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その三

「はふー。ご馳走様でした。おいしかったです」

「そりゃどうも」


 全然喜んでいないような返事をする。私としては本気でおいしかったのだ。味以外の何かを感じたようで、彼の私に対する気持ちの一部が流れ込んできた感じがした。おそらく気のせいだと思うけど。しかし、そんな私を尻目に、


「食ったあとすぐに寝るな」


 いつもどおり私の行動に対して、冷静な非難をしていた。


「いや、落ち着いてしまって。ようやくここにも慣れてきましたし」


 実際先ほどまでは緊張し続けていたのだ。変に意識してしまってからはなおさらだ。本当に気持ちが楽になってきたような気がした。ただ、正直緩みすぎてしまったのかもしれない。


「もう何度もうちには来ているだろう。慣れるも何もないと思うが」


 言われて気がついた。思わず本音が口からこぼれてしまった。


「いえ、確かにこの家にはずいぶんお世話になっているのですが、」


 何て誤魔化そうか、必死になって頭を働かせたのだが、


「何だ?」


 彼に真顔で問い詰められて、


「あ、あの、匂いが」


 またしても思わず本当のことを言ってしまった。


「におい?何の匂いだ?」

「そ、その……。成瀬さんの……」


 聞いた彼は、一瞬納得したような表情になり、そしてすぐに眉をしかめて、不機嫌そうな表情を作った。


「あ、別に嫌と言っているわけでも、臭いと言っているわけでもありませんよ!」


 私は訂正した。冷静に考えてみれば、こんなこと言われていい気持ちになる訳がない。誤解で嫌悪感を抱かれたら、私としてもかなり気分がよくないので、


「こうして、成瀬さんのスウェットを着て、成瀬さんのベッドで成瀬さんの布団に包まれていると、成瀬さんの匂いが私の周りに充満していて……」


 と一生懸命説明したのだが、ここまで口にして気がついた。


「だ、だから何となく、な、成瀬さんと一緒にベッドインしているような気がして……」


 どっちにしても、嫌悪感を抱くのではないだろうか、と。


 実際、案の定だった。


「な、何するんですか!女の子に!」


 言った瞬間、頭をはたかれた。咄嗟に攻勢に出たが、


「やかましい!何が女の子だ。変な妄想もいい加減にしろ。それと、あんたの妄想に俺を巻き込むな。何が一緒にベッドインだ。高熱が出て頭に気味の悪い虫でも湧いたか?」


 最後の一言は余計だったとして、彼の言うことのほうが百倍正しかった。しかし、私だって本気でそんなことを考えていたわけではないし、彼のほうが正しかったからと言って、このまま黙っていたら、私はただの変態である。なので、


「わ、私だって本気でそんなこと思っていたわけじゃないですよ!ただ、そんな感じがすると、あくまで感覚を言葉で表現しただけで、だから、私は落ち着かないって……」


 私は本気で釈明した。ただ、ほとんど本当の話だったのだが、ところどころ曖昧な表現を使っていたので、言っていて説得力がないと感じていた。しかし、彼は理解してくれたようで、


「まあ、それは置いておいて。とりあえず元気になったようだな」


 と、話題を変えてきた。


「はい。おかげ様で」


 私は素直に感謝の気持ちを伝えたのだが、返って来たのはまたしても頭に平手打ちだった。


「な、何ですか!もう変なこと考えていませんよ!私はお礼を言っただけで」


 訳が解らなかった私は、彼に抗議したのだが、


「このバカ野郎」


 私は本当に何も解っていなかったようだ。


「何考えてやがる。学校を休むほどの高熱出したやつが、雨の中外をうろうろするな」

「…………」


 私は何も言うことができなかった。彼の言うことがあまりに的確すぎて。自分があまりに愚か過ぎて。


「しかも雨の中、一時間もあんなところで寝てやがって、肺炎にでもなったらどうするんだ。今でも肺炎は怖い病気なんだぞ」

「すみません……」


 目頭が熱くなる。彼の怒りがあまりに怖かったからではない。とにかく涙が出てきた。泣いてしまうと彼を困らせてしまう。そんなことは百も承知だった。しかし止まらなかった。彼は優しい人だ。困っている人、悲しんでいる人を見かけると、放っておけないくらい優しい人だ。そんな彼が、ここまで怒ってくれている。それは間違いなく私に対する優しさだった。


「たかが風邪だって見くびっていると、痛い目見るぞ。今日は俺がたまたま早く帰ってきたからよかったものの、麻生あたりとどっかうろうろしていたら三十九度じゃすまなかったかもしれないんだぞ」

「…………」


 私は沈黙の変わりに感謝を述べたかった。しかし声は出なかった。代わりに出てきた涙はとどまることを知らなかった。そんな私を見て、彼は呆れてしまったように、一度小さくため息をつくと、いつもの落ち着いた声に戻って、私に向かって、タオルと携帯電話を放り投げてきた。


「とにかく、こんな無茶は二度としないでくれ。俺に迷惑をかけたくないんだったらな」

「はい、すみません……」


 とにかく何も言えなかった。謝るしかできなかった。でも、悪いと思った反面、素直に嬉しかった。不謹慎かもしれないし、彼には絶対に言えないが、私を心配してくれて怒ってくれた彼の優しさに、心が熱くなった。いつも私に構ってくれず、声をかけるのはいつも私からだった。正直私に興味ないのでは、と疑問に思ったことは数知れない。しかし、今日のことで彼の、私に対する気持ちが少し伝わってきた。もしかしたら彼が私に対して積極的に行った初めての行動だったかもしれない。


 小さな喜びに浸っていると、彼はそれを妨害するようなセリフを口にした。


「真嶋に連絡入れてやれ。そういえばお見舞いに行くとか言っていたから、かなり心配しているだろう」


 今度は、一気に熱が下がった気がした。もう八時を過ぎている。まさかとは思うが、まだ寮の前で彼女が待っていたらどうしよう。きっと心配しているだろう。加えて、私も彼女が心配である。なぜ今言ったのだ。正直遅すぎると思う。


「そ、それを先に言って下さい……」


 怒られた直後とは言え、さすがに悪態をつかざるを得なかった。

 


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