デタクナイ
高校に入学し、早くも1ヶ月が経とうとしていた。
窓から見える桜は散り始め、日中なら動くとうっすらと汗が滲む程度には暖かくなった。
「今年の桜も終わりだねぇ」
のんびりとした父親の声に、母親が頷いた。
「そうねぇ。桜は綺麗だけど、散り際が寂しくなるわ」
「でも、母さんの地元はGWに花見とかやるよね。こないだ見頃だってニュースでやってた。休みに行ってみたら?」
「うーん、そうねぇ。でもほら、お母さんの地元は遠いから」
父親が視界の端で苦笑いを浮かべたのが見えたので、小さく肩を竦めて相槌を打つ。今住んでいる所も東北だが、母親の故郷は東北の最北端に位置する場所で、冬場は特に厳しいそうだ。
詳しいことは知らないが、大きな地主の家で、昔小さい頃に何度か新も行ったことがある。
母親の母親、新にとっては祖母になるのだが、おっとりとした母とは違い、常に表情が変わらない厳格なイメージが強くて新はあまり得意ではなかった。
新が大きくなってからは母親も帰郷しなくなり、あまり母親の実家のことはよく知らなかった。
ただ一つ。
新にとって、悩みの種であるこの体質が、母親の一族の血筋であることは理解している。
「まあ、来年花見行こう……うわっ!」
テレビを見て、思わず声を上げた。
家の中だからと油断した。
ブラウン管越しに視えることなど滅多にないのだが、これはマズすぎる。
悪意と殺意と怒りと憎しみが混ざって、まるで一つの呪いのようだ。
「最近また地域猫の被害が酷いな。まったく、犯人はなんて残酷なんだ」
ニュースキャスターが地元の森林公園でインタビューしているのを、父親が悲しげな顔で見つめている。
最近この森林公園で野良猫や、外飼いの犬が誘拐されてバラバラに惨殺され、捨てられる事件が多発している。
やり口的に同一犯の犯行とされているが、未だにその犯人は捕まっていない。
「ごめん、父さん。チャンネル替えていい?」
吐き気がこみ上げ、額に脂汗が滲む。
一瞬で食欲が失くなった。
「あ……何か視えたのか?」
急いでチャンネルを替えてくれた父親に礼を言い、心配そうにしている彼に頷いた。
「ちょっとあそこはヤバい。父さんもできる限り近寄らないで」
直接見た訳でもないのに、あそこまで影響を与えてくるなど、余程のことだ。
「新、目を閉じて」
水を持ってきた母親がスッと新の瞼に手を当てた。
柔らかく温かな何かが優しく身体を巡っていく。
「もう大丈夫。ありがと」
ゆっくりと瞳を開ける頃には嫌な汗も引き、気分もマシになっていた。
「気休めしかできなくてごめんね」
「いや、母さんがいてくれるお陰で助かってる。家で安心して目を開けられるのは、母さんのお陰だからね」
体質故に、母親はいつも申し訳なさそうな顔をする。
それは母親由来の体質のためだ。
けれど一度だって、新は母親が悪いなんて思ったことはない。
この体質も、たまたま遺伝が強く出ただけだ。
けして誰のせいでもない。
「あ、もう学校行かないと」
部屋に向かい、装備品を身に付ける。
装備品ーー鼻の上に鎮座する新の防具であり、相棒の眼鏡。
これがなければ、新はマトモに一人で外すら歩けなくなる。
一度深呼吸して、玄関の扉に手をかける。
心配そうな顔で行ってらっしゃいと声をかけてくる母親に頷きながら、ゆっくりと足を踏み出した。