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†魔剤戦記† 剤と罪に濡れし者達  作者: ベネト
第1章 剤と罪に濡れし者達
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第22話 蠱毒の孤独

「言ったよな?私は器を超えし器 だと。あぁ、それをいったのはあそこの下級か。そしてなァ、あのガキも捕獲したぜ?」


やがて途端に冷静になり、初めてこの悪魔と遭遇した時のような柔和な笑みを浮かべる塾長。


「でもいいでしょう。教えてあげるか。うん、教えてあげましょう。知ってんだろ。なぁ。ダンタリオンの秘蹟。姿を変え、愛を燃え上がらせ、あらゆる力を与える。そして.....


「あァ... とうに知ってるぜ。ダンタリオンの器さんよ」


  宝石(ルビィ)のように煌々と燃え上がる、怒りの感情を噛み締めてそう遣り返す。


 器である神次すら、この男が宿す高位の悪魔の権能によりその自律を支配されてしまったこの状況で、勇気も無事だと考えることがおかしいだろう。


「知ってやがったのか!!それは面白ェ!勝てる見込みなんてないとわかってても挑んできやがるとは、愉快だ、全く愉快だなぁ、あ?」


 たった一人で恍惚の世界に旅立ってしまったかのような、独善的な塾長の高笑い。勝手に愉悦に顔を綻ばせたと思えば、次の瞬間には激昂し、怒りに任せて卓を烈しく叩きつける左手。


 毀れた玩具のように出鱈目な挙動を繰り返す憎悪の対象に対し、こんこんと湧き上がる殺意。


 もし俺がこの場で体を自在に操り動かすことが可能であったのならば、今すぐにでもこの男に殴りかかり、やたらめったら殴打してその身を肉塊へと変えようとしていただろう。


 しかし、それは不可能な夢物語であり、弱者特有の英雄妄想。


 却ってそれが、己の生命の灯火が消えるまでに残された猶予を少しでも引き延ばしたという至極単純な論理に気がつくことすら、身を焼き焦がす怒りの感情によって気がつくのに数秒を要した。


 奴が自称する、器を超えた器。その力が如何程なのか、底を窺うことなど到底能わない。


 そうであれど、今ここで憤激に任せて拳を奮うことが可能だった場合、一切の迷いなくそれを実行に移していただろう。


 そうしたらどうなる?己の肉体は、魔界の理を通して瞬く間に物言わぬ肉塊へと加工されていたに違いない。


「なァ、ダンタリオンの器って割には... 随分と陳腐なことだよなぁ?」


 拳の代わりに飛び出したのは、豪放な挑発。


「『ソロモンの鍵』に名を残すような高位の悪魔の器が、そんなチンケな!?」


 嘲笑の色を満面に浮かべ、塾長に侮蔑を込めた嗤いを浴びせかける。


 本来爆発させて駆動させる筈の手足が満足に動かないために、全身に沸き上がるマグマのような憤激が行き場を無くして、遍く体内を対流。


 神次の自律を簒奪し、教え子を欺くという小物の如き所業で以て贄と捧げようとした存在への憤怒。なによりも、己自身の想起させるような小物臭さ。その全てが塾長へと投影される。


 烈しく熱さられた鉄が冷え固まり、鋭利な刃物へと変質するように、逃げ場を失い煮詰められた激情が脳内という炉の中で時間と共に冷却、鍛錬のプロセスを経て、今や完全に高純度の憤怒の炎で鍛錬された、殺意という曇りなき刀剣がその剣先に閃きを見るより早く、凶器としての剣光を煌びやかせた。


「チンケな? だと??んなわけねぇだろうが!!臓物の腐れ落ち羊に何がわかるっていうんだよ!!!!」


 煽りつけられることで、病的なまでの興奮状態に達する塾長。


 ここの血腥い祭壇の俎上に載せられた刻より既に理解していた事実がある。


 奴は俺を楽に殺すつもりなどさらさらない。


 今から決行されようとしているのは、単なる作業としての殺戮に非ず。


 細部まで作りこまれた、綿密な報復のシナリオであり、血塗られた猟奇のショー。その工程の一環へと俺は放り込まれたということ。


 まるで生きたままベルトコンベアに載せられ、その終着点には血脂でべっとりと濡れ滾った回転刃が血に飢えて、けたたましくその轟音を轟かせているような、生命の終焉というカウントダウンを少しずつ進めていき、嬲るだけことをその目的として計画された舞台。


 ならば、この状況での最善の行動とはつまり、極限までこの男の感情を揺さぶることで綿密なその計画に綻びを生じさせることに他ならない。


 事実、こうして挑発を繰り返すたびに恐慌をきたした狂人のように暴れ回る塾長の所作は俺に大きな猶予を与え、手足に感覚が少しずつ取り戻されていた。


「そうだ。チンケだ。変身や潜入、あげく他者の操作、逃走。力を持ってるにしては随分と迂遠なやり方だとは思わねェか?」


 ばらかまれた誹りが、塾長の高慢な思考回路に跳弾し、着火。それがもう何度目かも知れぬ大爆発を引き起こした。


「俺が卑怯者だと!?ふざけるな!!撤回しろ!いや... もういい...」


 塾長の左腕がふいに輝いたかと思うと、糸で釣られた人形かのように背後からふいと何者かに引っ張り上げられる。


 続け様に机上に衝撃。片腕を失い、その断面をグロテスクに焼け爛れ落ちさせた男が激情に任せて咆哮を上げると、撃ちつけられた左腕の平衡を失いその軀を大きくぐらつかせた。


「い"っでぇ!!畜生!!」


 左腕を杖のように床に突き立てよろめきながら立ち上がると、血走った目をかっと見開き、叫ぶ。


「来い!!!!」


 その怒号を合図に、血に濡れた肉の芋虫に群がっていた亡者の如き群れが震撼する。


 その中でも一際目立つ中心的な存在。亡者の頭領のような風格を持つ男が唐突に雷に撃たれたのように直立すると、東洋の伝説にある妖か何かの類かの様に両手をだらんと垂らし、虚な目でこちらへと近づいてくる。


 その距離が縮まるにつれ、ぼやけた視界が徐々に明確な像を結んでゆく。


あの刺青ーー、神次!?


「おい!神次!俺だ!おい!聞け!!」


 襤褸切れのように机上に打ち捨てられた軀を渾身の力を込めて、魂を枯らすように叫ぶ。


 俺を視界には捉えているのだろうが...


”視えてはいない”のだろう。


「グ...ゴガ...ァ!」


 神次が首を捻り、その貌をこちらへと向けて唸る。もはや人の言語すら発していない。


 そこにいるのは、下級の異形や獣の類と化してしまった、神次の姿をした何かであった。


 その振り向きは、友人からの呼びかけに対しての親しみを込めたものではなく、騒音に対して反応するかの如き機械的な振り向き。


 焦点の定まっていない空虚な視線を投げかけると、すぐさま捻っていた首を何かに引っ張られているかのように定位置に戻し行進する。


 俺の期待という脆い硝子細工を、神次は無情にも踏み砕きながら横を通り抜けると塾長の前で歩みを止め、こうべを垂れたのだった。


 他の器たちは相変わらずの狂態で一心不乱に血肉を貪っている。


 思えば、塾長がその姿を変えていた少女に幻惑された時の勇気も明らかに正気を失っていた。


 それと同時に確信する。ダンタリオンより漏れ出でた権能の一端、力の一雫。神次もそれに当てられ、明確な悪意を以ってその自律を操作されてしまったのだろう。ならば結論は1つ。神次の奴を正気に戻してやるにはあの塾長を完膚なきまで、骨も残さず葬り去ること。そしてもう1つ。塾長も同じく不意打ちによりその軀を毀損した俺たちを生きて返すつもりはさらさらないということ。


 このことから導き出される結論はひとつ。


 俺たちか、塾長か。


 この部屋から生きて出られるのはそのどちらかだけであり、二人が共に揃って外の景色を拝むという可能性はあり得ないという事。


「俺の右腕はよォ... テメェのせいで失われたんだ!! 俺の高貴で、崇高で、力に満ちた右腕!!もう本を持つこともできない!! だから... テメェには最も苦しい想いを噛み締めて地獄へ向かってもらわないとなァ?」


 塾長が歪んだ高笑いとともに、顳顬を蛭のように蠢かせ、徐に何もないはずの部屋の最奥部の壁面へと歩みを進める。


 途端、俺の軀が浮き上がり、それを監視する付き人の如く後ろを付き従う神次。


 地鳴りのような轟音と共に、セメントで塗り固められた殺風景な壁面に凶々しい魔法陣が浮かび上がる。 先頭を務める塾長に引きつけられるように、俺がその後に吸い寄せられ、さらにその後ろを虚ろな瞳の神次が、朧げな足取りで追従する。


 壁面に石刻された魔法陣が、背徳をその光源とするが如き恐ろしい光を発すると、長年放置されていた倉庫を開け放ったときのように、ゆっくりと仰々しい音をたてて、中心に出でた裂け目が俺たち一行を迎え入れる扉であるかのように開闢する。


 扉の向こうに広がる、さながら悪魔の胃袋のような世界。その一帯を腐乱臭が覆い尽くし、蟲のような剥き出しの肉片があちらこちらに散乱している。


 眼前には赤黒い空洞と化した眼窩を湛えた、まだ肉の多く残る頭蓋骨、一面に散乱する人骨と思しきものの残骸、方陣が描かれたこれまで見たこともないような柄の魔剤の空缶。


 そんなものが空間全体に犇めいており、先ほどの部屋に増して更に濃厚な瘴気が立ち込める地獄そのものが現界していた。


 血糊でべとつく腐臭の漂う床面を直進すると、やがて塾長がこちらに体を向ける。


「さァ... 並びな...」


 左手の指をパチンと鳴らすと、赤褐色の電撃が空気を震わせる。


 その音がトリガーとなり、神次が相変わらずの姿勢のまま俺と向き合うように徐に距離を取る。


 絶え間なく押し寄せる最悪の想定が、冷や汗に滲んで背を伝う。


 だらしなく開け放たれた口蓋からは涎が漏れ出てて、久方ぶりの獲物を見定める獣のような渇望の胎動が発せられている。


「おい!テメェ!体はもう動くんだろうが!!!! テメェにはな... あの器に喰われて、殺されて、毟られてもらおうかァ...!!!」


 自分で言ったことがさも愉快であるかのように、不釣り合いな体を折りたたみ、不快な嗤い声を上げる。


「どこまでも... 骨の髄まで腐り切ったクソ野郎だな、テメェは!!!」


 腹の底から、魂を震わせるかの如き勢いで吼えてみせた。


 この邪悪に満ちた一室の支配者として相応しい、あまりにも邪悪を突き詰めたような存在。


 その存在が下す無慈悲で残虐な命。


 こいつだけは絶対に許しておくことなどできない。


 無法が罷り通る剤皇街、確かにありとあらゆる理不尽が吹き荒れている。


 そうであれ、これほどまでの歪んだ嗜虐心と女々しさに満ちた悪趣味な興行を催す羊のような器を許すことはできない。


 あれは、悪を体現したかのような存在、外道の中の外道だ。


「あァそうそう。テメェがこいつを万が一でも殺すことができたらなァ、気が向いたらこいつは助けてやろうかなぁ? いや、どうしようかな!俺は元々こいつの血に飢えてたんだよ! でもな、テメェは... テメェだけは例外だ!絶対に殺す!!!!」


 相変わらずの情緒の乱れ具合で叫び散らす塾長。


 奴がその遺された左手で指をさした先には、祭壇があった。正確には、無機質な寝台かなにかの類といった方がいいだろう。露悪的な意匠が凝らされた、対象の生命を冒涜することにその全存在を賭けているかのような邪悪な紋様があちらこちらに刻印されている。


 そして、その祭壇の上に贄として寝ているのは... 勇気であった。


 気を失っているのだろうか。この異常な情景の中にあってもなお、動転することなくただ目を閉じて横たわっている。


「せいぜい足掻いて見せろよ... なァ!?」


 急にこちらを睨め付けると、口を開く塾長。


 一際巨大な罵声がグロテスクな空間に吸い込まれて消える。


「そうそうテメェら。蠱毒って知ってるか?古代中国の忌々しい儀式だ。まァ、これから死ぬ奴らに言う話でもねぇか!ド腐れ羊と下級の器、仲良しコンビ同士、死ぬ時も仲良く命でも取り合ってみろや!生き残った方は、楽に俺が喰らってやるよ...」


 図らずも神次が俺に対し正面奥の位置に陣取り、そして向かい合う俺たち2人を審判かのように横から見物する塾長が、ニタニタと露悪的な嗤いをその貌に貼り付けて嘲る。


 塾長が再び指を鳴らすと、浮かされていた俺の体がどさりと床に落とされ、脊髄反射的に受け身を取る。

どうやら行動の自律は返還されたようだ。


 それは何を意味するか。俺の心を暗雲が立ち込める。


 さながら古代ローマの死の競技のような、悍ましく血塗られた儀式の再現が為されようとしていた。


 神次の双眸を視界が捉える。その瞳からは憎悪と怨嗟以外の感情を読み取ることができない。


「おい!俺だ!魔沙斗だ!!目を覚ましやがれ!」


「ググ... ガ... ウヴ......」


 渾身の力を振り絞り、必死に呼びかける努力も虚しく、神次の口蓋はだらしなく虚ろに開かれ、呻き声が発せられる。


 器に成れない。1人で何かに打ち勝てない。眼前で狂い猛る恩人を、意志の力で目覚めさせることができない。


 直視せざるを得ない無力感が加速させる怒り、そして絶望。


 響き渡る獣めいた咆哮が、悪魔の胃嚢の如き空間に響き渡る。


「さァーー、始めな!」


 塾長の粘りつく様な声が、決闘の火蓋を落とすゴングとなった。


 地下室を覆う空気が一瞬にして変質する。


 均衡の糸がぷっつりと途切れたかのように、殺意が空間全体を包み込んだ。


 獣じみた獰猛さを纏い、全身をまるで狩猟の機構かの如くしなやかに跳躍させた神次がその音と共に接近。巨大な殺意そのものが瞬く間にその距離を詰める。


 今度は、誰も助けてなどくれやしない。正真正銘の、孤独の闘い。


「構わねェ。孤独になんて慣れている」


 己を奮い立たせる。見据えるターゲットはただ一つ。


 左腕を無くした歪な悪魔の器。


 孤児院で俺の声明を繋ぎ止めてくれた恩人である神次はもはや、その尊厳をハックされ、獰猛な獣と化してしまった。


「やるしかねぇか...」


 その呟きは、誰に向けてのものであったか。


 歯を食いしばる。雑念を葬る。


 未だ軋む軀を屈めて、飛来する”殺意”の軌道を見定める。


 かくして二人、地獄の底にて対峙する───

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