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クライムレポートⅡ(Crime Report II)

 犯罪捜査におけるマン・パワーの不足は、今や常態である。周辺都市部も含めた福岡都市圏では、年間500万件程度の凶悪犯罪が起こる。強盗・路上詐欺・レイプがほとんどでそのうち殺人事件は約1万8000件。これを単純に時間で割ると30分に一回、誰かが殺されていることになる。現場の捜査官にすれば文字通り殺人的な頻度だが、人口比にすると0.1パーセントにも満たないので、一般市民の犯罪に対する危機意識は驚くほど低い。また、殺された被害者を人種別に分けると、アジア系移民が8割以上を占める。(この中には不法滞在も含まれる。)


 本来、雑多な民族をアジア系でひと括りにせざるをえないのは差別意識からばかりではなく(当然それもあるだろうが)、当局がその実体を全く把握できていないからである。

 このような状態に陥ったのは主に過去の政策的誤りが原因で、かつて市当局は、慢性的な労働力不足を解消するために不法移民の存在を黙認した。ほどなくしてアジアにおける日本の労働市場が以前ほど魅力的でなくなり移民達は自国に帰ることを望んだが、すでに豊かになった母国は日本で搾取されたあげくにほとんど無一文となった彼らの受け入れを拒否した。しかし日本側も頑迷に彼らを拒んだため、双方の国家から裏切られた移民たちは地下に潜伏して彼ら独自の社会を築いた。


 そこでは人々が一切の公権力の庇護も干渉も拒み、秩序は彼ら自身が維持した。ファンの一家のような犯罪組織は、自らの利益を(はか)るだけでなく、実は同胞たちに(ほどこ)しをしたり治安を徹底させるといった公的な性格ももっているのである。


 この体制は確かに欺瞞的だが、うまくいった。20世紀初頭にアメリカに移住したイタリア系移民の擁護者として出発したマフィアが、すぐに同胞を食い物にする略奪者に成り下がったような事態は、なぜか起こらなかったのである。実際ファンら犯罪組織の行動原理は「義」であった。また、そのような心情は、日本の犯罪組織であるヤクザと兄弟の関係を結ぶのにプラスに働いた。結果、全ての犯罪組織はヤクザを頂点として忠義で結ばれた強固なヒエラルキーを形成したのである。


 皮肉なことに、このような犯罪地図における秩序は、ある意味での治安をもたらした。つまり、各民族の住み分けが完璧であるため日本人は自らの社会から逸脱しない限りかなり安全なのである。このことは、先に述べた日系市民の多くが犯罪に対して不安をもたないことと関係している。同じ多民族都市でありながら、ロサンゼルスとは大きくかけ離れた様相をこの街がもっているのは、そのためだ。


 ただし犯罪組織というものの実態を知る藤田は、そのような理屈が現状を容認せざるをえない場合の方便であることを知っている。この体制の利益をもっとも享受できるのが日系市民だけであることを考えれば、結局ファン達もマフィアと同様に同胞を搾取するための手伝いをしているにすぎない。ただ、そのやり方は確かに欧米人のようにあからさまではない。なぜそうなるかといえば、もしかしたらアジア人独特の気質と何か関わりがあるのかもしれない。


 そういったわけで、この街では暗黒街と表の世界がギリギリの均衡を保っている。ただし、両者の間に明確な癒着はない。それもこの街固有の性格である。事実、両者は互いに憎み合い、互いに相手を潰そうとしている。 少なくとも藤田たち現場はそうだ。組織犯罪の犠牲となる移民系市民に関わる犯罪が解決しないことが多いのも、実際は予算・人員不足と彼ら移民系市民自身の非協力的態度が原因だ。ただし、未解決の事件が増えることが直接治安の悪化には繋がらないことが、市当局に組織犯罪撲滅のためのさらなる予算をつぎ込むことを踏みとどまらせている。


 いずれにせよその均衡が続くかぎり、藤田のサイドビシネスと本業が齟齬をきたすことは実質的にないわけだ。


 ちなみに、藤田の家系は不法就労の残留組ではない。祖父の時代にベトナムとアメリカの間に戦争が起こって、留学中だった彼の祖父は帰国できなくなったのだ。そして、彼の父の時代に一族は全て帰化した。よって藤田雄一郎というのは彼の本名であり、“グェン”というのはベトナム人街における通り名である。ただしこれは、彼の祖父の名前でもある。

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