第4話 魔が統べる世界
「さてさて、本日のお笑いライブもいよいよ大詰めです!今現在大ブレイク中のディアー山本さん!お願いします!」
突如として舞台がスポットライトに照らし出され、幼児用の白いレオタードを身につけた小汚い中年男が現れる。
全身ぴちぴちであり、明らかに大きさが合致していない。
すね毛がボウボウに生えているその男は、内股でプルプルと震えながら、足を生まれたての子鹿のように戦慄かせて、官能的なポーズを取る。
乳首が透けており、股間も少ない布面積でかろうじて隠されているその男が、サディスティックな欲求を喚起させるかのような、露骨にエロティックなポーズを見せつけるように披露して、すね毛だらけの細い足をソワソワと震わせると、神妙な面持ちで四つん這いになり、カメラに目線を向けて唐突につぶやいた。
「戦場的なバンビ、淫靡」
ブハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!
会場一面が愉快そうな笑い声に包まれて湧き上がる。
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「あははははははっ!おもしれ〜っ!」
俺の隣で、ところどころ黒に戻りかかっている、金髪のいかにも軽薄そうな男が、人のベッドで寝そべり魔剤を飲みながらテレビ画面を見つめて大笑いしている。
俺は魔沙斗。剤皇街という、この日本じゃ知らない奴はいないくらいヤバい街の近くのボロアパート、伏魔殿に住んでる三流大学に通う大学生だ。
「これ、どこがそんなに面白いんだ?」
俺にはとても理解できない。世間では今これが大ブームになっているというが、いったいこんなののどこが面白いんだろうか。ただただ下品なだけではないか。
あの白いレオタード姿の、乳首が透けて股間が隆起したムダ毛だらけの男を見るだけで、気が滅入る。
最近ではなんでも大人気芸人だかなんだかで、テレビをつけているとこの男を目にしない時がない。まぁ、芸があれしかないし、一発屋の部類だろう。どうせしばらくすればみんなも注目しなくなり、忘れていく。
不快なら見なければいい そう思うだろう。
しかし、この男が毎日のようにオレの家に上がり込んでくるのでそうはいかない。
この男は神次。シンジっていう。
シンジ、自体はありふれた名前だが、そこに神次なんて漢字を当てはめるのはまずもって普通ではない。
どうやら、両親はこの下品な男に、神を次ぐ存在になるという確証をこめてこんな名前をつけたらしい。
この男は相当なバカだが、その両親も筋金入りのバカなのだろう。 まぁ、変なキラキラネームをつけられなかっただけでもこいつは感謝するべきなのかも知れない。最も、オレ自身も己の魔沙斗という名前に対しては遠い過去の家庭環境のせいもあり良い思いを抱いていないのだが。だがそれはやつも同じらしい。神次自身も、前に自分の名前は好きではないと語っており、似た者同士だと互いに自嘲した記憶がある。
「なぁ、なんで毎回俺の家でテレビ見てるんだよ。自分の部屋にはないのか?」
「オレの部屋汚すぎてさ〜 テレビ見れないんだよね。臭くてたまんねーのよ 後こないだついに電気止められちまったしな」
わかってはいたが、呆れる。
俺の住んでいるボロい安アパート、伏魔殿 の隣の部屋に引っ越してきたこの男は、だらしなさにかけては世界チャンピョンかとすら思える。
成人すると共に孤児院を出て、ここに引っ越してきて1週間もたたないうちに俺の部屋に転がり込んできたと思ったら、テレビを見せてくれ とか、飯を分けてくれ とか言ってくる始末だ。
こんな馴れ馴れしい男は俺の人生の中でもこれまでに見たこともない人種だった。ただ、困ったことにこいつはあまりにも無礼で世間知らずな男だったが、性格は決して悪くなかった。
もしこいつの性格が根本まで腐りきっていたなら、間違いなく叩き出していたであろうに。
ただ、この男は幸か不幸か俺と同じ大学に通っている同い年の人間だった。
なんだかんだもそこまで神次のことを嫌いになれなかった俺は、こうして毎日のようにやつが家にやってきてはテレビを見るのを許容していたのだった。
ピッ
「お笑いコンテスト生放送もいよいよ大詰めです!決勝に進出したジョバラーズのお二人、芸をお願いします!」
「あっ、おいバカ!何チャンネル変えてんだよ!」
神次が怒ってリモコンを奪い返そうとしてくる。
「ジョバラーズのお二人は、この時代だからこそできる斬新な芸で大ブレイク中ですね!」
「そうですね〜 せっかく魔素の力が溢れるようになったこの世の中、治安は最悪になり暗いことずくめですが、面白いことだってたくさんできちゃいますからね〜 僕のパートナーは元々魔剤工場の備品だったんだすよ。きっと魔剤を流しすぎて魔素が染み付いて、魂が宿ったんだと思います」
「ジョバーーーーーーーーー!!!!!!!!」
テレビでは、赤い帽子を被ったコミカルな外見の男と、蛇口が並んで出演している。
「どうも、ジョバラーズで〜〜〜す!」
「ウィウィウォッシュ!!!!!!」
「今日はいきなりね、攻めちゃいますよ?あの小鹿にも負けてないぜってことでね?」
そういうと、男はおもむろにズボンを下ろす。
そして... 彼は下着を履いていなかった。
「ジョバーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」
すかさず蛇口がカメラに向かって大量に放水し、視界がぼやけることで男の秘部を隠匿する。これにより際どいところでかろうじて放送できるレベルになっている。
どいつもこいつもレベルの低い芸だ。
それに、この蛇口は見ていてあの鹿男よりも嫌悪感を覚える。それは特筆彼らが下品であるからと言った理由からではなく、見ていると己のコンプレックスを締め付けるかのように喚起させてくるからだ。
神次は楽しそうに笑い転げているが、つくづくあの笑いのセンスが羨ましい。
笑いは健康にいいとも言うし、あいつは長生きするだろう。
元々図太いやつだ。あいつが死んでるところなんて想像できない。
「いや〜 こんなふうに面白い使い方をする奴もいるんだな!」
神次が感心している。
たしかに、それもそうか。彼も器であるものとして、このような生き方に感銘を受けるのも頷ける。
この世界で、悪魔の存在が公に暴露されてから20年と少しほどが経つ。
始まりは突然だったらしい。
世界の中でも、一部の人々が突然にして超常の力を手に入れ、人智を超えた体力や知力など、さまざまな力を持つものが現れた。
世界中は大混乱に陥り、その様子は連日ニュースとなったと聞いている。
それから程なくして、さらに世界を震撼させる出来事が発生した。
悪魔の存在を秘匿していたとして、大国の大統領や首相、大富豪たちが次々と逮捕されたのだ。どうやら、この世界に発生していた歪みから、悪魔がこちらの世界にやってきて様々な干渉を行っていたと言うが、俺たち庶民が知っているのはそれくらいだ。今ではこの衝撃的な出来事を一つの歴史の節目として、アグレッションと呼んでいる。
なにせまだ俺があのクソッタレな母親の体内からギリギリひりだされてもいないころの話だ。実感としての記憶は一切ない。
そして俺が知っている中でも何よりも衝撃的なのが、世界でも莫大なシェアを誇っていた巨大エナジードリンクメーカーのトップを務めていた人物が、悪魔と密約を交わしており、悪魔の血液を混入させて販売していたということだ。
この企業には世界中から大富豪や貴族たちが、悪魔の存在を知っているにも関わらず、その恩恵にあやかろうと、出資していたと言うのだから呆れることこの上ない。
これにより、幼少期からエナジードリンクを大量に飲んでいた人間には、悪魔の成分、マスコミでは通称魔素と呼ばれている。が体内に色濃く残り、多種多様な能力を発現するようになった。
そのため、器となった人間はほとんどが若い人間であった。
これ以来、エナジードリンクは世界中で魔剤という呼称で呼ばれるようになり販売停止になったが、器となった人間の強い反対の元、現在では国家が一元管理して提供している。
神次みたいな、魔素の力を発現した器などと呼ばれている存在は定期的に魔剤を飲まないと体内の魔素が暴走して死に至ってしまうために、魔剤の供給は死活問題なのだ。
もしどうしても手に入らない場合はどうするのか。
そのような場合、器は人間を殺してその血を代用として飲むしかない。つくづく不思議なことだが、人間の血液といったものはある程度は魔剤の代替として機能するらしいことが知られている。
この事実が発覚した当初、器と化した人間は皆殺しにしてしまえ と言う世論が席巻したが、それは実現には至らなかったらしい。
それは決して人権などが鑑みられたためでは無く、器となったものたち強大な力でその運動が力ずくで頓挫させられたからだと、かつて孤児院で聞いた記憶がある。
おそらくあの下品な蛇口も、相方が言うことが本当なら工場で魔素を流し続けさせられた結果として、悪魔の魂が宿ったのだろう。
そう、悪魔の魂 とでもいうように魔素も元は悪魔の血液である以上、器の人格に多少なりとも影響を与える。
器となった人間は、そうではない人間よりも欲求に忠実になり、残忍になる傾向がある。特に、魔剤の切れた人間は顕著だ。そのまま供給が途絶えると、そのうち人間を襲撃しだす。
これを抑えられるか否かは当人に大きく依存している。
俺も幼少期から、俺の運命を決定づけた瞬間まで、虐待とも言える”教育”を授けられ、その影響で幼い頃からオレの体は魔素漬けであったはずなのだが、何故だか俺に魔素の力は発現しなかった。
それを思えば思うほど、力を与えようとして生を受けて間もない俺に忌まわしき魔剤を注入しようとした、忌まわしき母親から置き土産である右上腕に遺る傷跡が疼くような感覚と後悔、懺悔、そして凄まじい自己嫌悪感を覚えた。
俺はある意味体内に悪魔の秘蹟の片鱗をその体内に宿した男と同じ部屋にいるのだ。
どうやら昔の世界ではよく、女一人で男の家に行くのは気をつけなければいけない。などと言われていたらしいが、今では専らそんなフレーズは死後になっている。
若者と老人、男と女、貧者と富豪...
人間にはありとあらゆる対立軸が存在し、諍いの類は有史以前から途絶えることがないが、器と、俺たち力に目覚めなかった羊を隔てる深淵は、これらの対立軸全てをも些事として霞ませる程度に深い闇を湛えている。
今では、器と二人きりになるな という教訓の方が主流であり、力に目覚めなかった無力な羊達の間では常識のようになっている。
いくら器とは二人きりになるな、とはいえ、神次はだらしがないとはいえ俺を襲うようなことはしないだろう。
明確な根拠こそないものの、凶暴性を体現したかのようなその外見に反して、神次には何故だかそう思わせるだけのものがあった。