SKILL3 『すれ違う人々』
違法薬物の供給が失せたことにより依存患者は表に姿を現わした。
禁断症状を起こし暴れまわる者。次回の薬物売買の取引がほぼ取り消しになったことにより、自棄になって過剰摂取し命を落とす者。また症状の軽い者は、他者に高額でソレを売りつけるなどしていた。
その事態を深刻に見た政府は、ある程度の人員を動かして被害の出ている東西南北に精神科、心療内科を兼ねる依存症を専門に治療する病院を間に合わせで展開する。
後々、規模を大きく拡大させ民間に明け渡す予定であるのだが、現在の依存症患者の数が予想を反して多いため、その予定は未だに未定であった。
そうして大衆の知るところに躍り出た薬物の違法取引であったが――――さして興味も無い彼等の記憶からは、そう時間も掛からずに消え去って行くのだろう。
その世界の天には神も無く、されど世は事も無し。
時間だけが平等に流れる其処では、無自覚に全てを霞ませていた。
――北地区第五区画。一四時三四分現在――
治安維持委員会支部の広いロビーでは、一人の支部長――御影慶――はうなだれ席に付いたまま動かない。
誰も居ない其処は酷く静かで、広い故に電気をつけなければ薄暗いソコである。だからただ座っているだけでも、彼の気分はどっと落ち込んでいた。
――――部下の正義感溢れる行動から、本来無関係である西地区の貴族誘拐事件を引き受けたのだが……。
人買い、いわゆる奴隷商人に売られた――――政府との関係が濃厚な彼女の足取りはおろか、その商人すらも見つからない有様である。
その貴族は、世界の荒廃から立ち上がる中で、出来上がったばかりの政府に限りない援助を尽くしてその地位を得た存在。唯一無二の、貴族たる貴族であった。
そして昨日、ナツメから連絡があり、その全ては政府の知る所となったと聞いた。
恐らく本部も動きだし、支部連中も現場を退くチャンスなのだろうが――――。
「要らねぇ事を知っちまったなぁ……」
彼らが得た情報は、
――――事件に関わったものは皆、反政府組織の一員だという事。
――――その組織が徐々に人員と力を付けてきていること。
――――そして、未だ未熟であるその組織の本部の在処。
動かねばならぬだろう。
彼の心は、迷っていて、その考えを誰かに否定して貰いたい気持ちで溢れかえっているのにも関わらず、その根底にあるのは”殲滅”ただ一つ。
未熟といっても、少なからず武装は豊かで、能力者も知れている限りではA級が数名。それ以下が数十人居るとされている。
一方の北地区第五区画治安維持委員会支部は、部下十二名。うち戦闘員は五名で、能力者はB級の上である彼、御影慶ただ一人。
最も、支部長になれる条件はB級以上の戦闘向き能力を所有している事が最低条件である。その他委員は、必要な技能のみで選考募集するために、大抵支部には支部長以外の能力者が存在しない。
戦力的に見れば圧倒的に不利である。普通に、理智的に考えればすぐさま本部にその場所を報告し、自身は元の仕事へと戻るだけである。
だが――――託されてしまった。
ナツメから。涼谷から。
ならば”自分”で解決しなければいけないだろう。自分で受けた仕事は、自分で片付けるのが彼の信条である故に、確信的にそう考えていた。
下らぬプライドだと、笑われるかもしれない。
事実、彼自身そう吐き捨てていたし、部下からもそう言われるのが良く想像できた。
最も――――この行動が、出すぎた真似なのは重々承知している。
いくら頼まれたからと言っても、彼が受け渡された仕事は”貴族である上守社を探す”事であり、その”貴族を誘拐し、売り払った組織を壊滅”する事ではない。
彼は――――この行動が、委員会の面汚しになることは重々承知している。
御影が特攻を仕掛けたとしても、そのアジトに全員が揃っているとも限らないし、そもそも突撃してもその中の全員を瞬殺できる程の戦闘能力を持ち合わせていない。故に返り討ちをされて、死に、吊るし上げられるだろう。
委員会は、この程度だと見せしめるように。
考えただけで身震いする。彼は身体を小さく震わせてから、背もたれに体重を掛けて大きく息を吸い、心を落ち着かせた。
「プライドは……仕方ない、狗にでも喰わせておくか」
自分では無駄な上に足を引っ張りかねない。
相手は腐ってもテロ組織。国を取るか、個人の誇りを取るかで考えれば、答えなど考える間も無く出てしまう比較対象である。
そうして彼は、彼の机の上に鎮座する電話機へと手を伸ばす。無論、委員会へと連絡するためである。
一週間ほど前に高性能無線機が扱えるほどに電波状況が回復し、また有線も修復されたとの連絡が来たお陰で、どの支部も元通りに活動を再開している。
我々は関係なかったがな。そんな事を考えながら、電話に出た交換手に、委員長へ取り次ぐよう指示をした。それは、支部などと言う下っ端には委員長へ直接繋がる電話番号を教えられていないからであった。
――西地区第一区画。一四時四○分現在――
自分の勤める支部の長がそんな苦悩をしているとも知らぬ委員の一人、荒波水城は、あてもない捜査に疲れて一休みしていた。
彼女こそが無自覚に正義感を人一倍垂れ流しにする人物で、自分の上司、御影慶のプライドを自ら捨てさせる判断に陥らせた当事者である。
だがやはり、当の本人は気付き難いもので、彼女は一寸先も見通せないこの事件に苦虫を噛み潰したような表情をしていた。
「困ったものね……」
事は、電車内で老婆に因縁をつける若者を抑えたナツメと知り合ったことから始まる。
そして彼が理不尽に巻き込まれた事件を感知し、上守邸に突撃し、上守杜だと姿を偽っていた呉氏崎とそれに加担していた西篠を捕獲し、貴族の行方を捜している現在に至る。
手がかりは一切無く、掴めるのは――何も知らない彼女にとって無価値だと感じられる――反政府組織の情報だけ。
それについては落ち着いてきた中央部が処理してくれるだろうし、そもそも、その情報も確かかどうか怪しいものである。
そんな組織の情報が、ただで流れてくる事もそう思わせる一因であるし、その量が最も疑惑の念を滾らせた。
――――その人員数に、事件の数々。加担している便利屋の情報、総合した大体の戦闘力等。
幾ら情報屋とは言え、知りすぎでは無いだろうか。もしくは身内か何かなのだろうか。
彼女の思案は尽きることが無い。
反政府を名乗るのだから、政府に狙われるのは当然である。そして政府と言うものは須らくして大火力を所持しているものだ。勿論、民間で募り集まったその組織が、ソレを返り討ちできる実力を持てるはずが無い。だから当然、身を隠し情報も漏れないよう厳重注意する。
筈なのだが……。
泳がされては居ないだろうか。そうに彼女は考える。真面目に思索し、水で喉を潤しながら、辺りを警戒する。
街の一区画、その半分を大規模の爆破させ、――現在は既に修復も終えた――駅も吹き飛ばした組織が、遂には直接、政府が営む組織をも吹き飛ばそうとしているのではないか。
委員会は警察よりも権力を持ち、またその昔あった自衛隊という軍隊の活動と、またその昔の――治安維持委員会の――名前だった公安の仕事をそのまま継ぐ組織である。
故に規模は大きく、能力者の量も質もあらゆる意味で天を衝く。
だからまずソレを先に無力化させれば、政府が他にどのような防衛組織を隠していようとも無力に近い。
そんな先駆けを、北第五区の支部で行おうとしているのではないかと――――彼女は考えていた。
恐ろしいことだと身を震わせた。ありえない事だと首を振った。
だがどうにも不安が拭えない。それは、起こる確率がどれほど少なくとも、絶対に存在する恐ろしい出来事を想像してしまったからである。
またいつ世界が滅びる危機に見舞われるか分からない。いつか豪雨が降り注ぎ、乾ききった砂に吸収されずに洪水になるやもしれない。身近で言えば、いつか、また今すぐにでも、通り魔に殺されるかもしれない。
それは酷く極端な想像かもしれないが、そんな空想は、夜中、寝る前に考える死ほどの恐怖を、不安を彼女に与えていた。
だが、そのきっかけとなったナツメのことなどは、彼女の頭からとうに消えている。そもそも、”きっかけ”なんてモノは最初から存在しておらず、運命的に正義に導かれるままこうなったと、彼女は考えていた。
彼女は、自身の正義と、ソレより遥かに強い意志によって作り出される正義と、伴う実力に無条件で妄信する。荒波がこの組織に入ったのもそれが理由である。
――――そんな事も露知らず、同行していた同僚の男は、そんな震えている彼女の肩を軽く叩いて、優男のように声を掛けた。
「大丈夫かい? 変な人にでも声をかけられた?」
荒波は自分の世界に没入していたために周りが見えておらず、そんな同僚の行為の所為で、彼の言葉通り”変な人に声を掛けられた”状態になってしまう。だから彼女は大きく肩を弾ませた直後、俊敏に男に向き直りながら手を振り払い、数歩下がりながら腰の拳銃に手を伸ばして――――同僚の顔を見るなり、ふと我に返った。
それはやれやれと言う様に両手を挙げて、肩をすくめる。荒波は申し訳ないように謝罪をした後、そのままの距離を保って得た情報を伝えた。
「――――って所。本来の目的とは遠く離れた情報ばかりよ」
「そうか……。それじゃ、今日はもう戻ろう。他も皆、そうしてるみたいだし」
「そうね。何も出来ないから仕方が無いわ。私たちもそうしましょう」
どんな相手でも、不安の深淵に一人で佇むより、二人、あるいは複数で居たほうが安心する。最も、モノには限度があるが――――それが仲間ならば、効能はより高まるというものだ。
荒波は合流した事によってある程度、不安と恐怖を払拭して、そのまま支部へと戻っていった。
空に高く上る日は、そんな事も知らぬ振りで燦々と鬱陶しいほど暑く鋭い陽光を降り注いでいた。
――――あらゆる事件、思案が、情報が交錯する、様々な立場の数日間が、そうして幕を開けた。