの方に向き直った。
「じゃあ、それでナシにしよう。あと、花瓶も用意してくれるか? これをテーブルに飾りたい」
「おっと、品の良い花束だな。うちも卓に花が飾ってありゃ、一流レストランさ」
「あぁ、味は遜色ないさ」
「ははは! 座って待ってな!」
このやり取りで3人は分かれる。リッドとレセがテーブルへと向かい、ウェイターは手に持っていた料理を運び終えるとズンズンと大股に歩いて厨房の方へと消えていく。
その3人、特にリッドとレセを見る目が6つあった。
言わずもがな、クレア、ウィノー、イライドである。ただし、直接見られるような位置ではなく、いくつもの机を間にして遠くの席に座している。
「これが【異界の目玉はよく魔力を喰う目玉だ】の力よ」
「すごいですね、この魔力球を通して遠くの景色が見えるなんて」
イライドが監視用としてリッドの頭上に飛ばしている異界の目玉の目や耳を通してリッドとレセの様子や周りの声や音も拾っていて、その映像や音の情報をイライドの手元にある魔力球で映し出していた。
「だけど、それよりもすごいのはウィノー様の魔法よ! 【惑わす屈折】! 私の放ったすべてが完璧に隠されてしまっているもの!」
イライドが興奮気味にウィノーを手放しで称賛する。
リッドの足元にあるイライドの魔力の塊である【魅惑の果実】や頭上の異界の目玉は魔力や見た目で見つかる可能性が高いが、ウィノーが青い紙を一枚消費して発動した【惑わす屈折】がそれらを包み込んでまるでそこにないかのように存在を見せなくしていた。
「完ぺきは言い過ぎニャ。これも万能じゃなくて、既に存在がバレていたり少しでも違和感に気付かれたりするとその効力がなくなるニャ」
「そうだとしても! 多くの魔力を失ってもなお、私のことなど赤子の手を捻るように眼前におわすウィノー様のお力には称賛以外ありえません!」
徐々に声が大きくなるイライドに周りがざわつき始める。クレアは周りに愛想笑いにも似た乾いた苦笑いを見せながら、なんとかイライドを鎮めようとする。
「イライドさん、落ち着いてください。声が聞こえちゃいますよ。それにウィノーちゃんの魔法なら、すごいのは当然だから興奮する方が失礼なのでは?」
「……たしかにそうだわ。クレアも分かってきたわね、ウィノー様の偉大さに」
どちらかと言えば、イライドの押さえ方をマスターし始めたクレアだ。
「しかし、リッドに興奮剤か……どうなるんだろうニャ」
ウィノーがもしもの状況を想像してみるも想像しきれなかったのか、眉間にシワを寄せてしっぽをくるくると振り回している。
「ええ、興奮剤は媚薬と違って感情に働きかけますが、状況によっては媚薬と似たように性欲に紐づけることもできるでしょうね」
イライドはウィノーの疑問に自身の知識を踏まえて回答した。彼女は森人と呼ばれる種族であり、その名から想像できるように森に自生するような薬草や菌糸類を採取して様々な効能の薬を調合することができる。
「興奮して女性に襲い掛かるリッドさんを想像できないですね……」
クレアがやはりウィノー同様にリッドの性欲に溺れる姿を想像できずに難しい顔でうーんと唸っている。
その3名をよそに、リッドとレセはまず運ばれてきた酒と煮込みスープで夕食を始めた。
酒は木製のコップの中になみなみと注がれていて、煮込みスープもまた木製の深皿にこれでもかと具材たっぷりに縁ギリギリまで盛られている。
「乾杯」
「乾杯」
2人の言葉に後追いでコンという軽い音が鳴る。
リッドは軽く口を当てて少し含むような飲み方をしたのだが、レセは勢いよく飲み干した。もちろん、彼は目を丸くして驚くも上手い表現が見つからなかったようで、何一つ指摘をすることも話題に挙げることもせずに彼女を見守っている。
「詫びのサービスの割にはいい酒を出してくれたようだな……次の酒はいるかな?」
リッドは欲しそうにしているレセの顔を見て、飲み過ぎないように注意するよりもお代わりが必要かを提案することにしたようだ。
レセはリッドの申し出に嬉しそうにコクコクと首を縦に振って、ピッチャー代わりの小さな樽にコップを寄せる。
リッドはレセのコップへなみなみ注がずに半分ほど注いでから小さな樽を再びテーブルの端へと置いた。
「ん-、お酒も美味しいですし、このスープもお酒に合って美味しいです! いつもより飲み過ぎちゃうかも」
レセは料理も堪能しつつ、ぐいっと2杯目の酒も煽るように飲み干した。
「それは良かった。ここは煮込みスープや肉料理が美味いからな。レセが言ってくれたように、この酒にも合うだろうし今日は何も気にせずに楽しんでほしい。ただ飲みすぎには注意しないとな?」
リッドが店の説明をしてレセの方にさっと視線を戻すと、彼女はすーっと流れるように目をとろんとさせた様子に焦点も少し不安定で顔もすっかりと赤みが増していた。
「ひゃい」
「……ひゃい?」
リッドは思わず復唱してしまった。
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