2 ――対砂蟲――
「くっそー、いい加減しんどいなァ」
広大な砂漠に弱音が一つ零れ落ちた。
しかしそれも半ばから轟音が飲み込み掻き消した。轟音の原因は、巨大な”みみず”がその身を力強く砂の大地に叩きつけた事である。凄まじい地響きが彼の身体を襲う。視界がブレて、仲間二人の姿がいくつか重なって見えた。
硝煙の臭いが鼻につき、砂煙が視界を淡く薄れさせる。出水保孝は嘆息した。
サスペンダーで肩から吊り下げるチェストリグのポケットから小銃の弾倉を取り出し、入れ替える。小銃から振って落とされた空の弾倉が大地に落ちると同時に、彼は走り出した。
目の前には巨大に聳える、楼が如きミミズ。大昔、まだ大地がこれほどまで枯れる以前、未確認生命体で『モンゴリアン・デス・ワーム』と言うのが居たと夏目鳴爪が熱意逞しく弁を振るっていたのを思い出す。彼が見せた想像図は今目の前にしている、恐らく半身も見せていないであろうミミズの体躯に酷似していて、思わず溜息が出た。
もし――この大地が砂漠になった原因の影響で、冗談めかしくその存在を語られていたモンゴリアン・デス・ワームが実際に生まれてしまったのだとしたら。この今目の前にしている砂蟲がそうなのだとしたら――このミミズは人を容易に殺傷する毒を吐く。あまつさえ、電撃を操るらしい。
そして雨季の短い間に姿を現わすらしいが、雨季はなにしても偶然、数キロ南に進めば水を蓄える村がある。
「ダメですわっ! 私の弾が弾かれる!」
リロードの為に後退し、そして入れ替わるようにすれ違うエリック・ジェーンは報告を悲鳴混じりに口にする。出水はただ「お疲れ」とだけ返して、脇に抱えた小銃を構えなおした。
しかしデス・ワームは砂の中に隠れていて、得物が近づいたらその強烈な毒を吐き一撃で仕留めるらしい。さらに、今対峙するこの三人は中々に素早く、砂蟲自体の攻撃は一度も当たってはいない。だというのに、この砂蟲はその得意とするらしい電撃で動きを止めようとする素振りは無い。静電気の放電すら確認できていない。
ならば偽者だ。
出水保孝はそれを確認、確信してから、トリガーに指をかけた。
砂蟲の生え際で時代遅れ気味の大剣を力いっぱい振るう涼谷涼子は、その鋭い斬撃が甲殻に接触する瞬間、甲高い音と共に火花を散らし、大剣を弾かれていた。そして恐らくその刃が深く食い込んだ瞬間に効果を見せるであろう爆焔が、タイミングをずらして空中で瞬いた。
その度に砂蟲は苛付いたように身を震わせる。その行動は砂を吹き飛ばし、砂塵を起こす。そしてその間に砂蟲は瞬間的にその身を砂の中に隠して――。
「出水、出現ポイントッ!」
涼谷が叫ぶ。
出水は言われるより遥か以前に能力を酷使して、直径数百メートル内に、人間に対して負担にならぬ程度の重力を足す。加重は大地に手のひらを当てるような仕草と同様の効果をもたらし――故に、地中十数メートルに潜り込む砂蟲がこの砂漠中を泳ぐのを、どこをどの程度の速度で移動しているのかを、認識することが出来た。
そして今感じ取ったのは――自分の足元で、その胎動が終えたことだった。
「ここだッ! そして……」
出水が強く、踏ん張りの悪い砂の大地で腰を落とす。僅かに上がる砂煙が、その中に確かな砂の粒を浮かび上がらせ――それはただ浮き上がる勢いに任せて上昇し始めるだけで、落ちる事を忘れたかのようだった。
出水は続けて言葉を叫ぶ。それを精神的スイッチにしているかのように、それが能力の発動をきっかけにするように、出水の声は高らかに響く。
「反重力区域……だッ!」
得意気な笑みを顔に浮かべ、その瞬間――出水の足元は半球状に盛り上がる。その巨大さは詰めれば五人は容易に立てるであろう広さを持ち、その球体は瞬間的に楕円形になった。出水の視界は数瞬の内に高くなって――上昇は、止まる事を知らぬように、地中から飛び上がる砂蟲は延々と砂の中から吐き出され続けた。
出水を中心とする直径数百メートルは、重力操作が容易に利く。しかしそれは単なる円形だけに留まらず、円柱や立方形でも、その領域は任意で展開できる。故に、この砂蟲が地中で自力で自身の身体を支え勢いを止めるか、全長が出水の能力が届かぬほど長くなければ、無防備に重力の失せた空間に打ち上げられるのだ。
そしてこの調子で行けば恐らく思惑通りになるであろう事を、出水は確信し――エリック・ジェーンは対物狙撃銃を組み立て、弾を装填し終え、匍匐態勢で銃を構え、そのスコープで様子を窺いながら、額から流れる汗を感じた。
涼谷涼子は空へと舞い上がる砂蟲を見ながら、背筋を凍らせ――何も知らぬは、ただその頂上にて勝利を確信した出水保孝だけとなった。
「敵が未知であることを忘れないで欲しいな」
仲間の危険はその個人だけに留まらず、グループ全体に支障をもたらす。砂蟲と対峙する前までそれを考え危惧していたのは出水保孝の方であったが、それを知ってか知らずか、涼谷は呆れ半ばに呟いた。
彼女が見上げるのは、先ほどまで寸胴だったその、どこからが、そしてどこまでが腹か分からぬ部分から、にょきりと言わんばかりに内側から鋭い二本のはさみを持つ腕が、外側の甲殻をひっぱり、まるで全身タイツを着込むかのように包まれて出で生やされた、その体躯だった。
そんな現象が立て続けに起こり、今では出水から一メートル下から約一メートル毎に、その長くて細い、鋭いはさみを持つ腕が右脇、左脇とセットで羅列するその姿はさながら、ミミズからムカデへと進化したようだった。
これで恐らく対人戦闘能力は、格段に上がってしまった。
これが元々持つ砂蟲の生態なのか、状況に応じて任意に進化した姿なのかは現状では判別付かない。だが状況が悪化した事は明らかだった。
瞬間的な攻撃力だけならば弾丸を超える大剣の、その強大な一撃を弾く甲殻を持つ砂蟲は、今までの受動態勢から能動態勢へと変動したのだ。今までの行動が全て防御のためだったのだと、嫌でも思い知らされたのだ。これからの行動は完全なる未知で、これまでの行動が全て無駄になったのだ。
「悪い冗談、ですわね……」
弱音の一つくらい零したところで何が変わるわけでもない。だがそれを呟いたことによって、エリック・ジェーンはこの目の前で起こったことが現実だと、頭の隅にまで刻み込まれた。嫌な感覚だと、心中呟いて、引き金に指をかけた。トリガーはまるでトリガーガードに接合しているのかと思ってしまうくらい重く、ジェーンはそこから、この銃がどれほどの破壊力を持つか、その反動がどれほど自身の身体を蝕むか、軽く想像した。
それから意を決してインカムから出水に、自身の位置から直線で砂蟲の頭部へ、無重力の領域を作り出せと指示をだそうとしたが――インカムなど最初からつけていないことを思い出した。雑音を入れぬよう、イヤホンを耳に押し付けようとしたその指先が、虚しく軟骨を押した。
――そういえば、砂漠戦は今回が初めてだな、と。そう考えた、瞬間。
スコープの先の出水はようやくその異変に気付いたのか、慌てふためき、小銃の銃口を砂蟲の額に押し付けたまま硬直していた。なぜそれに気付けたのか。彼女は疑問を抱きながらその砂蟲の足元へと視線を移し――無数の細かい足が、その足元の砂に張り付いているのを見て、気分を害す。
おぞましいほどの数の細やかな足がまるで小さな虫の群れに見えて、鳥肌が立った。首筋が痒くなり、首元まで絞める対衝撃スーツのファスナー越しに、力強く肌を掻き毟る。歯を噛み締め、彼女は思わず足元に向けて狙撃しそうになった。
恐らく、その砂中の身体の表面にも同じように無数の触手が如き腕、ないし足がコケのように生えて、砂に対する抵抗を強め摩擦を生じさせているのだろう。そして勢いを殺し、今現在完全に停止した。それを成功した。そして今分かった。
この砂蟲には知能があるのだ、と。そしてこの砂蟲は進化しているのだ。この闘いの中で。僅かなる時の中で。自分に、この状況に見合った変化を即座に反映させているのだ。
どうすればいい? 彼女は自問する。その引き金にかけた指から、力が抜けるのを感じた。
本来ならば一撃で、進化する暇も無く殺すのが一番なのだ。というか、それしか退治する手段が無いと考えるのが妥当。であるのに、今は時間を与えすぎて、不利な状況へと導かれてしまった。
相手の生態を、弱点を考えるなんて暇も無く、ただ攻めるだけ攻めて、その分だけ弾かれ逃げられ、今に至る。外傷はないにしろ消耗は激しく、故に事態は最悪だった。
倒せるのか? 疑問は解消されることなく、ただ募る。彼女は戦闘開始前まで浮かれていた自分を殴り飛ばしたくなった。
「――足が生えた? つまり進化って訳か。この戦闘中に成長しているだと? 恐るべき速さで、人間など最初から眼中に無かったように。まるで小ばかにするように」
いや、進化したと考えるならば、ミミズは間違いだ。言うなれば芋虫だと言うところだが――出水はそこで、言葉を飲み込んだ。
「だから、だったら、なんだってんだッ!」
砂蟲の額に突きつける小銃の銃口から、おそらくあるであろう脳髄まで、レーザーサイトよろしく超重力の領域を管のように展開させて突き刺した。もはや零距離であるが為に空気抵抗の心配も無く、どの程度の加重に弾丸が堪えられるかなんて考える必要も無い。
セーフティを外し、そのまま三点バーストから全弾解放に切り替える。出水はその最中で大きく息を吸い込んで――地上十数メートルの、足場が酷く不安定な其処で、銃口をその鉄が如き硬い外皮に捻じ込むようにして、引き金を全力で絞った。
刹那、一度、手元を思いきり蹴飛ばされたかのような衝撃が走り、銃を押さえ込む全身が大きくブレた。反動で押し返される銃底が腹部を殴打する。が、そんな態勢が功を奏したのか、それ以降体は体重によって固定され、銃はその支点となった。
その銃口の先からは岩を砕いているような手ごたえがあって、激しい砂埃が彼を覆う。だがその中で、その空気中で、僅かな湿り気を感じた――瞬間。
視界の端に、黒い影が走るのを垣間見た。
「んなっ」
思わず声が上がる。驚きに肩が弾む。油断した所為で、銃底が腹に食い込んで痛みが増した。が、次の瞬間、そんなものでは比較にならぬくらいの激痛が、襲い掛かる。
「んで――」
黒い影が走る。だがそれは肉薄する事無く、また一瞬にして姿を消した。だから見間違いなのだと考えた。水分が圧倒的に足りぬ頭が見せた幻想なのだと、そう思ってしまった。
しかしその右腕に焼けるような熱さを覚えて彼は、先の幻影は実際に存在していて、知覚する暇も与えずに攻撃を終了したのだと、再認識する。そしてそれを理解したその刹那、バランスの崩れた身体は銃撃の衝撃に踏ん張りきれずに、宙に舞い上がった。
気がつくと引き金を絞っていた右手はその身からは失せていて、小銃を掴んだまま彼のやや右斜め頭上を飛び上がっていた。確かな液体となる血を周囲に撒き散らしながら、そしてそれが先ほど感じた”空気中の湿り気”なのだと覚えながら、切り裂かれ失せた右腕の付け根を、その空中で虚しく掴んだ。
火傷をしてしまいそうなほど熱い液体が手のひらを覆う。粘り気のある、錆びた鉄を思わせる、だがどことなく甘さを含む香りが鼻についた。
出水保孝はそんな右腕損失に気を取られ、空高くに放り出された瞬間、先ほどまで酷使していたその能力を解除して――砂蟲とともに、広大で、酷く枯れ果てている砂の大地へと、飛び込んだ。
「――頭部損傷、ダメージはデカイが……こちらの損傷も大きすぎる」
涼谷涼子は仕方無しに引っ張り出した、携帯式の対戦車榴弾発射筒を肩に担いで呟いた。
紅く染まる出水保孝は宙を彷徨う。誰かが受け止めなければ、本来柔らかい筈の砂上が一時の衝撃によって岩のように硬化し、そんな大地に叩きつけられ、恐らく絶命する。しかし、受け止める方もこの高さならば無事ではすまないだろう。
もし立場が逆であれば、出水はその重力操作の能力で容易に助け出したであろうが……。
しかし、彼が半ば不可避の一撃を得るまでに与えた損傷は、頭部の一部を吹き飛ばすほどのものであった。出水自身はそのダメージの所為で確認できていなかったであろうが、超重力によって弾き出された弾丸が純粋にその外皮を削り、そしてぶつかり合った衝撃を利用して砕けた鉛玉が、さらに内部での破壊をもたらしたのだ。
そして”痛み”に堪え切れなかった砂蟲が、障害を排除するために攻撃をした。
その攻撃は圧倒的な速度を持っていた。遠目に、「あぁ攻撃するな」と直感的に認識しなければ攻撃自体に気付けぬ速さで、そして数秒の間何が起こったのかもわからぬその鋭さで、全てを終わらせる。
脅威的だった。
そして普通ならば、ここで退くべきであった。
最優先目標は既に終了しているし、食料も水も最初の接触で全て砂の荒波に飲み込まれてしまった上に、弾も、現状の砂蟲と退治するには不十分すぎる。さらに砂蟲に対応できる威力を持たぬものが大半だ。付け加えて三人の戦力のうち、リーダーが真っ先に戦闘不能になった。残るは無力に近い接近タイプと、距離を詰められたら為すすべも無い遠距離狙撃タイプである。
勝てるわけが無い。そもそも、こんな人智を凌駕する化け物に勝てるものなど、最初からいなかったのではないか?
「ありえない、クソッタレ……ッ!」
愚痴が零れて、始めて自分が全てを諦めてしまったことを理解した。
こんなのは自分らしくない。否、こんな圧倒的に負けることなんて今まで無かったのだから、新しい自分の一面とでも言うべきか。
涼谷涼子はそう考えながら、肩に担ぐRPG-7を柔らかな砂の上に落として捨てた。
エリック・ジェーンは彼女から一キロ離れた地点で対物狙撃銃から手を離し、空ろな眼でそれらを見守っていた。
空中に投げ出される出水保孝の意識の半分は既に失われていた。
そんな三人が、それぞれの心情の中で唯一共通して持つ感情は――絶望だった。
気がつくと西の空は、早くも紅く染まり始めていた。
――苦戦を強いられる出水一行より北方向に二キロ地点――
「ガキの遣いがようやく終わったと思ったら」
男の声は、西日によって黒く染まる影に呟かれた。手に握る水袋を口に運び、喉を鳴らして渇きを潤している最中に、傍らのもう一人が後を継いだ。
「随分な出迎えだなァ」
彼は双眼鏡を手にして遠くの影を、その戦況を確認して、気だるそうに肩を抱く。その口から漏れるのは、諦観故の説得だった。
「なぁアキラァ、こいつに手を貸すには余りにも離れすぎちゃいるし、付近には手負いに士気の失せた木偶だ。それに――あの形態は危ねぇ。お前は大丈夫かも知れねぇが……」
「高々二、三キロだろ? どの道、もう日暮れだ」
アキラと呼ばれた――反発の能力を持つ青年は、背負う荷物をその場に落とし、西日を半身に受けながら、傍らの友人を一瞥した。友人である彼が見たその表情は、憤怒に不快感を混ぜたような、恐らく一番機嫌が悪いであろう顔だった。その為に、嫌な予感が氷のように背筋を撫でた。
だから、ちょっと待て頭を冷やせ――そう告げようとした。しかしそれよりも早く、アキラは砂を巻き上げて、その場から姿を消していた。
――絶望を甘受した者が立ち尽くす、その砂上――
腕を喪失した。だからこそ勝てなくなった――なんて彼は嘯いた。
最初から勝てる見込みなど無かった。そしてそれを心の奥底で、頭の芯の部分で確信していたのだ。だというのに、逃げるタイミングを失い、逃走経路も、その資格も可能性も同時に手放した。やはりそれほどの量は両の手が無ければ抱え切れなかった代物だったのだろう。
個人には重すぎた。そしてこの連中同士でも持ちにく過ぎた。だからこの絶望に蹴落とされてしまったのだ――そう考えた。そう思考する頭が生える肉体は、ただ真っ直ぐに大地へと向かっていた。故にその命が、そう間も無く終えることを、彼は理解していた。
そして死を意識し、心の奥底から絶望を迎え入れる。この仲間では、自分をこの状況から助けだせる訳がない。だから、無理に救出に、延命の手段に出てくれるよりは、自身の安全と延命に力を尽くしてくれる方が心情的に楽であるし、至極合理的に思えた。が――。
「死にたくは、ねェんだよな」
精神が騒ぎ乱れて落ち着かぬ。故に、全てを諦め世界の果てを見据える目を持とうとも、彼は能力を発動させることが出来なかった。
なのに――彼の肉体から、一瞬、重力が失せた。そして直後、何かに抱えられるような、締め付けられるような感覚を腹部に覚え、強い気配を、誰かの体温を、出水は感じた。
「誰だってそうだ。こんな所で、死にたかねーよなァ」
――高く飛びあがり、脇に抱えるように出水保孝を救出したアキラは暗闇に落ち込む彼にそんな台詞を返して、高く聳える砂蟲へと向かった。凄まじい勢いで風を切り、風は熱風となって肉体を蝕むが、それを熱いと、不快だと感じるより早く、その身体は異常な硬さを持つ外皮へ肉薄した。
そんな彼らへ、まるで索敵に掛かる異物を排除するように、無数の脚が鋭いハサミを携えて飛来。だがアキラは迷わず能力を展開。瞬間――彼を中心とする半径一メートル内の空間が俄かに歪む。彼は不敵な笑みを零した。
その形成された空間に何も知らずに、また何かを知るという概念を持たずに突き刺そうと引き裂こうと、自身に迫る異常を排除すべく現れ近寄るその十数、否、数十の触手が如き脚は、刹那にして、その全てがそれぞれ小さな塊と化した。
その先端部分が空間に突き刺さるが、強力な反発力を持つソレに侵入できるはずも無く、だがそれでも痛みを感じぬそれは力任せの介入を試みて――まず始めに外皮がひしゃげた。そして気体が何かに擦れる様な音が四方から響き、空間に満たされ、その間にも如実に伸びる足はその長さを減らして……。
「せーのっ!」
アキラが意気込むように力むと、その場に留まる超反発の効果を持つ空間は解き放たれて、周囲に衝撃波が吹き荒れる。脚は脆くなったその根元からもげて吹き飛び、胴部分の百近い脚は一瞬にして失われた。
――それを見て、彼の相棒である三島は誇らしげに笑って、全てを見守った。荷物を背負いなおし、そして少し遠くでただ佇む一人の少女を、さらに遠方で大きな銃を抱えるように寝そべって出来事を見守る少女を視界に収めて、それらに接近を試みる。
だが彼女等はそれに気付く様子は無く、呆気なく疲弊し消耗されていく砂蟲を、ただただ見上げる事しか出来ていなかった。
「――おいマジかこりゃあ……はっ、すっかり醒めちまった。どうやら俺ぁよ、まだ」
「喋るな、ただ俺にしがみ付け。舌を噛んで死にたかねーだろ?」
出水は頷き、その瞳に炎を灯す。そして次いで集中し、乱れる心を治めて右腕に、その切断面に意識を集中させて、能力を発動させる。血管一本一本の切れ端をくっつけるように閉じて、その血の流れを止める。これでこれ以上の出血は防がれたが、今の彼に行える応急処置はこれだけであるために、まだ死の危機が去ったわけではなかった。
これ以上は、アキラの活躍がネックとなるのだが――。
「あと一分、我慢しな」
アキラは出水に囁いた。
次の瞬間、破裂音にも似た衝撃音がつんざいた。同時に砂蟲の身体は大きく仰け反って、アキラはその腹に着地する。そして間髪おかずにその直線でしかない道を頭部目指して駆け上がる。激しく揺れる出水はただその腕にしがみ付き、アキラは高潮する力を拳に燻らせた。
その身が弾丸の如き速さで走り、風を斬る。凄まじい勢いと、速度と、そして強く踏みしめる足がその場に踏み留したためた。
何が起こったか理解できず、また考える力ももたぬ砂蟲はただ身体を起こそうとするだけであるが――その身が斜塔程度の角度に引き上げられた時には既に、アキラは大きく開く口元までたどり着いていた。
その口から流れる空気はただ土の臭いだけを運び――。
「なっ」
出水が何かを口にする遥か前に、彼は空中に振り上げられて、その中で一度強い反発を受け、天高く舞い上がる。そして彼が空の一番高い場所にたどり着く頃、アキラはその砂蟲の口の中に入り込んでいた。
「砂蟲は死んじまえ」
アキラは口の中もぐりこみ奥に飲み込まれぬよう両手を何かを抱擁するように広げ、その手のひらで内壁を掴んでいた。その指先はは内壁を抉るように鋭く突き刺さり、そして手のひらの、小さな領域を僅かに歪ませていた。そしてその領域は徐々に肥大化、膨長し――やがて手を、腕を、やがてその口腔内に満ち、溢れ始めて、
「ったく、実力も無ぇ癖に手ぇ出すんじゃねーっつうんだよな……ッ!」
大きく開く口の先が、まるで放熱してその向こう側の景色に陽炎を作るように空間を、まるで膜を貼ったように不鮮明に変えていた。そしてその口の端に亀裂が細く深く走ると――途端にソレは、人間で言う喉下まで一瞬にして伸びだした。
そしてそのまま勢い良く縦一直線に裂け割れるかと思われたが――甲殻が如き外皮は、幾ら内から強大な力を溢れさせようとも、無数の腕とは違いそう容易に破壊出来るものではなかった。故に避けたのは、その皮の薄い口元だけだったのだが……。
「無理か。ま、元々弱点だけ狙えばいいんだしな」
その一つの呟きの直後、展開された空間の、超反発を持つ歪みは一瞬にして――彼の右腕に、そして流れるように拳一点に集中した。手馴れたようにその領域の移動は至極緩やかであり、そして片手で身体を固定するように内壁を掴んで、そして空いた右拳が、大きく振りかぶられて、一撃。
巨大な破裂音が砂蟲を中心とする砂上に響き渡る。共に、砂蟲の背の一部分、人間で言う延髄に近い場所が内側から強く押されるように、盛り上がり、激しく突き出した。衝撃が内壁から外皮の外へと貫きはじける。そしてその身は大きく揺れて――アキラはその最中で、もう一度内側から外へ向けて、弱点であろうその部分を殴り抜けた。
再び轟音がかすかに大地を揺らして――後、なんの前兆も見せずに、痛がる素振りも絶命した風もなく、砂蟲の直立したその肉体は、静かに傾き始める。そして激しい衝撃を大地に浸透させて倒れるも、その姿は巻き上がる砂塵に隠れてしまう。
が、その砂蟲の命は絶えたのだと、その場にいる誰もが理解した。
――その後数分と待たず西日は消えうせ、砂漠に夜のとばりが落とされた。
夜は日中以上に砂漠での生存確率が低い。故に、絶望的な状況からさらに決して逃れられぬ場面へ移行する前に砂蟲を倒せたのは、不幸中の幸いという言葉が一番似合う展開だった。
――そんな彼らが、街に戻って再び絶望に近い衝撃を受けるのだが、それはまた後日の話となる。