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3 ――すれ違い――

 ――中央地区セントラル第三区画、中央広場、六時二八分現在――


 ナツメは静かに目を開けた。意識は瞬く間に覚醒し、同時に極端なまでの寒さを覚えた。そよ風は直接肌に突き刺さり、冬の冷気が身に染みる。気温は恐らく一桁台であろうと思わせるその寒さは、公園のベンチに横たわっているが故に感じるソレだった。


 妙に首が痛む。肩が凝り、俄かに頭痛に襲われた。吐息が風に流れて視界を白く染める。景色は薄れて、再び鮮明に移り変わるその刹那――動く影を、彼は捉えていた。


 彼は、凍りついたように動かない関節を少しずつ曲げながら、半身を起こしてベンチに座りなおした。全身が麻痺し、感覚が失せている。だが寒さだけは感じ、そして細かく震え続けるところを見ると、命の存続には割りと余裕があるらしい。


「残念ですが、君が待っている人間は来れなくなりましてね」


 見知らぬソレは、黒い外套に身を包んで接近する。足音は無音に近く、気配も稀薄だった。まるで亡霊かそれに準ずる何かのような、妙な不気味さを外套という形で纏っているかのようだった。だからナツメは警戒し、慎重に、久しぶりにその空間を震わせた言葉に対して、沈黙を返した。


 ――ナツメがここに居る理由わけは、とある一人の女性に呼び出されたからだ。女性に、と言ってもそんなめでたい話でも、浮いた話というわけでもない。”再会”というのが目的なのだ。”彼女”とは、一度別れてから一週間ほど会っていない。一応、再会を願って別れたわけだから、落ち着いた今、嫌でも会わなければならない。


 そう考えていた最中ところに、一通の手紙が届いた。先日の、否、今日明け方の、仕事終わりのことだった。帰宅すると、玄関扉のポストに突き刺さるソレがあった。開けて読んでみると、今日の早朝何時くらいにどこそこへ、という意味の文章がつらつら綴られていて、最後に差出人の名前が書かれていた。ナツメはそれを確認して、素直にこの場所へとやってきたのだが……。


「というか、そもそも貴方を此処に呼び出したのは私ですし」


 声は高く、少女らしさがそこにあった。軽い口調で、どことなく友人と相対するように紡がれる言葉はナツメに向けられて――恐らく――彼女は、やがてベンチに座るナツメの前で立ち止まった。


「――って普通、警戒して来ないと思ってたんですが、まさか本当に来るなんて、ね……?」


 頭にはフードを被り、顔は影がかかって判別付かない。だが長い髪が外套の中を流れているのは見えて、彼女は恐らく彼女という二人称で大丈夫なのだろうと、ナツメは適当に判断した。


 だから、という訳でもないが、ナツメは両肘を膝に置き、それからやや前屈姿勢で手を組み、その上に顎を置いて視線を落とした。ようやく寒さに慣れてきたのもあってか震えは止まり、それから上着の中の拳銃の位置を頭の中で確認した。


 ナツメのロングコートはめくれて尻の後ろに溜まり、足元は風が通ると一層冷える。中には風を通さぬ素材のジャケットを着込み、その上に肩に掛けるタイプのホルスターを装備していた。そして其処に刺さるのは、愛銃。だが今は、それを使わぬことを祈るばかりであった。


「貴方は夏目なつめさんで、良いんですよね?」


 予期していた返答が無い事に慌てたのか、焦ったのか、手を胸の前で忙しなく動かしてそう聞いた。外套が揺れて、フードが翻り、口元が露になる。すらっと形の良い顎に、不安げに歪んでいる薄い唇がそこにはあって、ナツメはそれから漸く頷いた。


「普通、そちらから名乗るものなんじゃあないですか? まぁ俺はアンタに興味が無いから――」


 ふぅ、と短く息を吐く。白煙が口から漏れて、体温が若干、失われた。だが取り立てて寒くなったという程ではなく、だがそれでも、睡魔に侵される頭は如実に覚めていった。ナツメはそれから暫く振りに、と立ち上がる。体の節々が軋み悲鳴を上げる。彼はそのまま両腕を空へと伸ばし、全身をほぐして、それから脱力した。


「どうでもいいんだが、ね」


「でも私は貴方に用事と、そうね、たった今興味を持ちました。だから付き合ってもらわなくちゃなりません」


 半眼で、いかにも興味なさげな表情で見るナツメに、彼女はそう言って、鼻筋に掛かるフードの裾を掴み、そして勢い良く頭の後ろへと引き剥がした。そしてようやく、彼女のその凛々しくもどこか幼さが残る、割と、否、しっかりと美形寄りの顔が日の下にさらされた。


 そこで気がついた。今頭上に置くこの空には、いつの間にか太陽が顔を出していた事に。


 大きな瞳は見開かれ、長い睫がどことなく育ちの良さを想像させた。彼女はそんな眼でナツメを見据えると、此処からが本題だと、先ほどまで彼が座っていたベンチに促した。彼女はナツメが仕方無しに腰を落とすと直ぐに横に並び、それから寒そうに膝の上で両手を組んで、


「最近になって反政府テロ組織の活動が活発になっています。それはある日、ある事件を境にして――そう、貴方が反政府組織の呉氏崎ごしさき西篠にししのを捕らえてから……」


 彼女は結局名乗らぬまま、そう言って視線を控えめにナツメへと送る。が、彼はそんな事には気付かずに、彼女の言葉に対しての思惟に耽っていた。


 ――この女がそれを口にすると言う事は、少なくとも政府かソレに準ずる組織の人間。あるいは、反政府組織の人間に違いは無いだろう。前者と願いたいところだが、後者の線が濃厚である。個人的に接触するにしても、政府の人間ならば委員会本部、支部にて待っていれば良い事。それをしないと言う事は……。


 しかし殺気は見えない。仇討ちやお礼参りならば、近くに件の両名が潜んでいそうなモノだが、能力を軽く発動させて耳を澄ませて周囲を窺うも、少なくとも公園内には自身と彼女以外には誰かが居る様子は無かった。


「あぁ、そう。自己紹介が遅れました。私は刃金美咲はがねみさきと申します。恐らく勘違いしているようですが、これでも立派な政府の人間なんですよ」


 外套を羽織っているからであろうか。彼女はあるのか無いのか判別が付き難い胸を反らして誇らしげに、自身が、委員会ではなく軍の人間で、一つ年下の後輩で……などと、要らぬ事を告げてきた。そして手渡される証明書を確認してから、ナツメは漸く、その薄っぺらい半眼をしっかりと醒めた様な眼に直した。


 その中で、不意に刃金の表情が固まる。硬直などと言ったものではなく、まるで静止画になったかのような、不自然なモノだった。


 ――違和感がナツメの中を駆け抜ける。


「軍だから能力者でもないし――」


 言葉が紡がれ耳に届く。だが傍らの少女はぴたりと唇を閉じたままであり、それから僅か数瞬の間が開いてから、たった今聞こえた台詞と同じ風に唇が動いた。


 妙な感覚が、背筋を凍らせる。肌がざわめく。首筋がむず痒くなった。


 そして、それを最後に声は途絶える。風が消え、寒さが失せ、色が褪せ、世界の全てが崩落した。全てが一瞬の内に、何が起こったのか、何が起こっているのかすら理解できぬままに、開く眼が見るのは、ただ暗黒一色のみであった。まるで空から墨汁が流され全てを黒く染めたように、何も残さなかった。


 なるほど――これは、


「”魅惑ハニーなる夢現トラップ”……そう、気付いただろう。これは幻想だ。貴様に送る、私からの、な」


 闇の中で声が染み渡って肌に伝わり脳に刻まれる。声はまだ若い男の声で、言葉の節々に、余裕と驕りとが孕まれていた。まるで、まんまと罠に嵌ったナツメをあざ笑っているかのようでもあった。


「気付かなかったか? 妙な感覚。例えば、あるはずの音が無い、あるはずの気配が無い、なんて事が」


 ――そういえば。彼は言われて思い出す。刃金美咲を名乗った架空の人物は、不意に現れ、そして足音も気配も感じさせずに肉薄した。だから、少なからずとも妙だとは感じていた。


 だが、その妙なモノはそれ以降の、本当は反政府組織の人間なのでは? という疑念に囚われて忘却の彼方へと失念する。故に、今のこの現状を導いてしまった――と言い訳したいところだが、恐らく幻想に包まれたのは、それよりも随分と前の話だろう。彼女の存在に疑問を抱いている時点で、幻覚ゆめの中の登場人物に意識を向けているその時点で、手遅れだ、と彼は考えた。


「貴様を公園へ招いた。これは現実だ。そして来た。ベンチに座り、数分と経たずに眠りに付いた。そして目覚め、吐息を漏らした。それは真実ほんとうだ。だが、貴様が見た人物、その景色は嘘だ。虚構だ。貴様が無意識に作り出した理想なのかもしれないし、悪夢なのかもしれない。貴様がナニを見るかまで、私が手伝ってやる事は出来ないからわからないが」


 言葉は、声は、どこからともなく聞こえてくる。闇の中、ただ残された彼の意識に、語りかけられていた。


「私が何処の人間なのか、理解できるだろう? だが、なぜ自分程度の能力者をこんなまどろっこしい手段を用いて手を下そうとするのか、分からぬだろう。ならば教えてやろう」


 パチン、と。指を鳴らす音が、空間を白く塗り替える。然しそれでもナツメは元の世界に戻されず、その代わりとして、目の前に一人の男の出現を許していた。


 また気配は無く、まるでそこには何も存在していないのかと思われた。ただ視覚的にそれを認識するだけであり、声も先と同じように、頭に直接響いていた。


「貴様の組織、治安維持委員会には強者がいる。それこそ、私程度ではとても敵わぬほどのがな。だが。だが、だ、貴様おまえ。強ければ相応に注意するし警戒もする。対策も立てるから、逃げる事くらいは可能となろう」


 だが。彼は再びそれを口にした。ナツメはただそれを聞くだけで何もせず、否、何もしようとせずに、言葉を受け入れ続けた。


「だが弱い貴様は違う。貴様の能力は委員会に属す事が出来るギリギリのレベルだというのに、遥かに強い西篠に、正々堂々と打ち勝った。奇跡などではなく、確かな実力で。だから恐ろしい。底がどれほど深いか理解できているはずなのに、嵌ってしまう。油断を払拭しても、それは回避不能に思えた。貴様は弱い、だから強いんだ。だから恐ろしく、だから!」


「成る程、と理解してやるが――そんな御託が並べられる暇があるなら、さっさと殺せばいいだろう? 少なくともついさっきまで、その機会チャンスがあったっつーのによ」


 久しぶりに、久方振りに、声を出した。空間を震わせた。が、恐らくソレもナツメの幻想なのだろう。ただ頭の中で考えた事が、声に出したという風に、勝手に脳内で演出された。それだけのことなのだ。


 それを裏付けるように、目の前の男は言葉を受けて硬直するというよりは、次に何を言おうか迷っているかのように動かないだけだった。だからナツメはそれ以上は無駄だと考え、あるかもわからぬ自身の肉体をそのままにして、意識を無にした。


 最早それらを受け入れるだけ無駄であり、そしてこの場から抜け出す事を理解したナツメは静かに――考えるのを、やめた。


 その刹那の事であった。


 額のど真ん中に、激痛が走る。何かが凄まじい勢いで衝突したかのように首が後ろへ押され、顔は空を仰ぐ。身体はベンチの背もたれに押し付けられて――気がつくと、世界は鮮明に、その瞳に映っていた。いつのまにか元の世界が彼を受け入れ、そして再び寒さを覚えた。


 その直後に、脳が震盪しんとうして意識が揺らぐ。世界が揺れる。ぶれる。ぼやけ、その輪郭が曖昧に見えた。だが同時に、周囲のざわめきが聞こえた。二、三人がうろたえるような声ではなく、十数人が何事だと驚くようなものだった。


 それで理解する。幻覚を見せられている間に囲まれたのだと。そして反政府組織は寄せ集めの戦闘集団ではなく、割合に精鋭部隊だという事を思い出した。ならば、この十数人はそれなりに腕が立つのだろう。


「幻覚というのは、対象者がおよそ深い睡眠から目覚めるに十分な衝撃を与える事で、無効化できる。そう今のように、な。そして言葉は聞こえども見れなかった現実せかいを視覚的に認識できるようになった今、貴様はどのような感想を漏らす?」


 顔を元の位置に戻して、眼前から広がる広大な景色を見渡した。とはいうが、その公園は広いが広大というには余りにも狭すぎる場所であるし、どちらにしろ、人だかりが景色にかぶさり、狭さを顕著にしていた。


 目の前には黒いコートに身を包み、顔面に大火傷でも負っているのか、包帯で眼や鼻、口以外を開けて包み隠している男。そしてその背後に、分厚い、濃い緑色のジャケットを揃えて制服のように着込む十数名の男女がアーチを形作るように並ぶ。彼らはそれぞれ手元に重火器を備えており、”準備”は万端であるらしい。


 逃げ場は塞がれ、立ち上がるのがやっとであろうと思われた。


 ならばどうする? ナツメは気怠げに考えた。


 抵抗すれば、逃げようとすれば恐らく痛いだろう。


「大人しくしていれば痛くはしない」


 彼はそう言うが、痛いと感じる暇も無く意識を奪われるだけだ。なら大人しく従うか? 彼は自身に問う。しかし、


「愚問だな」


 と、直ぐに吐き捨てた。次いで彼は瞬間的に懐へと手を突っ込むと、素早くホルスターからリボルバーを掴み、その抜き様に撃鉄を起こす。そしてその銃口は迷わず自身のコメカミに突きつけられて――ド派手な破裂音が、周囲に炸裂した。


 が。そのシリンダーには装弾数限界まで弾丸が装填されていたはずである。それを確認したのが家を出る直前だったし、それ以降は使用する以前に触れてすら居ない。だから、弾が無いはずが無い。今思惑通りに、頭蓋骨を砕き貫通し、脳みそを掻き乱して僅か一瞬よりも遥かに短い時間の中で自身を絶命たらしめる筈だった。


 そう、”筈”だったのだ。


「組織の足枷となるのなら迷わず死を選ぶ、か。狗の鏡だな」


「アンタの弾丸マグナムは此処。ついでにスピードローダーも、此処ね」


 男の後ろから、一歩大またで一人の女性が現れた。片手には銃床ストックを折りたたむ、黒塗りの短機関銃サブマシンガン。一般にスコーピオンと呼ばれる、小型のサブマシンガンであった。一分間におよそ七五○発の弾丸を撃ちこめるソレを至近距離で突きつけながら――もう片方の手に、弾丸が詰まったスピードローダーと、指の間に挟まれた六発の弾丸があった。


 恐らく彼女の能力は瞬間移動か、空間転移だろう。これで完全に逃げる手段は消えうせた。瞬く間に、その可能性が消失していくのが手に取るように理解できて、思わず寒気がした。胸の奥から熱さが――蘇る。


 ――ナツメの髪が逆立った。


 寒さが失せる。だがそれは、再び幻覚が身を包むが故、では無く。


 意識が冴える。力が湧きあがり、肉が踊る。それから立ち上がると、同時に、十数挺分のレーザーサイトが、ナツメの全身に集中した。


「殺してみろよ。出来るのなら」


 芝居はここまで。仕立て上げはもう終わりだ。後は存分に思い通りにするだけ。恐らく殺しはしないし、此方も殺せない。だから逃げるも戦うもなんでも御座れ、という所だろう。


 つまり、向こうは、目の前の武装兵ゲリラ連中は既に準備を万端にしているが、此方は”今”ようやく準備を終わらしたのだ。だから後は自由時間。その判断の全てはナツメが基準で、誰が咎めるも無く。死のうが生きようが全ては自己責任であるが、ナツメは今死ねる自信は無かった。


 というか、向こう側――反政府組織がそう簡単にこの場で始末してくれる筈が無いだろう。それを裏付けるように、彼らは幻覚を見せられている最中ナツメには手出しすらしなかったし、彼が能力を発動させても、威嚇とばかりにレーザーポインタで全身を嬲るだけである。つまりは、”まだ”この命は重要なのだ。


 しかし――ナツメの言葉に反応するように、そのポインタはぞろぞろと群れを成して動き移動し、そしてそれぞれが大体半分に分かれて、左右の太腿に集中した。ナツメは頬を嫌らしげに吊り上げた、不敵な笑みを浮かべたまま、その顔色を徐々に暗くしていった。ストレスによって血の巡りが瞬く間に悪くなったかのようだった。


「誰も貴様を殺しに来た等と、ひと言も言っていないはずだが……何を勘違いしていやがる?」


 男は言いながら、右手を軽く上げる。それが少しでも下がれば、背後の連中は迷わず引き金を絞るだろう。銃口は火花を撒き散らし、点でも線でも捉えられぬ速さで弾丸を吐き出すだろう。鉛弾は容易に柔らかな肌を引き裂き肉に突き刺さり、骨を砕く。筋組織は修復不能なまでに掻き乱され、二度と歩けぬ体となる。


 彼の行動は、いつでもそうする事が出来るぞという脅迫の意味を持っていたし、単純に仲間への合図とも相成っていた。


「まぁ殺さないなら俺も助かるが」


「あぁ、安心しろ。死ぬ一歩手前で、この私が命を賭けて貴様を守ってやる」


 本心が欠片も存在しない会話の最中、ナツメの肉体は既に行動の予備動作へと入り込んだ。


 否、予備動作へと移ったその瞬間、行動は半ば同時だと思われるほど素早く行われた。


 ナツメが一瞬にして男へと肉薄する。


 それはおよそ、男が想像に難くない行動だった筈なのに――彼は想像を絶するその速度に、思わず驚き筋肉を萎縮させ、回避も攻撃も、その全てを一瞬遅れさせた。


 故に、風を切り穿たれる弾丸の如き鋭い拳を、男は甘んじて受ける。貫かれたと勘違いするほどの激痛によって、彼が全ての感覚を奪われる。筈だった。


 そう。この公園内においては、確かな未来は存在しない。それが例え数センチ前方の顔面を殴り抜けようとする行動でも、絶対当たる、なんて事はありえない。それは、ナツメが独りきりだからであり、相手には無数の仲間がいるからである。


 数が増えれば可能性が、選択の分岐が増える。分岐は鼠算で増殖し――たった一つきりしかないナツメの選択を、容易に遮断することも可能なのだ。


 そして今も、


「ぐぅっ」


 広がる選択肢の一つが、幻術使いの身を守っていた。


 下から振りあがる拳は――その瞬間、”入れ替わった”女性の腹部を穿ち突き刺さる。彼女は眼を剥き口を大きく開いて、呻き、後、嗚咽を漏らす。ナツメは、やはり空間転移を使う能力者だったのか、と理解してから、折りたたまれようとする肉体に付属する右手から、奪われていた弾丸とスピードローダーを取り返した。


 空間転移は、使用者のレベルが高ければ欲しいものだけを手元に、そして好きな場所に移動させる事が出来る。が、未熟であれば、ないし中途半端であるのならば、身近の空間を代償として交換しなければならないのだ。だから、弾丸を奪った時も、手のひらの虚空と入れ替えた。


 そして今、人間一人分を入れ替える分の虚空は、周囲に人が密集しているが故に、見つからず。その為に彼女は自身と入れ替えたのだ。そうするしかなかった。彼女は人を犠牲にするくらいなら、上司を見捨てるくらいならこの身を捨てると考えたのだろう。


「随分な忠誠心だ」


 彼はそれだけ吐き捨てて、俯き半ば中腰となる彼女の顔を包み隠す長めの髪を掴み、顔を上げさせる。身体はソレと伴って背筋を伸ばし、彼は彼女を反転させて、背に回りこんだ。腕は首を軽く締め、そして手に握ったままの拳銃は弾丸を再装填され、彼女の後頭部に突きつけられた。


「卑怯者!」


 と言うのが、ナツメの行動を見守らざるを得ない反政府組織連中の感想、感情だった。


 ――特殊能力とは、使用者の集中力、精神安定によってその効果が左右される。故に、この状況はナツメに力を貸してくれるのだ。敵にとっては緊張が、ナツメは取り戻した余裕が心を満たす。だが囲まれているには違いないこの現状では、まだ逃げる算段を立てられるものではなかった。


「この世の悪意を掻き集めて具現化したような奴だ」


「委員会がこれほどまでとは……」


 それぞれがそれぞれなりに持った感想を口から漏らす。その台詞がナツメの芯に触れ怒りを促し、拳銃の引き金を引くきっかけになるかもしれないと、欠片も考えられていないようだった。が、どちらにせよ、ナツメはそのつもりは無いのだが……。


 甘い香りが鼻を掠める。整髪量らしきその匂いは、眼前数センチにある女性の髪から漂っているらしかった。彼女は痛みに堪え、そして後頭部に触れる冷たく、そして無情なまでに硬い感触に、恐怖を催し小刻みに震えていた。


 彼女がその気になれば、彼女の中で半ば確定している不可避の死から容易に脱する事が出来る筈なのに、彼女の頭は混乱に、痛みに、恐怖に、怒りに満ち満ちていて、それどころではないらしい。


 このままならば、彼女を人質にとって逃げ出せる事も可能であろうが――それも、時間の問題である。


 ナツメは見たのだ。その浮かれている最中に。自身の立場を半ば忘れかけた、その瞬間に。


 ――ここは中央区画の公園。公園を出れば、否、出なくともその場から背の高いビルが頭を突き出しているのが見える。その一つのビル屋上部で、太陽光が何かを反射した。それを、見た。


「……っ」


 声が漏れる。半ば反射的に、言葉に成る。


 慌てて、彼女に掛ける腕の力を緩め、拘束から自力で逃げ出せる程度まで余裕を与えた。これで彼女が逃げれば被害は自分だけに留まるだろう。恐らく、今から数秒もしない内に――。


 乾いた銃声によって、大気が振動する。


 瞬間、彼女を捕らえていた右腕、その上腕部に血花が咲いた。


 衝撃たまが肉を掻き分け、筋肉を引き裂いた。体勢が崩れ、痛みが脳に染み入った。意識が一瞬空白に染まり、呼吸いきは数秒停止する。後に、怒涛の鉄砲水が如く来る激痛は、ナツメから逃れようと走り出した女性からワンテンポ遅れて、彼を背後のベンチに追いやった。


 爆発音のような音を掻き鳴らしながら、ベンチの板がへし折れ砕け、受け止めきれぬ勢いを持つ青年と共にその身を崩壊させた。続けて、その金属で出来る骨組みが鋭さを以って、大地を目指して倒れるナツメの右肩を貫いた。


 反政府組織連中が、それからようやく、狙撃兵の配置を思い出す。ついで間抜けなまでに気付けなかった幻術使いの射撃合図を見て理解し、それぞれが慌てて銃を構え、空気を劈く一斉掃射が開始された――。



 ――中央地区セントラル第二区画。二二時四○分現在――


 

 隣の区画で騒動の、晩。治安維持委員会、第三課本部はいつに無く忙しなく、いつに無く慌しく、いつに無く落ち着きが無かった。それは出かける寸前になって家の鍵を紛失した際の心情に似ていた。


「まだ見つからないのか!」


 課長の怒声が室内に響き渡る。報告に戻った数人の委員は直立不動で、その表情をしかめ俯いたままだった。


 ――ナツメが罠を罠で返そうと提案した。自身を呼び出したのが、恐らく反政府組織の連中だと憶測を語ったから、課長もソレに乗り、ナツメの衣服に発信装置を縫込み、そして無数の待ち伏せ起用して彼らのアジトを見つけ出そうと考え、実行した。


 だが。だというのに――それは半ば途中まで成功していたのに、ナツメを見失った。


 一斉掃射がナツメを襲った。そこまでは報告に来たその全員が目撃していて、そしてその全員が、彼の死を覚悟した。土煙が立ち、彼の姿が包まれるも、数秒もせぬ内に血の煙がそれを塗り替えるだろうと思っていた。


 が、その予想を遥かに凌駕する自体が彼らの眼に飛び込んだ。それは、ナツメがそこから無傷で立ち上がり、瞬く間に武装兵を虐殺していく光景であり――それが幻覚だと理解し正気に戻った頃には既に、その公園には彼らが居た後など欠片も存在していなかった。


 だから今怒られていた。


 だから今後悔の最中に居た。


「私が居ながら……」


 エリック・ジェーンはどんな障害物が行方を阻もうとも全てを見透かす『透視』の眼を持っていた。


「言い訳も浮かばねぇ」


 出水保孝いずみやすたかは”重力を操作”し全ての逃げ場を潰して足止めできる力を持っていた。


 残る瞬間移動能力者テレポーターも、心音感知能力者テレパシストも、何よりも敵の能力に冒されたことに衝撃を受け、声を出す事すらままならなかった。


「……しかし、ナツメの事だ。情報を漏らすくらいなら寝返りも、自殺も厭わないだろう。だから、あまり期待はしないほうが良いが……、自己完結の能力は希少だ。そして能力の程度レベルも関係なしとするあの戦闘能力は、向こうにとっても貴重だ。少なくとも死は決定されていない」


「だが、どうするつもりだ? 今まで折角この都市まちの外の任務で存在を隠し続けてたのに、イキナリばれて、しかも捕まるなんてよォ」


 出水は歯を食いしばりながら課長に問うた。彼はソレに対して首を振り、


「そもそも反政府組織やつらが何を目的としているかすら判然としていないのだ。だから我等もそう簡単に動けない。少なくとも、救出しろとは、私は命令できん」


「悔しいですが、それが正しいですわ。気付かれぬと、確固たる自信を持てる距離に居たのにも関わらず……”二キロ以上離れていたのにも関わらず”ですわ。私たちはあの、包帯男の能力に嵌っていた」


「精鋭の俺たちを遥かに凌駕する精鋭か。マジにどうするんだ」


 どうにもならぬわ。課長はそれだけ口にして、浮かせた腰を椅子に落とし、溜息をついた。


 空間内の全員が意気消沈とする。まるでそれを現わすかのように、窓の外の闇は更に深さを増していた。

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