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2 ――胎動――

――北地区ノウスシティ第四区画。二二時三三分現在――



 騒ぎが終えてから街に戻る頃は、既に夜も更け始めていた。


 商店や民家には被害は無かったのだが、通りの凄まじい削り跡はその戦闘がどれほど激しかったものかを物語っていて――――同時に、その当事者を発見させた。


 それから色々と街人が当事者それをどうするか短く話し合った結果――――。


「……はぁ」


 不運ここに極まれリと、服の代わりに包帯を纏うソレを眺めながら彼女は溜息をついた。


 結局、第四区画の平民代表者の娘である彼女が彼を引き取ったのだが、一向に目を覚ます気配が無い。治療をしてからややあって、それは風も無いのに髪を掻き立たせては、また何事も無かったように静かになる。


 やはり能力者で何かが発動したのだろうと思い、ソレが持っていた拳銃を構えながら男を見ていると、その瞼はピクリと動いて――――。


「……目は覚めたかしら」


 ――――気がつくと其処は、見知らぬ場所であった。


 見知らぬ天井。直ぐ近くの窓からは月明かりが差し込み、身体を包むのは暖かな布団であり――――同時に、記憶は蘇る。


 アキラと名乗る、同年代らしき男に叩きのめされて……見逃されたこと。


 委員会本部へは時間が経っている為に急がなくとも良いと考えてはいたが、テロ行為が続発した事態を見てはそう悠長に構えては居られない。


 だから彼――――ナツメは眼を見開いて身体を起こそうとすると、そんな声が掛かったのである。


 ナツメは布団を剥いで起き上がると、隣には月明かりに髪を紫色に照らせる女性が、彼の自動拳銃を向けて立っていた。


「……迷惑を掛けた様だな」


 気を失った場所が場所であるために、治療を施してくれた彼女も巻き込まれてしまうかもしれない。そう言う意味であれば、迷惑をかける様だな、とこれからの事も心配して声をかけるのが正解である。


「自分が一体何者なのかを正直に語った上で、通りの修繕費を出してもらえないかしら」


 どうやら身元を示すものを探すために荷物を漁ったのだが、目的のものは見つからなかったらしい。だからナツメは、言ってもどうせ信じてもらえないであろう事を、ベッドから立ちながら口にする。


「治安維持委員会、中央地区委員。所属は第三課で、能力者だ」


「……、本物を呼んで来いと受け取って良いのかしら」


「むしろその方が助かるが……」


 乱雑に、と予想していたが存外にしっかりとハンガーで掛けられていた衣服を着て、そして素直に銃を差し出す彼女からソレを受け取り、ホルスターに突っ込んでから、


「殺されるとか、思わないのか?」


 荒らされるどころか綺麗に整えられていた荷物を背負い、外套を羽織りながら聞く。すると彼女は、後方にある扉へと視線を向けながら、


「物理的に、貴方には出来ないからね」


「そうだとも!」


 突然、彼女の言葉に同意する男の叫びがあって――――向けた視線の先で空間が揺らいだ。


 何が起こっているのかと考える暇も無く何も無い空間から、透明に見せる衣を脱ぎ去ったように現れた男はズカズカと大股でナツメへと歩み寄っていく。


 そんな男にナツメは少なからず気圧されながら、彼女の言葉を聴いた。


「言い忘れたけど、お客さん」


 特にそれ以上紹介されるわけではない男は、ポケットから財布を出し、そこから適当に札を抜き取ると振り向きもせず、彼女に押し付けるように手渡した。


「課長が呼んでる」


 何でもないように、まるで外で待っている人間に呼んでくるよう言われて遣わされた様に言いながら、彼は柔軟な金属で覆われている戦闘用スーツの胸元を開ける。


 彼のスーツは東京より北にある、発展した開発地区より蘇った新技術の試作品である。景色と同化するというより、姿を透明に見せる技術。ただし激しく電力バッテリーを消費するので、未だ実戦段階には到達していない。


 そんな極秘兵器を彼が持っているのは、それが彼の仕事の一つだからである。


「わかった。すぐ行こう……。世話になったな」


 ナツメは仏頂面でそれだけ告げると――――男は馴れ馴れしく肩を組んで、


「すまんかったな、娘さん」


 そんな台詞の直後――――二人は一瞬にして、姿を消した。


 まるで元より、その場に居なかったように感じるほど早く、自然に。


 これが能力者かと、彼女は目の当たりにしたソレを反芻しながら、渡された札を握ったままその場を後にした。



――中央地区セントラル第二地区。二二時五○分――



 天を衝くように聳えるビルは、治安維持委員会三課のものである。


 暗き闇に明るく伸びる。街もネオンが妖しく光っていて――――久しぶりに来て見るとやはり別世界のようだと感想を漏らすナツメに、笑いながら肩を叩く瞬間移動能力者テレポーターは共にビルの中へと入っていった。


 それから共有シャワー室で汗を流し、着ていた服を洗って代わりに、適当なシャツとズボンを身に着けてナツメは男の後を付いて行く。


 アキラに与えられた怪我は――――彼女の治療がよほど効果があったのか、全て消え、完治していた。実は無意識下で命の危機を感じ、能力が自動で発動し自然治癒を強化した、打なんてことには一切気づいていない。


 自動垂直移動型箱式人用昇降機エレベーターに乗り込み、操作パネルを弄ると間も無く扉が閉まって、妙な加重が身体を襲う。足元が高速度で上昇しているのをなんとなく感じていると、そう間も無く小さな衝撃と共にソレは止まった。


 一階から二五階まで並ぶ階表示は、二三階をオレンジランプで点滅させて現在地を示していた。


「あ、そうそう」


 出ると、真っ直ぐ伸びるだけの廊下。右手は全面ガラスで、暗闇にネオンの輝く綺麗な景色が広がっていた。


 その中で、思い出したように男はポケットをまさぐって――――携帯端末型高性能無線機をナツメに手渡す。


 今まで持ち歩いていたものとは少しばかり形状が異なるそれは、黒というシックな色に重さを魅せて、強化プラスチック製で頼りがいがあり、また手に収まる程度の大きさであった。


「GPSがずっと砂ん中指すからてっきり死んだかと思ってたんだが、まぁ、生きてて良かった」


 外国の技術と手を組んで宇宙空間に放り投げられたままだった衛星と接続し、GPSをある程度まで復活させることが出来ている。衛星はその昔に開発された完全なる永久機関で電力を自給自足する上に、AI活動によりある程度の故障も自動修復するので可能となったのだ。


 それにより、現在の科学技術がより進展したといっても過言ではない。


 渡された無線機にはそれ以外にも、液晶画面だけだったものが何も無い空中に大きな画面を映し出し手動タッチで操作できるようになったり、委員会所属証明書をデータで保存していたりなど、より便利なモノとなっていた。


 こんなものは図らずして高価となる。ナツメが東京に戻ってくる前の仕事、開拓村の手伝いで自分より強い能力者を倒した際の報酬の何倍もの品物である。


 決して支給されないというものではないが、渡されるものは大抵――――A級か、それ以上、またはB級で高く評価されている能力者、または委員ばかりである。


 そんなおよそ手の届かないものを渡されたという事にナツメは素直に喜んで、また、然程評価されていない自分がコレを渡されると言う事は、今までが評価されて――――今まで以上に過酷な仕事を課せられるのだろう。


 考えると、酷く気が落ち込んだ。


「過剰評価って奴だ」


 だからナツメは、そのこの時代では貴重な木製の両開きの扉の前に来て、男に無線機を返そうとするのだが、


「お前は自分を過小評価しすぎてるだけだ」


 聞く耳も持たずに――――男の手によって扉は大きく開かれた。


禿高はたか、夏目、共に戻りました!」


 強い照明が天井から光を落とす。明るい中、全面ガラスが鏡のように彼等の全身を写すその中で、二人は真っ直ぐ役員机へ。そこに腰掛ける、一人の男の下へと歩み寄っていった。


 妙に足音が響くように思われたが、それはナツメがあまりにも緊張し、無意識の内に耳を澄ましていたからで――――ソレに気がつくと、心の準備をする暇もなく彼等は課長と呼ばれる初老の男の前へとやってきていた。


「ご苦労」


 渋い声が空間に広がる。歳より老けて見えるのは、頭の中ほどまで禿げ、そして残る髪さえも白く染まるからであろう。


 その割にはそう皺の無い顔で、彼は禿高からナツメへと視線を流し、続ける。


「私はお前に正当な評価をしているぞ」


 聞いていたのか、話を掘り返すように課長は口を開いた。そんな台詞に肩をびくりと弾ませると、課長は楽しげに、


「だから非常に危険な外への仕事に向かわせている。お前が今まで倒してきた能力者のランクでも確認してみるか……?」


 単なる捨て駒だとばかり……。素直に湧いてきた言葉だが、口に出すことは出来ずにナツメは飲み込んだ。


 それに、わざわざランクなど確認せずともナツメは大体覚えている。誰もが自分より優れた能力を、自分よりも訓練を重ねて強化し、自分よりも自在に扱っていたのだ。


 その実力は、ABCなどで区別するにはあまりにも勿体無い力の数々であったが――――無論、ナツメがソレに対峙して生きていると言う事は、全てを打ち負かしているからである。


 だからこそ、今回の事は例外過ぎて頭にくるどころか、寧ろ冷静に、生かしたことを後悔させてやるとばかりに胸の奥で炎を滾らせているのだが。


西篠にししのと言ったか。先週の貴族誘拐、資産横領事件の際に居た奴隷は。奴の電撃エレクトロニカはそれだけでB級モノだが、実力としてはA級だ。今は政府の医療機関で怪我が完治した後、拷問に掛けられる」


「こう、『ザ・戦闘向き』って能力じゃないのに、良くやるなぁ。筒井と言い、コイツと言い……ねぇ課長?」


 そんな禿高の台詞に短く息を吐いた課長は、次いで苦い顔で言葉を吐いた。


「お前も戦闘向きではないが、良くやっていると評価している」


「ですよねぇ」


「それが無ければもっと良いのだがな……」


 痛い頭を抱えながら、課長は話を切り替える。同時に背筋を伸ばすので、ナツメも釣られて背中をピンと張って直立した。


 彼は机の上で手を組みながら、じっとナツメの目を見て口を開く。


「開拓村から今までのことを、かいつまんで説明してくれ」


 言われてナツメは頭の中を少しばかり整理してから、ソレに答えていった。



――南地区サウスシティ第二区画。二三時○○分現在――



 過激派の朝は早い。


 外は未だ暗く例え日が跨いでいなくとも、彼等が目覚め、活動を開始すれば何時であろうともそこは朝になる。


 彼、アキラもその中の一人であるが、彼は過激派の一味と言うわけではない。


 いわゆる便利屋と呼ばれる、仕事に見合った金を貰えればなんでもすることを稼業としている人間である。


 だが――――その日の昼、ナツメとの戦闘を経て彼は心変わりを始めていたのだが、それは彼自身も気がついていない。


「……」


 アキラは無言で腰のベルトに拳銃を突っ込んで、暗い室内を歩く。過激派が雑魚寝する其処を跨いで、そっと、起こさぬように外に出た。


 玄関のドアは錆びた音を上げて、眩しい月明かりを部屋に取り入れた。アキラは外へと身体を滑り込ませて、また静かに扉を閉める。


 寂れたアパートの一室。治安の悪い南側は、それ故に彼等にとって最も動きやすい場所であった。


 夜は極端に気温の下がる砂漠の海の中。例え街の中でもソレは変わらず、アキラは身震いしながら外付け通路の二階部分から飛び降りて――――能力で手すりに強く反発し、その勢いで屋根の上へと昇り上がった。


「寒っみぃ」


 高きに上るとより風は強くなり、身体の熱を狡猾に奪っていく。だがその代わりに、何処よりも近くに見える満月は、どんな高い場所で見るよりも手が届きそうな気がした。


 アキラは身体を抱くその手を空へと伸ばし、そして月を掴むような素振りをする。そらに突き上げる形となった拳は――――無意識の内に自分が見てきた難民を思い浮かばせた。


「馬鹿となんとかは高いところが好きってのは、どうやら本当らしいね」


「おいボカす所が違ェぞ。俺は煙か」


 アパートを見上げる一つの影。アキラはその声に反応しながらまた飛び降りて、地面に衝突する直前で大地に反発し、衝撃を和らげてからそこを踏みしめた。


 腰まではあろうかという長い髪の先をリボンで纏め、風になびかせる女性は悪戯っぽく微笑んだ。


 まつげが長く、大きな瞳がより大きく見えるのが特徴的な彼女は大人っぽい体つきで、さらにソレを魅せる様に清楚なスーツ姿で立っていた。


「悪いけど、仕事を頼むわ」


 言いながら、一枚の紙をアキラに手渡す。彼は風に飛ばされないように強く掴みながら、月明かりでソレを読み上げた。


「……救出任務で百万だぁ? 随分と羽振りがいいじゃねぇか。どうしたんだ?」


「ちょっと大きな仕事だから……」


 彼女は言いながら、背を向ける。付いて来いと語る背に、アキラは短く溜息をついて後を追った。



――中央地区セントラル第五区画。○一時五八分現在――



「早いけど長い!」


 過激派が密かに見つけた地下通路は、通るといとも簡単に中央地区へとやってくることが出来る。そこは電車のレールがあることから、地下鉄の跡なのだろうと考えられた。


 地下なので音も気にすることが無く、自動二輪の騒音も気にならないので本来ならば考えられなくらいの速さで其処へと到着できたのだが……。


 彼等が居るそこは、国立病院である。今日本にある病院の中で最大級とされ、政府が全てを統括している故に出入りすらも厳しい場所。


 噂によると、刑務所や留置所よりも厳しいらしい。


「でも外を歩くよりは遥かにマシ……。それよりも、しっかりと頼むよ?」


 顔写真の載る依頼伝票を片手に、彼は面倒そうに欠伸をかいた。


 そこに記されているのは第五病棟二○八病室と、二一二病室にそれぞれ居る西篠という能力者と、呉氏崎という女。どちらも、この間の貴族誘拐、人身売買、資産横領事件の主犯格である。


 最も、前に言ったようにアキラはただ純粋に、悪の権化たる貴族を懲らしめた、程度の認識し貸していないのだが……。


 要は――――こちら側の情報を吐かれる前に二人を回収して来いという仕事である。忍び込むには少数精鋭が基本。数が少なければ見つかる危険性もその分減って、そしてアキラは今待機している過激派の中で一等強い。


 申し分ないというところであった。


「ダメだったら始末しろって言われてもなぁ……」


 伝票の最後に記してある注意書きに目を通し、それを雑にポケットに突っ込みながら溜息をつく。


「俺は仕事を完璧に成し遂げる男だっつーのによ」


 言いながらアキラは――――玄関の前に待機していた警備員二人に瞬間的に肉薄し、ほぼ同時にそれぞれの顔面に拳を叩き込む。


 うめくことすらも忘れて倒れる警備兵を適当に放置してから、アキラは忍ぶ様に中へと侵入する。


 ――――それを遠目に見る彼女は、早くも胸に不安が募っていた。


 ――――中に入るとそこは異常なまでに静まり返っていた。


 歩く度に床が軽い音を鳴らす。薄暗い其処は壁の足元に点けられる非常灯と、オレンジ色の鈍い光だけが唯一の可視光線である。


 こんな時ばかりは――――超感覚や絶対知覚などの、周囲を感覚だけで把握できる能力がうらやましいなと素直に思いながら、アキラは出入り口付近の壁に貼ってある院内全体図を眺めた。


 しかしやはり、それだけだと分からない。当たり前のことも試してみてからでないと納得できない彼は、そうしてからポケットに突っ込まれた懐中電灯でソレを照らす。


 だがやはり――――図面だとイマイチ理解し難い。だから彼は、階段の場所を覚えてから先を進んだ。


 行き当たりばったりがいつもの彼にとって、逆に作戦などを立てる方が調子を狂わせるのだ。


 アキラは何が起こっても、どのような障害が、壁が現われようとも『突き破る』つもりである。


 殊彼に限り、それは大いなる過信ではなく信頼すべき自信であるのだが――――。


「誰だ!」


 仕事内容によってはそれが足を引っ張ることもある。 


 広いロビーを曲がるとアキラの懐中電灯はすぐそこに居た警備員を照らしていて――――。


「紳士だよ」


 アキラは楽しそうに笑いながら、また、たったの一歩で眼前へと迫ると同時に懐中電灯で男の顎を叩き上げる。


 激しい打撃音に、歯を強く噛み合わせる音が響く。その後に警備員のうめき声が耳に届いたので、アキラはすかさず懐中電灯を持ち直し、その尻で天井を崇める頭を殴り落とした。 


 また衝撃が痛々しい炸裂音を鳴らして――――大きくバランスを崩した後、それは体を鈍感に揺らしてから床に崩れた。


 面倒だ……。アキラは酷く憂鬱そうに息を吐くと、警備員をそのままにして、階段があるであろう場所へと駆け足で向かっていった。


 順調に静か過ぎて不気味な廊下を進み、階段を上って二階部分へ。


 先ほど警備員と出くわしたことなど既に忘れてしまったのか、それともお構いなしなのか。アキラは懐中電灯の光で辺りを照らしながら、また階段を上り続けて――――五階へ。


 だが恐らくそこはまだ『第五病棟』なる場所では無いだろう。入ったばかりであるし――――恐らく其処は、特殊な場所のはずだ。


 少なくとも能力者が居る。それを一般人でも簡単に抜け出せるような場所に置くはずが無く、またそもそも容疑者である。


 だからそこの警備はここの――第一病棟の――ものよりも厳しいだろう。能力者を警備に当てていてもなんら可笑しくは無い。


 だとしたら、面白くなる。


 アキラはふと浮かぶ笑顔をそのままにして、存在するであろう渡り廊下を探した。


 すると間も無く、廊下の曲がり角から人工的な光が床を照らすのを見る。アキラは面倒そうに小さく舌打ちをして、適当な病室の扉を開け、そこへ身体を滑り込ませて身を隠す。


「……、なぁ今誰かの足音しなかった?」


 遠くから響く声は小さく耳に届き、そんな男の疑問は相方と思わしき別の声が否定した。


「んな分けないだろ、ば、バッカだなぁ!」


 怯える声は廊下に反響する。アキラは軽く息を吐きながら、点けっ放しであった懐中電灯でついでに中を見ると――――何事かと目を覚ました入院中患者がベッドから身を起こしてアキラを見ていた。


「……、……」


 いつもの彼ならばそもそも隠れなどせずに、突っ切って目標へと迫る。だが今回ばかりはその目標を知られては困るのだ。


 仕事を完遂するのが彼の仕事。その目標の命を尊重することは前提条件故に、それを人質に取られてしまえば名折れ覚悟で目標諸共殺すしかない。


 だからこうして、瞬時に無力化できなければわざわざ身を隠しているのに――――個人部屋の中にいるその男はそっと、眩しげに懐中電灯の光を受けながらナースコールへと手を伸ばしていた。


「待て、ああ、待てよ落ち着け。怪しいもんじゃない……つっても信じねーか」


 それじゃ。彼はその場でそう呟いた直後――――地面を弾き、瞬く間にその男のベッドの上に飛び乗ると同時に腰から拳銃を抜き、その頭に銃口を突きつけた。


「第五病棟ってどこだ?」


「だ……、第、五……?」


 アキラが聞くと、男は戸惑ったように、喉が張り付いたように途切れ途切れに言葉を紡ぎ、それから唾を飲み込み喉を鳴らしてから、台詞を続けた。


「お、おお、奥です。こ、こ、ここから、三に行って……」


 銃口が伝える冷たい殺気に魂を鷲掴みにされた男の言葉は、どうにも要領を得ない。アキラはソレを軽く押し付けながら、


「わかんねーよ、三ってどっち。右? 左?」


「病棟ごとに、建物が分かれてて……、ご、五角形です、五角形……」


 恐らく彼が言いたいことは、第一から第五までは離れていて、それが五角形を形作るように配置されているということだろう。離れているといっても渡り廊下で繋がっているのだが、夜間である現在は防犯シャッターで封鎖中である。


 だが彼は、その事に一切感づかずにイラついたように返した。


「じゃあ屋上には、どうに行く?」


 男は言われて、恐る恐る――――アキラが入ってきたスライド式の扉を指差した。


 そんな本気か冗談かも知れぬ行為に、アキラは思わず軽く笑ってから、


「まぁいい。好きにしな」


 男から拳銃を離し、また腰に戻すとアキラは素早くそこを後にする。残された男は呆然としながら――――暫くして、何もなかったと自分に言い聞かせながら布団の中に潜り込んだ。


 ――――廊下に飛び出したアキラは、背を向ける警備員とは逆方向に駆け出した。


 屋上への階段が、一階から続く最上階であろう五階までの階段に無かったのは、ただ単純に存在しないか、自殺防止のために隠してあるかの二択。


 これほど大きな病院で屋上が無い、または上がれないなどという事は無いだろう。だから後者だ――――アキラは考えながら廊下を駆け、曲がり角を蹴って直角に方向転換しまた走り出す。


 すると直ぐに――――ナースステーションへとたどり着いた。


 アキラの存在を捉えた一人が驚いて悲鳴をあげ、それに驚く以下数名が連鎖的に絶叫を引き起こす。アキラは小さく舌打ちをしながら、また床を弾いて急加速し、すぐにその場から離れた。


 それから走り回るのだが――――如何してか、また元の階段へと戻ってきてしまう。


「ったく、どうなってんだ……?」


 渡り廊下どころか、上り階段すらない。


 ここへとやって来るために昇った階段は下りしか無く、上り階段があるべき場所は平らな荷物置き場になっているのだ。


 無論、渡り廊下はシャッターが閉まっていてその存在にすら気づけないのだが、彼にはソレがわからない。


 そして勿論のこと、アキラはその一周だけで随分とこの仕事自体が面倒になってきていたので――――階段を降り、踊り場にある大きな窓を開けると、迷わずそこから身を投げた。


 一瞬、奇妙な浮遊感に全身が包まれて、


「よっと」


 見慣れぬ綺麗なネオンの輝く街並みを眼下に、アキラは壁に垂直に身体を密着させて、壁を真下に弾く。


 すると足場のように現れた反射域は強くアキラを真上に浮かび上がらせて……。


 それを幾度か繰り返すと、彼はやがて屋上の、フェンスの外側の縁へとたどり着いた。


「……ったく、吐き気がするぜ」


 その台詞は高さを感じてではなく、何処を見渡しても明るい街の夜景を改めて見直しての感想であった。


 外の――――東西南北地区とは大きく違う、まるで別の世界、時代へと迷い込んでしまったような場所。そもそも電気なんて普及していない場所すらあるし、明日の食料の不安を拭えずに眠る者も居る。だというのに、この場所は……。


 アキラはまた、小さく舌打ちをしてから辺りを見渡しながら、縁を歩く。


 眺めるそこは、入院患者が言ったように五角形を形作るように病棟は配置されていた。


 見る限り、この第一病棟が星の頭というところだろう。だが――――。


「わかんねぇよ……」


 残り四つだが、その内の一つをピンポイントで当てなければならないのだ。しらみ潰しなどしている時間も余裕も無い。


 だが――――問題は然程、難しい様子は無かった。何故か、と言うと……。


「わかんねぇ……わけも、ないなぁ」


 一つだけ渡り廊下の存在しない病棟があるのだ。まるでここは危ないので閉鎖的に活動しますと言っているように。


 適当なのか大真面目なのか。難易度が高いのか低いのかよくわからない仕様に彼は軽く笑って――――敷地の左手側奥にあるそこへと、屋上を乗り継いで向かっていった。


 ――――数分を要して、彼は窓を蹴破り、第五病棟五階への侵入を成功する。


 そろそろ玄関の警備兵が目を覚ます頃だろうとなんとなく思いながら、アキラはその廊下の奥から慎重に移動する。


 懐中電灯で病室の番号プレートを照らし、ポケットの伝票と見比べて。


 存外に警備員が少ないのは、夜と言う事もあるのだろうが――――隔離病棟なのだから、もう少し警備を強化すればいいのではないか。そう、考えていると……。


 不意に銃声が対面から、前にしている廊下の奥から鳴り響いた。


「馬鹿が、泳がされていると気がつかなかったのか」


 余裕綽々の、まるで待ち構えていたというように男の声は足音と共に迫り始める。だが、台詞から伺うに、おそらく『まるで』や『ように』などの推測系助動詞は要らぬほど確定的な行いなのだろう。


「貧民のお前は行っても分からんと思うが……この世には監視カメラという代物があるんだよ」

「ワケわかんねーっつの。つーか、病院ン中で発砲すんなよ。大事な患者に当たったらどうすんだ?」


 仮にもこの病院に勤める人間だろう。アキラはそういうと、そいつは「お前が誰かの被害の心配か?」と憎しみでも込めるように吐いた後、


「いいんだよ。院内だから」

 

 そう付け足して、オレンジ色の薄暗い灯り中、それは足音を忍ばせながらも悠々とした態度でアキラの前に現われた。


 「タキシード? 俺ぁどうやら、賊と紳士を間違えたみたいだな」


 薄明かりの中では、男の漆黒色の戦闘スーツはよりその姿を認識しにくくしていたが、顔に装着しているゴーグルによってその位置は概ね把握することが出来る。


 アキラは警戒する様に構え――――そうすると同時にまた床を弾いて接近し、その顔面を殴り抜けるのだが……。


 大きく振りぬいた拳は感触を肌に伝えぬまま、その顔を突き抜けて、やがて身体ごとアキラは男を通り過ぎて行った。


 拳は――――明らかに男を殴っていたはずだ。実際に彼は、その拳が男の顔に触れたのを見たのだが、


「お前はアホか?」


 依然、男はその場に立ち尽くしたまま振り返り、アキラを小馬鹿にするような声色で台詞を紡ぐのみ。


 地面を弾き返し、身体を急停止しながら――――また素早く男に肉薄する。


 だがそれも、先ほどと同じように男が居た――――否、立っている場所をそのまま通過してしまう。男の姿は消えることが無いまま、その中を彼は通ったのだ。


「お前は――――」


 男は言いながら脇に下げられているホルスターから拳銃を抜き、その銃口をアキラに差し向ける。


 そんなものなど――――当たるはずが無い。先ほど、幻影だと確認したばかりなのだから。


 理解が追いつかぬ頭でもそれだけは把握できる。アキラはそうに相手の能力をなんとはなしに覚えて、飲み下す最中、また銃声が響き……。


 弾丸が、その位置から放たれたと考えるならば遅すぎると思われるほどの遅さ――だが客観的に見れば十数メートル分の違いしかない――で飛来して、


「なっ」


 迷わずその太腿の付け根部分へと、喰らい込んだ。


 その刹那、暗闇の中ただでさえ見えぬ弾丸は肌に触れ、肉を裂き、痛みを感じることで――――その速度、威力、大きさ、形状、その全てを彼に認識させた。


 具体的な数値で表すのではなく、大体これくらいだろうと言う曖昧な表現で、コンマ以下まで正確に理解して――――能力を展開する。


 肌にその身を半分ほど埋める弾丸は未だ止まることは無いのだが、


「らァッ!」


 『反発』能力によって、弾は勢い良く進行方向を真逆に変更して弾き飛ばされていった。


「……馬鹿はテメェだよ」


 彼の能力は、物体を弾き返す。その条件は述べたとおりの事を理解、認識した後、自身の間合いである半径二メートル以内に入り込むことである。


 瞬発的な衝撃なら一トンをゆうに超すが、持続すればそれは徐々に衰えて行く。だが完全に消えてなくなるまでは少なくとも、五分以上は掛かるので彼にとってはあまり懸念する点ではない。


「ぐあぁっ」


 反射した弾丸は、男に『反射した』という事実を認識させる前に着弾し、速度が何倍にも膨れ上がった弾丸は、容易にその腹を貫通させていた。


 男の、なるべく殺そうとする様子が伺える低い呻き声がアキラの耳に届く。その直後には既に、ソレの目の前へと彼は迫っていて――――下を向く顔に振り上げる拳を炸裂させた後、顔面を『反発』させて男を天井へと叩き付けた。


「アホか?」


 そしてまた、言いかけていた台詞の続きが聞こえたのは、その直ぐ後であった。


 緩慢に感じる時間の流れ。その中で上――天井に衝突し、落ちてくる男――を見ると、それは先ほどの幻影とは遠く違う警備員の姿。


 そうしてから、また気がつく。


 周囲には一瞬にして、複数の幻影が出現し、アキラを取り囲んでいることに。


幻影みがわり使えるのに本体がそこに居るはずがねーだろ」


 言葉の後、相槌代わりに発砲音が鳴り響き――――その額に、銃弾がのめり込んだ。アキラは上体を反らしながら時間を稼ぎ、そしてまた弾を弾くと、


「無駄って言葉。知ってるか」


 次ぐ発砲音が幾重にも重なって――――幻影が作り出す弾幕は、暗闇で弾丸が知覚出来ない以前の問題を作り出していた。


 故に――――弾丸は彼の身体に致命傷を作れないものの、確実に痛みを、傷を与えることが出来ていた。


 幻影は音も何処からとも無く響かせるのか、鼓膜を破らんとする連なる射撃音は途絶えることが無い。またソレに反して一発ずつの被弾は酷くアキラを混乱させていた。


「クソッ垂れ……」


 直線的な攻撃の為、魅せられる幻影を無視して高速で左右に移動し続けても確実に弾はアキラを貫こうとする。


 薄暗い闇の中で、一体どうやって居るのか定かではなく、また被弾ごとに足を止められるのでまともに前に進むことも出来ない。


 距離も一弾ごとに大きく変わる様で判定しにくく……、全ての状況が、彼に不都合となっていた。


 だからアキラは仕方なく――――反射による同時射撃を止めて、常に反発する力を身体の周りに展開し始める。


 すると――――弾丸は柔らかいクッションに衝撃を吸収され、軽く宙を舞ってから床に落ちる。


「ふざけた真似を」


「はっ、大真面目だけど?」


 どこからとも無く響く声。それに反応すると――――不意に、並ぶ個室の扉部分に火花が散った。


 外に付けられる堅牢な南京錠が、発砲によって破壊されて、


「なら考えがある」


 幻影が音を止めるとやってくる静寂。その中で、扉が開く音がした。


 その刹那後――――開いたばかりの扉から、一筋の蒼い電撃がはしる。


 凄まじい稲妻の炸裂音。男の小さな悲鳴に、逃げ出す足音。背後を向きながら威嚇する射撃音。そして――――また現れる幻影達。


 それから、わざわざ開けた扉から、まるで待っていたかのような格好でソレは現れた。


「やかましいお陰で目が覚めましたよ」


 全身に青い電流を流し、まるで身体が発光しているように見える彼は『西篠にししのひかる』。自家発電セルフという電気を体内で発電、あるいは外から取り入れ、その電気を操ることが出来る能力を有する。


 それは非常に強力で――――。


「これは手助けではなく、礼代わりですからね」


 彼が身体に纏った青い電流を解放すると、それらは一瞬にして天井の照明へと飛び――――驚くほど早く、その階は廊下の奥から奥までを眩い人工の光で満たされていった。


 アキラは手で影を作り、徐々に目を光に慣らしながら、西篠の言葉を聴く。


「他には誰が?」


呉氏崎ごしさきっつー女だ」


 今度の幻影はアキラを包むのではなく、遠くから自分の姿を隠すように配置されている。彼はわざと油断させるために、今度は能力を使わずに肉眼で知覚できる故に、反射神経で避けて見せた。


 肌を掠りながら弾を避けるアキラを見て、「呉氏崎……」と呟きながら弾丸を上回る速度で動く西篠。


 それから少しばかり思考して、


「貴方が何故苦戦しているか理解しかねますが、ここは僕に任せてください」


 彼は先を促すようにアキラの前に立ちふさがった。


「ふざけんな! 野郎は俺の――――」


「貴方のでも!」西篠は大声で叫んで、アキラの言葉を遮る。 「……僕の敵でもありますし」


 そして、敵が弾倉交換している隙に、西篠は振り返ってアキラに言った。


「貴方が仲間だと判断して言います。全ての判断は呉氏崎さんを助け出してからにしてくださいと」


 背を向ける西篠に、発砲音が突き刺さる。同時に迫る、先ほどより少しばかり形状の異なる弾丸は――――疾る電撃によって撃ち落された。


 光が爆ぜる。アキラはソレを合図と判断して、文字通りその場を飛び出した。


「逃がさ――――」


 男の横を飛ぶと、ソレは一斉に銃を向けて、


「代わりに僕が残っていますが」


 西篠は応じる様に電撃で全ての幻影の手元を弾いて見せた。


 そんな交わらない応酬を人事に聞きながら、アキラは伝票に書いてある部屋番号を探す。


 彼女の部屋番号は二一二。そう離れていないので、簡単に、数秒と掛からずにそれは見つかった。


 何の変哲も無い、並ぶ個人部屋の一つ。アキラは超大型拳銃デザートイーグルを両手で構え、男がそうしたように南京錠に照準を合わせ――――力いっぱい引き金を絞る。


 瞬間、強い衝撃が腕に伝わり、火花が手元ではじける。炸裂した弾丸は見事に南京錠を破壊して、アキラはぶら下がるそれを雑に引き剥がして、扉を力一杯蹴り開けた。

 

 中に一歩入り込み――――途端に、それらを感じた。


 外界の音がすべて消えたような妙な違和感。


 肌に障る酷く嫌な生温さ。


 吐き気を胸の奥から沸き上がらせる生臭さ。


 肉や血などの凄惨なソレではなく、


「……?」


 生理的、本能的嫌悪感を感じさせる生々しい――――男の臭さ。


 汗などから来る体臭ではなく、


「……ッ!」


 質素な冷たい独房。狭い室内には高床式寝台ベッドがあり――――その上では、件の彼女が横たわっていた。


 口には穴の開いた球を噛ませられていて、四肢は伸ばされたまま高床式寝台ベッドの四隅に縛り付けられて。


 身体には何も纏われておらず、そして悪臭の根源である白濁に淀んだ体液に全身は塗れていた。


 アキラは上着を彼女の上に投げ捨て、それから縄を拳銃で打ち抜くと――――彼女はようやく、悲しみに塗れた顔で目を覚ます。


 感情など捨てたように、精神など既に壊れているような表情で、そっと起きるはずも無い身体を起こそうとする。


 なのに何故だかその身体が自由に起き上がることに驚いて――――アキラが口枷を外した瞬間、彼女の頭は一瞬にして白く染まり、彼の手を強く弾いた。


 それから気がつく。自分にかけられていた上着のことに。はっと、それで彼女は彼が助けだとにわかに理解するのだが、身体がすくんで動けない。


 なるほどと――――西篠が言っていた言葉の意味が分かったアキラは嫌そうに頷いて、


られたらりかえせ」アキラは彼女にはおよそ手に余る大型拳銃を投げ渡し、「ソイツはくれてやる」


 彼女がやられたことなどは、彼女が今までにしたことに比べたら万分の一程度の苦しみでしかない。


 人身売買に、人殺し。残された家族や、売られた人間のその後を考えれば、ただ数人の――まともな性趣味の――男たちに輪姦まわされる事などは罪滅ぼしにもならないだろう。


 が、アキラは彼女のことなどはただの善人としか理解していない上に――――仮に知ったとしても、誰がどんな人生を歩もうとも苦しみなどは人それぞれだと、考えや行動を変えないだろう。


 最も、それは至極正論だ。程度さえ違えど、その気持ちは十分に理解することが出来た。罪滅ぼしにはならぬが、それだけでも自分のした事の大きさがわかる。だからそれだけでも良い、充分なのではないか。


 何が良くて何が悪いかなどは、どの時代に於いてもはっきりしない。だがそんな複雑な世界の中で――――彼女は、弱々しく、だがしっかりと、拳銃ぶきを取ることを選択えらんだ。


 ――――そもそも、尋問や拷問をするにあたっての強姦レイプなどは論外である。本来の目的を履き違えているのか、知能の低い者が相手だったのか。


 敵がどうであれ、情報を吐かせるのが重要であり先行すべき仕事のはずである。相手のプライドを折る事が近道とされ、その行為に近いものは効果があるはずだが、強制的に犯してしまうのは効果の期待は酷く薄い。最も、性的な責め自体、拷問として有効ではないのだが……。


 何かがおかしい。アキラは直感的に思いながら、彼女を眺めていた。


 ベッドから降りて、冷たい床を裸足で踏みしめながら、引き締まっている割に白すぎる身体をアキラの上着で隠していく。


 すこしばかり大きなソレを着ると、最早先ほどまで合った女の子らしく怯えた表情や雰囲気、その全てが払拭されていた。


 呉氏崎は重く、力強く遊底スライドを引き銃弾を薬室に送り込み、後は引き金を引くだけの状態にして――――部屋の外へと出るアキラの後を追った。


「――――とても第三課とは思えない。自分がどれほど無力で無様で情けなくて恥ずかしくて生きている価値がゴミ虫程も存在しないか、これでわかりましたか? 少なくとも、僕がこれほど貴方に教えて差し上げるのは、貴方が僕に色々なことを教えて下さったからですよ?」


「お、俺じゃ――――」


 立ち尽くす幻影の中力なく尻餅をついて後ずさり、壁に背を付けて喚く男の顔の横に、西篠は電撃をはしらせ遮った。


「ええ、正確には貴方じゃありません。ですが、少なくとも貴方が属する組織に関係があるでしょう。一般人には、政府の細分化組織なんて見分けが付きませんからね。組織内の誰かが人を殺せば、組織ごとそんなレッテルが貼られる」


 西篠は穏やかそうな表情で歩み寄ると、力強くその胸倉を掴み上げ――――囁くように続ける。


「そう言う所でしょう? 貴方の立つ場所は」


 怒っているのか悲しんでいるのか。感情などどこかへ消えて、思いついたままにやっているのか――――少なくとも、今の彼を見ればナツメは驚くだろう。それほどの豹変振りを見せながら、それを隠す様子も無く振り返った。


「この方の精神はズタボロです。まともに能力も操れない」


 彼の能力は、視覚妨害ジャミング


 人は物が反射する光を見て、その物体を認識する。だが彼は自身の放つ電波により、存在しない物体が『ある』という情報を無理矢理脳に送り込むのだ。そうすれば脳はその電波を認識し、実際には無いソレをあると誤認する。


 音まで表現できるのは上達の証であるが、認識妨害系能力を極めればその感触すらも騙すことも出来る。


 最も――――彼はそこまで成長することなく、今正に人生を終えようとしているのだが。


 ――――扉と扉の間の壁。逃げ場が無いそこに背を押し付け、逃げることも出来ず、落とした狙撃銃も拾えず、男はただただ、瞳孔が開いている呉氏崎の拳銃を口の中に突っ込まれていた。


 西篠は男の行く末を睨み、アキラは彼女の行動を見守る。


 呉氏崎の腕は不思議と震えることが無く――――。


「私は反省や同情などしない。貴様と同じようにな」


 男の悲鳴が漏れ出る前に、片手で構える大型拳銃の引き金を力いっぱい引いた。


 ――――飛び散る火花は瞬く間に爆ぜる肉塊に消えた。


 強く上方向へ弾かれた呉氏崎の腕は、強い衝撃に耐え切れず肩を外していた。


 ――――脳髄があたりに飛び散り、壁や床に赤い染みを作る。下あごからが残る体は直立したまま壁に寄りかかり、喉の奥から血を噴出させた。


 これでいい。血に塗れた顔を拭いながら呉氏崎は呟いて、羽織るだけだった上着をしっかりと着なおして拳銃をアキラへと差し出した。


 ――――甘い血の香りが辺りに充満する。血溜まりは早くも小さな池と化していた。


「くれてやるって言っただろ?」


 アキラは彼女に背を向けてそう返す。ぶっきらぼうに言って、来た道を戻るように歩いて行く。


 二人はそれぞれを一瞥してから、急ぐわけでもなく、その場を離れてまだ名も知らぬアキラの後を追って行った。

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