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†魔剤戦記† 剤と罪に濡れし者達  作者: ベネト
第2章 剤と愛に飢えし者達
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第6話 災厄ノ手綱

「ん...?」


無意識状態から覚醒を迎えるその瞬間、魔沙斗の持つ五感の中でまず一番に知覚されたのは痛覚であった。頚椎に残る妙な倦怠感と痺れ。これは第一にその目覚めを決定的に不快なものたらしめた。次に右腕に知覚される激痛。傷口に塩を塗りつけられたかの如き、烈しい熱を帯びた創傷。


次いで、全身をその血液が巡るにつれて、その意識は次第に明瞭なものへと移りゆく。精巧な機構に電気を流すが如く、聴覚、嗅覚、触覚と、休む間もなく押し寄せる感覚器から怒涛の刺激の数々は、どれも魔沙斗を不愉快にするには十分であった。


(どこだここは...?エデンで器を一人、手にかけたところまでは覚えているんだが...)


カビ臭い室内の匂い、甘ったるく鼻腔に纏わりつく、粘着的な魔剤の芳香、そして、己に望まぬ眠りをもたらした存在が奏でる甲高い声、己の体躯を締め付ける、鉄臭い鎖が軋ませる鈍き音。


(確かあの後、首筋に痛みが... あぁ、わかってきたような気がするぞ。)


「おぉ... 目が覚めたぞ!」


「バカ!近づくな!」


そして最後にはっきりと取り戻されたのは視覚。遠方の大海に浮かぶ漁火のようにぼやけていた世界が、明確な像を結びゆく。そして、最後にもたらされた刺激はとびきりの不快なものであった。


「おい... 動くんじゃねぇぞ...!」


多種多様な機材の類が打ち捨てられた一室の中、痩せ細った騾馬のような造りの木造の椅子にくくりつけられ、鎖で何重にも縛られた魔沙斗。


そして、それをまるで厳重な取り扱い危険物にでも触れるかのように囲む、未開地域の部族が用いるような歪で、悪趣味な仮面を纏った人々。そして、その中でも魔沙斗の正面にたつ小太りの男は、回転式拳銃をその手に携え、声を張り上げた。


「いいか!?動くな!?動いたら即座にその頭部と胴体は永遠の別れを告げることになるぞ!」


威勢が良く、芝居がかった仰々しいその発言とは裏腹に、その小太りの男のずんぐりむっくりとした足は、小鹿の如く震えている。仮面で顔こそ見えないものの、その巨軀は恐怖に支配されているのは明瞭であった。


「滑稽だな。目的はなんだ?そして、なぜ俺はここにいる?」


魔沙斗にとって、その様子はなんとも言えないほどおかしく、滑稽なものであった。


「ま、まずは我々の質問に答えろ!バケモノ!」


「バケモノ?随分と失礼な言い方をしてくれんなぁ。まぁ、否定はしないが。」


魔沙斗が抱いていた不快感と異常な状況に対して感じていた一抹の恐怖は、己を取り囲む存在が放つ震える声色から漂う小物くささを感知して以来、徐々に嗜虐心と侮蔑へと変化しつつあった。


なぜなら、己に銃を向けながらも、ここにいる全員が、部屋の中央に拘束されている自分を囲うように距離を大きくとっており、そのいずれもが貌に恐怖を貼り付けていたからだ。


状況こそ未だ把握することに成功していないが、ここにいる存在がどれも自分にとって恐るるに足りない存在であると、本能的に察知せられたからである。


「お前はあの器に何をしたんだ?」


リボルバーピストルを握る男の手がわなわなと震える。


「殺した」


「そんなことはわかっている!何で殺したかと聞いているんだ!!!」


激昂した男が声を張り上げ、室内の空気を震わせる。さながら監獄の一室のような薄暗い空間に緊張が張り詰めた。


「それをなぜ答える必要がある?」


脅迫に対し、魔沙斗はただその目を猛禽の如く鋭く細め、簡潔な拒絶を表す一言と睨め付けるのみで答えた。


「っ...!?」


ピストルを待つ、仮面を被った仲間を大勢従えた男と、右腕を負傷し、椅子に鎖で何重にも縛られた孤立した男。通常、かの如き状況ならば、後者に対する一方的な尋問や拷問が行われるのが道理というものだろう。しかし、今この空間においてその趨勢は後者に傾き、場の支配権は魔沙斗の手中に収められていた。その証拠に、魔沙斗に一瞥を投げかけられた小太りの男は上擦った情けない声をあげ、後退りした。


「いきなり俺を縛り付けてこんなところに閉じこめて、監禁ときたか。それを大勢で囲みやがって。さながら魔物でも封じ込めるような異教の儀式じゃねぇか。あぁ?」


まるで、アグレッションが勃発し、世界の秩序が塗り替えられる以前、暗黒大陸などと呼称されていた未開のアフリカの熱帯の大地で行われている儀式のようだ。仮面でその貌を覆う匿名の集団に、喧騒、そして村一番のうら若き少女が贄として不可欠だ。そしてその少女の役を、ほかでもない無精髭を生やした野郎である自分が勤めている事に対するおかしさで、口角が歪む。


「なぁ、あの鞄を持っていたやつだろう。意識を無くす前にきちんとこの耳で聞いていたからな。戦いを終えた俺たちの首筋に何かを撃ち込み眠らせ、ここに連れてきた。違うか?」


「...!」


もはや完全に、縛られている囚人である魔沙斗に主導権が移動していた。周りを囲む仮面を被った匿名の者たちは、さながら凶暴な猛獣を取り囲む人々のような恐怖に取り憑かれていた。


(人を殺したという行為を俺が決行したのを見ているだけでこのザマだ。塾長やらコンラートやら、俺が見てきた奴らは全てさも当然のことのように平然としていた一方、このビビりようだ。こいつらはこの殺戮が吹き荒れる世界において、”羊の側”にカテゴライズされていることは疑いようがないな。)


内心で呆れる魔沙斗をよそに、彼らの間を瞬く間に伝播する衝撃により喚起された、息を呑む音が多重的に奏でるざわめき。それが何よりも魔沙斗の指摘が図星であることを雄弁に物語っていた。


その中でも唯一、辛うじて平静を保っている痩せ気味の小柄な男が、小太りの男をどかし、リボルバーを奪い取ると、魔沙斗の前に立った。


「お前か。あの時の鞄の持ち主は。」


「ああ、そうだよ。よくわかったね。なら今更隠す必要もあるまい。流石は僕がつれてきた逸材であるだけあるね。なかなかに信じられることではないが、君はあの器を自分の血で持って殺しただろう?」


そういうと、痩せ気味の男は纏っていた悪趣味な仮面を脱ぎ捨てる。それと共にいまひとつ迫力にかける男の顔立ちが曝け出される。


先ほど荷物を奪われ、無様に肩を戦慄かせながら必死に走っていた姿を見ていた魔沙斗には、その間の抜けたひ弱そうな顔立ちは、恐怖心どころか一種のおかしさを植え付けた。


「あぁ。それがどうした?」


小馬鹿にしたように、不敵に魔沙斗が嘲笑する。


「だからこそ、君は僕たちが待ち望んでいた人材なんだ。君は僕たちにとって利用するべき価値のある人間なんだ!」


「そうか... クソがぁっっ!!ぶっ殺す!!」


突如として張り上げられた魔沙斗の、冷え切った空間をまるで絹か何かでも破き割くような怒号に、ピストルを構えて余裕綽々にしていた痩せ気味の男も肩をビクッと震わせて後退りした。


「やっぱりなぁ」


直後、途端に柔和な笑顔を浮かべて笑みを浮かべる魔沙斗。


「思っていた通りだな。俺が暴れそうな素振りを見せても発砲しない上に、恐怖に慄いている。それにこの驚き様。この拘束を信頼しきれていない何よりの証左ではないか?あんたらはピストルなんて大層なものを構えてはいるが、俺を殺すことはできない。お飾りにしては随分と本格志向でいらっしゃる。なぁ、そうだろ?」


「畜生... 一体なんなんだ君は。」


煽られた痩せ気味の男が苦虫を噛み潰したかのような面持ちで呟く。


「名乗る前にこちらの質問に答えろ。いいことを教えてやる。よくできた魔法陣というものは、その上に誰かが立ったり、たった一つの誤字や乱れがあっただけでその効力を失い、魔に喰らわれるのがオチだ。同様に、俺という魔を、綻びだらけのこの拘束で制御したつもりか?羊が。」


この発言は、魔沙斗にとっての賭けであった。あくまで自分の力はその血液に由来するものであり、その効力は対器に特化しているものだ。目の前に立ち塞がっている人間には効くものではないだろう。だが、自分を取り囲む、この儀式で言うのならば狂気的な民族の構成員に相当する仮面の男たちが自分を恐れていることは明らかに見てとれた。


故に、魔沙斗はハッタリという賭博を仕掛けたのだ。


そして、この仮面の男たちは見事にまたしても同じ轍を踏むことになってしまったのだ。ざわめきと後ずさり。唾を飲む音。それらの全てが、「羊が。」という魔沙斗の嘲りに込められた計算の答え合わせとなってしまった。


(そうか。奴らは本当に羊だったか。まぁ、羊に相応しい振る舞いであることよ。それも、牙を抜かれ去勢された一番情けのない類の、な。)


再び、状況の趨勢という天秤を、自分に有利に傾かせることに成功した魔沙斗は続け様に怒涛の如くまくしたて、傾いた天秤をさらにこちら側へと傾けようと試みる。


「俺の連れがいたはずだ。腕やら足やらに夥しい刺繍のある男だ。あいつは羊が大嫌いなんだよ。いいのかよ。放っておいて。」


「あぁ、アレか。問題ないよ。」


「へぇ。ならあいつも連れてきたんだな?」


またしても言の葉に絡め取られ、話術の罠に嵌められた男たち。愚かにも、自らの犯行を露呈しているようなものだ。

目覚めて以来、魔沙斗は着々と情報によるアドバンテージを獲得していた。


(まぁ、器である神次のことだ。目覚めたらこの程度勝手にどうにかするだろ。それに、あいつは進んで人を殺さないとはいえ、ここの奴らを四肢を完全な状態で返すかと言われると、わからんな...とりあえずあいつの心配はいらなそうだ。それよりも器ではない今の俺の状況の方がまずい...)


「お前、随分と頭脳明晰な知能犯みたいに見える風貌やら話し方だが、相当な阿呆だな。」


「さっきから放っておけば、随分な物言いだね君は。この調子だと痛い目を見ることになる、という可能性は考慮できているよね?」


平静を装っている男だが、憤怒の感情を制御できていないということは、ぴくぴくと神経質そうに蠕動する顳顬からも明らかであった。


「俺は先程器を殺した。器であっても人間は人間だ。0と1には、無と有とで大きな差があるが、1と2にはその数の大小だけで、そこまでの大きな隔たりは存在しない。それが何を意味するかはわかるよな?」


両者の睨み合いは、時間にして数秒ほどのものであったが、虚勢を張る男と、ハッタリをしかける魔沙斗にとっては、それは永遠にも感じられる時間であった。


「さっき俺たちを利用するって言ってたよな?何にだ。」


「まぁいいや。これから使役する存在にはそれくらい教えてあげてもいいか。僕たちはある存在にとても迷惑している。でもそいつには僕たちではまず太刀打ちができない。悩み、作戦を記したノートや、機密を記したパソコンまでが入った荷物まで盗まれた僕の前に現れたのが君だったってわけだ。あの獣の如き獰猛さと、躊躇いのない攻撃。まさしく君にこそ相応しいと思ってね。」


「要するに、俺たちをそのバケモノと対峙するために使おうというわけだな?」


「あぁ。そういうことだ。君には僕たちのために戦ってもらおうということだ。」


自分たちにとって人理の及ばない存在であると勝手に認識している魔沙斗を、手綱にでも繋いで手懐けた悦びを噛み締めるかのように、得意げに語る男に対し、魔沙斗は猛烈なまでの苛立ちを感じていた。


「人理の及ばないものを操り、制御できたと錯覚する愚かさはまさに笑止千万というやつだな。狼を手懐けようとするものがやがてその四肢を喰いちぎられるように、ロクなことにならねぇぞ。お前らはさながら自然災害を手綱で制御しようとしているようなものだ」


「いやいや、そうはならないね。君は僕たちの完全な支配下に置かれ、主のためにその力を振るう忠実なる僕のようになるのだから。」


忌々しげな魔沙斗の警鐘など耳にも介さずといった風で、男は語る。


「ところで君は全く僕たちの目的について詳しく聞こうとしないけど、それでいいのかい?」


「構わん。お前たちのために戦ってやる。勿論、報酬はたんまりと弾んでもらうが。」


この時点で既に器という一人の人間を殺し、コンラートから背負わされた運命と強迫観念を振り払うためならば、いかなる一線をも超える覚悟をとうにきめていた魔沙斗にとって、報酬を望んでいるというのは真っ赤な嘘であった。


既にこの拘束が解き放たれ、神次と合流を果たした時点で報酬もクソもなく彼らを悉く皆殺しにすることを心の中で誓っていた魔沙斗にとって、報酬というのは自分が協力的であり、利益にめざといという性格を演出するための細工に過ぎなかった。


「だが一つだけ知りたいことがある。その存在ってのは一体なんなんだ。」


自分が最適な存在としてこの男たちに選ばれた。何に。彼らにとって障害となる存在の排除の手段としてに だ。


ならば、『ソロモンの鍵』を探し求め、その殺害を決心している魔沙斗にとって、少しでも情報を得られる可能性のある機会を無駄にするわけにはいかない。


「あぁ... それについてなんだがね...」


男が、遠い壁の向こうを見るかのように目の焦点をずらす。視線は泳ぎ、冷や汗が滲んでいるのが容易に見てとれた。場にいる仮面を被った男たちも、皆その体躯を縮こまらせて震え上がったり、憤激に任せて虚空に拳を振り上げたりしている。


「思い出すのも忌々しい。”アレ”は『ソロモンの鍵』の器を自称していた...」


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