プロローグ
この世界を創造したと言う噂がある神は、自身が作った天使によってその創造物を大破させられた。
それには行き過ぎた科学など正当な理由がある。というか主な理由が、発達しすぎた科学技術であるのだが。そしてそれは、世界の人間が半ば神の存在など信じずに神の領域へと土足で踏み込んだ代償であった。
その結果、世界の大半は焦土と化し砂漠になって――――故に出来上がった過酷な状況を強制的に課せられた生き残りは、それ故に隠されていた力が発現した。
――――最も、そんな空想的戯言をいかにも真実だと吐き捨てるのはこの世界には僅か一握りしか居らず、大半の人間は醜き争いの代償だと信じている。
世界の荒廃については誰も語らない上に、破滅が起こり、現在に到るまでの――――人が人たる生活を得るまでの空白の期間も誰も知らぬように隠蔽されている。
謎が多いこの世界では――――それでも、昔を気にする余裕を手に入れられない人間は、必死に前を見ながら突っ走っていた。
話は戻り、特殊能力の発現について。――――今まで生身では扱えなかったが、科学技術では容易に再現できていた現象。だが何も持たぬその時でも扱えるのはやはり、『特異の力』という一言でしか説明が出来なかった。
そして人間は、その能力と気力を駆使して廃れた街から技術を復活させ、水を湧かせ、人が生きる最低条件を容易に満たしていくのだが、結局何も変わらず、懲りず、また元へ戻ろうと健気に頑張り、時は流れる。
それから数千年の時が経ち、空白の期間を除いて数えて現在は『天暦一七八八年』である。
危惧されていた大陸同士の結合は、結局何千年待てども起こらず、島国である日本は過酷な環境の中で孤立したのだが――――。
「世界に名だたる東京『中央区』の治安維持委員会の本部が、敵との抗争で区画ごと吹っ飛ぶってのはどうなんでしょう」
劣悪だからこそ上がるモチベーションは、それ故に世界に認められる技術力を蘇らせていた。
黒いライダースーツを嫌そうに着る少年『夏目鳴爪』は、両腰に備え付けてあるホルスターに修理から戻ってきたばかりの拳銃を二本突き刺し、腰に巻いてある弾倉帯に揃えた弾丸と弾倉を仕舞いながら溜息をついた。
「知ったことか」
ぶっきらぼうに言葉を返し、彼の高床式寝台に座り込みながら愛用の大剣を磨く涼谷涼子は、それからナツメを睨むような鋭い視線を突き刺した。
「準備はまだか、グズグズするな愚図」
言われながら、ナツメはさっさと白い絹の外套を羽織り、肩下げ鞄と散弾銃を肩から掛けて、準備の出来ていないであろう涼谷に嫌味の一つでも吐いてやろうかと高床式寝台を見ると、既にその場に彼女の姿は無く。
早くも玄関を出て行こうとする彼女の背は、背負われている大剣によって更に大きく見えていた。
――――南地区第二区画にある、寂れたアパートの一室。ナツメの自宅である其処を出ると嫌になるくらい真っ青な、好意的に言えば抜けるような青空は雲一つ見せることなく、故に隠れる場所の無い太陽は、凄まじい火力で肌を焼きつくさんとしていた。
真昼間のそこで無用心に肌を露出していれば一時間と持たずに火ぶくれを起こしてしまうほどの熱光線である。外に出ると見える人の姿は、皆ソレに用心した格好で街を歩いていた。
「武装も間に合わせで、仲間も二人きりってのは少しばかり、心細い気はしませんか……?」
政府の一部である治安維持委員会は、半ば独立しているような組織である。それを直接的にどうこう言って命令できるのは、東京の郊外にビルを建て仕事に専念する内閣総理大臣くらいであのだが、現在その首相からはなんの連絡もない。
治安維持委員会本局が中央区ごと爆破してから早くも一週間以上が経過しているのだが、支部にも連絡が来ないので、彼等はその問題の場所へ向かおうとしていた。
「中央区への道中で遇うだろ」
支部も本局から仕事を流してもらっているというわけではないのだが、給金は本局から貰い受ける。給与日は後数日と迫っているのにこれほどまで大事になってしまっているのだから、腕に覚えの在るものならば、彼らと同じように勇ましく中央区へと向かうだろう。
だがナツメが心配しているのは、最終的に集まる仲間の数などではなく、出発時点での人数である。
北の郊外は総理大臣が居るのでその犯罪率は極端に少ないものであるし、中央区はその取締りの総本局であるから皆無に等しい。東は街の入り口であるから街の人間が自主的に防犯活動に勤しむし、西は資金家や貴族の地区故に防犯対策はばっちりである。
だが南だけは何もなく――――いわゆる吹溜りのような場所であった。
だから上等なモノを身につけていれば、心が悪に染まっている者に狡猾に狙われ舌なめずりをされる。
彼がそんなところに住んでいるわけは、ただ一言。本局長に「治安が悪いのでそこに住み込め」と命令されたからであった。
ナツメはそんな気楽な一言に大きく息を吐いて、
「敵との抗争で吹き飛んだって話ですよ。ここは兎も角、中央区にその名も知れない強大で凶悪な組織が潜んで居るかも知れないのに」
能力者だって居るかもしれない。
能力には誰でも目覚めることが出来る。その素質を持って生まれてきたのだが、実際、ナツメや涼谷程使いこなせるのは東京の総人口の四分の一にも満たない。
人口の数でさえ曖昧なので、それが多いのか少ないのか分からないのだが――――少なくとも力のぶつかり合いか、それとも一人の能力によるものか。なんにせよ、中央区を吹き飛ばす程か、それに準ずる能力を持つ人間が存在していた、または存在していることは確かなのだ。
身体能力を数値に変換し、それを自在に操る『制御操作』というナツメの能力や、自分の意思で自由に炎を纏わせる『焔術』では到底太刀打ちできないことは聞くだけで判断できてしまう。
「だとしても、そんな派手な事する奴が残党狩りなんてショッボイ事すると思う? ま、仮に来たとしても、あたしの相手じゃあないね」
得意気にその自信家は鼻を鳴らす。区画を吹き飛ばすほどの能力者が残党狩りになど参加すれば、その付近は加減をしても大変なことになるだろう。だからそれほどの実力者は来ない。だから涼谷は自信満々に言うのだが、事実、彼女はそうしても許される程の実力を持っているので、ナツメは何も言返せずにただ肩を落とした。
「じゃあ」ナツメはそんな彼女をからかうように問いかけた。「敵が来たら全部任せても?」
言うと、間髪無く頭を殴られた。風を切って拳が迫り、まるで巨大なハンマーでも振り下ろされたかのような圧迫感が頭上に迫るや否や、大剣を容易に振り回す腕力は、なるべく優しく、ナツメの脳を激しく揺らす衝撃を与えて行く。
思わず足元がふらついて、そして思わず涼谷の肩に寄りかかる。だが何故だかそれは許してくれるようで、彼女はナツメの頭を揺らしながら言い聞かせた。
「男は女を守るものだと認識しているんだが」
「だって涼谷さんは男よりも勇まし――ッ」
不意に遮られる台詞の要因は、顔面に突き刺さる彼女の裏拳であった。大したダメージを負わないよう力を調節している彼女は、恐らくナツメが制御操作で力を全開に上げても敵わないのだろう。
ナツメが鼻血が垂れる鼻を、外套で押さえつけていると涼谷は心外だとそっぽを向いた。
短い癖っ毛は全身を嬲るような熱風に微かに揺らぎ、そんな勇ましい口調と雰囲気を持つ彼女は無口になったとたんに、年齢より少しばかり若そうな女性に見えた。
やれやれだとナツメは大きくため息を付いて、
「はいはい、涼谷さんは可憐で花も恥らう乙女ですよ」
「心がこもってない」
「俺に何を求めてるんですか。口が過ぎたことは謝りますから。拗ねてないで行きましょう。ほら」
道のど真ん中で立ち止まっても、誰も邪魔そうにしないのは道が大袈裟なほど空いているからである。
だからといってそれを存分に味わう暇も余裕も、興味も無いので、ナツメは彼女の手を引いて前を進んでいくと――――。
『古本叩き売り市場開催!』と言う、風になびく旗が本屋の前に立てられていた。
なんという事――――なんと言う事だ。古本を叩き売りするだなんてことは、つまるところ在庫一斉処分と言う事だろうか。つまるところ、手に入らなかったあの文献が、小説が、一式セットになって驚きの価格で売られているのだろうか。あの店の店主に本の価値などは見出せていない。そんな彼が何故本屋を営んでいるかは不思議なことではあるが、そんな事が功を奏しているのかもしれない。
妙に頭が回転し、胸が高鳴っていく中で、一人の男が中へと入って行き、ナツメの胸は嫌な予感でまた心臓が激しく乱れた。
これは――――下手をすれば欲しかったものが買われてしまうかもしれない。いや、欲しいものなんてのは最初から無かったが、見つければ欲しいと感じるものだ。だが最初からそれを見なければそもそも欲しいと思う余地も無いわけで。だけどもしかするとあったかもしれないという仮想がどうしようもなく心をかき乱してしまうかもしれない。
「涼谷さん」
だからナツメは彼女のようにまどろっこしい遠回りな事は抜きで、「本屋に寄っていいですか?」と聞こうとするのだが、
「ダメだ」
即答する。ナツメがその時見た彼女の顔は、阿修羅像の静かな怒りを感じている顔に良く似ていた。顔の構造などではなく、雰囲気が。
「な、何がですか。まだ何も言って無いじゃないですか」
「本屋だろ、ずっと見てたから分かったし――――そんな所に寄る暇も余裕も無いし、あたしには興味が無い」
まるで心を読んだように吐き捨てる台詞である。涼谷はそう言って得意気な顔でハイドを見て――――背を向けていたその肩を力強く掴んで引き寄せた。
本に盲目になっていたナツメは、そのお陰で目の前を通り過ぎていく男とぶつからずに済んだのだが――――どうしたことか、その男はナツメの前を通過し終える直前でわざとらしく、その肩でナツメの顔面を殴打する。
「いってーっ! 何すんだよ餓鬼コラ」
痛いのはこちらの顔の方だと愚痴ろうとするが、その少しばかり背丈の大きい男は、ソレよりも早く無茶すぎる因縁を吹っかけて――――だが吹っかけることさえ出来ればもう彼等の独壇場なのか、気がつくと湧いて出る彼の仲間は瞬く間にしてナツメ達を囲んでいた。
総勢八名。筋肉質な肉体で、それぞれが何かの迷信なのか鼻にピアスを装飾し間抜けな顔で睨みを利かせる。
どうしたものかと溜息をつくと、涼谷は白々しく乙女を装ってナツメの背中に隠れてしまった。
どうしたものかと――――本当にどうしたものだろうか。能力の持たないチンピラに絡まれるたびにこんな罰ゲームみたいなものを見なければならないのだろうか。
彼女は確かに美人かもしれないが、しおらしい姿というよりは勇ましい格好の方が合っているのだ。
「ほっほー、可愛い彼女ちゃん連れてんね。有り金とその娘で、いいやッ!」
背後の涼谷はその後ろに回る男に両手を封じられてナツメから引き剥がされ、女の子らしい悲鳴を上げる。そうして男は、そんな事を言いながらナツメの顔面へと拳を放つのだが――――それは『どうしたことか』、何も無い虚空を貫いていた。
先ほどまで居たナツメの姿は一瞬にして消えていて、視界が反転。街から空へと移り変わり、踏みしめる地面はその姿を消して――――そこでようやく、ナツメが居なくなったのではなく、自分が転ばされて空を仰いでいるのだと理解できた。
「もう、所持金『だけ』は勘弁してください」
「ちょ、あたしは!?」
大剣が見えないのか、男は涼谷を押さえつけたまま――――彼女の後頭部で叩きのめされた。
果敢にも立ち向かってくる男にナツメはかがみ込み、がら空きになっている腹に拳を一打。内臓を浸透して行く衝撃は余ほど空きっ腹に堪えたのか、彼は腹を抑えながら倒れていく。
そうしてまた――――今度は鋭利なナイフを抜く男が居て、
「それっ」
屈んだ際に手を伸ばして掴んだ砂を男に振りかけると、彼はそれを振り払うような動作をして――――ナツメはその大きく現れた隙に突っ込み、腹を蹴り飛ばした。
男は小さいうめき声を上げて背中から倒れていって――――気がつくと、既に先ほど絡んできた全員は余すことなく地面に伏していた。
悪乗りしていた涼谷はそれでもしっかりと働いてくれたようで、ナツメより一人多く対峙してくれたようだった。
「ふぅ……、金にならない仕事をしてしまった」
見せしめに外套を引っ剥ぎ、ズボンを脱がして両手を縛り、クツを脱がして遠くに捨てる。
遊び半分でそうしてやった後、涼谷は道中に戻りながら肩を落とす。ナツメはそんな彼女を励ましながら――――まだ始まったばかりの今日に、大きな不安感を感じていた。