婚約破棄され失意中死んだら、婚約破棄した男に生まれ変わってしまいました
婚約破棄され失意中死んだら、婚約破棄した男に生まれ変わってしまいました ―私はただ自分に幸せになって欲しいだけだった―
『婚約破棄され失意中死んだら、婚約破棄した男に生まれ変わってしまいました
―自分と結婚とか無理なので穏便な婚約破棄のため頑張ります―』
の続きです.前作を読んでいる前提で話が始まる不親切仕様です.(上のシリーズのリンクから読めます)
「……何とおっしゃいましたか?すいません。エドワード様につい見とれ……エドワード様」
身を乗り出したナタリーが心配そうにこちらを見上げてくる。
そんな表情も理解できる。きっと今の私の顔は真っ青を通し越して土色になっているだろうから。
私は今、何と口にしただろうか。
『ナタリー、君との婚約は無かったことにしてもらった』
その台詞が何度も、何度も脳内で繰り返される。彼女を突き放す言葉を、とは思っていたが台詞までは決めていなかった。それなのに口から出てきたのはこの台詞。
『ナタリー、君との婚約は無かったことにしてもらった』
私のナタリーの部分が熱に浮かされながらも何度も、何度も反芻しては涙を流した台詞。
それを私は無意識に発していたというのか。
ナタリー兼エドワードである私が、ナタリーが傷つく言葉としてこれを選んだと考えることは出来るしかしそれだけなのか。そうだと片付けて作戦を続けてもいいのか。
全身が粟だって、拒絶を示している。
一言一句同じ台詞であった事、紅茶を飲まない、先ぶれを出さない。どれも私がただのナタリーであったときにエドワードがとった行動と同じだ。
むしろ何故気づかなかった。
私がただのナタリーであったときのエドワードが、ただのエドワードでは無かったという可能性に。
「……すまない。今日は体調がすぐれないみたいだ。今日言ったことは全て、すべて忘れてくれ」
「ええ、分かりました。最近冷え込んでいますから。お大事にしてください」
「本当にすまない。……ごめん、ナタリー」
こんな精神状態で作戦の続行など出来るはずがない。
元々直ぐ帰る予定で待たせていた馬車に乗り伯爵宅までとんぼ返りする。寒さを理由に珍しく誰も出かけていないため家の中はほんのりと温かいが、そのことが心の冷め具合を強調させる。
リビングからは、ゲームでもしているのだろう、家族の談笑する声が聞こえる。その暢気さに八つ当たりのようにイラついて、耳を塞ぐように寝室に籠った。
はなから物が少なかったため引っ越しの準備を終えても部屋の見た目はさほど変わらない。あの日ナタリーとしての自我が目覚めた時と全く同じ光景が広がっている。
そうだ、私がただのナタリーの時だってエドワードは絵を描いていた。女性への気遣いも上手かったし、食の好みもよく似ていた。なぜこんな簡単な事に気づかなかったのか。このまま作戦を決行しても、ナタリーはきっと同じ未来をたどるだけ。
誰にも看取られることなく春の芽生えを待たずに死んでしまうだけ。
直前で気づいて決定打は抑えられたとはいえ、作戦自体は動き出している。
婚約破棄は書類上成立しているし、ナタリーの父はギルバートとの婚約に前向きで恐らく次にギルバートが来たときに内々に婚約手続きを済ますつもりだろう。
思い返せばただのナタリーの時、父は次の婚約者が決まっているような事を言っていた。恐らくその相手がギルバートだったのだ。
何か事情があってギルバートが来られず、その間にナタリーが床に伏す。エドモンドになったエドワードはそれを知るすべもなく、平民としての生活を始める。
こんな感じのストーリーだろうか。ナタリーの兄が絶対にエドワードを連れてくるという約束を守れなくても無理はない、まさか名を捨てているとは思わないだろう。そもそも、絵を描くことを知っているのも家族とナタリーだけなのだから。
取りあえずギルバートの今の状況を確認しよう。
私は自分の事情を上手くぼかしながら作戦が上手くいかなかった旨とギルバートの到着が遅れる懸念を記し、早馬を出させる。隣国はそこまで遠くないので今日中に便りが着くだろう。
一息ついてベッドに寝転がった私は衣服を脱ぐのも忘れて意識を手放した。
明くる日はよく晴れ、数日ぶりに温かな陽気をしていた。私は予定通り慣れ親しんだ邸宅を後にする。
家族には平民になるため婚約を破棄するとしか伝えてないため、予定を変更して辺に勘繰られたくなかった。
因にこの決定についてはすんなりと承諾されている。私が平民として生活していけるくらいの収入を絵で得ていることは知っているし、街に馴染めているのも知っている。基本他人に興味が無い人たちなのでエドワードとナタリーの関係性など知らず、婚約破棄も当然のように受け入れられた。後継ぎについては他にも養子候補がいたので問題なのだそう。
いつも平民街の近くまで送ってくれた使用人に金を握らせ、連絡を取ったら来て欲しい旨を伝える。今後、どのように動くか決まってない以上選択肢は増やしておきたい。
面白いことが一番、という考えは使用人にまで浸透しているようでこういう展開憧れていました、なんて嬉しそうにしながら馬車を引いて去っていく。こんな家でも私の生家よりも栄え、筆頭伯爵なのだから他の家はやってられないだろう。
いつも通り乗合馬車に揺られてフレディの工房に向かう。
少し手前で降りる人がいたため合わせて降車し残りは歩くことにした。まだ、朝と呼んで差し支えない時間だが街は活気に満ちている。様々な種類の工房が立ち並ぶこの辺りは日中いつも込み合っていて、夜になると皆家に帰るため一気に静まり変える。
今度、その対比を一枚の絵にしてみようか。今まで持ち運びを理由に遊びでしか使ってこなかった大きめのキャンパスに街の様子を描いて、左右で夜と昼を表現する。いや、鏡写しで上下に双方の街並みを描くのも良い。
こうして延々と絵のことを考えるのは現実逃避だと分かっている。
婚約破棄の件は何も解決していなくて、取りあえず今日工房でギルバートと落ち合い再度話し合うことになっていた。いつも通り馬車ではなく馬で駆けてくるそうなので遅くても正午には着くだろう。流石にまだついていないだろうからラフだけども済ませてしまおうか、などと考えていると突然後ろからぶつかられた。
スリか何かかと慌ててぶつかった相手の腕をつかみつるし上げる。と、同時に上がった悲鳴を聞いて手の力が一瞬で抜けた。
「ナタリー、何で……」
私にぶつかってきたのは目深にフードを被ったナタリーだった。女の子らしいよく通る悲鳴を聞いて何人かの通行人が足を止め、ナタリーを凝視している。地味な色のフードとは言え継ぎはぎもなく、上質な生地を使っていることが分かる。そちら方面の仕事をしている人間ならば縫い目の綺麗さを加味して、小金持ちでは買えないほどの高級品であることを見抜くだろう。
「エドワード様、私……」
そう言って涙をいっぱいにためて、腕に縋り付てくるナタリー。それを見てどんどん増えていく野次馬たち。
不味い。大ごとにしたくないのに人がどんどん増えていく。ナタリーは落ち着いて、という私の声すら届いてないようで嗚咽を堪え、喉を震わせ続ける。
兎に角、人気のない方へ移動しなければと視線を彷徨わせたとき視界の隅に見覚えのある長身をとらえた。
一か八かやるかしない。
「ナタリー、君は君の幸せをつかむんだよ」
私のようにならないように。
耳元でそう囁くと、腕を振って強引にナタリーの手を外させる。乗馬が得意なナタリーのことだ、多少よろけはしても倒れるようなことは無い。
「……待って」
静止の声を後ろに聞きながら、野次馬を潜り抜け走る。
人だかりを気にしてか工房を離れこちらへと向かってきた長身は、人垣を抜けた私を見やって僅かに眉を上げる。
「幸せにしてやってください」
抜かした主語を正確に読み取った彼は力強く頷いて、私と反対方向に駆けだした。
この時、私は完全にエドワードではなくなったのだと感じた。
そして同時にナタリーでも。
ナタリーでもエドワードでもない私は、俺はエディ。ただのエドモンド。
しがない平民の絵描きだ。
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この国に引っ越してきてから何年が経ったでしょう。もう祖国にいた年数よりも長い間、この国にいると思います。
寂しがり屋で心配性な旦那様とかわいい子供たちに囲まれ私は毎日幸せです。
そう伝えたい相手は行方知れずのままで不安ですけれど、旦那様が大丈夫だというのだから大丈夫なのでしょう。彼は領主としても、夫としても、父としても優秀ですから。
「あら、また絵を買ってきたのですか」
「ああ、どうも彼は僕の琴線に触れる絵ばかりを描くみたいなんだ」
他国で仕事を終えて帰っていた旦那様は家族への挨拶を済ませるとギャラリーに向かい、新しい絵の配置を考え始めたようです。
旦那様は特別絵が好きというわけではないとおっしゃいますが、たくさんの絵画を持っておられます。人物画は小さいものが多く、風景画は大きなものが多いです。人物画にしても風景画にしても、何となく見覚えがあるものが多いのですが何故なのでしょう。
「確かエディという方でしたよね」
「そうだよ。エドモンドという名のしがない平民の絵描きさ。それより見てくれよ、この絵君と初めて出会った時にそっくりだ」
そう言われて掲げられた絵には緑が広がる草原と馬、その馬を撫でる栗毛色の少女が描かれています。
「私たちがあったのは平民街ではありませんでした?」
その風景に似ているというならば左の壁にかかっている大きなものでしょうに。水面に映ったように上下に街が掛かれていて、片方は暗く片方は明るく塗られている少し不思議な絵です。
それに私はあの日ネズミ色のフードを被って髪を隠していましたし、父から婚約が破棄されることを聞き彼を追って乗って来た馬は少し遠くの木につないで置いて来ていたはずです。
「ふふ、君はそれでいいよ」
意味深な事を呟いた旦那様は私が問う間もなくギャラリーを出ていってしまいます。
私も後に続こうと開けっ放しの扉に近づいたところで一枚の絵が目につきました。ドレスを着た女性が赤子に祝福のキスを与えているありきたりなものですが、女性が神秘的な雰囲気を持っており不思議と引き込まれます。
そして、ふと今日が何の日だったかを思い出しました。祝う相手がいなくなり何年も忘れていたと言うのに、本当に唐突に思い出したのです。
「エドワード様……。お誕生日、おめでとうございます」
あれが恋だったのかはもう私には分かりません。それが気にならないほど今は旦那様を愛しています。
「私、ちゃんと幸せです」
死ぬときにもう何も思い残すことが無いくらいに。
ここまで読んでいただきありがとうございました.