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†魔剤戦記† 剤と罪に濡れし者達  作者: ベネト
第1章 剤と罪に濡れし者達
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第11話 インセイン・ケース

「いい加減泣くのをやめろよ...」


 思いがけない再開から数刻、ずっと俯いたままぐずぐずと泣いているこのガキに対する苛立ちのメーターが、俺の脳内での時計の秒針が進むごとに、カチカチと溜まっていく。


「うっ... 終わりだ...」


「ちっ...」


 さっきから苛立つことばかりで、これ以上ここにいると本格的に制御が効かなくなってしまいそうだ。


 しかし、ここに来た使命をしっかりと果たさなくてはならない。


「おいボウズ、お前が飲んでるその魔剤はどこで手に入れた?」


「これは... デビル・マーケットで...」


 怯えたように上目遣いで返答してくる。


 その視線といい、潤んだ瞳といい、何もかもが不愉快で獣のような情動を掻き立てる。


 先ほどまでなぜ泣いていたのかが多少なりとも気になっていたが、その疑問は湧いてきたむしゃくしゃとした感情においやられどうでもいい問いと化してしまった。


 元より俺にはこういった弱々しいものを愛でる趣味はない。それどころか、このような存在を目にしているだけで己の 劣等感(コンプレックス)を刺激され不快な気分になる


 その上、己の弱さを自分自身が認めてもなお、足掻くことをせず、嘆くだけの現状を良しとしてそこに堕している存在なら尚更だ。


 (デビル・マーケットねぇ...)


 埒があかないので、上目遣いで見つめてくるその顔に張り合うように、上から押さえつけるように睨め付けて語気を強める。


「なぁ?ここのガキ共が買い占めてんだろ?」


 苛立ちが多分に含まれる物言いから有無を言わさぬものを感じたのだろうか。ついにこのガキは観念したかのように口を開き始めた。


「はい...」


「やっぱりな。そんで、なんで買い占めてやがんだ。今どこに行っても全然魔剤が見つからないんだぞ。それで餓えた器達が暴動でも起こしたらどうすんだよ」


 そんなことをこのガキに聞いてもしょうがないとは思うのだが、苛立ちからかついなじるように詰問してしまう。


「みんな、いい成績を取るのに必死なんです...」


「へぇ。それでいい成績をとってもあのザマか」


 くだらねぇ。いくら羊たちが定めた矮小な秩序の中で優位に立ったところで、結局はさっき俺が見た通りの有り様ではないか。


 奴隷道徳が骨の髄まで染み込んだ、徹底的にまで隷属の軛に繋がれた哀れで、愚かで、非常に腹立たしい羊たち。


「そんで?成績と魔剤になんの関係がある?」


 どうせ答えはわかりきっているのだが、この嗜虐衝動を喚起して止まない少年の震える声を聞いていると、己の苛立ちが抑えきれずに意地の悪い質問が勝手に口をついて出てくる。


「一時的にでも魔剤の力を借りて勉強して、好成績を収めるんです。もちろん凄まじい負荷がかかりますけど... ここの塾のテストで1位を取ると塾長に力を授けてもらえるんです...」


「えっっ!? おいボウズ、今なんてった?」


「ひいっ!?」


 突如飛び出した不穏なワードに思わずに反射的に聞き返す。


「こ、言葉の通りですよ... 僕たち器に成り損なった羊たちに、特別に器の力を授けてくれるんです...」


 この少年から飛び出す衝撃的な情報の数々に頭が追いつかない。


「はぁ!?俺たち羊をどうやって器にするってんだよ?成り損ないだぞ?今更どうやって!?そんな話見たことも聞いたことねぇぞ!?」


 自分でも制御できぬほどに脳内のあらゆる思考回路が急速にヒートアップし、純粋な興味関心による質問が、上擦って上気した声となって、矢継ぎ早に口をついて出てくる。


 その態度が仇となったのだろう。なにか口を開きかけていた少年がこちらの気迫に気圧されてしまったのか、驚いたように口を閉し、ただでさえ小柄な体躯がさらに縮こまってしまう。


 しかし自分の態度が悪手だと即座に内省できるほどの理性は残っていなかった。


 その分、激しく燃えたぎり、遍く脳細胞を採算度外視で摩耗させながらフル回転した思考回路は、出しえる限りの最大出力で、ある一つの疑問に対する希望的観測が真であると証明しようとしていた。


 器の成り損ないを、器にすることが可能だと!?


 そんなこと、本当にこれまで生きてきて一度も聞いたことがない。


 そんなことはあり得てはならない。


 だとしたら、俺のこれまでの人生はいったいどうなる?


 なんとしてでもこの可能性を否定しなければいけない。バカバカしいものだと一蹴できてしまったらどれだけ楽か。己の 存在基盤(アイデンティティ)を突き崩す様な衝撃を齎すその情報にただひたすら狼狽する。


 しかし、このガキが嘘をついているようにも到底思えない。


「俺たち、って... あ、あなたも羊なんですか...?」


 少年が此方を見つめる眼差しには、先ほどの畏怖や不安が占拠していた表情とは異なり、若干の親近感や安心感といったものが抱かれているのが見てとれた。


 こんなガキに同情とも憐憫とも、親近感ともつかない表情を向けられる、ましてや同類のような扱いを受けるのは非常に気に食わないが、今は安心させておいた方が情報を聞き出すためにも得策だろう。


 それに、ああ見えて意外と勘が冴えていると見える。


 取り乱してしまったが、そういったことを考えることができるほどの冷静さは既にかろうじて取り戻していた。


「ああ。クソッタレな羊だ。殺され、嬲られ、捧げ物として焼き尽くされる宿命を背負った、哀れなる羊だ」


 少年の顔が目に見えて明るくなる。まだ不安や恐怖といったものが占める割合の方が圧倒的に多いが、先ほどよりも俺が恐れられていないのは間違いがない。


「それで、羊を器にするってのは一体どういう芸当だ?あの男は呪い師かなにかの類なのか?」


「それはわかりませんけど... でも塾長がそういった力を持ってるのは確かなんです」


 ますます意味がわからない。


 話していればいるほど聞きたいことは増えていく一方だが、これ以上情報を聞くのならば安心させることが大切だ。


 はやる気持ちと弾けそうな心の臓の躍動を抑えて、名前を問う。


 信頼を形成するのに、互いの名前を知るのは一つの鍵だ。


「おいボウズ、ボウズって呼ぶのもなんかあれだ。名前を教えてくれよ」


「勇気です...」


「へぇ。ユウキねぇ。俺は魔沙斗ってんだ。にしても、お前は随分と勇気とはかけ離れたような奴じゃねぇか。ああ?」


思わず笑いそうになってしまった。このいかにもひ弱そうでウジウジとした少年の名前が勇気だなんて、お笑いもいいところだ。


「まぁ、名前なんてお前の意思とは関係なしについてるものだもんな。すまん」


 笑いを堪えて平静に戻る。それを言ってしまったら俺自身だって、力無き羊で歩くくせに、魔という字をその名に冠している。


 蘇ってきた忌々しい記憶に咄嗟に蓋をすると、顔を赤らめている勇気に弁解する。それと同時に、名前がトリガーとなり神次の顔が思い浮かぶ。思い出した。あいつを探すこともしなくては。


 まずは先ほどの情報をしっかりと聞き出すことが先決だが。


「それを言うなら、俺の連れも神次って名前でな。なんでも親は神に次ぐ男になってほしいって言ってつけたみてぇだ」


「神次さんって、どんな人なんですか?」


 勇気が安堵の表情を浮かべたように聞き返してくる。


「あ〜 終わってる野郎だ。刺青だらけの汚ねぇ金髪のやつでな。振る舞いも何もかも下劣極まりない。神に次ぐどころか、神が自分の糞から作ったんじゃねぇかと思うほどのな」


 「このあいだの人ですか...?」


 この反応からすると、ここでは神次を見てはいないってことだろう。ガキが見たら失禁するような外見のやつだ。一度あっているとはいえ、もし見かけていたのなら確実に反応するだろう。


「べぇぇぇぇぇぇぇっくし!!!!ペッ!!!」


 その瞬間、およそ叡智を授ける場所には相応しくない豪快で傍若無人なくしゃみが聞き慣れたトーンと共に聞こえてきた。最悪なことに、この魔逢塾という人工的な施設内で唾を吐き捨てる音までセットになっている。


 今、ちょうど噂をされている人間はくしゃみが出る などと言う話を聞いたことがあるが、間違いない。


 廊下の角をちょうど曲がってきたところに、今話題に出していた男そのものが目の前に現れる。


「おっ、魔沙斗じゃん。探したぜ〜!」


 此方を見つけると大声で呼びかけてくる。


「「うわっ!?」」


 勇気の発した驚いた声に釣られて、ほぼ同時に神次も勇気の存在に気づいて素っ頓狂な声をあげる。


「あの時のガキじゃん!わりい!チビすぎて見えなかったわ!」


「この失礼極まりない男が神次だ。危害を加えるようなやつではないから安心してくれ。といってもなかなか難しいだろうが...」


「よろしくお願いします...」


「なんだ?オレのこと知ってんの?」


「あぁ、今お前について話してたところだ。魔剤の話が逸れてな。そして、このガキは勇気っていうんだ」


「そういや聞いてくれよ!どこにも魔剤が見つからなくてさ!我慢できねぇよ!」


 神次と決して目を合わせようとせずキョロキョロと挙動不審になっている勇気と、勇気をあまり気にも留めずに不満気に喚く神次。


「魔剤なら塾長が街中から集めたらしいものがここの奥の倉庫にたくさん置いてありますよ... ロックかかってますけど...」


 さりげなく衝撃的な情報が明かされた。


「マジか!?じゃあ塾長に交渉することはできないのか!?」


「ダメですね... 外部には決して渡すのを許さないと思いますし...」


 途端に勇気に関心を示す神次に視線を向けられてとっさに勇気が目を逸らす。


 いきなり可能性が一つ潰えた。


 強行突破をして強奪してもいいが、得策ではない上に、先ほどの塾長との会話で、本能がそれは避けた方がいいと強く忠告していた。


「はぁ〜!?あのおっさんどんだけ強欲なんだよ!?」


 馬鹿野郎。聞こえたらどうするんだ。


 それにしても、知りたいことが山ほどあるし、勇気から聞きたいことも山ほどある。


 羊を器に変えるなんて到底聞いたことがないし、このことについては根掘り葉掘り問い詰めるつもりだ。


 しかし、どうするべきか...


 悩んでいると、ある一つの案が思いついた。あまり可能性は高くないが、たしか最近のガキの半分近くは、学校を兼ねた孤児院で生活をしているはずだ。何より、この疑問に関しては多少手荒い真似をしてでも答えを探らなくてはならない。


 そして... こんな馬鹿げた話は、必ずや否定しなければいけない。己の過去に対して肯定的で居続けるためにも...


「おい勇気、お前孤児院にいるのか?」


「......はい。」


 俺の質問に対し、勇気はこれまでに一度も見せたことのないような表情で答える。


 きっと言いたくないことや辛い過去でもあるのだろうが、悪いが今はそんなことは気にしていられない。


 果たして俺の賭けはビンゴであった。まさかの問いが当たるとは思っていなかったのだが。今でも、剤皇街の孤児院になら顔が効くはずだ。


 なんといっても他ならぬ俺自身が剤皇街の孤児院で少年時代を過ごしたからだ。


「俺もその孤児院出身でな」


「本当ですか?」


「ああ、本当だ。信用ならないか?きっと俺の顔を見ればあのおっさんも喜んで通してくれるだろうよ。それに、お前には聞きたいことが山ほどある。ここに通うための剤源もそうだし、何よりあの器を羊に変えるという話についてもな」


 訝しむ勇気を説得する。別に嘘はついていない。


「羊を器に変える!?ウッソだろ!?聞いたことねぇぞそんなの!?」


「あまりデカい声を出すな。俺だって信じられん。しかし勇気が言うにはマジらしいんだ」


 神次が驚くのも無理はない。器であってもそんな話は聞いたことがないからだ。昔の違法魔剤の事件の時でさえ、連日ニュースなどで騒ぎになっていたものの、羊を器に変えるほどの力があるなんて話は一度も聞いたことがなかった。


「神次には言ってなかったが、俺はこの剤皇街の孤児院出身だ。いわば羊たちの肥溜めみたいなシェルターだが。勇気もらしい。そこでだ。こいつと一緒に孤児院に戻って、一旦作戦会議をしないか?」


「孤児院!?オレ行ったことねぇよ!追い出されたりしねぇか?」


「あぁ、大丈夫なはずだ。あそこのおっさんには顔が効くからな。説得してみる。」


「おう、じゃあ頼むぜ!魔剤がないのは死活問題だからな!オレと孤児院なんて、似合わなすぎて浮いちまうだろうしな」


「別に浮きはしないだろうさ。孤児院にはボディーガードや警備員としてお前に負けず劣らず人相の悪い奴がゴロゴロいる」


「オレの人相はそこまで悪くねぇよ!?」


「ちょっと... え...!?」


「俺たちはここを出て少しのところにあるバベル・タワーで待ってる。ここでの授業が終わったら来い。これは既定事項だ」


 俺と神次の間で、当事者不在で進行する会話に困惑した表情を浮かべて、慌てて口を挟んでくる勇気に一方的に告げ、反論や返答を許さず踵を返して元来た道を戻る。


 多少申し訳ないが、この偶然を逃すわけには決していかない。


 羊を器へと覚醒させるという情報の真偽を、俺は絶対に確かめなければならない...


 階段を登り地上へと戻る道中、決意を固め拳を強く握りしめた...

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