6話 彼からの一言
アメリアは不安を覚えながら馬車に乗り込み、家具屋へと向かい始めた。
不安が顔に出ているからか、リリーは心配そうな顔をしながら声をかけた。
「奥様、大丈夫ですか? 馬車酔いでもしたのでは……?」
「いいえ、その……恥ずかしいけど、ドレスがあんなに高価な物だと知らなくて。旦那様に何かを言われたらと思うと不安で」
アメリアはこう言っているが、そこらにいる貴族に比べれば全くお金を使っていない。だが、彼女にとっては人生で初めての金額に驚きと不安が隠せなかった。無駄なお金を使ったとウィリアムに責められたらと考えるだけで不安で仕方ない。
「奥様、旦那様は確かに厳しい方ですがこのくらいで何かを言う人ではありません。それに、旦那様が奥様のクローゼットを見れば間違いなく「新しいものを買うといい」って言うに違いありません!」
リリーの言っていることは事実だが、アメリアは受け入れることができなかった。彼が自分に興味がないこともわかっているが、それでも浪費していると思われたらどうしようと考えてしまう。このことをきっかけに本や紙、インクも注文できなくなってしまったらやりたいこともできなくなってしまう。そのことも考えてしまい、本棚を買うことをやめようかと考えたがドレス同様それも必要な買い物だ。しかも、本棚を買わずにドレスだけを買ったことを知られてしまえば本棚が欲しいと言ったことがドレスを買うための嘘と思われてしまうかもしれない。
(これでは何かを言われても仕方ないわね……)
ため息を吐き、目線を落とす。すると先ほど買ったばかりのドレスが目に入り、アメリアの口元が少し緩んだ。
今まで縁がなかっただけで彼女も一人の女性だ。新しいドレスを買えば自然と気持ちは上にあがり、頬を緩ませる。上品に大人しい光を放つ、流行に合わせた綺麗なドレスを着るのは初めてだった。今までの流行遅れのドレスとは大違いであり、質も申し分ない。
ドレスの細部を眺めているうちに馬車は目的の家具屋に到着した。
馬車から降り、外観をみれば大きな建物でアメリアは圧倒された。足を踏み入れれば来店を知らせるベルが鳴り、二人は店主の挨拶を受けた。
「いらっしゃいませ、本日はどのようなご用件でしょうか?」
「こんにちは。今日は本棚と書類などを整理するために棚を買いに参りました」
「かしこまりました、色や大きさにこだわりはありますか?」
アメリアは自分の部屋を思い出した。白や薄い色を基調にした部屋であり、あまり暗い色は使われていない。それなら棚たちもそれに合わせたものが良いだろう。大きさは大きければ大きいほどいいだろうが、あまりにも大きい物を買えばスペースを余らせてしまう。かといって、長い目で見た時にしまう場所がなくなるのも困る。
悩みに悩んだ結果、適度に大きいものを購入することにした。書類……もとい、書いた作品たちをしまうための棚も本棚と似たような色と大きさにすることにし、種類別に分けやすいように仕切りも何個か購入することになった。
(……流石に予想はしていたけど、高いわね)
店主が品物の手配をしている間に領収書の確認をされたが、アメリアは本日二度目の高額な領収書に精神的に疲弊していた。これが自分のお金で買うとしても相当な勇気がいるだろうが、今回はウォーカー家の財産を使っている。言い換えれば、ウィリアムが稼いだお金とも言える。いくら家族とはいえ、許可をもらっているとはいえ、人のお金で買い物をするのはアメリアの精神に大きなダメージを与えていた。
領収書にサインをし、本棚は後日届けられることになった。
家具屋での買い物も早々終わってしまった。だが、外に出れば空の色はオレンジ色になっており、帰ることを考えればちょうど良い時間だった。
「リリー、今日はありがとう。とても助かったわ」
「いえ! むしろ、奥様と一緒にお買い物ができてとても楽しかったです」
リリーは自分が仕えている人と買い物に行く経験は少なかった。お使いを頼まれて買い物をするために街へと行くことはあっても、人との買い物というのあまりなかった。そのため、今日の買い物ではアメリアよりも楽しんでいた。
嬉しそうにしながら話すリリーの様子を見て、アメリアは安心した。主人として、自分はふさわしくないとアメリアは考えている。アメリアは今日の買い物で、改めて自分が世間知らずの貴族であると自覚した。金銭感覚もドレスの大事さも、何もわかっていない。そして、一店舗目のドレスやで自分が守られるだけだったことにも悔しい思いをしていた。何も言い返すことができず、結局それに対する仕打ちはリリーが言った。公爵夫人としての威厳というものを持っていないことに申し訳ない気持ちになっていた。
「……こんな私でも、これからもよろしくね」
「もちろんです、奥様!」
リリーは満面に笑みで答えた。その顔を見たアメリアはなんだか、少しだけここに信頼が生まれたような気がした。前世でもリリーは侍女としてアメリアに仕えていたがそこに信頼があるかと聞かれれば、なかった。
ウォーカー家当主のウィリアムからの命令で仕事をしていただけであって、リリーはアメリアに対してなんの期待もしていなかった。期待をしたところで、前世のアメリアは家庭のことも何もせずに一日の大半を散歩やお茶、ぼーっとすることで終わらせていた。ウィリアムとの間に子どもでも生まれていれば育児に励むことができたのだろうが、それもなかった。挙句の果てにはアメリアは病気となって死に至った。そんなアメリアに期待と信頼を持って仕えるのは難しい話だろう。
だが、今世は違う。アメリアは今度こそ自分の人生が豊かになるように願い、動いている。実際、今も買い物に行くことができ、家に帰れば自分の好きなように執筆をすることができる。今までと比べれば、圧倒的に充実した毎日になっている。
(……もっと早く、こうしていれば前世も違ったのかしら)
そんなことを考えるが、もし前世に行動を起こしていてもきっと今のようにはいかなかっただろう。小説を読んでいたとしても書くことはしなかったかもしれないし、ウィリアムに興味を抱かれていないことをわかっていてもそのことで悩むことも今以上に多くなっていたかもしれない。前世での経験があるからこそ、ここまでの行動ができているのだろう。
馬車が家に到着し、降りて家の中へと入る。当たり前だがウィリアムの出迎える姿などなく、そのまま流れるように自室へと向かった。外出用ドレスから室内用のドレスに着替え、幾分か楽になった格好でソファに座る。まだドレスも本棚も届いていないが、数日間の間に今日買ったものが自室に来るというだけで胸は高まっていく。
「奥様、お茶をお持ちしますか?」
「ええ、お願い。夕食まではまだ時間あるわよね?」
「はい。今日は旦那様の仕事が長引くみたいです。なので、夕食の時間も遅くなるかと思います」
「わかったわ」
リリーは一礼をしてから部屋を去り、お茶を淹れるために厨房の方へと向かった。
ウィリアムは家で仕事をしているが、実際に品物を見たり契約を自ら結びにいくことも多い。そのため、書類仕事を家でこなしながら外で仕事をすることも多い。夕方ではあるが、これから契約を結びにいくために外出をしたみたいだった。
そうとなれば、帰ってくるのは先になるだろう。棚も明日には届くらしく、紙が倒れる心配をしながら書く必要はない。そこまで考えて、今日はまだ何も書いてないことから”書きたい”という気持ちがアメリアを駆け巡った。
(夕食までよ、夕食まで)
机の前にある椅子に座り、昨日の続きから書き始めようと準備をし始めた時にちょうどリリーが戻ってきた。紅茶のセットをしてもらうと部屋にいい香りが広がる。
夕食まで休んでいても良いことを伝え、リリーには部屋を出て行ってもらった。これで部屋にはアメリア一人となり、思う存分物語を書けることに満足を覚えていた。
ペン先をインクにつけ、文章を書く。頭に出てきた物語の流れを書いては読み返し、直しては書いて読んで、を繰り返す。時間はいくらでもあるというのに、頭にある物語が同じ速度で紙に反映されないことにもどかしさを感じている。もっと早く書きたいと思う反面、この時間がもっと長く続いてほしいとも願っている。
気づけけば机に上には数枚の紙が散らばり、手はインクで汚れていた。リリーはそのことを予想していたのか夕食のための準備をはやめようと、すでにタオルとお湯の入った桶を持って待機をしていた。
「こんなことだろうと思いました」
「あら、もうそんな時間?」
リリーはほんの少しだけ呆れたように笑い、アメリアの身支度を手伝い始めた。インクで汚れた箇所を拭き、髪の毛を綺麗にまとめる。身支度が終わればリリーは散らばった紙をまとめ、先ほどまで辞書や紙で乱雑になっていた机が綺麗な状態へとなった。
「奥様、もうそろそろで旦那様が帰宅するそうです。お出迎えに行きますか?」
少し様子を伺うように、リリーは聞いた。だがアメリアは少しだけ考えた後、首を横に振った。出迎えたところで大した返事ももらえず、会話もできないのだから意味もないだろう。それに、彼はきっと自分の顔をそんなに見たくはないだろうとアメリアは考えた。それなら多少待たされるとしても、食卓に彼が来るのを一人で待っていた方がまだいい。
二人の足は玄関に向かうことなく、そのまま食堂の方へと向かった。歩きながら、アメリアは先ほどの不安を思い出した。彼に何かを責められたらどうしよう、とまた考え始めてしまったのだ。本棚の購入には許可をもらっているが、ドレスの方にはもらっていない。どうやら領収書はすでにリリーが執事に渡したようなので、彼がそれを確認した時に疑問を覚えて仕舞えば何かを言われてしまうかもしれない。
不安で緊張をしながら中に入って椅子に座ること十数分、ウィリアムが少しだけ疲れたような顔をして入ってきた。
「こんばんは」
「……ああ」
何度繰り返したって変わらないこの挨拶。
ここで板割りの言葉をかけても変に思われて終わりだ。いつものように特に会話のないまま食事が進んでいく。
(もしかして、何も言われない……?)
食事はすでにデザートまで進んでいた。それまでの間、ウィリアムは一切話をしようとせず、もっと言えばアメリアの顔すら見ようとしなかった。
リリーの言うように、彼はドレスを買っただけでは何も言わないのかもしれないと思った。もしくは、帰ってきたばかりでまだ領収書を確認していないのか……。
「……ところで」
「ッ! はい!」
思わずカトラリーを落とすところだった。
ウィリアムからアメリアに話しかけることなどなかったのに、終わりかけの頃に彼が口を開いたのだった。だが表情は一切変わらず、いつも通りの無表情であった。
「買い物に行ったと聞いたが、無事に買えたのか?」
「は、はい……おかげさまで、良い本棚を買うことができました。それと……その、外出用のドレスを数着購入しました。旦那様に聞く前に買ってしまい、申し訳ありません」
アメリアの声は震えていた。彼からその話題を振ってくれたのだから、自分から報告したほうが後から「なぜ言わなかった」と強く責められないかもしれない。
震えながら話すアメリアに疑問を持ちながらも、ウィリアムはなんてこともないように「そうか」とだけ言って、食事を終わらせてしまった。
「……別に謝ることではない。また何かあれば言ってくれ」
「は、はい……」
去り際にそう言って、ウィリアムは食堂から出て行った。
アメリアの方といえば呆然とした。もっと何かを言われるかと予想をしていたのに、お咎めなし。さらには「また何かあれば言ってくれ」の一言。
もしかして、ひどく冷たい人というわけではないのだろうか。アメリアは疑問に思いながらも最後の一口を食べ、席を立った。