1 ――強運的すれ違い――
――南地区第二区画。一五時一五分現在――
とある寂れたアパートの一室。仮拠点ではあるものの、そこは反政府組織の溜まり場、もとい作戦本部であった。
皆が皆、そこで寝泊りしているわけではない。首謀者と策士、それと重要な役割に付く人間が主として集まり、相談し、その他大勢に結果を報告する。その結果を作り出すための、話し合いの場である。
故にその場には数人の男たちが、暑苦しくも締め切ったままの窓、カーテンの中、薄暗い部屋で静かに会話を交わしていた。
「既に委員会には嗅ぎ付かれているらしいっす。この場所は……。既に幾人か近くへ来ているみたいで。全て同じ組織とは、まだ判別つきませんが」
鼻から下を、ごわごわとした髭に包む巨大な体躯をした男が、その身体を丸くするように縮こまりながら、自身の役割をこなした結果を首謀者へと報告した。
鈍く低い声は、その薄暗く蒸し暑い部屋の中では酷く恐怖を促すようなものではあるが、涼しくなるのは心だけという現実の無情さが伺えた。
無論――――金で雇われたと言えども、戦闘能力の高さからの評価で、割合に難しい仕事を成し遂げているアキラと、彼を紹介した三嶋もその場に居合わせている。
皆が六畳半の真ん中に、なにやら怪しい宗教団体の会合の如く集まる中、彼等はそれが鬱陶しいように部屋の隅で、うちわを片手にだれていた。
「そうか……」
その部下たちの前に、片膝を立てて座る男。彼こそは首謀者であり、また組織一の実力者である。頭が切れ、また冷静な判断と、やはりその持て余す力をアキラとは違い上手に使いこなす様を評価され、強い信頼を置かれている人物であった。
「あれほどの爆破でも一、二週間程度しか怯まないのか。厄介だな……、どう思う、西篠?」
引き締まる首を困ったように掻き毟りながら、集団の中の一人――貴族誘拐事件の関係者――に、彼は尋ねる。
別に答えに詰まったから、というわけではない。ただ単に、久しぶりなので頭も鈍っていると思い聞いてみたのだ。故に、息を呑む素晴らしい意見が欲しいわけではない。だからといって、酷く俗じみた言葉が返ってきても困るのだが。
勿論、西篠もそこまで――第五隔離病棟に居た事で――落ちぶれたわけではないので、その事について察している。物凄く鋭く。そして当然、彼が既にある程度の考えが頭の中に居座っていることにも勘付いているので、当たり障りの無いことを、脳からひねり出す。
「このまま泳がせ、向こうが行動に出たところでこちらも動けばいいのではないでしょうか。少なくとも、相手が知っているのはこの場所だけでしょうから」
何も知らないのならまだしも、悪戯に少しだけ知ってから行動に出るほうが遥かに危険である。全くの無知ならば、あらゆる事に警戒し、使わぬ脳も全開にしながらまた慎重に行動する。だが後者の場合、少しだけ知っているという事を驕り、またそこからの勝手な判断や思考で、妙な自信を持ち、結果隙を見せてしまう。
現在の委員会、もしくは他の、この組織を狙う誰かは、その後者の状態である。故に、叩くのならば隙だらけで阿呆の様に突っ込んできたその瞬間だと、西篠は考えた。
その意見に、なるほどうんうんと周囲の人間は頷き、なるほど秀才じゃないかと肩を叩く男があった。それを見守るリーダーは咳払いをして彼等を落ち着かせてから、軽く頷く。
「あぁ、君らしい考えだ。そして同時に私も同じ事を考えた。つまり諸君、これからは静かに生きようと私が述べるのだが、どうだね?」
この反政府組織は、語れば長いものである。それは十年程昔に遡るのだが、この説明はまた時が来たときになされるだろう。
――――過激派を語るこの反政府組織の首謀者らしからぬ風貌、言動を持つ、穏やかな青年は、またそんな風に、活動を一時凍結するようにも聞こえる発言をしてみせる。言うまでも無く、彼はそんな意味で申したのではなく、単に、釣れるまで気長に待とうというものである。
最初はそんな言葉に驚いた諸君一同であるが、意味をなんとなく理解してくると、またそれも致し方ないことだろうと頷き始める。
まだ動かない委員会、または他組織は、隙を見せて突っ込む阿呆とは違う。酷く秀才で手だれた精鋭兵の如き素早さで、また得物を捕らえた蛇のような狡猾さで全てを伺うのだ。
下手に動けば、馬鹿者として釣れる脅威が、逆に阿呆として自分が釣られてしまう事になる。ついでに、この組織全ての情報を露呈して。
それだけは避けねばならない。たった――――ソレだけのことで全てを失うにはあまりにも情けなさ過ぎるし、何よりも、それで終わっていい反政府組織ではないのだ。
彼等はソレを重々に承知している。故に、この組織はやや、少数精鋭気味であった。手駒を上手に集めなければ、雑魚や阿呆ばかり集まってしまう。数を増やすのは確かに、ある程度大事なのかもしれない。政府を相手にするのだから――――だがしかし、阿呆ばかりでは困ってしまうのだ。
誰も、好き好んで赤子に壮大なる宇宙を語りたくは無いだろう。つまりは、そういうことである。
「了解してくれたのならば嬉しい事限りなし。それでは、これからの事だけど――――」
素直な彼等に、そして暑さの所為で殆ど話が耳に入っていないアキラ達を眺めてから頷き、これからしっかりとした話に移ろうとすると、不意に――――言葉を遮る激しい音が、建物が崩壊する錯覚を覚える衝撃が、すぐ近くで巻き起こった。
がたがたと物が崩れ落ち、そして床に衝突して、床が抜けてしまうほどの衝撃に、彼等は皆驚いて身を伏せた。
妙に近場で聞こえるソレは、恐らく隣の部屋で起こった惨事であろうが――――その中で聞こえた小さな悲鳴は、常ならば聞こえぬ隣人の声であった。
いつもは部屋に居らず、訪ねても返事はおろか、生活音すらしなかったのだが――――珍しく帰ってきたのだろう。
ともかく、まぁなにはともあれ難儀なモノだと、一つ息を吐きながら、また息を吸って、大きく口を開いて先ほどの続きを声にしようとするとまた――――。
『たすけてー』
隣から、籠って聞こえる男の情け無い声が、無自覚にその会合の腰を折っていた。
「……、どうしますか?」
苦笑しながら頬を掻き、汗ばむ額を袖で拭う一人の男は尋ねると、彼は困ったように溜息を吐いて、
「助けてあげようか」
仕方なく立ち上がった彼は、他の者を全員待機させた状態で、一人悠々しく、その情け無い男の下へと歩いていった。
空いた玄関の扉から入る、本来ぬるく感じる風に、彼等は涼しい快感を覚えて、彼等もまた一旦の休憩として一つ息を吐いた。
――南地区第二区画。一五時○○分現在――
時は巻き戻るべく遡り、同アパートの隣室。二階の、四つ並ぶ部屋の右奥、二○五号室の中で動き出す。
――――与えられた休日も半ばが過ぎる。彼は今日も今日とて自主的に仕事に明け暮れては、休みだからと常より早く帰宅していた。
それから、既に前日、前々日に綺麗に片付けた部屋の中を見渡して、やることがないなぁと呟きながら窓を開放。ぬるくも、無いよりはマシの風を全身に浴びながら、彼は携帯する火器を高床式寝台の底部分、引き出し状に引き出せるソコへ貴重品と共に閉まって、寝転んだ。
マットレスが深く沈みこみ――――無駄な保温性が、全身から汗を噴出させた。彼は、コレは参ると起き上がり、そのまま上着を脱ぎ捨てた。身体から引っ剥いだ服は、不自然なことに、ふわりと舞うことなく、鳥が撃ち落されるように床へと叩きつけられて鈍い音を鳴らした。
それは決して汗で濡れた服が重くなったという訳ではない。
彼という男は、自身を鍛える時間を欠いているために、服に重りをつけるなどという古風な修行方法で肉体を強化しようという目論見を企てているのだ。
ナツメは、休暇中故に私服の上着であるそれから重りを引き抜き、それからベッドへと放り投げる。腕にずっしりとした重みが投げる動作によって倍増されて、また解放された。
ただそれだけなのに妙に疲れてしまうのは、やはり常日頃からの疲労の蓄積の所為だろう。彼は、明日こそはゆっくりと休もうと考えながら、ラフなシャツ姿に着替えなおして、本棚の前に立った。
「今日の気分は世界の船窓から書籍版、かな」
彼が呟くそのタイトルは、砂船の窓から見える景色の写真集である。ナツメが好き好んで集めるそれは、愛読する雑誌に毎月十ページずつ掲載されており、書籍版にもなると掲載されていなかった写真も大幅追加されているというお徳版である。
最も――――殆どの写真は、普通の人間が見ればどう違うのか、説明が欲しくなる砂漠の景色なのだが。
一般人には価値が見出せないものを所持し楽しむ自分に悦に浸る。というわけではない。ナツメは純粋に、その壮大さや、荒廃した都市、外から見た街の光景などに心を動かされるのだ。
小さい頃の夢は冒険家だった。そう思い返しながら、本棚の一番上に収納されている、六法全書並みの厚さを誇る、定価五、二五○円のソレに手を掛け、引っ張り出そうとすると――――紙との摩擦が起こり、それは中々に抜け出せない。
こいつは困ったことだと、奥歯を食いしばりながら、指先ゆえに力の入らぬ手を、妙に高い故に、踏ん張りきれぬために力の入らぬ己を心中罵倒していると、本が――――棚ごと、手前へと不意に襲い掛かってきた。
それはあれよあれよと言う間に頭頂部に鈍い衝撃を走らせ、
「あぁっ!?」
実際にはそんな事を口にする余裕も無く――――金槌に打ち込まれる釘の如く、床へと叩きつけられる。そんな幻想を抱きながら、ナツメは仰向けになって本棚の下敷きと化した。
頭がぐらぐらする。愛書に埋もれて死ねるのなら本望だと一時期考えたこともあるが、実際こんな状況が突発的に起こってしまったらやはり命は惜しいものだ。蔵書など誰かにくれてやるから代わりに誰か助けてくれと、心の中で彼は叫んだ。
しかしやはり、それはそれで惜しいものがある。こんな簡単に見て分かる情けない状況でこんな複雑な心境に陥るとは思っても見なかった。
全身に電撃の如く走る痛みの所為で能力の使用も困難な現在。彼を助けてくれるものはその場に居るはずが無い。
高性能無線機で助けを呼ぼうにも――――引き出しに仕舞い込んだきりであった。
だから彼は迷わず叫ぶ。
「たすけてーっ!」
ナツメが不意に感じるのは、夜中ふと考える死の恐怖。だが、現在の状況はそんな恐ろしく孤独的な状況よりも酷く情けない。言ってしまえば、その思考上での死は甘美なほどマシであると言えよう。
なぜならば、少なくとも死に方を選べるからだ。
その時不意に、世界が静かになった気がした。
ナツメだけを、人間を辞めて倒れる棚に埋もれる下敷きとなる人生を選んだ彼だけを置き去りにして、皆が新たな世界へと旅立ったのかと、一瞬真剣に心配して――――。
「大丈夫ですかー?」
玄関の外から聞こえる男の声に、ナツメはほっと胸を撫で下ろす。
「申し訳ない、鍵が開いてるので、入ってきて貰えないでしょうか」
なるべく怪しまれないような口を利き、それからドアが錆びた音を立てて開くのを聞く。次いで、中に入る足音と同時に溜息が漏れるのも耳に届いて、ナツメは心の底から申し訳ない気分に陥った。
「これは……、読書家なんですねぇ」
やがてやってくる彼は言葉に詰まり、ややフォローになっていない事を口にする。そして、そのまだ若いらしい男は一つ息を吐いて、能動的にすぐさま屈み、棚の脇に手を掛ける。
「これは良い人。ありがたい」
「いいから、本は少しばかり諦めてください。せーので行きましょう」
「わかりました……。せーのっ」
大きく息を吸い、自身のタイミングに合わせて棚の柱部分を握って力強く押し返す。同時に男も、立ち上がるように棚を持ち上げると――――バラバラと、飛来するようにページをはためかせながら、まだ落ちきっていない本はそうして棚から零れ落ちる。そうして漏れなく、ナツメを嬲っていく。
ページが折れ、跡がつく。中途半端に持ち上がるソレは、下段に重い辞書類を鎮座させた報いであろう。ナツメはそれを思い出した。
半ば涙目になる情け無いナツメを見て、救助にやってきた男は短く息を吐き――――また一息で、力強く棚を持ち上げて……。
「はい、ご苦労様」
本が散らばる中に倒れるナツメを見て、彼は紳士的に手を差し伸べた。足で本をどかさず、しっかりと手で選り分けたのは紳士的かつ常識人である証であり、またそれが好感度をグンと上げさせた。
ナツメは軽く頭を下げながら手を取り、立ち上がってから、また改めて頭を下げた。これは彼なりの丁寧な礼であるが、受ける側は些かしつこいと感じざるを得ない。
「私はこの隣に住んでいる『夜半無月』です。最近越してきたのですが、ご挨拶が遅れた様ですみません」
彼はついでとばかりに自己紹介をし、そして軽く握る手を振った。ナツメは彼の好青年ぶりに感動を禁じえず、顔をほころばせながら、同じように名を名乗る。
「いえ、こちらも長々と家を空けているので。俺は『夏目鳴爪』……、変な名前でしょう? こちらこそ、よろしく……?」
笑顔で名乗るが――――不意に、彼の笑顔が失せた。何か、気に障る事でも口にしたのではと思ったが高々五○文字にも満たない紹介で、ナツメがそんな事を鋭くやってのける事が出来るはずが無い。
心当たりがあるとしても名前ぐらいのものだが、この土地での、この都市での生活は、どう計算しても半年に満たない。二年以上治安維持委員会に属しているのにも関わらず、だ。
だからそれ故に知り合いも居らず――――だからそれ故に、自分の名前にピンと来る人間なんぞは、委員会の人間か地元の人間くらいしか居ない。だから少なからず後者では無いと、ナツメは理解した。
――――夏目鳴爪。名は聞かぬ、というより、有名では無いだけである。だが私は知っている。この名を、この顔を。だからといって、彼が私を知っているというわけではない。
私と彼は知り合い同士では無いからだ。
ならば、何故私が知っているという話になるのだが、それは至極簡単な話で――――委員会の重要・危険人物リストに含めた覚えがあるからである。
選抜チームは勿論、委員長に、選抜から零れるが高い戦闘能力を有する能力者。だが、その条件の中で唯一一致せずとも、その名を脳に刻ませる存在があった。
それが彼、ナツメである。その存在は以前西篠を打ち負かしたことにより露見した。
その時の西篠は、今ほど強くは無かった。だが少なくとも、今のナツメ以上の実力は秘めていたし、事実その通りに彼に苦戦を強いていた。だが彼は生き残り、西篠を打ち負かしたのだ。
他の雑兵が居たのにも関わらず。怪我をし、疲弊していたのにも関わらず。
他の能力者とは違い――――彼だけが、自己完結で終える能力だというのに。
――――能力とは大抵、自分から他へ影響を及ぼす。例えば西篠の自家発電ならば、どんな方法にしろ得た電気を、放電する。例えばアキラの反発ならば、速度や大きさ形を知覚したもの全てを弾く。
電波にしろ重力にしろなんにしろ、全てはそうである。そしてある程度は重複している能力である。
だが――――ナツメのソレだけは未観測の能力であり、また、観測対象に至らない弱小能力であった。
それなのに、事実彼はそう、胸を張って強いと誇れる程ではないのに――――全てを打ち負かしてきた。
それは即ち、強さの証明である。だから改めて、能力判別テストに掛けてみるのだが、その結果はやはり、Cの下という評価には変わりがない。
能力の強さとは即ち精神力の強さである。それほどの数の能力者を、それほどの強さの能力者を打ち負かしてきた彼ならば、それに応じて精神と共に能力も強くなるはずなのだが……。
――――反政府組織の首謀者、夜半無月は、自身の中で最も不可解な生き物を見たように顔を硬直させ、また一瞬の内にあらゆる物事に思考をめぐらせて、また答えの出ないソレに、少しばかり苛立った。
だが、目の前のソレについてただ一つ理解しているのは、相手は酷く間抜けな――――強敵であるという事。
――――顔を、石膏で固めたように硬直させたかと思うと、いつの間にか緩やかな笑顔に戻っていた。
「いえ、そんな事は無いです。寧ろ平凡すぎるより、名前を覚え易くて良いのではないですか?」
そしてまた、気の利いたことを言ってくれる。こんなところは、旧友で重力使いの出水保孝とは大違いであった。
そんな事を新鮮に感じて、よければ仲良く、ついては友人になってみたいなぁと――――残酷なことを、彼は事実を知らぬが故に考えていた。
目の前の彼こそが、夜半無月こそが追い求めていた反政府組織の首謀者であり、討つべき敵である事。彼はそれを知らぬし、また夜半も伝えようとは思わない。
「えぇまぁ」それぞれが手を離し――――真逆のことを思惟しながら、彼等は器用に言葉を交わす。
「本の片付け、手伝いましょうか」
「いえ、お恥ずかしいし、面倒なものなので大丈夫ですよ」
「そうですか……。それでは私は戻りますが、用があったら気兼ねなく声を掛けてくださいね」
「はい、わざわざ丁寧に。ありがとうございました」
振り返り背を向けた夜半の表情は、仲間にさえ見せない冷酷なモノに移り変わり――――それを見送るナツメの顔は、誰にも見せない穏やかなモノとなる。
皮肉とは、こんな事を言うのだろうか――――それは誰にも分からない。
夜半は戻ると直ぐに、ナツメが本の片づけを終えぬ内に、外へと興味を持たない内に解散するよう小声で命令を下し――――そうして迅速に、一分と経たずに、アキラ達を含める数名は直ぐにその場を後にした。
蜘蛛の子を散らすように去ってくソレを、外付けの廊下で見下ろし見送りながら、夜半は様々なことに、改めて息を吐いた。
――――そんな事も知らぬナツメは、本を棚へ整理していく中で、存在を忘れていた手紙を発見した。
それは、故郷で幼き頃から仲の良かった友人が、旅立ち際に渡してくれたものである。そんな、渇きを極めて封筒の中から手紙を取り出すと砂と化してしまいそうな儚さを持つ外観に、懐かしさすら漂う代物。
ナツメは足元に積み重ねた本をそのままに、慎重に手紙を、その中から取り出した。
手紙は――――この環境では、故郷である北開発地区から来ることは絶対に無い。なぜならば、この東京から出る砂船は、ソコまで走らないからである。
その上月に一本という過疎具合から見て、手紙配達は酷く困難となる。砂嵐や、砂蟲の状況から、また月に一本確かに出るということすら怪しいのだ。
だから、この手紙はその友人からの、最初で最後の一枚となるであろうソレである。
ナツメは要らない考えを頭の中から排し、その拙い文面に目を落とす。
『拝啓、ナツメ様。お元気でしょうかと、旅立ったばかりの貴方にこうして尋ねるのは、いつ読み返しても新鮮なお気持ちで読み始められるよう私なりに考えたからです。
ちなみに私は元気です。元気な幼馴染の一方で、片方は酷く病弱という典型的な関係を築く事はありませんし、仮にそんな関係であれば貴方は旅立ちはしなかったでしょう。
それは置いときまして、貴方と一ヶ月会わぬだけで永久にも感じる孤独を得た私は、恐らく貴方が帰ってくる頃には精神的にお婆さんになっているやもしれません。現実とは常に非常なモノなので、決して、誰かを助けて、そのお礼に城まで招待されている間に時間が経過して……なんてわざとらしい辻褄あわせは存在しません。
ともあれ、私は少しばかり寂しいです。本当ならば、貴方と共に大都市東京へ赴き、出水さんと貴方と、三人で楽しく過ごしたかったのですが、私には貴方のような特殊能力がありません。そればかりが悔やまれることです。
ところで、そちらではご友人は出来たでしょうか。好意を寄せる異性は現れたでしょうか。大都市よりも科学的には進んでいるこの街には、私にとって好ましい殿方はまだ居りませんのでご安心を。
手紙としては短いようですが、長くてもなんだか女々しいのでこれで終わりとさせていただきます。どうか体調を崩さぬようお気をつけて。
かしこ』
その手紙は、マナーがある程度出来ているのに――――名前が書き忘れているようで、署名は何処を探しても存在しなかった。
ナツメは彼女の事を頭の隅に思い浮かべて、どうせコレも彼女の考えだろうと思った。
名前を書かないのはわざとで、自分の名前を忘れないで欲しい、あるいは、書かずとも誰か分かる仲だろうとの事を表しているのだろう。小癪な技術である。
「ったく。……しかし、故郷か……」
思い浮かべれば、まだ二年と少ししか経過していないのだ。そう考えれば短くも感じるが――――冗談とも知れぬ、『一ヶ月あわぬだけで永久に感じる』という一節に、それでは二年もすれば干からびてミイラになってしまうのではと、心中で突っ込みを入れてやった。
床に座り込んで、またソレを薄く焦げたような色の封筒に入れなおすと、開け放した窓から温い風が入り込んで、カーテンが妖しく踊る。
ナツメはソレを眺めながら、今日は早めに寝ようと、適当に考えた。