不可思議な触手との出会い
「はぁ、はぁあああ」
茂みに隠れた俺は呼吸を整えると大きくため息を吐いた。沈んだ気持ちとは裏腹に空はかんかん照りで晴れ渡っていた。
昨日の騒動から一日が過ぎた。教会のボスと言っても過言ではないダイラス司祭を触手で辱めてしまった。
もちろんしたくてしたわけではないがあの場で説明しようとも、自分の背中から生えていた触手が印象を薄めるどころか、色濃く残り周りには強く印象に残ってしまった。
「教会の連中から一晩中逃げてきたけど、ここがどこなんだよ・・・」
天を仰ぎながら1人心地に呟く。
飲まず食わず、寝ずにここまで走り逃げてきたからか頭がボーとなってきた。
ここまで逃げてきたのは良いものの、完全に行く宛が見当たらず途方に暮れて大の字で寝ることしかできなかった。
その際、自分のスキルである触手が枕替わりになる。
「俺を気遣ってくれてるのか。ならなんであの場でああいうことをしたのかね」
逃げている途中で教会からの追ってを撒くために触手は木を薙ぎ倒して進路を遮ったり、崖を越えるために橋代わりになってくれたりもした。しかし追っ手が近づくと、触手は司祭、修道女に襲い掛かり服を引き裂き、触手を絡めたりしていた。
触手が使用可能時間になれば触手は背中に収納される体へ戻り、自らの意思でやってはないとばかりに引っ込んでいた。
「しかもなんで念願のスキルがこんな能力なんだ・・・」
考えれば考えるほど気分が憂鬱になってくる。
だんだんと意識が朦朧としていき、眠気が襲いかかってくる。
追っ手らはかなり距離は稼ぎ、安心しきったのか瞼が重くなってくる。
開けるのも億劫になり意識に身を任せて眠りにつくのであった。
『いつまで眠っているつもりだ・・・』
ぼんやりとした意識の中で脳内に直接響いてくる声で徐々に覚醒してきた。
瞼を開けると黒く粘性を帯びた触手が纏まり、人の姿を模したものが腕組みをしながら仁王立ちしていた。
辺りを見渡してみると以前住んでいた教会の大聖堂と作りが似ていた場所だった。
ここが大聖堂と違うと分かったのは、薄汚れており埃ぽく人が入った形跡がないくらい古いものだったからだ。
『我を呼び出したというのに栄養不足で倒れてしまうとは、なんとも情けない。腰を上げろ』
人の顔に当たると思われるであろう部分に穴が空き、ため息をつくように息を吐き出した。
やたら人間くさいやつだなと思いながら、俺は膝に手をつき立ち上がる。
少し空腹感が薄れている。そしてやたら乾燥しきっていた口腔内が潤いを取り戻している。
なぜか口に粘つきがある。
「お前、俺になんか食わせたか?」
『あぁ、このままでは活動するのも儘ならないと思ってな。我の一部を食わせた」
「ッ!オロロロロロロロ」
突如吐き気が込みあがり、胃の中にあるものを全て吐き散らすように嘔吐した。
『なんとも失礼なやつだ。異界の国では好んで食べるものもいるというのに』
吐いた分を食えとばかりに触手は一部を切り離し、俺に差し出した。
正直ありがた迷惑であるが、一昨日から何も食べていない。
切り離したばかりからか若干まだ動いているし、持った感触がヌメヌメしてて純粋に気持ちが悪い。
『まあ、この周りにきのみも生えていたからそれを食べても良いがどうしてもと食べたいなら食っても良いぞ』
「ちょ、ちょっとそれがあるなら早くいぇもがが」
持っていた触手を投げようとしたが、先に触手が腕に絡みつき俺の腕を無理やり口の中に入れ込んで、持っていた触手の切れ端も口に入ってしまった。
そして咀嚼させるように俺の腕を操作し顎と頭頂部を押さえつけは放し、押さえつけては放しを繰り返していた。
咀嚼するごとに苦味と粘ついた食感が口いっぱいに広がる。
『ほーらビタミンとミネラル、アミノ酸たっぷりの我の触手ぞ、遠慮せず飲み込め』
鼻を摘ままれ飲み込んでしまった。また胃液が逆流し吐き出しそうになるが口を押さえ込まれ吐き戻すことを拒まれてしまう。
数分後吐き気が治り、気分とは裏腹に体に活力が湧き上がってきてしまう。
『人は栄養を取らんと死んでしまうからな。我に感謝せよ!』
こいつ殴り飛ばしたい。そう思わせるほど清々しい態度に心底腹が立つ。
「てかそもそもお前は誰なんだよ」
『我か?そうだなぁ。今はセトとでも名乗っておこうか』
セトと名乗った触手は器用に触手を俺の前に出し、触手をを枝分かれさせてを手のように差し出した。
思わず反射的に俺も手を差し出し、握手してしまう。
『よし、これで契約完了だ』
「は?」
俺の両手の甲に青く光るこの知らない紋章のようなものが刻み込まれた。
軽率であったのは認めるが、握手をした程度で契約と言われても、なんの契約かもわからないまま唖然としセトは俺の脳内に問いかけてきた。
『貴様はこの世界のことをどう思う?』
「どうって・・・?」
『各国で小さな内紛が起こり、意思も統制されないまま種族間で戦争が行われている』
確かに俺の国だけでなく、他の国でも戦争が絶え間なく起こっていると勉強の合間に司祭が話していたのを聞いたことがある。
宗教、種族の軋轢、土地の奪い合いなど様々な理由で戦争が起こっているのも事実だ。
『お前との契約になんの関係があると言いたげだな』
『戦争の理由など様々あるが、今この世界で起こっている一番の原因は宗教関係だ』
「だからそれがなんなんだってんだよ」
俺が孤児になったのは戦争が原因だが、なってしまったものはしょうがない。それより今を生き延びるのが最優先だ。
『貴様はその場しのぎの生活で満足するのか。今はこの辺りは落ち着いているが、また戦争に巻き込まれる可能性はゼロではないぞ』
虚を突かれた気分に陥る。俺が戦争に巻き込まれて十年は立つ。しかしセドイアス戦争と呼ばれる戦いは、俺が住んでいるアドニア聖国と西側に位置するセルネアス帝国で起こったものだ。
問題はこの戦争は魔獣の急な発生と増殖により休戦になっている。そして休戦になった時より更に険悪になっていた。
そんな状態でその場しのぎの生活をしていても、いつかは野垂れ死ぬであろう。
『そんな貴様に我を崇拝する教団を立ち上げ、広げていくことが我と貴様の目的だ』
「いやなんで俺も含まってるんだよ」
『先ほど契約完了と言っただろう。我と貴様は主従関係という訳だ』
ただ握手しただけで主従関係が決まるわけがない。こんな得体の知れないやつと組むなんて真平ごめんだ。
ただ宗教を作るのは少し興味がそそられた。
戦争孤児の俺を拾ってくれた教会にはあんなことをした以上、戻れるとは思えない。けどあの生活は楽しかったと思えるような日々であった。
ふと考えた中であんな風に誰かに手を差し伸べられたらと自分に心に隠していた気持ちに気が付いてしまった。
「いやだと言ったら?」
ただこいつと一緒にとなると話は変わってくる。気分で人を弄ぶような怪物だ。救うだけ救っておいて悪意をぶつけてくる可能性だってある。
『貴様の穴という穴から我の触手が入り込み四肢を爆散させる』
想像しただけで寒気がしてくる。ただでさせ体の中に触手が入るのも嫌なのに、四肢を爆散させて死ぬのはきつすぎる。
こいつは人間の言葉を理解し話しかけてくるが、魔獣と同じようなものであろう。理解はするが、自分の欲求の方が確実に優先するであろうことは想像しやすい。
『貴様にもメリットはあるぞ、宗教というのは儲けやすい。何事もこの世界は金が関わってくるのであろう?』
この国の宗教には税金がかからない。むしろこの国では税を徴収する側に入る。上手くやれば楽をして生きていくのも可能だと予測できる。
ただこいつと主従関係になるのは懐疑的だ。
不可思議なスキルに加えて、喋る触手ときた。胡散臭さがあまり余る。
自分の身を守りためにもいつかこいつのスキルを排除する方法も考慮する必要もあると密かに考えていた。
「分かったよ、協力してやる。ただしお前が俺に危害を加えようとしてきたら逃げるからな」
『逃げ切れるものならな』
自分の今後の生活と、秘めていた感情を考えてこいつと組んで宗教を作っていくことに決めた。
目はないくせに口はあるセトは口を三日月様に口角を上げて再び俺と握手を交わした。