ミタクナイ
4月も終わりにさしかかると、どことなく風が生温い。今年は気温が例年より上がるとのことで、歩いているとそれなりに暑い。
ブレザーの下にセーターを着ていたのだが、選択を間違えたかもしれない。
道路を歩けば、散った桜の花道ができている。
踏まれたそれは土が混ざり、どこか刹那的で物悲しく見えた。
バスに乗り、一息つく。
毎回家を出る時が一番神経を使う。
珍しく空いてる車内に運が良かったと椅子に座りながら思わずうたた寝をしていると、窓側からじっとりとした視線を感じた。
すうっと息を吸い、前だけを見据える。
視界の端に薄汚れた衣服がちらつくが、何事もなかったかのように鞄からワイヤレスイヤホンを取り出して曲を流した。
空中が効いたバスが停車し、足早に降りれば、後数分で学校だ。
曲の音量を無意識に上げていると、何人かのクラスメイトとすれ違い、片耳だけ外して挨拶をする。
歩道を渡れば後は校舎に入るだけだ。
だからだろうか、
油断していた。
肩を叩かれた感触がして、思わずクラスメイトかと思いそちらに顔向け、ヒュッと息を吸いそこなう。
勢いよく下を向いたが、みてしまった。
視てしまった。
どっどっどっとこめかみ近くで音が響く。
自分の心臓が耳にでも移動してしまったかのようだ。
(ヤバイヤバイッ)
早く渡りたいが信号はまだ変わらない。
汗が顎を伝い、震える手で眼鏡をこれでもかと目元に押し付けながらきつく目をつぶる。
片耳だけ外してしまったイヤホンを慌ててつけようとするが、焦って落としてしまった。
嫌な予感はあった。
バスで感じた視線。気づかないふりをしていたが、きっと勘づかれていた。
だからついてきてしまった。あそこから、ずうっと。
憑いてきてしまった。
右側にピッタリとくっついているそれは、たぶん女だ。
赤というより黒に近い汚れで染まった服は、ワンピースだったものだろう。
細く枯れ枝のような足が目の先に入る前に、とっさにイヤホンを拾おうと座り込み、新は瞳を見開いた。
いつの間にか隣にいた女が足元にいた。
腰を折り畳むように不自然な姿勢で足元からこちらを覗きこんでいる。
青白いそれはまさしくこの世のモノではないそれで。
ポッカリと覗く暗闇のような穴の目が、新を食い入るように見つめ、目が合ったのを確認するかのように、歯のないその口元がにぃぃっと横につり上がった。
その形相は形容し難いものがあった。
ただただ恐ろしく、醜く、手足の先まで冷たく凍えていく。
目をそらさなければ。
そう頭ではわかっているが、身体が縛られたようにいうことが効かない。
そのうちに女が何事か口を開けた。
ぱくぱくと何かを言っている。
聞こえはしないが、何をいっているのかだいたい想像はつく。
決まって奴らは同じことを聞く。
視えているのか。
聴こえているのか。
こちらに気づいているのか。
(聴こえねぇよ! オレは何も聴こえないっ)
新は視えるだけだ。
ただ、それだけだ。
(誰かっ、母さんっ……!)
女の顔がゆっくりと近付いてくる。重苦しい気配が新を覆いかけたその時……
「視えてるでしょ」
ひんやりとした風が吹いた。