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3話 ときめきときっかけ



 食堂に食器の音だけが静かに響く。

 どちらも口を開く様子はなく、ただ黙々と食事をするだけ。


(……本の相談をしたいけど、もう少し先の方がいいわよね)


 あんなにたくさんの本を買ってもらえただけでも十分ありがたいこと。

 いくら公爵家とはいえ、嫁入りをしたばかりでお金についてとやかく言うのは失礼だろうと考えた。


「旦那様」

「……なんだ」


 相変わらずウィリアムはアメリアのことを見ないまま、食事を続けたまま答えた。

 無視をしないだけまだマシだろう。


「本、ありがとうございます。あんなにもたくさん届くとは思いませんでしたが、とても嬉しいです」

「そうか」


 会話終了。

 お礼を言ったところでウィリアムから何かを言われることはなく、必要最低限の会話のみ。せっかくなら本の話もしたかったと思ったが、高望みだろう。

 自分の死に際にですら会いに来なかった人が、出会って数ヶ月の妻に対して感情を持っている方がおかしい。それでも、もう少し会話というのはしたい。

 

 前世はあまりにも孤独のままだった。アメリアの会話相手はリリーだけで、趣味であった読書はおろか、社交界にも出向く機会がなかなか無いまま人生を終えてしまった。

 十年も公爵夫人をやっていたというのに、アメリアはただのお飾りにしかすぎず、ウィリアムにとっても社交界の人々にとってもただ黙っているだけの人形のような存在だった。


(家のことすら、何もさせてくれなかったもの)


 この時代の女性たちは、結婚をしたら“家庭の天使”と呼ばれるような存在だった。

 結婚をした女性は主である旦那を支えるための存在。家を守って管理し、仕事に出かける男性をにこやかに送っては帰宅を待ち、出迎える。

 それにも関わらず、アメリアには一切の家の管理を任せてもらえなかった。最初は母の教え通りに彼を送り、出迎えようとしたが「それはいらない」とウィリアムに言われた。


(いつかは家の管理も任せてもらうようにならないと……)


 長い道のりになるだろうが、人生をやり直せるのであれば今世こそ妻の役割を果たしたい。

 彼の興味関心を引きたいわけでもないが、唯一の食事の時くらいは良いものにしたい。だが、この調子ではまず無理だろう。


(でも、旦那様が私に興味がない時に活動を始めたいのよね)


 妻としての役割を果たしたいのも本音だが、自分だけの財産も欲しい。公爵家が潰れることはないだろうし、ウィリアムが仕事に失敗をするとは思えない。

 少なくとも、前の十年間は成功ばかりで公爵家の財産は膨れ上がっていくばかりだった。


(こればかりは成功するかはわからないけど、やってみる価値はある)


 夢を叶える第一歩でもあるのだ。なりふり構っていられない。

 気づけば食事もデザートになり、食べ終えたころにはなんの挨拶もなくお互いに食堂を出ていった。


「リリー、お茶を一杯持ってきてちょうだい」

「かしこまりました、奥様」


 部屋に戻り、積み上げられた本を見て次にどれを読もうか考える。

 さっき読み終えたのは恋愛であり、ロマンチックな物語であった。それならば、緊張感が走る推理小説を読むのもいいかもしれない。

 積み上がった本たちから気になるタイトルを一冊見つけ、崩れないようにゆっくりと取り出した。

 ちょうどリリーもお茶を持ってきてくれたので、お茶の用意が終わったら休んでいても良いとの許可を出すと、リリーは一礼し、部屋を出ていった。


(さて……どんな話かしら)


 わくわくとした気持ちで本のページを捲る。

 どうやら物語の内容は探偵とその相棒が事件の解決を目指して徐々に成長をしていく物語らしい。探偵は優秀だが、その相棒はどこか抜けている。探偵がサポートをしながらも事件の解決へと物語は進んでいくがこの相棒もなかなかに鋭い眼を持っているらしく、探偵が気付かなかった視点で相棒が事件の核心へと近づいていく……そんな物語だった。

 

(もちろん物語自体もすごく面白いし、予想外な展開もあるから続きが気になってページを捲ってしまうのだけど、なんというか……この探偵と相棒、相性がとっても良さそうに見えるわ)


 落ち込む相棒に探偵が慰めたり、逆に探偵が事件のことで躓いている時には相棒が元気付けたりと……師弟愛もあるだろうが、それよりももっと違うようなものがこの物語には見えてくる。


(いや、おかしいわ。どう考えても恋愛物語ではないわ。しかも、この二人が恋愛をしていたって男性同士よ。男性同士で恋に落ちることなんてありえないし、おかしいことなのに、なのに……どうしてこんなにも、胸がときめくの?)


 恋愛小説を読んでいた時とは全く違う胸の高鳴り方に驚きながらも、興奮を抑えることができなかった。

 決定的な文言はないからこそ、このもどかしさに胸の奥がきゅうと締め付けられる。

 こんなときめきは、生まれて初めてのことだった。


(もしかしたら、これなのかもしれない)


 私が書きたいものは、これかもしれない……。

 そう思い立ったら止まることができなかった。すぐに机へと向かい、ペンと紙を取り出す。手紙を書くときのような小さな紙だが、これでいい。


 考え出したら止まらず、気が済むまでにペンを握った。

 気づけば外の光は闇のような暗さから白くぼやけ始め、少しずつ光が昇ってきていた。



   ・


   ・


   ・



「奥様、おはようございま……?!」

「あら、リリー。おはよう」

「もしかして、寝てないんですか?」

「気づいたら朝だったわ」


 アメリアはにこにことしながら答えた。

 机に向かい、右手にペンを持ちながら文字をひたすら書いていた。多く用意されていた手紙サイズのような紙はほんの少ししか残っておらず、床には文字でびっしりの紙が散乱とし、机の上には小説本や辞書が数冊ずつ積み上がっていた。


「夢中になっちゃったのよ」


 リリーは呆然とした。

 アメリアは一睡もしていないというのに肌艶は良く、目は輝きをもっていた。事情を知らない人がアメリアを見たら、何かとても素敵なことでもあったのだと思うだろう。

 アメリアは腕を上にあげて伸びをし、首を数回まわした。立ち上がって床に散らばった紙を拾うためにしゃがめば、それを見たリリーも動き、二人で床中に散らばった紙を拾い集めた。


「奥様、一体なにを?」

「ただの趣味よ。初めてだったけどとても楽しいわね」


 趣味、と言うにはあまりにも異常な量だ。拾い集めた紙を束にしてみれば一冊の小説くらいの厚さがある。一晩でこれを書いたことも不思議だが、とても初めての人が書いたようには見えない文章量と内容に思えた。

 

 アメリアは昨晩読んだ本に大きく影響されていた。まるで、生きがいでも見つけたような感覚だった。生まれて初めての感動、ときめきが体中をめぐり、居ても立っても居られずに彼女はペンを握りしめたのだ。いくら感化されたとしても、ここまで行動に移せる人は少ないだろう。


「そろそろ朝食の時間よね」

「はい。なので用意を……」

「手伝ってくれてありがとう。早速着替えましょうか」

「ですが奥様、一度シャワーを浴びた方がよろしいかと」


 リリーの言う通り、アメリアはシャワーに入った方が良いほどだった。インクが手だけではなく、顔にもついていて、髪も途中でアメリア自身で結んだせいか乱れている。とてもじゃないが、着替えただけではウィリアムの前に出ることは許されないだろう。


「……そうね。悪いけど、お願い」

「かしこまりました! すぐに用意してまいります」


 リリーは忙しなく動き、シャワールームへと向かった。その間にアメリアは先ほどまとめたばかりの紙の束を見つめ、不思議な気持ちになりながら書いていた時の気持ちに余韻を覚えていた。


(まさか、こんなに書けるなんて思わなかった)


 もう少し書き足せば、小説本を出せるほどの量だった。ちゃんとした原稿用紙に書いていないからどこかに持っていくことや提出をすることはできないが、それでも文字量は十分だった。

 アメリアは、これほど物事に集中した経験はなかった。貴族としての勉学をした時もここまでの集中力はなく、本を読んでいたとしても途中でお茶を飲んだり、休憩を挟む時もある。それにも関わらず、彼女は一晩休むことなくひたすらに文章を紙に書き込んでいた。

 

 アメリアは侯爵とその秘書の物語を書いた。その侯爵は仕事一筋で跡継ぎのために結婚をしろと周りに言われても頑なに結婚をせず、仕事に打ち込むような人。厳格である侯爵とは反対な、少し犬のような可愛らしさや愛嬌を持つ男性秘書を中心の登場人物として書き綴った。推理小説のような展開はないが、二人で経営難になった飲食店や商店を立て直すため、そういった苦難を乗り越えながらも仕事をする話だった。


(でも、まだ足りない)


 アメリアは、もっと書きたいという気持ちに溢れていた。

 時間が足りない、朝食の時間だって惜しいし、シャワーを浴びるのだって放って物語を書きたい。


「やっと、やりたいことができてる」


 微笑みを浮かべながら、アメリアはそう言った。

 彼女はようやく、人生の楽しみを見つけたのだ。




 それからというもの、彼女は食事の時以外は部屋に篭るようになった。リリーは公爵夫人でもあるアメリアが、書き物に夢中になっていても良いのだろうかと心配をしていた。

 公爵夫人でもあるアメリアが、書き物に夢中になっていても良いのだろうか。いくらウィリアムがアメリアに興味がないかと言って、家のことをやらなくても良いのか。

 ウィリアムがアメリアに興味を持っていないのは周知の事実だった。ウォーカー家に使えている侍女や執事たち、誰に聞いても一人残らず「旦那様は奥様に興味がない」と答えるだろう。


「リリー。旦那様に紙とインク、ペンの注文をしてほしいと伝えて」

「……かしこまりました」


 一晩でたくさんの文章を書いたにも関わらず、アメリアの書く手が止まることはなかった。本棚を注文することさえ渋っていたアメリアは紙やインクに関しては渋らず、何度かウィリアムに注文をしてほしいと頼んでいた。

 気づけば書き上げた枚数はとんでもない量になっており、リリーも管理をするのが大変になっていた。捨てるわけにもいかず、ただただ紙の束として部屋の端に積まれている。いつかこの紙のタワーも崩壊するだろう。

 

 リリーは、少し気が重いと思いながらウィリアムの執務室のドアを数回ノックした。

 中から「入ってくれ」という声が聞こえ、リリーは申し訳なさそうにしながら部屋の中へと入った。


「……どうした」

「失礼します。奥様が紙とインク、そしてペンを注文したいとのことで参りました」


 ウィリアムは「またか」と思いながらため息を吐いた。

 注文をすることに反対するわけではない、ただこんなにも短期間に何度も「注文をして欲しい」と言われれば面倒にも思えてくる。

 自分の妻は、一体何をしているというのだ。


「注文票を渡すから好きに買っていいと伝えてほしい。費用はいくらでも構わないが、領収書は執事に渡すようにだけしてくれ」

「かしこまりました」


 リリーは一度礼をしてから、ウィリアムの執務室を去った。

 その様子を見たあと、ウィリアムは椅子に深く座り直して考えた。アメリアがこんなにも急に頼みごとをし始めるのが不思議だった。

 来て数ヶ月が経過しても、彼女との会話はほとんどなかった。何かが欲しいと言うわけでもなく、食事を共にするだけの夫婦関係。それにも関わらず、最近の彼女は何か生き生きとしているように見える。前は暗そうな顔をしていたというのに今では目に輝きを持ち、なんだか楽しそうにすら見えた。


「まあ、それくらいか」


 言ってしまえば、それくらいだ。

 宝石が欲しいと強請るわけでもなければ、新しいドレスや買い物に行きたいと言うわけでもない。聞けば彼女は部屋にこもって何かをしているらしい。紙とペンを欲しがっていることから、勉強や何かをしているのだろう。

 別に彼女が勉強しようが、何をしようがそこまで関係ない。公爵家に危険が伴わないのであればそれでいい。

 そこまで考え、ウィリアムは仕事へと戻った。


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