2 ――時間的すれ違い――
――中央地区第二区画。一六時四○分現在――
そこは治安維持委員会、一般・特殊能力戦闘課本部ビル。日が傾いて、太陽の位置が遠くなり可視光線が空を青から赤へと変色させていく時間帯。
『――――はい、届いているのならば良いのです。それでは、よろしく頼みましたよ』
地上二三階建ての二一階部分である。そこは――武力制圧課、いわゆる第三課の――課長の作業室である。広いソコは、出入り口から真っ直ぐ大きく歩いても正面の壁にたどり着くまで数十歩程必要で、さらに入って右手側は全面ガラスというオシャレな雰囲気。
そこで、課長の実務机の上にあるパソコンの半透明のディスプレイの中には、一人の女性が映っていた。
紅いビジネススーツが良く似合うその美人は、治安維持委員会の委員長で――――彼女はそれだけ言うと、画面をブラックアウトさせて消え去った。
残るのは――――そのディスプレイに映る、禿げ上がった頭が特徴的な中年男である第三課の課長と、
「よろしく頼まれましたよ、課長」
その机の前に立つ、時代錯誤であるとしか言いようの無い大剣を背負った、女性一人である。
彼女は第三課の作業服を着ているので委員なのには間違いないし、課長が本部のデータにアクセスして確認したプロフィールとあい違いない存在なのだが……。
「何故お前がここに居るのだ」
彼女は中央地区勤めではなく、西地区の支部勤めの支部長であるはずだ。故に、彼女がこの場に居ること自体、大きな間違いであるし、何かの手違いだと信じたい。
うんざりして尋ねる課長ではあるが、彼女の事情は既に理解の範疇にあった。
貴族事件に巻き込まれた後、知り合いの支部長に全権を委ねて謹慎を受け、ナツメと共にココを目指したらしいとの事。だが途中で、反政府組織と思わしき連中に襲われて、離れ離れになったこと。支部へ派遣される前に付きまとわれていた、同期の友人、現在では選抜チームの一人である男に連れられるまま委員会本部に行ったらどうすれば良いか分からなくなったこと。
そして――――彼女が受け渡された謹慎も、あと一週間と少しで終えてしまうこと。
全ては理解しているのだ。
だが、新聞社での麻薬栽培や売買、その背後関係の捜査や、個人の爆破テロなどの大きな事件が起こってから、まだ数週間しか経っていない。忙しい時期であるのに、また今度は、至極どうでも良い――酷く面倒な――事が廻ってきた。
これはもう、うんざりだとか大変だとか気苦労が堪えないだとか、そんな言葉で収まる気がしない。
警察はテキパキと動いて手伝ってくれるが、委員会で事件を解決へと導かせるのは実質三課だけ。故に目まぐるしい日々が続いていた。
ナツメはまた――――与えた三日間の休暇中であり、それが終えてこの場に顔を出すのは、二日後のことである。
「行く当ても無いので」
「簡潔な回答感謝する。そして委員会への献身的な態度や真面目な姿勢は評価に値するが――――電車なら大分前に修復したから帰れるぞ。私の指示だ。戻っても誰も文句は言わん」
「しかしおめおめ舞い戻っては私が無能扱いをされてしまう。ただでさえ――――適性武器が、大剣なのだから」
適正武器とは、そのままの意味で、個人が使うに易い武器の事。人には誰しも得て不得手があるものだが――――能力者にとっての得ては、極端なモノである。
例えば同じ条件下に、狙撃の技術を持つ委員と、能力者を置いたとする。勿論、適性武器の説明をするにあたるので、その能力は狙撃に得となるものである。
そうすると――――委員はまず、距離や風向き、その風速やらなにやらを確認した後に狙撃準備に移るが、能力者の場合、例えば視力強化の能力ならばスコープを使わず、そして弾丸に特殊効果を付加する能力ならば、その準備を行わず、定位置に着いた瞬間に射撃する。
勿論それは命中するのだ。これは極端な例であるが、彼等にとっての適性武器とは、能力と併用する事によって強大な結果を生み出す。つまりソレはある種の兵器と化す。
目の前の彼女、涼谷涼子の場合――――炎に熱されてもそう簡単には劣化せず溶け出さない鉱物を使用した大剣であるために、『焔術』と併用することが簡単になる。
そもそもの彼女が、接近戦が得意だということもあり、時代遅れではあるが剣類という形で適性武器になっているのだ。勿論、それは彼女だけというわけではない。
だがしかし、普通はソレを携行することは無い。ただでさえ手の内を明かすようなものであるからだ。銃のような、女子供でも容易に扱え、だがしかし訓練を積んだ者ならば、段違いの技術や攻撃力を見せるのならばまだしも、剣の様なモノならばすぐに警戒されて、そもそもその攻撃範囲に近づかれもせず、技術やら何やらを語る前に終わるだろう。
だが彼女がソレを意固地に携帯し、またそれ以外の武器を持たぬ理由は「常に持っていないと鈍りそうだし、他のものを持つと、ソッチのほうに気が行くから」という簡単な理由である。
「難儀な奴だ……」
「だったら中央に戻してくれても良いじゃないですか。支部での仲間も皆売り飛ばされたみたいなので、丁度良いんじゃあないですか?」
涼谷が西の支部勤めになって約二年。然程問題が起こらなかったのは、彼女の管轄がお金持ちの多い住宅地区の付近だったからであろう。だが、唯一大きな事件が起こったとすれば、やはりそれは、貴族誘拐事件である。
最も、その事件が公になり、また解決へと導かれたのはナツメのお陰ではあるのだが……。無意識の内に巻き込まれたという所が、また彼の評価すべき点であろう。
「……うむ。現行として西二区の仕事を受けているのは――――東五区か。明日、いや、明後日には人員を派遣するとして……」
そうして彼は、冗談半分に告げられる台詞に対して真剣に考え込みキーボードを鳴らし、直後、ブラックアウトした半透明ディスプレイに、眩い人工灯が灯った。
涼谷が立つ位置でも、透けているために起動は分かるのだが、半透明の所為で何の操作をしているのかまでは判別がつかない。
だが少なくとも、涼谷の心の中には”もしかしたら”という淡いであろう期待はありありと強くなっていて――――そのディスプレイに映話ソフト、いわゆるテレビ電話が起動するのを見て、その期待は半ば確信へと移り変わった。
「――――出たか。助かったぞ御影……」
御影、というのは東地区第五区画で、委員会支部の長たるを務める男の姓である。現在は、その地区と、本来涼谷が勤めるべき西地区第二区画支部の仕事を、支部全体で引き受けるという激務を勤める尊敬すべき男である。
彼はつい二時間ほど前、さらに大きな――生死に関わるかもしれない――仕事を運命的に手に入れたのだが、手に余ると判断して委員長に投げ渡すという、意識的に、目には見えぬ死のルートを変更したばかりであった。
だから彼の顔は、今にも消えてなくなりそうなほど暗く、また精根尽き果てたように声も掠れているようである。髪がすべて無いのは、少なくともその影響では無いだろう。支部委員はその場に居合わせるようであるが、兎に角、一人で居るのかと錯覚するくらいに静かであった。
『あぁ課長。委員長からの話は伝わっていますか?』
「うむ。ソレについては機敏に行動に移させてもらった。お前がそう気に病むことではない。――――それとは別に、良い報告をお前に伝えるために電話を掛けたのだ」
満ち足りたような顔の課長に対して、御影はそんな言葉を理解できていないのか表情を曇らせ、または嫌な予感を感じたのか、当惑の念を抱いたような顔をして、薄っぺらいディスプレイの向こう側で言葉に詰まっていた。
課長は、これほどまでに疲弊しているのかと、少しばかり人としての良心を痛ませたので、次いで言葉を口にする。その、良い報告を。
「お前の仕事はもう終わりだ」
――――気持ちが先行して、言葉が上手く出なかった。
ともすれば辞職しろと言われているような台詞に気づき慌てて訂正しようとすると――――彼は既に、驚いたように眼を剥きながら絶望の淵へ飛び込んだ後だった。
「待て御影。その、恐ろしく面倒で尾も掴めぬどころか影も姿も見えない仕事は終わりだ、という意味だ。お前は自分の地区の仕事に戻れるという事だ。落ち込むんじゃないぞ落ち着け」
『……、あぁ。なるほど。課長こそ落ち着いてください。慌てた姿は似合いませんよ』
「え、あ、あぁ。……、兎も角、言った通りだ。休暇は与えられずすまないが、北の五区画ならそう問題も無いだろう――――それでは、またな」
『はい。失礼します』
それから間も無く、映話ソフトは強制的に消されて、元の――――様々な情報が文字として、あるいはグラフ、写真として載せられている画面へと戻る。
課長はほっと息を吐き、柄にも無く額に浮かび上がった汗を拭った。それからまたディスプレイを消して――――陽光が完全に紅く染まり、部屋の中が見方を変えれば凄惨な状況と見て取れる風に、夕日が室内を染め上げる中で課長は再び、涼谷を向いた。
「それでは――――丁度良い事に一週間後、能力レベル判別テストがある。中途半端な時期だが、四月になる前には仕事を全て整理しておくのが私の信条なんでな。結果が出れば、四人一組のグループに入る。勿論、選抜に入っても、だ」
「四月って……、今は何月でしたっけ」
無表情のまま涼谷は聞く。彼女は常にそうであるが、彼女とは仲が良い、あるいは長年の連れともなれば、少しばかり嬉しいのだと、僅かな筋肉の膨長で伺う事が出来る。誰からも、無表情に見えていても。
無論、課長は名簿を見ずとも、自分の持つ課員の顔と名前を一致させることが出来る男である。彼女がいかに感情を、言葉以外で表に出さずともそれくらいは判断できる。
――――因みに、能力レベル判別テストとは、その名の通り能力のレベルを判別する試験である。
筆記試験と実技試験、人格検査からなる物で、その結果は一年間を共にする四人一組のグループ振り分けの判断材料となる。
グループは基本的に凹凸同士で組ませて平均を取る――――というものではなく、能力レベルが近い者同士でくっつけることが多い。また、人格検査で集団行動について不適合な結果が出たものは、能力のレベルに応じて個人活動を認めるか否かを判断する。
仮に、能力レベルが第三課に所属する為に必要な、最低ラインを下回る場合――通常、能力が弱化することは殆ど無いが――、他の技術試験を受け、適性する一課か二課に移される。最先端の情報技術か、科学技術を専門に活動する課である。もし適性しなければ、他を望まない限り、警察へと所属を余儀なくされるのだ。
ナツメは、AからEまでの五段階評価うちCランクという――――ギリギリのラインのレベルであり、またその中を上中下で三段階評価したうち、下という、所属する能力者の中で最も弱いという評価がされていた。
彼が委員会に所属している二年間、今までで二度試験を受ける機会があったが、その能力の成長性は極めて低く、殆ど無に等しかった。
……最も――――。課長はふと考えて、首を振る。
彼に限って『覚醒』やら無意識による本能の解放等によって能力が抜群に強化されることは無いだろう。彼は自在に扱える最低ラインの能力を駆使することが一番似合っていて、それ故に評価されるのだ。勿論、他意はなく、悪い意味ではない。
「今は二月の九日だ。期待の新人が来るまで二ヶ月を切ったんだ。少しは見本になるよう善処してくれ」
「あぁ、だから太陽光線が差す様に強いんですね。夜も八月辺りよりもっと寒いし」
涼谷は何処吹く風と言ったように話をそらす。面倒すぎるのか、課長はそれに反応を見せずに言葉を打ち返した。
「高緯度地域なぞは鼻水も凍りつく程だ。砂漠で生まれたのだから、その位で嘆くな」
彼女が委員会で働くようになって早七年。能力開発機構、いわゆる学園を卒業して直ぐのことなのでその歴史は存外に長いのだが――――能力だけが成長する彼女は、課長には手の負えないほど図々しくなっていた。
それは、たまに敬語を忘れるほど。
課長は少し、面倒な人間だと息を吐いて、あっちへ行けと手を払う。
「住居施設に空きがある。受付で話せば適当に案内してくれるだろう。住処が見つかるまでの当面は、そこで暮らしておけ」
委員会に所属するものの大半は、アパートやマンション、あるいは自宅住まいであるが、三割程度は、その関連ビルの住居施設に住んでいる。その中には例外があり――――選抜チームの人間だけは、重要な問題が無い限り半ば強制的にその施設に移り住む事になっている。
部屋の構造は似たり寄ったりだが、中は広く、必要最低限の家具、電気製品は揃っていて、勿論トイレバス付き。食事は、ビル内に食堂が存在するから問題は無い。
勿論、その費用は全て給料から天引きされるのだが、それでも社員寮ということで値段は控えめだ。
このビル内には、五階から十二階までがそれで、選抜チームが占拠するのは十二階部分。
涼谷は、短く「わかりました」とだけ返事をして、珍しく足早に、その場を後にした。エリック・ジェーンとは違う、筋肉によって引き締まった身体を鈍く揺らしながら、ズカズカと、揺れることの無い短い癖っ毛を見せて彼女は、その扉の向こうに姿を消した。
外はすっかり夜の帳が落とされてしまっていて――――あと少しで終業だと、課長は自分を励ました。
――北地区第一区。一七時二一分現在――
彼はナツメの依頼に対する報告書を書いていた。
薄暗い室内は――――電球を取り替える事によって明るさを増す。その電球は、今話題となっている省電力だというのに長時間灯していても劣化せず、長い間使えるという代物である。
ナツメの前払い金によって購入したものだが、別段、彼は金に困っているということは無い。寧ろ、彼はこの地域では有り余る方に属している。
それは彼が、火器類取扱店と情報屋を兼業しているからであり――――そのどちらも、それぞれの仕事として十分なくらい繁盛しているからである。
名は知らずとも、その店の存在は多く知られている。そんな立派な噂の店。
彼の書く報告は、仕事を途中で断念したというお知らせであった。無論、前払い金は使い込んだが、ある程度の情報を掴んだ為に返す予定は無い。
ナツメから依頼されたのは詰まるところ――――違法薬物売買の裏側。
――――全ては、確信的犯罪によって様々な小物品を扱う店が爆破テロを受けて、薬物売買の事実が委員会に伝わったことに始まる。
そうして彼は、ナツメの依頼を受けて調べたのだが、それは酷く驚くべき事実――――とは言い難い。なにせ彼は、事実を掴んでいないからだ。もし情報を得ていたとしたら、成功したという報告書に書き直すべく励むしかない。
それはあくまで推測でしかないが、その憶測は限りなく事実に近いもので――――新聞社が、その破綻しかけている新聞に誰も知らぬ記事を載せて売り上げを伸ばそうという画策の結果、薬物を栽培し、その事実を政府に擦り付けようとした事。
無論、それは嘘であるから裁かれるが、その頃には新聞は売り切れ御免の状態である。
だがしかし、そこまでが――――委員会の迅速な行動によって防がれた、薬物売買の全てだと思わしき事件の表側。
彼が掴んだのは勿論その程度の事ではなく、その裏。何処にも生息せず、また作り出すには広大な空間と肥沃した土地、莫大なる実験器具、材料が必要となる違法薬物の草――――を作り出す組織団体。
それは、新聞社が摘発されて動きを大幅制限されたが、その元々持ち合わせる強大な権力のお陰で今すぐにでも、第二の薬物売買を行おうとしている。
その目的なども思いついた、もとい考えに到るのだが、それは彼等の仕事だろうと店主は書くのを止める。
これまでが推測で、彼が事実として手に入れたものは、”その組織は中央地区に存在する”という事だけである。彼はソコから書き出し、それ以降は全て暗号で書き綴る。
下手に中身を見られたら困るからであり――――。
ソレをカウンターで書いていると、不意に、扉がノックも無しに――――蹴破られた。
激しい音が鳴る。扉が壁に叩きつけられて、店主の緊張は最高潮に昇った。心臓が締め付けられ、同時に股間部分が縮み上がる。神経に、冷たい何かが走り全身に痛みが降り注いだ。
外は暗いが、明るい電球はソレを影無く映し出す。そいつは男で――――寒さを防ぐためか、身を隠すためか。黒い革のジャケットに黒いマフラーを着る、長髪長身で、痩せ気味の男であった。
「邪魔するぜ」
男はブーツで床を鳴らし、問答無用でカウンターにやってきた。店主は何気ない素振り――まるで書いていた帳簿でもどかすように――カウンターの下へとソレを潜り込ませて、次いで、ベルトに挟む拳銃に手をかけた。
「悪いな。今日は休みだって表に貼っ付けて置いたんだが――――今の若者は、文字も読めねぇのか」
この世界では、仕事をするにあたって文字を読むということは最低限の常識である。というか、そうしなければ仕事が出来ない。故にそれは、人が息をするのと同じなくらい”当たり前”な事であり――――だから、どんな孤児でも赤子の頃から捨て子で一人で生き抜いた人間でも、大抵は字が読める。
だからその台詞は、貧困に病める人間を馬鹿にしたものではなく――――十分に、相手が挑発として受け止められるのだ。
「良いんだそれで。俺ぁ店に用事は無い」
だが――――店主が拳銃に手をかけたことは、どんな防衛手段よりも意味の無いことであった。
それは、男が、店主が反応するよりも早く銃を抜き、その額に突きつけたからである。
そのまま筒と表現して正しいような黒い銃身が額から伸びていた。電動ドリルを黒く塗りつぶして雰囲気を出しただけのようなフレームがその奥に存在していた。全体が、そもそも金槌のような形のそれは――――短機関銃である。
小型である故に、一部ではマシンピストルとも呼ばれている代物であった。
その筒のようなバレルは、減音機が装着されている為であり、その為に、彼がそもそも自身を殺しに来たのだとよくわかった。
イングラムM一○と呼ばれるそれは一秒で三十発近くを対象に連射し、撃ち込める驚異的な速度を有しており――――だが、単発射撃の拳銃とは違い、一度避けてしまえば安心だろう。
一度引き金を絞れば一瞬で弾倉は空になり、また避けた対象を一秒以内に追って弾を当てる事も、サプレッサー付きと言っても反動を考えれば不可能だろう。
だが問題は――――この銃口を、如何にして額から外すか、という事である。
「アンタにしか興味がねェんだよ」
「残念、俺は同姓愛者じゃないんだ」
「知ってるぜ。アンタは十年前の戦場を生き抜いた勇士だって。それがまだ四十も後半だっつーのに、もう隠居しやがって」
「なぁにが言いてぇんだ、お前」
――――ただの、自惚れた男だと思っていた。組織に、ある程度の実力を見込まれて自分を消しに来た野郎だと思っていたが。まさかあの紛争を知り、また俺を勇士だとのたまる男だとは。
店主は脳内で何か、今まで押すことなく錆び付いていたスイッチに何かが触れるのを感じた。
「ただ”ネズミ”を消して来いって言われただけなんだが――――俺ぁアンタみたいな男に出会えて光栄だっつー話だよ。だけどまぁ……」
トリガーガードに掛けられていた指が、トリガーに触れて音が鳴る。かちゃりと言う金属音が、彼の背筋に冷水と思わしき冷たさを覚えさせ、もとい、”蘇らせた”。
「結局、今が老害じゃあ、意味がないんだけどさ」
虚しそうに、面倒そうに――――夢を潰された少年のような目で店主を見て、そうして躊躇い無く、その指に力が籠った瞬間。
店主の瞳が、ブラウンから完全なる黒へと移り変わった。ただそれだけ故に男がソレに気づくことも無く、そうして――――乾いた音が脳に響き、銃口では火花が……散らなかった。
銃弾は銃口からはじき出されず――――結果、フルオートの為に引き金を絞っているのに、それ以上の発砲音は響かずに、男は銃口を突きつけたまま固まった。
「おいおい、紛争を知り、俺を知ってるなら何故侮る? 何故俺を知っていながら――――ソコまで、無防備なんだ?」
渋く低い声はしわがれることなく、先ほどとは全く違う、威厳を孕む声となる。その言葉は否応無しに男の腹に沈み込み、床を鳴らして後退する店主に、何も出来ず、銃口を突き付けたままの格好、姿勢で硬直した。
「俺はお前に触れずして殺せるぞ。そこまで”お勉強”してこなかったのかなぁ? はぁん?」
男は動けなかった。それこそ正に指一本として。それは恐怖からくる脱力などではない。
何かしらの力――――恐らく彼の特殊能力が発動したのだ。発砲も、その力で不可にされたのだ。
彼は今更に――――恐怖を感じた。自分の知らぬ、持ち合わせぬ力によって全てを不可能にさせる彼に。この状況に。この場に居合わせる自分に。これから起こり得る全ての可能性に。
相手の力を伺うために自分を捨て駒にした――――組織に。
声を搾り出すも声帯が動かず、男は驚くことも、心臓を高鳴らせることも自由に出来ない。今恐れを感じているものこそが、この肉体自体だと言うのに。
「お前はどこの組織から遣わされた?」
そう聞かれて不意に――――口元と、喉の奥だけが自由の中に放り出された。だから男は精一杯、そう、誰もがやかましく、そのまま情報を聞き出すことなく殺してしまいそうな程嫌になる叫び声を、本能的に発した。それはまるで、アクセルを踏みっぱなしで吹かしていたように。
「うぁああ――ッ!」
直後――――握ったまま、離すことの出来ない銃が暴発した。
爆音があたりに響き渡り大気が震え視界がブレる。彼の手元で凄まじい衝撃が手を嬲る。炎が手を焦がし――――吹き飛ばされた部品が、その開いた瞳に飛び込んだ。
また、叫ぼうと喉に力を込めるのに――――また他力が働いて動かぬそれは、無情にもその部品が瞳に肉薄し、また突き刺さる苦しみを押し殺すべくしか道はない。
筋肉は動かず、瞳を小さな部品が貫通していくのを嫌でも感じざるを得ず――――。
「あぁ、ダメだなお前さん。若造すぎる、年齢と年季――――それと知能を付けてこい。そうすれば力は嫌でも付いてくるし、そうすれば俺に勝てる。かもしれねーな」
いや、そりゃねーか。僅かに上げていた頬すらも――――微かに見せていた笑顔さえも消して、引き抜いた銃を男に向けた。
「暗殺はこっそりやれ。暗殺に短機関銃は不向きだ――――これまでの先輩からのお勉強代は、高くつくぜ」
回転式拳銃は、撃鉄を起こすことにより弾倉より弾を薬室に運び、
「だが割引して俺は手を使ってやるが――――お代は命です」
口元が嫌らしく引きつって――――引き金が、十分な力を持って絞られると同時に弾倉は回転し、さらに撃鉄が叩きつけられ弾丸を撃ち出す。
乾いた発砲音が、コレまでに無いくらい済んだ空気に響き渡り――――これまでにないくらい、男の心臓に冷たい恐怖を与えていた。
簡単な構造は、動作は、彼の持つ回転式拳銃故であり――――弾き出された弾丸は、亜音速で飛来するソレは、相手に『発砲された』と言う事実だけを残して頭を貫き、一瞬にして絶命させる。
だと言うのに――――血は一切漏れ出ることはなく、弾丸は脳内に留まったまま。
指が幾本か無く、ボロ雑巾のような手でガラクタを持ち延ばす腕は崩れず――――男は立ったまま死を得ていた。
「ったく、能力を――――自在念力を使うのも楽じゃあない。老害っつーのも、あながち間違っちゃいないな」
どこからともなく、風もないのに飛んできた黒塗りのゴミ袋は思い通りに男を頭から飲み込んだ。
次いで縄が蛇のように男を縛り上げ、取っ手を作り上げた所で――――彼は静かに仰け反って、優しく軋む床に寝た。
「この生活も、嫌いじゃあ無かったんだけどな……」
顎髭を撫でながら、もう片方の手をカウンターに起き――――それを支点に、軽々彼は向こうに飛び出る。
中年だというのに衰えを知らないその肉体は、死んだ青年の身体を、まるで空箱を扱うように持ち上げて、次いで肩に担いだ。
血が漏れぬように能力は発動を持続しているも、彼は疲れを知らぬように意気揚揚と外へ出た。
「巻き込まれたらナツメにでも助けてもらうかな」
呟くが、そんな気は更々無く、またそれほど実力が落ちた実感はない。だから冗談っぽく、一人で笑って彼は男を捨てに行った。
夜の空気は、自分の心中とは真反対に澄んでいて――――そんな嫌気に吐き気を催した。