ナキタイ
その言葉に、咄嗟に岡崎の腕を掴んでいた。
突然のことに振り払われるかと思ったが、彼は大人しくされるがままだ。その顔色は蒼白で、どこか呆然としている。
「岡崎……」
呼び掛けにも反応はない。
いよいよ周囲が騒然とし始めた。
「おい、何ふざけてんだよ岡崎」
引き吊った表情で村田が突っかかるが、その額には冷や汗が浮かんでいた。
「ねぇ、もう帰ろうよ!」
島中の声に、中村たちも同意の声を上げる。
その時、新は気づいた。
先程から一度も虫の声が聞こえない。
ひゅっと呼吸が洩れる。
その時村田が声を上げた。
「なんも聞こえねぇよ! 皆ビビりすぎだろっ、なんかいるならむしろ出てこいよ!」
「ちょっと村田!」
「大丈夫だって! 女子はビビりだな! おーいっ、誰かいるなら返事しろっ!」
その途端空気が歪んだ、気がした。
見つかった。
咄嗟にそう思った瞬間……
はぁーい
声だ。それも無数に重なるような歪な声が、静寂の中嘲るように響いた。
それは前方から、横から、後方から、反響しているように聞こえた。
(違うっ、囲まれてる!)
折り重なり反響し、屈折し、歪んだ響きを残し、その声は次第に大きくなる。
ハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイハイ
濃厚な殺意と悪意と怒りと哀しみが内包し、混ざり、まるでぐちゃぐちゃな感情を武器に刺されているような錯覚さえする。
「きゃぁぁぁぁぁぁ!」
「うわぁぁぁぁ!」
悲鳴が上がるが、恐怖で皆動けない。
村田が腰を抜かしているのを見えたが、新には何もできなかった。
やはり無理をしても来るべきではなかった。
きっと奴らは新たちを逃がす気などない。
個体というより、それらは呪いや怨念に近いものになっていた。
「怒ってる、きっとあいつは俺を恨んでる……」
「え? あ、岡崎!」
そう呟き、突如岡崎が走り出した。
それを見て、中村も追いかける。
咄嗟に新も追いかけようとした。
「待てよ、関原!」
「皆は戻ってて!」
村田の制止を振り切り、駆け出す。
彼らを置いていくことも気がかりだったが、あからさまに様子がおかしい岡崎を放ってはおけなかった。
携帯の明かりもない中で、最早どこを走っているのかも定かではない。ただ、早く彼らを見つけなければ。
自分の呼吸音だけが耳に届き、世界は無音だった。
「ヤバイ、見失った」
木に寄りかかり、息を整える。
まさか木々の中に入ってしまったのだろうか。
そうなると、見つけることは難しくなってしまう。最早異空間のようなこの場所で、どうやって見つければいいのか。
抜け出すことすらできるかわからないというのに。
一人になり、突然冷静になる。
こんな場所で、バラバラに自らなるなど悪手でしかない。
追い込まれたのだ。引き離されたのだ。
目の前に、光る無数の目が視えた。
爛々と輝くそれと共に、微かに獣臭い臭いが鼻についた。
周囲を囲まれている。
呼吸が浅くなり、肌が総毛立った。
(バカだバカだバカだ。何が守るだ、なんもできないのにっ。自分のことすら守れないのに!)
視えるだけ。
いつもそうだ。
視えるだけのこの力はなんの役にも立たない。
ただ、新を危険に追い込むだけだ。
(誰かっ)
助けを求めることしかできない、無力な自分に唇を噛み締めた。
「新、大丈夫だよ」
刹那、獣臭が消えた。
フッと空気が軽くなり、無意識に止めていた息が洩れる。
「龍口、何で……」
「うん? 一人だと寂しいでしょ?」
こんな時だというのに、彼の美貌は石膏のように一寸の狂いもない。
「新、怖い?」
「オレは……」
怖い。怖いに決まってる。
いつだって、怖くない時なんて一度もなかった。
視たくないものが視える。誰にも理解されない恐怖と孤独に、平静を装うことでしか対処できなかった。
本当は、一度だって平気なわけではなかったのに。
「言ってみて。大丈夫」
「怖い、怖いに決まってるだろっ」
「うん、そっか。わかった」
そう言って、零の指先が目元をなぞった。
「大丈夫。俺がいるから」
リンっと、鈴のような音がした。
「新、みて」
「なに……」
「視えるはずだよ」
零の視線の先に開けた道が見えた。
その先に、小さな光のようなものが視える。
リン、リンっと、軽やかに跳ねるような鈴の音が誘うように聞こえた。
「行こう」
言われるまま追いかける。
不思議とそれは怖くはなかった。
そうして追いかけると、突然道が開け、そうして草原に囲まれた遊具が見えた。
原っぱの真ん中に呆然と座り込んでいる岡崎と、心配そうに寄り添っている中村がいた。
一瞬、足元に何かがすり寄る感覚がして、新はようやく悟った。
(あぁ、あのコは……)
岡崎の元に向かい、その背中に触れる。
「岡崎、戻ろう」
「俺は、俺は」
繰り返す呟きに、彼が平静ではないことが知れた。
「恨んでないよ。お前のこと、恨んでなんかないよ」
「何でわかるっ! てめぇに何がわかるんだよ!」
振り払われ、たたらを踏んだ新をすぐさま零が抱き止めた。
「知ったような口きくんじゃねぇっ!」
「やめてよ禎丞!」
間に入った中村に止められ、岡崎はハッとした顔をした。
「岡崎、オレは……」
「俺は恨まれて当たり前なんだ」
そう言ったきり、彼は口を閉ざした。
新は何も言えないまま、沈黙がその場を支配する。
「とりあえず、今のうちに戻ろう」
冷静な零に促され、またこの世のモノじゃない奴らが悪意を向けて来る前にとりあえずは皆でその場を後にした。
花壇がある広場まで戻ると、蒼白な顔をした面々が新たちを待っていた。
岡崎は早々に一人帰り、残りのメンバーも意気消沈したまま帰路についた。
結局新は何もできず、何も言えないまま、今まで感じたことのない無力感だけが残ったのだった。