悪魔は言う「欲望を燃やせ」と
「なんだって君らは欲望と情動を忌避するのか」
公園のベンチに座って『バラバ』を読んでいると、私の邪魔をするみたいに悪魔は言った。
私は人間は自分の情動や感情にすなおだが。と反論を試みた。
「ああ、ああ。もちろん。一部の人間がそのような振る舞いをしていると言いたいのだ。節制に禁欲? バカな! そんなことをして何になる?」
成熟。もしくは精神的な完成だ。
私はそう告げた。
「なんと! おお、君は魔術師の門下生。なんと優等生な答えを口にするのか! まるで自分は清廉潔白で初心な子供だとでも言うみたいに!」
悪魔は明らかに侮蔑をふくんだ言い方をする。
「欲望を燃やせ!」
悪魔は叫ぶ。
「欲望が人を人の完成へと導くだろう!
あの圧倒的な暴力。あらゆる力の発端は、おまえたちの敵対心から生まれる。たとえその力によって破滅が訪れようとも、力による支配と征服。それがおまえたちの本質だ。
それがおまえたちの現実だ。
説教してくる者を忌み嫌い、敵だと認識し、善意からの警告すら、愚か者の耳には敵の言葉として入るのだ。
そして敵を滅ぼすのになんのためらいも感じない。それが人間の獣性だ」
話が混乱し支離滅裂だ。
私の言葉に悪魔は、それはそうだろうと開きなおる。
「それこそが人間の説明だからだ。
おまえたちは完成されるべきじゃない。
不完全でどうしようもなく利己的で、敵だ味方だとカテゴライズし。対立精神だけを野火のように燃え上がらせ、敵意と憎悪で焼き尽くされよ!」
悪魔は吠える。
彼が望む答えではないのだろう。
それは地獄からの呼び声のようなものだ。
彼の悪魔としての恭順からくる言葉は、地獄の亡者どものうなり声。
「もっともっと高望みせよ。
もっと、もっと。そう願い、望み。欲望に従って奪い、食らえ。
そうした飽和の先に、人間の魂は解放されるのだ」
その言葉は欺瞞に満ちたものだった。
『バラバ』ラーゲルクヴィスト著 岩波文庫。
ユダヤの祭日の慣習によって牢獄より放免された、バラバという罪人を中心にした文学作品。
彼はキリストの代わりとして赦免された。
本編最後の部分の「欺瞞」とは、この『バラバ』のような人物にも通ずることかもしれません。
人は放埒の先に成熟できるかどうか。そのあたりを考えないといけない。