ミトメタクナイ
肩に回された腕、密着した身体からまるで清涼剤のような爽やかな香りが漂う。
聞き覚えのあるゆっくりとした甘い声は、入学してからよく絡んでくる男のものだ。
「座り込んでどうしたの? 具合悪い?」
「龍口……」
「うん? …顔色悪いねぇ」
ひんやりとした指先が顎をすくい上げ、彼の白皙の美貌が近付いてくる。
太陽に照らされ輝く髪は、まるで金糸のように繊細なシルバーブロンドだ。金というよりも白銀に近いが、本人曰く地毛とのことで、教師から髪色についてはお咎めなしなようだ。
まあ嘘だろうが本当であろうが、そのエキゾチックな顔立ちは説得力があった。
「別に、ちょっと立ちくらみしただけだ」
スラリとした長身に作り物めいた顔立ちの男の名は、龍口零という。おおよそ現実感のない美貌の彼は、ただそこにいるだけでひどく人目を引く。
彼の指先から逃れるように、立ち上がるが、不思議と嫌な汗も気分の悪さも治まっていた。
そのまま下を見れば、あの異形な女もいつの間にか消えていた。
「ふぅん? ……本当に?」
「本当にって何だよ」
「いや、てっきり……」
ナニか視えてるのかと思って
「……意味わかんねぇ。ナニかって、なんもないわ」
「そう? まぁ、いいや。それじゃあ、早く行こう。遅刻するよ」
ニッコリと微笑む彼の笑みは真意が読み取れない。
どちらかといえば、彼の方こそ視えているのではないかと思ってしまう。
いつも会うたびに挨拶のように交わされるその言葉は、彼が新の瞳のことを知っているような気がしてしまう。
それでも、新は否定する。
口に出して外では認めてはいけない。
けして、認められない。
もし口に出して肯定してしまえば、奴らに気づかれてしまう。
異質なモノが視えるなどとわかれば、あいつらは縋りついて、重なりあって、怨嗟と呪詛を撒き散らし、絡めとろうとしてくる。
ただ視えるだけの新には何もできない。
救済することはおろか、己の身すら危うく守りきることができない。
だからこそ、最初から視ないふりをする。
視えないふりをするしかできないのだ。それだけが、唯一の対処法にして処世術だった。
幼い頃から新はずっとそうして己を守ってきた。
この視える力は、母方の血筋のせいなのだという。
母は視える力こそないが、彼女がいるところに異形のモノや幽霊の類は近付いてこない。
まるで母自体が生きる結界のように、彼女を軸にして奴らはいなくなる。
だからこそ、家だけが唯一新の安息の地だった。
普段は眼鏡をしているのも、外で裸眼だと視えすぎてしまうからだ。あからさまに異形ならば、視ないふりができるが、中には普通の人間のような見た目で振る舞う奴もいる。
そうすれば、新には区別ができなくなる。
生きているのか、死んでいるのか。
人か、異形か。
鮮明に視える瞳は判別を曖昧にしてしまう。
それを回避するために、眼鏡をしている。
眼鏡をすれば、ほんの少しだけぼやける。視力自体は良いので瞳に負担がかかるが、眼鏡をすれば奴らだけ鮮明に視えて、生きている者は少しだけ見づらくなるので区別がしやすいのだ。
いわば眼鏡だけが、唯一新を守るアイテムだった。