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サイバーエピデミック(Cyber Epidemic)

 豊かで澄んだデータの海は、ある日突然危険きわまりないものになった。インターネットをコンピュータウィルスの大厄が襲ったのである。


 電子の病原体はUTエミュレータを通過する度に自律的に進化を繰り返し、あらゆる企業や公共団体が所有する電算機すべてに感染して、情報の破壊や業務妨害を行った。UTエミュレータはインターネットの標準的なサーバにはほとんど搭載されており、異なる規格のコンピュータ同士で通信を行う際は必ずこれによって翻訳を行う必要がある。その時、不可避的に生じる翻訳誤差をウィルスは自分が異なる形態に進化する原動力として積極的に取り込んだのである。


 各所で惨禍を巻き起こした後、ウィルスはブートセクターにあるメッセージ(・・・・・・・)を残して立ち去った。聖書ヨハネの黙示録10節と11節。それは、チェルノブイリを予言したとして有名になった、「苦よもぎ」の一節である。このことから、このウィルスは「Worm―wood」(苦よもぎ)ウィルスと名付けられた。


 感染源と思われる地方銀行は顧客のプライベート保護を理由に、警察に対してデータの公開を拒否。県公安委員会は県議会に働きかけて強制捜査の行政処分を求めたが、これが知れわたるや、地場の金融機関は海外の金融市場で資金調達することが出来なくなった。これが一時的に企業向け短期金利の上昇を招き、資金繰りの悪化した企業が一斉に県公債売却への動きをみせたため、県議会は一転、強制捜査を白紙に戻した。


 ここまでのいきさつは、ウィルスの発症から2日の間に起きたことである。


 対処に窮した市当局は、それが実効性の薄いのにもかかわらず感染源の銀行支店がある区域をネットワークの接続から切り離した。地続きでありながらマトリックス(電子空間)の上では離れ小島になったのである。実際の離島でも補給を断たれれば飢え死にするように、ただちに人々の生活は立ちゆかなくなった。同区域は在日ベトナム人の多い、いわゆるベトナム人街であったことから、民族問題もからんで事態は急速に深刻化した。


「藤田係長ですか?」

「はい。」

「配置が完了しましたから、二課のひとは後ろにさがってて下さい。」

「はい。」


 民衆の数は暗くなってからも、指数的に増加を続けている。彼らの憎悪が熱波となって機動隊の盾に吹きつけてくるような錯覚を感じさせる。暴力のエネルギーはうねりながら何かのきっかけを待っていた。


「係長、配置できたそうです。」

「さっき聞いたよ。」

「われわれは後詰めですか。」

「いいんだよ。汗をかくのは警備(課)のひとたちに任せとけば。」


 小声でベトナム語や日本語がささやかれる人垣の中では、ひとりの男が目当ての相手に向かって確実に距離を埋めつつあった。あと2メートルほどに迫ったとき、男は腰の後ろに手をやってベルトに挟んだ警棒を掴んだ。それは長さ30センチ、直径40ミリほどの円筒状の黒い金属の塊で、握りには茶色の皮が巻いてある。男が警棒の端に付いた皮紐を引っ張ると、もう一方の端からナイフの刃が飛び出してきた。


 目当ての男はほとんど動物的勘で刺客に気付き、人海の最前列に向け漸進を始めた。他人の体にまとわりつかれて2人ともオイルの海に泳ぐような足取りだったが、やがて追われる男が警官隊の前に躍り出ることになった。


「止まれ!」


 警官が小銃を構え、叫嚇を発するのが合図であったかのように民衆は権力に殺到した。その刹那、刺客は藤田警部補と目が合って決まり悪そうな顔をした。

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