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アカウントオブザイベント(Account of the Events)

 翌朝署に出勤して未決被疑案件リストを整理しているところで、グェンに意識(・・)が戻ってきた。自分の胸に指を這わせて固い骨の感触と鼓動を感じとりながら、自分の内部に存在する二通りの記憶を持て余す。


 ひとつは昨日正木に会ってからそのまま直帰して、娘と食事を摂って休み、こうして出勤しいつも通りの仕事をしているというもの。この「記憶」は連続していて矛盾がない。もうひとつは、街中でパンクスに撃たれて頭を吹っ飛ばされているもの。劉(リォ)の事務所に押し入って彼を詰問しているもの。こっちはところどころ欠落していて、劉とはその後どうなったのかもハッキリしない。ちなみに劉は昨日、繁華街に駐車した車の中で射殺体となって発見されたらしい。発砲があったすぐ後に、通報により警官が駆けつけたそうだ。


 アラストールに関しては、グェンは知っている。こちらからアクセスすることはできないが、ネットを介してときどき接触してくる魔神(デーモン)だ。奴と知り合ったのは前の戦争のときで、これはグェンの記憶の空白期と重なっており、実はどういういきさつだったのか全く憶えていない。しかし英雄気取りでネットを徘徊する“神”などと呼ばれるガキどもとは、全く異なった存在であることは確信できる。奴らは全くのオフラインで奇跡を演じてみせるからだ。つまり、魔神どもはコンピュータ抜きで奇跡を起こす。これはあまりに非現実的で、グェンには考えることすらバカバカしい。しかし実際、グェンの記憶の中で劉が命乞いをしていたのと同じ時刻に、彼は大学病院で司法解剖されてもいる。劉の自慢のシステムをスコアズに洗わせるまでもなく、ログにはその時刻、自室にいた劉の座標を見失ったことが記録されているだろう。いくらネットを制する者が無限の力を行使することができるといっても、物理的に不可能なことがあるのだ。


 吉本の話だと、ネット上でも昨日は不可解な現象が起きたらしい。一瞬グェンの存在が電子空間(マトリクス)上から消えたそうだ。現在は生活のすべてが電算化されているので、買い物をしても、車に乗っても、ヘタをすれば歩いてるだけでも、なんらかの痕跡(情報)がネットワークに残る。それが、昨日のある時点でグェンに関するあらゆる情報が一瞬消えたのだ。


 これをファンのメインホスト(中央計算機)は、劉がグェンを殺して情報を抹消しようとしているのだと判断した。ファンは即座に吉本を差し向けたが、実はこの情報自体がフェイクで、吉本が劉の事務所に踏み込んだときはすでにもぬけのカラ。劉本人は別の場所で殺されていた。このことで非常にナーバスになったファンに何度も問い正されたが、グェンとしては平凡な日常である方の記憶を話すほかなかった。


 また、スコアズはその怪現象を別のことに気を取られていて見過ごしたらしい。別のこととは、あるグループが福岡のネットに介入して隠密裡(おんみつり)になんらかの情報を収集し、音もなく引き上げたらしいのだ。それはあまりにも巧妙にカモフラージュされているので、彼のようなフリークにしか見分けられない。噂にしか聞いたことのない連中がリアルタイムで目の前を動き回っているのを見て、すっかり興奮してしまったらしい。


 そのグループとは、一説によると超常現象を調査するアメリカの諜報機関だそうだ。つまりUFOだとか超能力やらを国の税金を使って追いかけ回している連中らしい。少なくともスコアズの話ではそうだ。これはその手の事件に対して捜査権限のないFBIが、CIAに捜査を委託したのがきっかけで設立された機関だという。なぜFBIに捜査権がなかったかといえば、アメリカとソ連の冷戦時代に、はっきりと超常現象を政治の場で否定したのが原因らしい。別にCIAが公認していたわけでもないのだが、明確に否定していなかった分、予算の融通が利いたということだ。


 スコアズの言うことをすべて真に受ける気にはなれないが、アラストールのことを知っているだけにグェンとしては複雑だった。


 いずれにしても、劉はもともと消される運命にあった。彼がグェンを襲う準備をしていたのは明らかであったし、それに対して彼の雇い主はグェンに別の役回りを期待していたからだ。雇い主といってもそれは、社会全体を牽引する主体の巨大複合構造群であるので、擬人化して唯ひとつの意志を汲み取るのは相当難しい。例えば、別個の利害関係を持つ顧客は互いに相矛盾する依頼をしてくることもあるだろう。その場合、刻一刻と変化する各顧客の優位を正しく見極め、劣位の顧客の依頼を棄却するのは至難の技だ。しかも、その判断を一度でも誤れば彼自身の命取りとなる。しかし劉はそれを商売にしていたわけだから、それを読み違えたのは完全に彼のミスだ。そんな彼にわざわざ己が手を下した魔神の意図は、結局グェンにはわからなかった。

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