3 ――生動――
――中央地区第二区画。一○時○三分現在――
彼、ナツメは現在所属課ビルの課長室に居た。
今日はこれまでが仕事続きだったので休み、という筈であったのだが……。
ナツメは幾人かの課員がかしこまって並ぶその端で面倒そうに、課長の言葉を聞き流していた。
「その第五――――もとい能力者や案件の容疑者の為の隔離病棟に賊が忍び込んだ。昨晩のことでな、丁度警備に回していた電波の吉田が殺された」
のほほんと久しぶりに摂れるであろうまともな昼食を呑気に頭の中で思い描いていると、不意に周囲がざわついた。ナツメはソレに反応し、即座に緩んだ顔を真面目にした。
「彼はB級能力であった。しかしそもそも直接的な戦闘が出来る能力ではない――――コレを見てくれ」
言ってから課長は指を鳴らす。すると室内左側の全面ガラスにシャッターが下りた。同時に天井の一部が開き映写機が出現して、照明が落ちる。課長が席を離れたその奥の壁に、ソレは映像を流し始めた。
――――そこは薄暗い廊下であった。深淵なる闇はなく、オレンジ色の鈍い照明に包まれている廊下。そんな中で間も無く誰かが現れたと思うと、直ぐに消えた。
恐らくそれが賊なのだろうが、それ以降カメラに映ることが無かった。数分間、あるいは十数分だろうか。言い知れぬ緊張に包まれ誰もがソレに注視する中、突然明かりが点いて……。
ナツメの見覚えのある少年が電撃を奔らせていた。それは幾重にも蒼白い閃きを飛ばして、やがて一人の男――吉田――を壁に追い詰める。
それからまた――――驚くことに、先日反吐が出る程にナツメを虐めたアキラが、そして貴族誘拐事件の主犯である呉氏崎が出てきて……。
既に白旗を全力で振っている吉田の頭を、拳銃で打ち抜いていた。音声の無い映像は、スイカを叩き割ったような頭部の有様を、淡白すぎるほど凄惨に映し出す。
同時に、その場に居るナツメと課長以外は皆顔を伏せて――――軽く息を吐きながら、課長が映像に補足した。
「電撃使いと少女はとある事案の容疑者だ。そして『ソレら』を救出しに来たのはアキラと言う――――その道では名の知れた便利屋の一人だ。実力は高く、巨大ミミズ型の砂蟲を一人で討伐したという噂が流れるほど」
言い終えると照明が点く。やがて映像は消えて、映写機は元の天井の中へ。シャッターも緩慢な動作で機械の作動音を鳴らしながら収納されていき――――残酷な場面が失せてから、それぞれは意見を口にした。
「の、能力の程は……?」
「見る限りでは両方ともAの下と言った所か。『反射』に『電撃』、EやDの下位能力でも特別視される系統は、それ故に上達するのも難しいのだがな……」
難しいと言う事は、永きに渡る努力が必要だと言う事。彼等がその大きな力を手にしていると言う事は、その『難しい』を乗り越えたという事で――――つまり、それは能力の厄介さ等よりも、その精神が強すぎる事を教えていた。
精神が強ければどれほどの逆境でも諦めることはしないし、適応判断も飛びぬけているだろう。完全に無力化するには、その息の根を止めなければいけなくなるほど厄介で――――そして相手を殺すこと自体の難易度が、その能力のせいで酷く高いのだ。
「せ、選抜チームを向かわせれば良いのではないですか……?」
選抜チームとは、第三課の中でより強力とされているAの上の力を持つ者のみで構成された集団である。
多彩な特異能力は手に余ることなく使いこなされ、また能力を使わずとも高レベルな戦闘技術を持ち合わせている。
その中には、能力レベルが判定限界値ギリギリである『特A級』が二人ほどいるのだが、その姿を見たことがある人間は極端に少ない。
「私が、手に余る仕事を君たちに与えると思うか?」
彼にそういう信頼を向けられる数人の課員は、皆B級以上の能力を持っていた。ある程度の実力はある。そう自覚している彼等だからこそ、そんな課長の台詞に僅かながらも自信を持つのだが、
「でも、なんでCマイナスのナツメが居るんですか! 足手まといですよこれじゃあ!」
一人の男が声を上げた。敵意を持つように、ただでさえ見慣れぬ戦力外を排除するようにナツメへと指を向けて。
そして図らずして注目を受ける羽目となったナツメは、苦笑を浮かばせ、少しばかり後ずさりしながら課長に尋ねた。
「えぇ確かに。俺の実力や能力ではとても歯の立つ相手ではありませんし、弾除けになる前に死んでしまいます。それどころか足を引っ張ってしまうかもしれません」
だが彼は西篠を一度窮地に追い込んだことがある。そしてアキラに認められた人物でもある。そんな事実を知るのは課長のみであるために、ナツメはそれを伏せて話すと、
「わかっている。お前はチームには入っていないが――――知っておいたほうが良いと思ってな。これは私の気まぐれだ。気にするな」
課長は不敵に笑んだ後、その数人の課員の中でリーダーを決め、命令を下して解散をさせる。
馬鹿にするようにナツメを見ながら去って行く課員達に少しばかり苛立ちながら――――ナツメは振り返った課長に用件を聞いた。
「――――それで、話とはなんでしょうか。まさか公開私刑するために呼んだわけじゃないですよね?」
そんな思惑ならばナツメにも少しばかり考えがある。そう言う意図を汲み取ってくれるであろうと思いながら言葉を口にすると、課長はああ、と短く頷きながら、彼は元の席に腰を落とす。
ゆっくりとした、だが妙に貫禄がある速度で手を組んでから、課長はようやく言葉を続けた。
「お前にはあらゆる仕事を与えたいのだが――――昨日の話から察するに、お前は事件は兎も角、アキラと再戦したいのだな?」
与えたい、と言うのは押し付けたいのいい間違いだろうと、心中吐き捨てながら、ナツメは軽く頷いた。
「まぁ、それもありますが――――さっきの話で、俺の魂が燻ったんですよ。奴等は自分の目的のために人を殺す事をいとわない。それも、どれほど手を汚したかも分からない人間を助けるために……。何者か、どんな組織かも判然としませんがね。俺は、奴等を裁かないといけない。秩序を乱す者は正さねばならないんです。だから俺は、この事件を担当したいんです」
お願いしますと、彼は深く頭を下げる。その腰の曲げ具合などはコレまでに無いほど真摯に。心はいつしか台詞どおりに燻るどころか、酷く暑い炎に燃えていた。
だというのに課長は素っ気無く「お前が頭を下げても意味は無い」と吐き捨てて、ナツメが顔を上げるのを待った。
そう言われてしまえばその姿勢を崩すしかない。課長はしつこく粘る熱意より良く話を聞いて思い通りに動いてくれる『駒』の方が好みなのだから。
だからナツメは仕方なく顔を挙げ腰を伸ばし、背筋良く立ちなおしてから課長の瞳を睨むように見据えた。
「お前の頭には権力がない。だからどれほどの角度で、どれほどの回数下げようとも意味は無い。そして――――お前の望みどおり、関係性を見せるこの事件を追うことを許そう」
なんでも無い様に紡ぐ――――そんな台詞に、彼はそう驚くことは無かった。
元より、ダメだと切り捨てられても個人的に追うつもりであったからだ。何が現れようともどんな障害が立ちふさがろうともソレを全て切り捨てる。そんな気持ち、心境であったからこそ、彼は表面にもありがたいという気持ちを出さず、当たり前だとそれに軽く頷くと、課長はソレに付け足した。
「条件付きでな」
彼は薄く微笑みながら、机の上にある煙草入れから紙巻を出して火を点け、それから胸いっぱいに煙を吸った。
条件とは一体どんなものだろうか。ナツメは疑問に思いながら、気分良さげに煙を吐き出す課長を見ると、彼は「なに、そう心配するものではない」と告げてから、
「他の仕事も遂行してもらうという事だけだ。既にお前の望む事件には担当が付いている。それでもその事件に臨みたいというお前の願望を叶えてやるには、お前の空いた時間に捜査をやって貰うしかないのだ。無論、個人でやっているわけじゃなく、またそのせいで休みが無くなるという事だから、支援は惜しまないつもりだがな」
――中央地区第二区画。一○時三八分現在。
「せっかくのいい女が灰かぶりになってしまったわ」
現状を簡単に説明すると――――マンホールのような出口から這い出ると砂塗れになった、という事だ。
口に入る砂を吐き出し、また服に付いたソレを払いながら彼女が呟くが、語尾は女性らしく上げたものではなく、男らしく吐き捨てるように下げたソレである。
彼女――――涼谷涼子は背負ったままでは通れなかった大剣をその場で、くくりつけた縄で引き上げ、それからしっかりと背負いなおしてから立ち上がる。
「さあて、愛しのナツメ君は生きてるかなっと」
そこは街中であるが裏路地の奥地で、偶然迷い込まなければ分からないような場所である。
彼女は背伸びをしながら軽い足取りで進むのだが、決して道を知っているわけではない。ただ、奥へと進むのではなく手前へと出るのだから、適当に歩けば大通りへ出られるのではないかと考えるだけである。
事実、その通りに地面を占める砂は徐々にその姿を消していき、やがて冷たい人造石の大地となりはじめて――――その調子で曲がり角を曲がると、
「ん?」
「あ?」
先客が狭い路地で煙草をふかして溜まっていた。特に女性を襲ったり金を持っていそうな人間を脅したりしているわけではないので、気分悪そうに声を漏らすだけに留めたのだが……。
「なんだその大剣は。いつの時代の人間だっはっはっはっ!」
彼女の背中から生える剣の柄を見るなり、腹を抱えて笑い出す男が居た。まだ大人になりたてであろう外見の彼等に、涼谷は大人の態度で許してやろうとするのだが――――連鎖的に、その場に居る数人の男が笑い出してしまった。
一体――――何がそこまで彼等の笑いのツボを刺激したのだろうか。
怒りよりも興味と言うか、そんな好奇心が彼女の頭を駆け巡って、
「やかましい」
一瞬、ほんの刹那、そんな好奇心を上回った心が笑いを促した男の顔面に拳を突き刺した。
勢い良く、だが全力で手加減をする一撃。拳は吸い込まれるように男の顔に向かって、彼がソレに気が付いた頃、拳は既に視界の大部分を覆っていて、
「がぺっ」
そんな奇妙な悲鳴を上げながら、男は近くの壁に叩きつけられては頭をぐら付かせ、そして堪え切れなくなった様に膝から崩れ落ちる。
そして瞬間的に――――辺りは静寂が、殺気を孕む視線を飛ばす静けさが支配した。
「勝手に笑って、注意したら怒るのか? いいなあ自由で――――だがな、私の適正武器を知らぬでも侮辱した事には流石に堪忍袋が破裂するぞ」
酷く怒りの沸点が低く堪忍袋が小さすぎる彼女は、男たちを上回る殺気でそれらを睨み返すと――――仮にも中央地区にいる人間である彼等は、それだけでも彼女の実力を理解したのだろう。
大勢でかかっても負けると判断した彼等は、ジリジリと後ずさりした後、倒れた男を引きずって足早にその場を去っていった。
「ったく」半ば呆れたように、半ば感心するように言葉を漏らす。「平和だねぇ」
迷路のようでそうでもない路地を抜けるとそこは――――。
「人でごった返してる……、委員専用の裏道とかないもんかな」
朝である故に日差しも気温もまだ柔らかにある。その時間帯に限らずだが、強いて言えば最も人が多い頃であった。
そんな鬱蒼とする森よりも酷い人の波。彼女は少しばかり憂鬱になりながら大きく息を吸い込んで、其処へ飛び込んだ。跳ぶ様に入り込んで、向かい側の店へと向く身体を自身の進行方向へと向ける。
流されぬよう。自分の意志を貫くようにしっかりと先の地面を踏みしめて―――――肩をぶつけられても、荷物が大剣に引っ掛かって迷惑な目で見られても自分を押し殺す。
その中で――――前方から迫る男が居た。
どれほど近づいても避けることもしない図々しさを態度で見せる男。だから彼女は仕方なく道を渡そうとするのだが、周囲の人間が壁となり……。
結局、男はまるでそれが目的だったように涼谷と衝突して、
「はっは、やっと見つけたよ僕の大好きな涼子さぁん」
大剣ごと強く抱き締める。失くした人形が見つかった女の子のように力強く、だが優しく、今までの悲しみを打ち消し嬉しさを表現する抱擁の如く。
長身の涼谷よりも背丈の高い男はその中でそう戯れた。
見も知らず声も聞き覚えのない男の行為に、彼女はひどく女の子らしく小さな悲鳴を上げて――――彼の両腕を引き剥がすように力強く弾くと、攻めの流れを描くように素早くそのまま顔面を鷲掴む。
「気軽に触るんじゃあないよ。もっと暑くなりたいのか?」
流れ行く人波は避けて雑踏の中彼女らを置き去りにする。
邪魔だというような顔をされるが、今回ばかりはその気持ちが涼谷に理解することが出来た。
「そう恥ずかしがらないで。そんな所もキュートだよ」
男の眼窩脇の骨がみしりと悲鳴を上げた。
「口を減らして名を名乗れ。私の心は焦土だぞ」
「恋い焦がれてしまっ――――」
「いいから名乗れっ!」
やれやれと肩をすくめ、顔を掴む手を離そうとするのだが、それは離れるどころか力が抜ける気配が一切無い。
男は考える。これはもしかすると彼女なりの照れ隠しなのかもしれない、と。大昔にはそんなものを現わす単語があったはずだが――――失念してしまった。覚えていればそれでからかい、彼女の可愛らしい仕草を見られたのだが……。
戸惑いの言葉を幾度とも無く発すると彼女はようやく手を離したので、彼は軽く息を吐きながら、彼女の並びに立って歩みを進めた。
「僕ってそんなに薄い?」
言われてから涼谷は目を向ける。彼の顔は常に微笑み、目に掛かるほど髪が長く、そのちゃらけた茶髪の奥には常に薄い目が在った。
そんな優男を見て涼谷はそいつが何者か、ようやく判然として来たのだが彼女は悪戯に頷くだけ。
男は落ち込んだように肩を落として――――彼女の頬を包むように、手を伸ばした。
「だったら僕の熱いキッスで思いだ――――」
その瞬間、頬の手に彼女の滑らかなる手が触れた思うと、
「熱っつ!」
高熱の炎が手の甲を焦がした。
肌の焼ける臭いが鼻に障る。男は熱そうに、痛そうに手を抱きながら涼谷の嫌悪しかない声色を聞いた。
「熱い炎で私を思い出したか? 墓守さんよ」
彼女の横暴さ、手の速さはようやく記憶の底から蘇る。何故忘れていたか、男は考えると、脳は瞬く間に答えを導き出した。
そいつもまた、彼女の魅力であるからだ、と。
「嵩杜だって。でも君の墓なら――――ああごめん、守れないや。だって君と一緒に黄泉の国に行きたいから」
「気持ち悪い事を言わないでくれるか? 悪いが私はお前に興味ないし、お前ほどの見た目や貢献心を持っていれば他の女が来るだろ」
「うん」
彼は否定することなく、当たり前だと言うように頷いて――――彼女は少しは謙虚に出ろよと、首を振ると、
「でも僕は涼子さんが好きだから。でも安心して、本当に迷惑だったら二度と君の前に出ないから」
そんな卑怯な台詞を吐かれてしまう。涼谷は、また頭を振って、
「わかったよ。私はお前に構わないが、お前は常識の範囲内で好きにしろ」
街に戻ってはみたが早速妙な同僚が現れて――――これはナツメと合流するのは大分後だなと、ざっと考えながら空を仰いだ。
その空はいつもの様に吸い込まれるような蒼さを魅せていた。
――中央地区第五区画。一一時○○分現在――
見上げる空は嫌に青い。綺麗ではあるが――――気温が上がりつつあるこの場所では、それは慰めにもならなかった。
寧ろ熱かろう苦しかろうと小馬鹿にしているようにさえ見えるが、恐らくコレは熱によってストレスが溜まり頭がオカシクなっているだけであろう。
ナツメは今国立病院へとやってきている。あの後直ぐに休みを貰えたからだ。
身に纏うのは防弾性の高い強化繊維を使用されている作業服のような制服である。ベージュ色で、変わりに蒸す傾向にあるので上着のファスナーをあけることで風通し性能を上げる。
だが病院の中に入ればそれはあまり意味の無いことであった。
地獄から蘇ったような、生きた心地がそこではする。その理由は――――冷房が効いているからである。基本的に、中央地区にある屋内営業の店や施設には冷房装置が完備している。
それは常に中央地区を最先端にする思惑から来る事でもあるし、それがどれほどまで民間で広がり、どれほどまで扱えるか図る実験代わりでもあった。
「すいません。治安維持委員会の者ですが……」
受付へと赴いた彼は最新式の携帯無線機を操作し、証明書を空中に画像として展開する。スーツ姿の彼女はその証明書に記してある番号をパソコンに打ち込み、政府から与えられている委員会の情報の中からそれを検索させて――――確かに彼の情報があることを確認してから、業務用笑顔で頷いた。
「はい、今日はどのようなご用件でしょうか――――」
簡単に「先日の事件跡を見たい」とだけ告げると彼女は一瞬、嫌だと言う様な表情をした後――――簡潔に場所を教える。それに丁寧に頭を下げて、ナツメは言われたとおりに道を行った。
能力者だと知られたならば、彼女の気持ちは至極まともなことであろう。能力者は力がある分問題を起こしやすく、また起きた問題の規模が大きすぎるのだ。
決して当事者同士の怪我だけではすまないから、必ず誰かに迷惑が掛かる。病院であれば、それを心配するのは当たり前であろう。
最も――――彼は、無関係者のけが人は一度も出したことは無い。それだけは信念にしているので、彼は他人からどうこう言われようとも気にはしない。
――――外へ一度出て、道なりに進むと例の隔離病棟が大きく構えていた。
並んでいるどの病棟よりも一際大きく、配置されている一般病棟よりも一段とその不気味さを醸しだす。ナツメは『能力者と犯罪者』が収容されていると聞かされている其処へと、息を呑んで入っていった。
唯一ある出入り口で証明書を見せ、開かれた扉の中へ足を踏み込む。
一瞬、妙な殺気というか、悪寒というか。不可解な不愉快を感じたナツメはそれでも止まることなく、一階部分のロビーを素通りしてそのまま階段へと向かう。
嫌に静かな廊下。酷く明るく、妙に人気の無い其処で足音を鳴らしながら歩き――――彼もこんな風にここへと来ていたのかと、なんとなく考えながら……、ようやく其処へとたどり着いた。
『進入禁止』という黄色のテープが階段を塞ぎ、そこは一様に暗かった。
恐らく、殺人が起こった場所になど居られないと収容者が抗議し、仕方なくこの場所を一定期間閉鎖状態にすると決めたのだろう。それもまた、仕方の無い事ではある。
用心のために能力者を配置していたのに、その用心棒が殺されてしまったのでは誰もが不安になってしまう。収容者は皆怪我をしているが、少なからずとも犯罪を犯している。
大多数は人の命を弄び、罪を償うと言う意味では殺されても仕方の無い人間ではあるが――――賊に殺されては意味が無い。
政府が『裁く』事で死ななければ、その命は全くの『無駄』となる。非人道的と蔑まれようとも非常識だと石を投げられようと、また誉められようとも讃えられようとも、そこに属す人間には何も反論することは出来ない。
それが政府の決定である為に。
――――まだ拭いきれて居ないような血の臭いが鼻腔を刺激する。ナツメは能力を展開し、即座に暗闇に目を慣らして足音を慣らして前へと進む。
すると、先ほど映像で見た場所が其処にあって――――血染みになっている壁が、床がそこにあった。
通路の両脇に並ぶ個人部屋。灯かりは照明しかないと言う閉鎖的造りは、『脱獄』と自殺防止、それと侵入防止のためである。今回に限っては、それもあまり意味を成さなかったのだが……。
――――二つ、鍵の掛かっていない部屋があった。ナツメは警戒しながら耳を澄ませ、本当に誰も居ないか確認した後、手前の部屋へと侵入する。
するとそこは――――。
「あのっ!」
突然声を掛けられてナツメは肩を震わせた。心臓が驚いて一瞬停止したかと思い、また思考は一瞬にして白紙に帰る。
目が慣れたとは言え、暗闇の中、視点を変えた場所を直ぐに認識できるはずも無く、故にその部屋の中を見ることなく振り返ると一人の男が引け腰で立っていた。
「……なんでしょうか」
「第五病棟管理責任者様が、貴方の……」彼は言いよどみ、一つ咳払いをしてから捲くし立てるように言葉を続ける。「能力者の意見が聞きたい、と言っておられるのですが如何でしょうかっ!?」
この場の捜査に来たのは恐らく一般警察機関だろう。委員会が出るまでも無いと考えていたが、能力者が関係していると判断されて――――先ほど、課長室に呼び出された者たちが捜査担当に選ばれた。
本格的に活動するのは明日だろうか。彼にはわからないしどうでも良いが、少なくともその責任者は、殺し殺された能力者と同じ存在である彼に意見を聞きたいらしい。
「わかりました。それでは申し訳ないのですが、案内を頼みます」
安堵したように頷く男。それほどまで威圧を掛けられていたのかと思いながら――――ナツメは部屋を一瞥し、それから急かされるように呼ばれたので先を急いだ。
――――結局、彼は明日には綺麗に改装されているであろうその部屋を見ることが無かった。見れば彼の、少なくとも人間に対する考えが根底から覆されるような有様を。
ナツメは男が意図的にソレを止めたことにも気づかず、責任者との話を望み――――明日にはまた違う仕事が待っている。そんな事を考えて、また疲れるだろうなと。
次第に明るくなって行く階段を降りながら考えて、軽く息を吐いた。