2 ――不穏の中の疑惑――
――南地区第三区画。一一時三五分現在――
アキラ達がトラックを奪い中央地区へと向かったのを見計らって、一人の男はその公園へと現れた。
地面に伏せる役員たち。胸に寸分の狂いも無く突き刺さった銃弾は、彼が登場した頃には既に心臓の活動を停止させていた。
血で、汗で、涙で地面が濡れて固まる。その男は、だがそれでも何も感じないように、ただ殴られて気絶しただけの委員へと歩み寄った。
「誰だか知らんが……、勝手なことをしてくれる。それにコイツは無関係だ――――馬鹿が、俺は……知らんぞ」
鼻が折れ、そこから大量に流れ出る鼻血はやがて止まり濃い赤色、ほぼ黒に近い色に染まって固形化する。
半眼に開く瞳は白く剥き、口から泡を吐く彼は当分目を覚ますことは無いだろう。どちらにしろ命に別状が無いことは良いのだが……。
倒れる男の腰に付くホルスターのボタンを開け、拳銃を抜き、それから大きく息を吐いた。
「反政府……か。馬鹿共が」
彼は思う。反政府組織はただ漠然と頭にくる権力者を暴力で黙らせているだけではないのかと。力を示し、相手を怯えさせているだけではないのかだと。――――ただ反逆するだけで、仮に国家を転覆できた後の事は、国を自分の力でどうしたいのか、考えていないのではないか、と。
要らぬ事、邪魔な事、稚拙な事。目に余る行動しかしないそれに彼は苛立ちながら強く拳銃を握ると――――その拳銃は、突然極彩色に輝き始めた。
やがてソレは光によって形も認識できなくなる。ソレを強く握り続ける彼の掌の中では、拳銃の形は鈍く冷たい温度のまま、手の中に納まるような楕円形の球体へと変化し始めて……。
「だが、まぁ――――俺には関係ない」
好きなようにやらせてもらう。男は心の中で呟きながら、手の中の”手榴弾”を強く握り直してその場を去って行った。
――中央地区第二区画。一四時一八分現在――
「遅い! 一体何をしているんだ、エリックが付いておきながら……」
課長室へ急ぐように飛び入った矢先に、見知らぬ男は声を荒げて怒鳴り散らしていた。
「すいません」
「遅れましたわ」
ナツメとエリックはそれぞれ言葉を発し、それから軽く息を付く男の隣へと早足で迫る。
そうしてから、三人が揃ったところを見て、課長は煙草の火をすりつぶすように消してから、その三人を流し見てから、口を開いた。
「忙しいところ呼び出してすまない諸君。だが感謝して欲しい。これからはもっと忙しくなる」
課長が得意気に、そう鼻を鳴らすが――――その場に、一を聞いて十を知る賢き者は存在せず。
一体彼の言葉が何を意図して放たれているのか、彼等は疑問に思うことすらなく、ただ来るであろう課長の補足説明に対して耳を傾ける準備段階へと踏み込んでいた。
課長はそんな、熱心なのかやる気がないのかイマイチ判別の付かない彼等に軽く肩をすくめてから、仕方なく言葉を続ける。
「どこから漏れたのか、メディアへこのような情報が」
課長は嫌々、机の引き出しから数枚の原稿用紙を引っ張りだした。端に立つ男は一歩踏み込み、彼からソレを受け取って視線を落とす。
男がそれを読み、理解し、驚き言葉を失うその間に、課長は台詞を追加した。
「ソレは個人的な関係を築いた記者に譲ってもらったが――――その出所を探ってほしい。可及的速やかに」
男が出鱈目な文章に憤慨し、顔を紅く染め上げる間に、ナツメは思わず反論する。
「待って下さい。その個人的な関係を築いた記者は一体……?」
まさか殺すはずも無いだろう。有力な情報を握っていた存在にはまだ価値がある。殺すことに意味が無いどころか、こちら側が不利になることは必至である。
この原稿が新聞社のものか雑誌社のものかは分からないが、少なくとも裏を抑えていない状態で相手を怒らせることは酷く愚かなのだ。現行の内容は分からずとも、男の奮える腕でそれは判断できた。
「仲間が来て連れて行かれた。捕まえる理由はあれど権利が無いという事は悲しいことだな」
「それではもしかすると、その原稿を奪還しに潜入してくると言う可能性も無きにしも非ずでは」
「こちらは腐っても政府だ。わざわざハイリスクを犯すことはないだろうが……少なくとも、向こうの警備はより厳しいものとなるだろう」
そこへ潜入する事が出来るだろうと、彼はナツメらを呼び寄せた。なぜよりにもよってまた自分なのだろうと息を吐くと、
「今までの任務は、私の考えが正しければ、引き継がなくとも解決――――」
「こいつぁ酷ェ! なんなんだよこれァ……なんでこんな」
男は課長の言葉を遮り――――片手で頭を抱えながら俯き、誰に言うでもなく撒く訳にもいかない怒りを言葉に変換して呟きながら、もう片手で隣のナツメへと原稿を差し出した。
なんだろうか、一体どんな内容が彼を憤慨させているのかと視線をソレに移すと、待ちきれないのかエリックは腕に抱きつくようにして飛びかかり、同じように原稿を真剣な眼差しで読み始める。
「えっと……」
――――数枚の原稿用紙は、エリック・ジェーンの読む速さでページを変えられる。故にナツメは、半分ほど読んだ所ですぐに次の原稿用紙を読む羽目となるのだが……。
その内容はそんな雑な読みまわしでも理解できるほど酷かった。
「……捏造、ですか?」
簡単に説明すると――――政府が民から金を”公的”に搾取するために危ない薬物を売人へと渡していると言うもの。
勿論そんな事実は無いので課長は、「嘆かわしい事にな」と返して頭を掻いた。伏し目がちに、それから腕につめを立てて指を食い込ませるエリックは静かに怒りを口にする。
「薬物売買のどこが公的ですの!?」
課長に喰らい付くエリックを抑えながら、ナツメは返す。
「記者なのに表現が間違ってるのは確かにいけませんね」
「表現どころか内容だろ、馬鹿か貴様等! 馬鹿だろ貴様等ッ!」
「何故二回言う」
課長は騒がしい準喧騒の中で呟き、溜息をついて、「静まれ馬鹿共」と語気を荒げて言うのだが、
「俺は馬鹿じゃねぇから黙りませんよ課長」
「そんな事だから馬鹿に見られるのだぞ保孝」
得意気に鼻を鳴らす男――――保孝と呼ばれた彼に、呆れを通り越して怒りすら感じ始めた課長は毒を含む言い方で返す。
その時ナツメは、彼の名を初めて聞いたのだが――――その名を脳に刻む瞬間、なにやらデジャヴを感じた。
前にも聴いた事があるような名前。そんな馬鹿にされてムスっとする膨れ面は、どこかで見た覚えがあるかもしれない。
ナツメは思いながら彼の顔を見ると、保孝はソレに気づいて、身体ごと彼を向いた。
「あぁん? なんか用があるのか? 俺と今更仲良くしたいってわけか?」
苛立った様子は無く、安易に笑顔を向けて友好的に手を広げる。この行為はつい先ほど、街の人間にされたのだが、その直後に鉈を振り下ろされたのであまり良い印象はない。勿論、保孝は知らないので、警戒するナツメを不思議だと見ていたのだが。
「い、いや……ただ、どこかで見たことがあるような気がしないでもなくて」
「俺を?」
自分を指差しながら疑問を浮かべる保孝に、ナツメは何事も無いように頷く。そもそも、わざわざこんな事を口にしても「ああそうなんだ」と困ったような笑みで返されるだけなのは明白である。
だと言うのに彼は突然、その眉間に皺を寄せ、歯を食いしばってナツメの胸倉を掴み上げた。
予想だにしない状況。一瞬にして緊迫に包まれる状況の中、エリックは驚いたようにソレを見守り、課長は早く話を進めたそうに煙草に火を付け始めている。
若干、本当に緊迫しているのかと疑いたくなる一方で、思考は保孝の怒声で僅かな間停止した。
「お前、俺を忘れたっていうのかっ!?」
唾が顔に降り注ぐ。それを困った表情で拭いながらナツメは肯定の意を言葉にして告げると、
「俺だよ、保孝……出水保孝だッ! 覚えてないのか!?」
出水……出水……。ナツメはその名前を頭の中で幾度とも無く反芻し、そして記憶の検索システムを起動させ、高速度で思い出の海を掻き分けていき――――それは、この都市にやってくる前まで遡ることでようやく発見することが出来た。
力強く言い切る割に、不安げに聞き返す彼を、ナツメは改めて見直した。
常によっていそうな眉間に、太い眉は鋭く上を向く。瞳の白が多いその目は、それ故に人相が悪くなる。短く刈り上げられた髪は当たり前に逆立って――――。
「……あぁ、お前か。久しぶりタカヤス」
「保孝だっつってんだろうがよ……っ! つーかさぁ、忘れんなよ。東京では一番付き合いが長いはずだろ?」
「その台詞は正確ではないな。北開発地区では付き合いは長かったが、東京ではおよそ半年前に再開したばかりじゃないか」
そもそも北地区開発地域でも、深いような浅い付き合いだった。ナツメは思い出してから、一歩遠ざかる。
だからといって、嫌いだとか近づきたくないと言う訳ではない。存在を忘れていたことに、深層下で申し訳ないと思っている故の行動である。
「でもま、顔見知りだ。仲良く行こうじゃねーか。約束通り強くなってるみたいだしな?」
しかしあまり気にした様子も無く、出水は台詞の通り関係を近づかせようと手を差し伸べた。
ナツメはそんな彼に気を許し、同じように手を伸ばす。共に手を握り合い、視線を交差させ――――それだけでも妙な信頼感が芽生えそうなのは、やはり同郷の友人だと言う事が大きいのだろう。
それから話が一段落した風の其処を見た課長は、煙草の火を消しながら一つ咳払いをして見せて、彼等の注目を得てから、「話は済んだか?」と額に脈動を感じていそうな表情で問う。
気まずそうに頷くそれぞれを見て、課長は悪戯に笑ってから――――新たな仕事を告げる。
「この原稿はこちらにあっても、その情報を持つ人間は向こうにある。だが何故――――公にもなっていないクスリの存在を、あたかも周りが知っている体で文章に起こしているのか、という所だが……」
「キナ臭いってぇ、訳ですか」
言わずとも分かる胡散臭さ。薬物売買は原則的に禁止され、行われていれば摘発対象である。故に外から中に入れる事も難しく、栽培するには圧倒的に厳しいこの環境では、そんな事案が上がることがそもそも無い。
この――――肥沃した大地の中央地区を除けば……。
「なんでも最近、雑誌は売れても新聞は売れてないそうだからな……。雑誌社も知らない情報で、しかも新鮮なニュースとなれば売れ行きはうなぎ上りだろう」
その台詞に頷く三人を見て、課長は軽く息を吐きながら続けた。
「この都市にある新聞社は一社。ここの第一区画の商業地区にある――――武装は整えておけ。それと、車を用意させておく」
そんな課長の言葉に、三人は背筋を伸ばしてから深く頭を下げる。新たな任務を言い渡されたこともあるが、今回の仕事は随分とやりがいがありそうだから、気合が入るのだ。
調べていた爆破事件は、恐らく偶然的に薬物売買をしていた店に当たったのではないだろう。恐らく自覚的に、そしてまた――――確信的に。
だから元を抑えれば爆破も止むだろう。犯人は、自分が正しいと思っているから自首はしてこないだろうが、徐々に近づけばいいだけの話。
ナツメはそう考えながら、一番先に頭を上げて、誰よりも早くその場を後にした。
「――――ま、今更新聞っつーのもなぁ。こんな時代に、明日には紙くずになるモンを毎日金出して買えっつぅのも酷な話だわな」
ビルの下腹部辺りにある更衣室は、先ほどの課長室程広い。そして色々な事を防止のため、男女の更衣室はそれぞれ離れた位置にあった。
そこでは支給品――防弾スーツと拳銃が一丁――の詰まったロッカーが壁ぎわに立ち並んでいる。ロッカーは簡易な指紋認証ロックで、一度ロックを解除してしまえば、その指紋はまた登録しなおさなければならない。
そんなところで二人は着替え、その中で出水は愚痴垂れるように口にした。
繊維強化合成ゴムで改良されたラバースーツを、薄いインナーシャツの上に癒着してしまうと錯覚するほどにぴっちりと着て、またナツメは面倒そうに、
「昔から続いていたらしいからな。電子媒体でも紙媒体でも……。最も――――本土が二割程度しか機能して無いこんな世の中じゃ、そんなモノも不要だろうが」
指にたるむラバースーツを引っ張り、指の股にくっつける。それから全身を包むそれに不備が無いか確認したあと、背中のチャックを閉め始めた。
そうする一方で、出水の準備は既に済んでおり、後は目の前のロッカーから自動拳銃を引き抜いて弾倉を確認するだけである。
強化ゴムで作られるこの黒いラバースーツは、防弾チョッキ以上の防弾性能がある。弾丸を貫通させず、肌を傷つけない。強い衝撃で受けた瞬間、その箇所が硬化する合成プラスチックを使用しているのだ。
「ったく、またゴム弾かよ」
自動拳銃はコルト・ガバメント。出水は弾頭にゴムが詰め込まれている弾――ゴム弾――の入った弾倉を、腰に装備する弾倉帯に数個詰め込み、そのベルトに拳銃を挟んでナツメの準備を待った。
ナツメもまた、私用武器を支給武器の代わりにロッカーに詰め込み、そして今まで着ていた作業服の様な制服を素早く、ラバースーツの上から着直し、雑にロッカーを閉める。
ガチャンと大きな音が鳴り、自動的に施錠される音が響いた。彼等はそれを確認して、更衣室を後にすると――――。
「遅い、ですわっ!」
事務職用のスーツではなく、ナツメ達と同じ作業服を着る彼女は、腰に手をあてお冠であった。女性の着替えは遅いと聞いたが――――とんだデマだなと、ナツメは軽く謝罪をして、共に外へと向かう。
その間に、エリックは少し迷いながら、結局好奇心に負けて、彼等の関係を聞いていた。
――中央地区第一区画。一五時○二分現在――
夜ならば、ラバースーツ一枚でも保温効果と黒き生地故の隠密性のお陰で十分であったが、この、ただ立っているだけでも汗が滴る日差しの中、作業服の他に余計体温を逃がさないスーツを着ることにナツメは疑問を抱いていた。
ハイネックシャツの様に、襟から黒いソレは伸びて、また袖から伸びる手は肌色をしていない。それだけで十分に怪しいのだから、防弾スーツだけで良いのではないかと思うのだが……。
「ま、個人の能力によっては弾丸が避けられっからな。俺は俺で、コイツがある事が嬉しいんだがな」
新聞社の前に車は止まる。そこは第一区画の半分をクレーターに変える爆発があった場所より離れた所。
居住区は全て無に帰し、残ったのは新聞社や雑誌社、それと刷版会社など需要の低い企業ばかりの商業地区である。
常ならば一人であろう警備員は五人に増えて、入り口部分を警戒していた。
それから出水は開けていた窓を閉め、ナツメは早速行動を開始しようとドアに手をかけると、出水はそれを制す。何故だと、口にしようとする瞬間――――後部座席で、窓を隔てているのにも関わらずエリックはその拳銃を警備員へと向けていて……。
次の瞬間、その銃口からは派手な火花が散った。
乾いた破裂音が狭い車内でやかましく響く。鼓膜が破れてしまうそうな騒音は、だがしかし、一度、一発目で途切れた後再びすぐに連射されるが、きっかりしっかり、それは五回で終える。
酷い硝煙の臭いが鼻に障った。緊張のせいで気でも狂ってしまったのかと言う疑念が脳裏に過ぎる。だがそれでも、割れた窓で怪我をしていないか一応心配をして後ろを振り返ると――――だかしかし、そこはガラスの破片など飛び散ってなどはいなかった。
不思議なことに――――ただ車内をかき乱したのは、拳銃からはじき出された薬莢のみであったのだ。
締め切られた窓は、しっかりと硝煙の臭いを車内に留めていた。弾き出された弾丸は一体どこの亜空間へと飲み込まれてしまったのだろうか?
拳銃を腰に差し直す彼女は嬉しそうに微笑み――――全てを理解できていないナツメへと、簡単に説明をする。
「私の能力ですの。能力名は透視なのですが、それでは無粋なので『恋する乙女』と」
――――視界補助系能力『恋する乙女』は、目に映るもの、いわゆる視界内の物質、肉体を任意で透過して見る事が出来る。
そしてその能力発動時には、”透視された障害物は、彼女の手によって打ち出された物質に限り、通り抜けさせることが出来る”。最も、この能力は応用技だと、彼女は簡単に説明した。
「恋は盲目って言葉は、よく言ったものですわ」
戦闘に恋をしているとは――――やはり変人には間違いが無かった。
ナツメは意外過ぎる一面にため息を付きながら、今度こそ止められることなくドアを開け、それから警備員が皆地面に伏している玄関へと急いだ。
車内からの発砲故に減音効果は絶大で、お陰で彼らの存在は気付かれていない。
「しかし、まだ確定もしていないのに殴り込みとは……」
駆け足で彼等は迫り――――警備員達を簡単に纏め上げながらナツメが弱気に呟いた。
「九分九厘ビンゴですわ。むしろ間違っている可能性のほうが低いですの」
「九分九厘っても九.九パーセントじゃ――――」
「うっせぇよ! グチグチ細かく言いやがって。九.九パーセント? 十回に一回当たる割合だろ。上等じゃねーか、侮んなよナツメェ!」
得意げに言い聞かせるエリックに、どこか不安が募るナツメ。それに苛つき、怒鳴り散らす出水であったが、それらにはどことなく、妙に一体感がある雰囲気が漂っていた。
だが、――――その瞬間、その全てを一瞬にして消し去る凄まじい衝撃波が彼等の全身を嬲った。
それと同時に、頭上で凄まじい爆発音が鳴り響く。大気が激しく、振動する。轟音が全ての音を掻き消して――――何事かと、そう思う暇も無く見上げる空には、
「……ッ!?」
屋上よりやや下の階から、四方の壁を突き破る爆炎が躍り出ていた。昼の空に上がる濁った暗黒色の煙の中でソレは蠢き――――白昼の空に煌めくのは、ガラスの破片。
その奥からは、巨大な人造石片が降り注いで……。
「反重力区域」
声高らかに出水が腕を空へと振り上げると――――何よりも早く、地上の生物を絶命させようとの意思を持つかのように、刃を鋭く振り落とすガラスは、彼の拳の、遥か上空でその動きは止まった。
その――――見えぬ力の領域は、空間を僅かに歪めて見せる。まるで水の中に浮かばせた油のように不安定に揺らめくそこには、続々と崩落物が――酷く緩慢に――飲み込まれるようにして、音も無く、全ての勢いを殺されていた。
その後も、周囲へと落ちて砕ける人造石はあれど、ナツメたちに害を及ぼすソレ等は皆その上空で動きを止めている。
その間に、ナツメとエリックは急いで建物内に警備員を投げ入れて、共にその中へと避難した。出水はそれを確認してから、自身も中へと入り込み、能力を解除する。
直後、崩落した壁の一部はまるまる地面へと叩きつけられた。凄まじい地響きに建物が大きく揺れて、腹の奥底に響くような衝撃は轟音と共に、やがては薄れて行く。
その中で一同は、冷静になったその時に、入り口を塞がれてしまったことに気がついた。
が、彼等にとってそう問題ではない。故に心を落ち着かせる為に、それぞれ大きく息を吸う。
「爆破って……何かアブない物でも作っていたのかぁ?」
能力の使用により僅かに息が上がる出水は冗談めかしく呟いてから、悲鳴を上げて受付の下にうずくまる受付嬢へと声を荒げた。
「おい、この一時間以内で不審者は入ってこなかったかッ!?」
「ぃっ!」
だが声を殺して悲鳴を上げ、怯える彼女等にはそもそも会話が出来るはずが無い。
爆発の影響か、電気が消えて薄暗いそこで大きく息を吐いてから、上へ行くかと、提案するナツメは――――受付の隣にある通路の奥から足音を聞いた。
決して穏やかではない、慌てて走り、転んで、立ち上がる動作音。激しく乱れる呼吸音。ナツメは能力で聴力を上げてから先頭に立ち、拳銃をそこへ向けると、やがてそれは彼等の前へと現れた。
乱れた髪に、所々が血に濡れる白いワイシャツ。体力の限界なのか、通路から出てきてナツメを発見するなり転んで、彼は手を伸ばしていた。
「た、助けてくれ……っ!」
その姿は正に、神に助けを求める信者の様であった。故にナツメは、彼へと向けた銃口を――――まだ残る一人の男へと差し向ける。
未だに聞こえる、忍ぶような足音は、そうして通路の闇から再び姿を現わした。
「……ふうむ。誰だか知らんが、邪魔をする気か?」
完全な闇から、薄暗いロビーへと出で立つ彼は、ナツメ達を見るなり冷めた声を響かせた。
エリックが見る――――遥か頭上の階では、スプリンクラーが発動しているも、凄惨な状況は覆ることも無く、火の手はより激しいものとなる。
ナツメは恐怖に腰を抜かす男ではなく、余裕そうに立ち尽くすソレに銃を向けたまま、
「分からないな。俺がどう行動すればお前の邪魔になるのか」
状況を何一つ理解できない、自分の低能加減にいい加減腹が立ってくる。ストレスの為に後頭部に染みるような鋭い痛みが走るのを感じながら、彼は男の出方を伺った。
「俺の目の前に存在している、という事だが――――教えてやったが、失せてくれるのか?」
「さぁ。恐らく貴様が考えている通りだ」
「なら――――沈黙しろ」
男は静かな怒気を声に孕ませ、そうして言い切りながら手の中の手榴弾を投擲する。
暗闇の中、その存在を認識できたナツメだが、距離的にも撃ち抜くわけにもいかない代物に一瞬、行動を迷うと――――ナツメを力尽くで押しのけた出水は、前方に手を差し向けて叫ぶ。
「加重力領域ッ!」
その瞬間、出水の能力範囲に捕まった手榴弾は勢い良く地面に叩きつけられて――――その身を突き破る爆炎を撒き散らし、巨大な火柱を立てた。
割合そう接近していなかった手榴弾は、腰を抜かす男の近場で爆ぜて――――凄まじい爆破による衝撃波で、効果範囲内にいる男は範囲外にまで吹き飛び、彼はこれ幸いと、そのまま壁際まで転がった。
飛び散り負傷させるはずだった破片は、出水の能力によって押しつぶされている。故に被害は、床を軽く破壊する程度であったが――――男は全身に及ぶ軽い火傷に、泣くように呻いていた。
「能力者……、貴様等まさか――――委員会か?」
この闇の中で彼の存在を事細かく認識できているのはナツメだけであるが、歴戦の勇士であるエリック、出水両名は五感で知覚せずとも、経験で男の所作を全て理解できていた。
そして委員会の能力者は皆、戦闘技術を訓練されている。故に立ち振る舞い、その姿勢や気配だけでも、ある程度以上の能力者や戦闘員ならばすぐにその独特な雰囲気で気づくことが出来る。委員会を知らずとも、他とは明らかな違いで違和感を覚えるのだ。
故に――――この男は経験は少ないと、彼等は即座に理解できた。
「さぁ? どっちにしろ、言うと思うか? この状況で――――まぁ、言った方が正しいんだろうけどな」
ナツメに成り代わり先頭に立つ出水は、半ば答えを言っているように舌をスラスラと滑らせる。能力は発動したまま故に――――呼吸の乱れを抑えるため、彼の息遣いは酷く緩慢になっていた。
「なるほど、ならば争う必要も無いだろう」
男に対しての牽制を目論む加重力領域は、僅かに揺らいだ。それが疲労のためか、男の台詞のためか、定かではない。
「何故だ?」
ナツメが、彼が求めるままに疑問すると、男は少しばかり歯を軋ませてから口を開いた。
「知っていて来たのだろう? 貴様等は。ここが薬物を売人に渡して売り捌かせている事を」
「証拠は?」
「俺が全て爆破したが――――屋上に栽培されているだろうな。ビニールハウスの中で」
ならば――――可及的速やかに屋上へ向かい、その物的証拠を保護しなければならぬだろう。男の言葉が正しければ、の話だが。最も、疑う余地も無いだろう。
これで新聞社の思惑――自社で話題を作り、新聞の売り上げを伸ばす――が潰れ、また摘発対象となった事で今回の仕事は終了の兆しを見せて……。
また、ナツメが元々請け負っていた爆破テロ事件の犯人も見つかった。
――――まるで図られたように都合の良い展開である。わざわざ気の滅入る仕事を犯人が片付けてくれたのだ。そんな事は、都合の良すぎるソレは夢にも思わない。
これから後は、出水に屋上を任せ、ナツメとエリックは彼を捕獲するだけ。
ナツメはそうに、横に並ぶ彼に目配せすると、出水は薄く笑んで、
「ま、この手の野郎は厄介だ。頑張れよ」
戦闘面で厄介と言う訳でなく、彼に自身の行為を悪事だと認識させる事が。
出水はそんな意味で肩を叩いて、壁ぎわに倒れる男を担いでから背後へ――――出入口を塞ぐ瓦礫を能力で退かして、外へと姿を消していった。
「――――貴様等は、つくづく無能だ」
そんな男は出水を追うことも止める事も無く、ただ何も出来ぬまま結果だけを横から奪い去る彼等に吐き捨てた。
その台詞は尤もな事である。ここ最近の委員会の体たらくといえば無い。直視出来ない酷さであるのだが――――。
「貴様がわざわざ犯罪に手を染めてまで教えてくれたのは感謝するが――――犯罪は犯罪だ。我々は貴様を確保する」
新聞がわざわざ報道するほどの規模で薬物売買が行われていた。新聞社が行っていたことだが、それほどまで手が伸びているのにもかかわらず、それを警察はおろか委員会まで認識できないとはどれほどまで隠蔽に富んでいたのだろうか。
一新聞社の手で足りるのか――――? 否、それは不可能に近い。簡単な自問自答は、簡単に答えを導き出した。
これほどまで情報が皆無ならば、本当は一部でしか薬物売買をしていなかったのを、わざとその情報を広めてから、東西へと手を伸ばすつもりだったのではないか?
もしくは――――それを隠蔽できるほどの権力が介入している、か。
「……? 何を言っているのか、理解に苦しむな」
後者は、絶対に関わりたくない。恐らく酷く面倒な事になるだろうし、それを知った途端口封じに殺されてしまうそうだ――――ナツメはそう思う半面で、心の、魂の奥底は燻っていた。
裁かれるべき悪は断罪されよと。赦されぬ罪は償われよ――――と。
「どんな思いで遂行したか、なんてのは関係ない。貴様がやったことは、結果はどうであれ罪は罪。貴様は裁かれなければならない」
「ふざけるなよ小僧が。俺が犯罪者? 舐めた口を――――」
不意に、男の手の中が極彩色に輝き始める。ナツメはそれに対して過敏に反応し――――能力で強化した脚力で、一瞬にして肉薄し、
「利くなッ!」
その男が手の中に現れた手榴弾を再び放つより早く、ナツメはそれを腕ごと蹴飛ばして――――その口の中に、銃口を突き刺した。
「善悪の区別も付かない大人が、舐めた口を利くなよ」
そうしたナツメの、一瞬の判断が男を無力化させた。彼は身動きを一切とれず、やがてエリックに両腕を後ろで組まされて、冷たい手錠に拘束される。
ナツメら一行は、その後直ぐにやってきた警察に全てを任せてから、早急に三課ビルへと舞い戻る。
その頃――――委員会本部ビルが大変な騒ぎになっているとも知らずに……。