月は慈悲深き夜の女神
状況がようやく飲み込めてきた。
ここは天国でも地獄でもない。赤き月の中心核の内側に生じた、泡のような空間の中。ひとまずは助かったのか、そうでもないのか判断に困るけれど、生きてはいる。
「『真なる魔法使い派』の魔法使いはみんな捕まった挙げ句、赤い水晶にされちまった。そして赤き月の中心核として使われていたってことだ」
ドラシュリアさんが疲れた様子で肩をすくめた。
「しかし、ユマとグレイという異物が混じり込んだことで、連中が想像しなかったであろう奇跡が起きた」
私とグレイくんの背後に回ると、肩に手を乗せて、みんなに紹介してくれた。
「おそらく、二人の存在と意識が触媒として魔力の海に作用し、隔絶された空間が泡のように生まれたのじゃろう。幸運か、必然か、あるいは……運命のお導きびきか」
大賢者ウィキードが感慨深げに頷く。
「ま、おかげで魔力の濃縮シチューにされていたあたいらは救われたってわけね。ありがとう、礼を言うわ」
妖艶な笑みを浮かべるのは、紫色の魔女エクスプリアさん。
「いえ、そんな」
「ここにいるのは皆『真なる魔法使い派』の者たちじゃ。ワシからも礼を言わせておくれ、お嬢さん」
「私というか、グレイくんのおかげで」
『―――ユマ、功績』
お礼なんて言われることに慣れていない私は、ただ戸惑うばかり。
「魔女エクスプリアと大賢者ウィキードは、実質的に頭目みたいなもんさ。まぁ、黒魔法と白魔法、派閥の違いはあるが……今はそれどころじゃなさそうだ」
ドラシュリアさんが横から小声で教えてくれた。『真なる魔法使い派』にも派閥があるらしい。
気がつくと、復活した魔法使いたちも周囲に集まってきていた。全部で百人ほどはいるだろうか。
復活して意識が戻ったばかりで、自分が置かれている状況がわからないのだろう。それでも誰一人として、慌てふためいたり、泣き喚いたりする人はいない。賢くて思慮深い人が多いのだろう。真剣な面持ちで話に耳を傾けている。
「いいかい、あたいらが置かれている状況は、最悪からクソッタレに変わった程度さ。けれど幸運の女神が味方してくれたおかげで、九死に一生を得た」
ぱちんと指を打ち鳴らして、私に指を向ける。エクスプリアさんはイケてるお姉さんのような感じだ。
「フォフォ。そうじゃとも、希望はあるぞい。幸い連中はまだ、ここで起きた異変に気づいておらぬようだからのぅ。まぁ、ゆっくり考えて、策を練るのもよかろうて」
大賢者ウィキードは適当な感じに空中で手を動かした。すると淡い光を伴って、背後に椅子が出現した。更に、何もない空間をかき混ぜると、杖を取り出した。
「フォフォ、やはりこれがないと落ち着かぬのう」
「えっ!?」
凄い、魔法みたい。いや、魔法だけど。
老賢者が椅子に腰掛けると、今度は丸い木のテーブルが出現。さらにティーカップとティーポットが、かちゃんと音を立てた。
ゆっくりとした動作でポットの蓋を持ち上げると、湯気が立ち上った。中には熱いお湯と茶葉が入っていた。
「おぉ……!」
周囲でざわめきが起こった。
大賢者ウィキードが、白いひげに覆われた口元を満足気に撫でる。
「なぁに、皆も出来るであろうよ。これだけ濃密な魔力の中心におるんじゃ。我々のように『真の魔法』を知る者にとって、これほど恵まれた環境はなかろうて」
「そうか……! ここは魔力の中心地。魔法による思考の具現化、実体化が容易なほどに濃密な魔力に満ちているってわけか」
「さよう。閉ざされた檻の中にあっても、滋養と時間はたっぷりあるようじゃな。じゃが、抜け出すにはちぃと問題もありそうじゃ」
次に大賢者ウィキードは空中に立体映像を映し出した。
それは赤き月と周辺宙域を表す模式図だった。
赤い球形の周囲を巨大な構造物が囲んでいる。地上から見れば赤き月となる巨大な鉄の檻。少し離れた位置には円筒形のスペースコロニーが浮かんでいる。私達が連れてこられた工場のある場所だ。そこから銀色のラインがずっと伸びて地球へと向かう。
シャトルが通っている軌道エレベータだ。銀色のラインは青い地球の赤道上空をぐるりと一周しながら、徐々に地上へと繋がっている。
「あれは?」
三角形の赤い輝点が、ゆっくりと動いていた。地球やスペースコロニー、そして『赤き月』や『蒼き月』の周辺を、数個で群れをなしながら。
「聖剣戦艦じゃな。皇国と連合国家が建造した最新鋭の魔導航宙艦隊じゃ」
「あんなに沢山いるのか」
ドラシュリアさんが呻いた。
見える範囲だけでも数十隻はいるだろうか。大きいのが戦艦で、小型が駆逐艦。スペースコロニーから月まで追いかけられた経験から、赤い点だけでも想像は容易だった。
「つまり、ここを抜け出しても、袋のネズミってわけか」
「再び月の中心核』に叩き落されるのがオチね」
「そういうわけじゃ。そこでワシからの提案じゃが。ここで暫くの間、力を蓄えてはどうかと思う」
魔法使いの皆は驚いたように顔を見合わせた。ざわめきと困惑が広がる。
動揺を抑えたのはドラシュリアさんだった。
「私は賛成だ。下手に脱出しても周囲は敵だらけ。捕まってまた水晶にされちまう。だから、ここで暫くは更なる強い魔法を研究し、ものにする。連中をブッとばせるほどに強力な竜化の法でも、なんでもいい」
拳を握りしめ力強く持論を展開すると、大勢の魔法使いたちが賛同し、同意の意思を示した。
「あたいも賛成。どうやら中心核の内側は連中さえも観測できないようだからね。高密度の魔力によって生じた事象境界面が、外界から遮断してくれている。だったらこの状況を逆に利用する手だてを考えたいね。赤き月から放射する魔力に、あたいらの意思を混ぜちまうってのも、面白いかも」
意地悪な笑みを浮かべると、魔女たちが一斉に賛同。
「フォフォフォ、まぁ手段はいろいろあろうて。まずは生活の基盤を築き、鋭気を養いながら、時が満ちるのを待つとしようではないか」
老賢者の言葉にみんながひとつになった。
早速、皆はそれぞれの仕事にとりかかかった。得意な魔法を活かし、世界を再構成しはじめた。水や食料、動物を錬成する魔法使い、外にばれぬよう、慎重に。あっというまに衣食住を整え、村が出来上がっていった。
私とグレイくんの身の上話も、皆の知るところとなった。
ここに来るまでの苦労、未来に起こる絶望的な危機と、人類滅亡についても、驚きながらも耳を傾けてくれた。
エイリアンという銀河の星々を渡り歩く力をもった、精強なる種族のことを。
カレルレンたち、未来の魔法使いでは、対抗できなかったことも。
それはすべて『赤き月』のせい。
未来の魔法使いたちは『赤き月』からの魔力供給に、知らず知らずのうちに頼り、本来の力を失っているのだろうと。
かといって『赤き月』を破壊することは難しい。
すでに地球の二つ目の月としての軌道に絶妙に配置されており、もし破壊すれば、重力場のバランスが崩れて天変地異が起こる。地球は壊滅的な災厄に見舞われるだろう、と結論づけられた。
だから『真の魔法使い派』は中心核の内側に身を隠しながら、破壊しないことに決めた。
内側で力を蓄えつつ、魔力の放射そのものを、秘かに改変する戦術を選択するという。
「エイリアンか。胸くそ悪い侵略者のようだが、今の魔法なら対抗できそうだな」
「この星に来たことを後悔するぐらい、叩きのめしてあげてもいいわ」
「忌々しいが、聖剣戦艦の連中が喜び勇んで撃退しちまいそうだがな」
あぁ、悔しい。
もし聖剣戦艦や、ここにいる魔法使いのだれか一人でもいい。未来に行ってくれたら、絶望的な運命を変えられるのに。流石にそう都合よくはいかないらしい。
何よりも私を悩ませたのは、ドラシュリアさんにも大賢者さまにも、誰にも話していない秘密を抱えていた事だ。
すなわち、神話時代の災厄――超高度な魔法文明の崩壊――が起こることを。
おそらく『赤き月』を巡り、二つの勢力が争うのだ。避けられない衝突。それにより世界はやがて、超高度な魔法を失う。
もし、私が崩壊の運命を変えようと、この時代で奔走したらどうなるだろう?
ううん。
「あぁダメ、だめ」
そんなのできっこない。
魔法使いでさえない私は、彼らの言うとおりイレギュラーな存在で。たまたま偶然にも彼らを隔絶された空間で救えただけ。
仮に運命を変えたら、未来はさらに幾重にも分岐し、カレルレンの生まれる時代さえ変わるかもしれない。
なによりも、今の超高度な魔法の文明が続いたらどうなるのだろう? 想像することさえ難しい。
下手をすれば他の星にまで侵略の手を伸ばす側になるかもしれない。つまり、更なる混乱を招きかねない。
だから私とグレイくんはできるだけ早く、ここを去らねばならない。
私は考えた。
考えて、考えて。
やがて、大好きだったSFをヒントに、ある方法を思い付いた。それは覚悟と決断を必要とした。
確実だけど、一か八かの賭け。
私の苦悩を察してか、大賢者さまから思わぬ申し出があった。
「何かお礼をせねばなるまいの。本当なら故郷に帰してやりたいところじゃが……。違う次元の地球、あるいは異なる星の彼方とあっては少々難儀じゃ」
大賢者ウィキードさんが私とグレイくんの顔を見て申し訳なさそうに言った。
「あの、大賢者様。ひとつお願いがあるんです」
「なんじゃの?」
「私を、この月で眠らせてください」
「なんと……!?」
魔法の存在しない地球や、グレイくんの星に直接帰ることは出来ない。でも、ある方法を使えば……戻れる。
「数千年ほど、眠りたいんです。できればグレイくんも。魔法使いじゃないですけど……できますかね?」
老賢者様はしばらくのあいだ考え、唸り、悩んでいた。でもやがて、
「可能じゃ」
やった。
ついに見つけた。私は小躍りしそうになった。
私の導き出した結論。
それは「コールドスリープ」だった。
冷凍睡眠で時間を飛び越える。SFではお馴染みの方法だ。
過去には戻れなくても、未来にさえ行ければいい。
魔法の世界なら、冷凍睡眠はもしかして水晶になることかもしれないけれど。同じ結果が得られるのなら構わない。
ここと地続きの未来へ、確実に戻れるのだから。
世界が多少どうなろうとも、月が壊れないことは証明済み。
あとは目覚めのタイマーか、キーワードでも決めておけばいい。
「しかし、その身空を水晶に再構成することになるのじゃぞ? 永久に近い時間のなか、夢を見て眠り続けることになるが……それでも構わぬのか?」
「はい。構いません」
『――――同意、同行、希望』
この作戦はグレイくんも同意済み。
「覚悟は固いようじゃの」
大賢者ウィキードは深いシワの刻まれた目尻を細めた。
「あっ、でも目覚めたとき、魔法が使えない私たちだと、月面で死んじゃうと思うんですが……大丈夫ですかね?」
「その点は心配要らぬぞな。何故なら、時間結晶とも呼ばれる水晶体に再構成するということは、すなわち『魔法そのものになる』ということだからのぅ」
「魔法……そのもの?」
「そうじゃ。ユマさんとグレイくんは、魔法の存在。そのものになり眠る。次に目覚めたときに、己の意思で肉体を再構成するなりすればよいのじゃ」
「な、なるほど」
すごい話になってきた。
「副作用があるとすれば」
「あるんですね」
私はちょっと身構えた。
「ユマさんの願いや想いが、魔法となって『赤き月』から放射されるかもしれぬ……ということぐらいかの」
「願い……?」
私はそこで息を飲んだ。
なにかが、もやもやしていた何かが、点と点が繋がり、ある形を描いてゆく。
私の願いは――
「最後にひとつだけ聞かせてくれぬか?」
「なんでしょう?」
「この時代に留まったまま、楽しい暮らしをするという選択もあると思うのじゃがの。なにゆえ、危険を押してまで、困難な未来へ戻ろうとするのじゃ?」
その問いかけに、私は自分でも驚くほど、素直に答えることが出来た。
「逢いたいひとがいるからです」
私の望み、願い。
それはただ、カレルレンにもう一度、逢いたい。
それだけが望みなのだから。
やがて、眠りについた私とグレイくんは、隔絶されたこの世界の中心に厳重に安置された。
二千年どころか、三千年でも、一万年でも大丈夫なように、厳重に封印を施されて。
私の願いは、やがて魔法の一部になって循環する。
赤き月から放射される魔力となって。
ちっぽけな願いが届きますように。
カレルレンに逢えますように。
いつか、どこかで生まれる彼が、やがて私を呼び寄せる魔法円を描き、そこへたどり着けるように、密やかに願いながら。
夢に見たのは、懐かしい図書館の光景だった。
そこではメガネをかけた、黒髪の、冴えない女の子が、不思議な魔法の世界に導かれ、信じられないほど、たくさんの冒険をして――――――
<つづく>




