異世界前夜
日々、仕事に追われ、来る日も来る日も残業の毎日。
そんな中でもどこか充実する日々を送っていた稔。
そんな日々が永遠に続いていくと思っていた稔だが・・・
「ただいま。」
無機質なドアを開け、真っ暗な部屋に声をかける。
もちろん、そこには誰もいない。
奥さんなんていないし、そもそも彼女が出来た事も無いのだ。
バレンタインも母親から森〇のチョコレートを貰って、クリスマスも自宅でケーキを食べ、正月も一人で神社へ参拝する。
しかも社会人になってからはそんなイベント事すら忘れるくらい忙しいのだ。
彼女、まして良い人との結婚なんて出来るのだろうか・・・
「俺、ずっとこの部屋で一人で暮らしていくのかな・・・」
ふとそんな寂しさを抱えながら顔を洗いにいく。
洗面台の電気をつけてまじまじと自分の顔を見る。
・・・悪くはない。 悪くは無いんだが、良くも無い。
どこにでも居る平凡な顔立ちの男・・・それが俺だ。
「イケメンだったとしても今の仕事じゃ無理だよなぁ。」
仮に絶世の美男子だったとしても一日中PCと向き合って一日が終わる男には彼女が出来たとしてもデート1つまともに出来やしない。
ウチは俗に言う”ブラック”で、ワンマン社長の気分1つで仕事のスケジュールが大きく変わるのだ。
一番ひどかったのは 「今日は晴れだから仕事が捗るな! 例のプロジェクトは明後日までに仕上げてくれ!」 だ。
一日中ブラインドが下ろされた建物の中で晴れも雨も関係ないのだが。
俺はその後2日間家に帰れずシャワーも出来ず徹夜してなんとかプロジェクトを仕上げた。
結果、待っていたのは、「遅い!!! もうそのプロジェクトは良い!遅すぎだ!」という有難いお言葉だ。
もちろん、徹夜した分の残業代が出るなんて事はあり得ない。
こんなブラックのウチにも毎日毎日面接の電話が来る。
それなりにウチの実情も出回っているが、それでも働き場所が無いのだろう。
しかも面接室は開発部の隣の部屋にあるが、壁自体は薄く大きな声を出せば容易にこちらでも聞き取れる。
そんな面接の最後の締めの常套句は「社員なんて代わりはいくらでも居るからな!しっかり働いて会社に貢献しないとクビだからな!!」らしい。
毎回面接が終わった後の何とも言えない志望者の顔を見ると辞めとけと言いたくなる。
「ああ・・・酔いが醒めてきた・・・・・・・飲みなおそう。」
折角楽しい酒を飲んできたのに酔いが醒めてしまった俺は飲みなおそうと冷蔵庫から缶ビールを1つとり出し、居間のテーブルの前に座った。
そういえば、昨日買ってきた浅漬けがあったな・・・あれを肴にしよう。
そう思い、冷蔵庫から浅漬けを取りにもう一度腰を上げるとふと声が聞こえたきがした。
「ん?」
なんか今、人の声が聞こえたような。
周りを見渡しても部屋には俺以外誰もいない。
お隣さんも既に寝ているようで物音一つしない。
「・・・気のせいか。」
猫かなんかの声がたまたまそう聞こえただけだろうと思い、冷蔵庫のドアを開けた。
そして奥に入っている浅漬けを手に取り、冷蔵庫のドアを閉めた時だった。
「ほほう、美味そうじゃのう。」
「!?」
今度はハッキリと聞こえた。
俺はビックリして周りを見たが、相変わらず部屋には俺しかいない。
しかし、今俺は確実に声を聞いたんだ、空耳なんかじゃない。
「誰だ!!」
俺は夜中という事も憚らず部屋に向かって叫んだ。
「・・・」
返事はない。
俺のは緊張しながらも何か武器はないかと周りを探す。
そして壁に掛けていた布団たたきを手に持った。
こんなものが役に立つかは分からないが、相手が凶器を持っていた場合にリーチが少しでも欲しい。
そしていざと言うときのために、背後の玄関の鍵を外しに少しずつ下がる。
足音を立てないように、しかしいつ飛び掛かられても大丈夫なように部屋の様子をうかがいながらドアに近づく。
・・・そんな時だった。
「おや? もう出かけるのか? 帰ってきたばかりじゃというのに忙しない男じゃのう」
部屋の中から呆れるようなため息まじりの声が聞こえた。
こちらを警戒するどころか、まるで緊張感の無い声だった。
「うわっ!?」
しかし俺はというとそんな声に慌てて足を滑らせてしまい、お尻から落ちる形ですっころんでしまった。
さらに転んだ拍子に頭を床にぶつけてしまった。
鈍い痛みに涙がでる。
その時、また声が聞こえた。
「大丈夫か? すごい音がしたようじゃが、怪我はしておらんか?」
今度は俺を気遣ってくるような内容だ。
そんな言葉に思わず
「大丈夫なもんか、誰のせいでこんな目に遭っていると思ってる!」
と、返してしまった。
直後、しまったと思った俺だったが、続く言葉はまた意外なものだった。
「おや、儂のせいじゃとでも言うのか? お主が勝手に転んで頭を打ったのじゃろ。 しかし、驚かせてしまったのなら済まんかった。 久しぶりに外の世界と会話ができるのが嬉しくてな。 数千年ぶりだったのじゃ。済まなかったの、許してくれんか。」
声の主は申し訳なさそうに謝罪してきた。
・・・いや、相変わらず姿が見えないので気のせいかもしれないが。
「・・・あんたは誰だ。 ゆっくり姿を見せろ。」
俺は立ち上がって布団たたきを前に構えて声の主に話しかけた。
するとさらに申し訳なさそうに返事が聞こえてきた。
「姿を見せろか。 それは出来んのじゃ。 なんせ儂にはもう肉体は無いからのう。」
「・・・は?」
肉体がない?それって死んでるって事?え?幽霊?マジで?嘘だろ!?
俺は突然の事に驚きながらも改めて部屋の中の不法侵入者に話しかける。
「ふざけてないで出てこい! 警察呼ぶぞ!!」
そう言って気が付いた。
やばい、今のだと警察を呼んでいないことを自分からバラしたのと一緒だ。
真っ先に警察を呼ぶべきだったと今更ながら後悔した。
「人の話を聞かないやつじゃのう。 じゃから見せられないのじゃよ。」
声は先ほどの申し訳なさそうな感じから拗ねているような声色になったような気がした。
「良いか、儂は今消えかけておる。 じゃから肉体はとうの昔に消滅して今は魂だけの存在になっておるのじゃ。 そして今はその魂も擦り切れて消えかけておるのじゃ。」
「・・・はあ。」
俺は突然の自分語りにも突拍子が無さ過ぎてついていけない。
「じゃから儂は今、儂の代わりに世界を導いてくれる存在を探していたのじゃ。 じゃやが、儂の魂と波長が合う存在が中々見つからなくてのう。 こうやってずっと探しておったのじゃ。」
「・・・・・・はあ。」
「そうして長いこと探しておって、やっと見つけたのがお主の訳じゃ。 少々頼りなさそうじゃがのう。」
「・・・はい。」
魂?波長?世界を導く?新しいスマホゲーの話か?
そこでようやく、この部屋には誰もいないこと、そして今話しかけている人物は俺の幻覚だと理解したのだった。
「・・・はあ、働きすぎか。 明日病院に行った方がよさそうだ。」
連日の残業と深酒のせいで幻覚症状が出たのだと思った俺は明日病院へ行くことにした。
「確かにお主は働きすぎじゃな。 人間は良く働くが限度がある。 あんな生活をしていたら魂がすり減って死んでしまうぞ。」
「そうだな、助言ありがとう。」
俺も今まさにそう痛感している。
「ふむ、まあ忙しそうじゃったからのう。 何事も程々にという事じゃ。」
俺は自分の幻覚と会話をしていることに悲しいやら情けないやらで力なくその場に座り込んだ。
深夜に帰ってきて一人しかいない部屋で布団たたきを構えて大声を出し、さらには廊下で転んで尻を痛める。
もう立派に変人だ。
「本当、人間って働きすぎも良くないんだな。」
俺は立ち上がり部屋の電気をつけるとテーブルに置いた酒を冷蔵庫へしまい、風呂の湯沸かしボタンを押した。
「なんじゃ、飲まんのか?」
俺が冷蔵庫へ酒を戻したことに驚いているようだ。
「明日病院へ行くんだ、もう寝る。」
俺は幻覚にそう返した。
すると声の主はまた申し訳なさそうに答えた。
「そうか・・・じゃが、済まん。 もう儂にも時間が残されておらんのだ。 お主には今夜にも契約を交わし、儂の世界へ来てもらいたいのじゃ。 勝手な事ばかりで申し訳ないが、承知してくれんかのう?」
なんだ、今度は異世界転移の話か?
今手掛けてるのも異世界ものだし、ストレスが溜まっているのかもしれない。
「あ~はいはい、そうですね。 了解しました。 その方向で進めていきましょう。」
俺は相手をしないよう返答した。
すると
「本当か!? 本当に良いのじゃな!! 助かった、もう儂どうしようかと思っていたのじゃ。 お主には本当に感謝しておる! 済まない、感謝するぞ!」
俺の返答が余程嬉しかったのか、幻覚は喜んでいるようだった。
「あ~はいはい、良かったですね。 ではそれでお願いします。」
俺は適当に相槌をすると風呂が沸くまでの間、体を横にして休むことにした。
酒のせいか緊張が解けたせいか、横になると睡魔が襲ってきた。
「ふむ、では早速準備をしよう。 詳しいことは後程伝えるが、お主に期待しておるぞ。」
幻覚がそういったのを最後に俺は眠りの中に落ちていった。