17話 歩み寄る気持ち
屋敷に戻り、馬車から降りるとリリーが出迎えてくれた。
「おかえりなさいませ、奥様」
「ただいま帰りました。もうそろそろ夕食よね、着替えないと……」
「はい、用意はできてます!」
リリーと共に屋敷内に入り、自分の部屋へと向かった。
着替えながら、打ち合わせがどんな内容であったかをリリーに話し、打ち合わせのことを思い出す。自分の決めたことを変えたいとは思わないが、妙な胸騒ぎがする。
何事もなければ良いが、ここで一番怖いのは早い段階で旦那様にバレることだ。貯金ができる前にバレてしまったら、家を追い出された時に困る。きっと公爵家は、私が物語を書いていることは隠そうとするだろうが、夫婦関係を続けることは流石に認めてはくれないだろう。
リスクのあることをやっている自覚はあるが、ここまできたら引き下がることもできない。
それに、行動もしないで後悔をするなんて、もう二度としたくない。
「どんな表紙になるか、楽しみですね」
「ええ。完成が待ち遠しいわね」
販売までに数ヶ月はかかると言われた。
思っていたよりも長いが、十分な準備が必要であれば仕方のないことだろう。それでも、自分の本が販売されることを想像するとどうしても焦燥感に襲われる。気長に待たなければいけないというのに……。
着替え終わったアメリアは食堂へと向かったが、そこにウィリアムの姿はなかった。どうしたのかと思えば、近くにいたレオンが「どうやら商談が長引いているみたいです。奥様だけでも先に召し上がりますか?」と聞いてきた。
夕食の後は修正された原稿にゆっくりと目を通したいと思っていたし、できるのなら先に食べ終わって作業に取り掛かりたい。
「そうします。用意をお願いできますか?」
「かしこまりました」
自分の席に着き、運ばれてくる料理を食べる。
早く作業をしたいという気持ちが先走ってしまい、急いで夕食を食べ進める。はしたないことではあるが、それでも気持ちが収まるわけではない。
食後のデザートも頂いた後、アメリアは席から立ち上がり、食堂を出ようとした。だが、ちょうどその時、帰宅したばかりのウィリアムが驚いた表情をしながら食堂ドアの前に立っていた。
いつもより疲れているように見え、商談に苦戦したことがわかる。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「ああ、ただいま。……もう、食べ終わったのか?」
「ええ、先ほど」
「そうか……」
少しばかり、旦那様の表情が暗くなったように見えたが、気のせいだろう。
では、と声をかけて食堂を後にする。スタスタと少しだけ早歩きで歩き、自分の部屋へと向かう。
「奥様、先にお風呂に入りますか?」
「そうね、そうするわ」
お風呂を終えて、あとはいつでも寝られる状態にしておけば楽だろう。
作業を終えた後にお風呂に入ったこともあるが、あの時はお風呂が面倒でたまらなかった覚えがある。
そんなことを思い出しながら部屋に戻り、すぐにお風呂場へと向かった。ここで少しでも違うことをしてしまうと遅くまでお風呂に入らないことになるだろう。
リリーの手を借りながらお風呂に入り、身を清める。長い髪が煩わしいが、今日は洗わない日なのでまだ良しとしよう。
十分に体が温まったことを確認し、湯船から出る。そして着替える前に必要な保湿を体中に施せば終わりだ。
「お茶を淹れてきますね」
「ありがとう。できれば冷たいものがいいのだけれど、いいかしら」
「かしこまりました! お待ちください」
リリーがお茶を用意している間に、修正をされた原稿を最初のページからゆっくりと読む。指摘されたところを見れば、自分の確認不足であったところや文法の違い、物語内の矛盾点などが指摘されていた。
まだ数ページしか確認をしていないというのに、すでに多くの間違いがあることに己の未熟さを痛感する。仕方のないことだが、これを全て確認して、書き直しをしながら指摘された矛盾点や疑問点を書き足さなければならない。
相当な時間がかかることがわかる。
ソフィアもそれがわかっていたため、次の打ち合わせは確認作業が早めに終わればそれ次第、と言っていたが、最終的な締め切りはだいぶ先に指定していた。
アメリアもその意味がここでようやくわかり、思わず天を仰いだ。果てしない修正作業を短い時間で確認をし、赤を入れてくれた編集者は一体何者なんだろうか……。
でも、ここで弱気になるわけにはいかない。
少しでもこの修正作業を早めに終わらせて、今も書いている別シリーズの物語も書き上げることもしたい。
「奥様、お待たせいたしました」
「ありがとう」
リリーから冷たい紅茶を受け取り、半分ほど一気に飲み干せば、甘くて冷たい紅茶が火照った体に染み渡る。
ふう、と小さく息を吐けば、リリーが気まずそうな表情で「あの……」と言った。
「どうかしたの?」
「実は先ほど、旦那様に声をかけられまして。明日の朝も迎えに行く、とのことでした」
「……わかったわ」
まだお迎えは続くのか、とがっかりしてしまった。
何がしたいのかもわからないし、迎えにきたとしても何か会話をするわけでもない。正直、面倒とすら思う。
アメリアは小さくため息を吐いたあと、机に向かい、修正された原稿の一枚目をめくった。
数日経っても、ウィリアムからのお迎えは続いていた。
特にこれといった会話をすることもなく、朝の挨拶をすればそこで会話は終了する。共に歩いているときは会話をしなければいけない、という焦りはないものの、目的がわからないからこそ気まずい空気が流れる。そのせいもあって、ウィリアムも迎えに行くことはしてもいまだに何を話せば良いのかわからないままだった。
「……おはよう」
「おはようございます」
「行くか」
アメリアが「はい」と返事をする前にウィリアムはさっさと歩き始めてしまった。
いつも通り、なんの会話もなく歩き進める。ため息を吐きたいのをグッと堪えるが、これからのお迎えは要りません、と言うこともできない。
かといって、自分から話しかけるのもウィリアムは嫌がるかもしれない。自分の話になんてきっと、興味などないから……。
「そういえば、」
「は、はい⁈」
「……そんなに驚くことか?」
今まで話しかけたことなかったのに、急に話しかけられれば驚くのも無理ないだろう。
失礼な反応をしてしまった自覚はあるが、これに関しては旦那様も悪い。
「す、すみません」
「……まあいい。最近、何か困っていることはあるか?」
「え……」
まさか心配されているとは思わず、アメリアは目を見開いた。
ウィリアムは会話をするにあたり、ずっと悩んでいた。女性が好む会話の内容などわからない上に、しつこく干渉をしてしまえば結婚をする際に決めた約束と話が変わってきてしまう。
とはいえ、ウィリアムも少しばかり心境の変化があった。
毎日迎えに行っているのも関わらず、会話といえば挨拶のみ。アメリアから話しかける様子もなかったが、静かに黙っているアメリアを見て、少しばかり同情に近い気持ちを抱いていた。彼女は嫁いだ身で、友人と呼べる友人はいない。話す相手といえば専属侍女であるリリーだけで、寂しい思いをしているのではないかと心配になったのだ。
こんな気持ちを抱くようになったのも、アメリアとこういった時間を過ごすようになったからだった。
「特には、ありません」
「……そうか。また何かあれば、気軽に言ってほしい」
「ありがとうございます」
強いて言えば、旦那様とのこの時間をどう過ごしたら良いのか困っている。だなんて、口が裂けても言えない。
それでも、アメリアの胸の奥にはほんの少しだけ温かい気持ちが溢れてきていた。
前世ではなかった彼の行動に、期待なんてしてはいけないと思うのに、どうしても期待をしてしまう。前世よりかは夫婦仲が良くなるのではないか、と考えてしまう。
(……意外と、感情も素直なものね)
ほんの少しだけ、嬉しいと思った。
それからも、朝のお迎えはしばらく続いた。
ウィリアムが声をかけてきた日をきっかけに、彼は一つずつ質問をするようになった。どんな食べ物が好きか、好きな季節はいつなのか、趣味である読書では何を読むのか……。彼も自分の好きなものを話すようになり、会話という会話がなり立つようになってきた。他の使用人たちも「あの二人、最近いい感じよね」「雰囲気が変わった」と話し始めた。アメリアも、朝のお迎えが楽しみになっていった頃。
その頃にはアメリアの修正原稿も確認が終わり、打ち合わせも終わって次の作業に取り掛かる程度まで進んだ。
夫婦仲も少しずつだけど、仲良くなれたのではないかと思い始めた時。
ウィリアムは、朝に迎えに来ることをしなくなった。




