科学の子
さながら地獄のようだった。
赤き月の中心核は、まるでブラックホール。超高密度に圧縮された魔力は、木星の大赤斑を連想させる赤黒い渦となり、表面を埋め尽くしている。
振り返ると、聖剣戦艦たちが追撃を止めて減速していた。私たちが核に吸い込まれるのを見届けるつもりなのだ。
濃縮された魔力の海は煮えたぎるマグマのようで、落ちたら最後、何人たりとも助からないように思えた。
脱出も叶わない高密度の領域は、死が約束されているのか。
――もう……ダメ。
諦めの境地に達していた私は、最後にせめて宇宙をこの目に焼き付けてやろうと考えた。
目を凝らすと、聖剣戦艦たちの向こう側に大きな青い星が見えた。
地球だった。
――すごく綺麗。
生命を育んだ母なる星。その美しさに目を奪われる。
水の惑星、太陽系の第三惑星。岩石型、ハビタブルゾーンに位置する、奇跡の、恵まれた星。
エイリアンが欲しがるのも頷ける。
『ユマ、グレイ、歯を食いしばれッ!』
ドラシュリアさんが叫んだ次の瞬間、私たちは境界面に衝突した。私は声も悲鳴も出なかった。
衝撃は、荒れ狂う海に叩きつけられた感覚に近かった。
必死で抱き抱えてくれていたドラシュリアさんの、巨大なドラゴンは瞬時に消滅。視界のすべてが光で満ちた。白一色に染まった視界の中、何が起こったかわからないまま、意識さえ消えそうになる。
「…っ!? …………あれ?」
覚悟していた痛みや苦痛は無かった。
熱さや冷たさ、あらゆる感覚が消えていた。
苦痛を感じる暇さえ無く、一瞬で原子か素粒子に分解された……のだろうか?
無音の何も見えない空間の中、次々に浮かぶ疑問、そして好奇心だけが脈動していた。
まるで心臓の鼓動のように、なぜ? どうして? と繰り返しながら私の意識を保ち続けさせている。
自分が今、目を開けているのか閉じているのかさえわからない。上下の感覚もなく泡のように浮かんでいる。
体の感覚は消え、何も感じられない。抱いていたはずの、グレイくんの姿も見えなくなっていた。
認識できるのは、ただ光に満ちた真っ白な場所だということだ。
音もなく、静かな、虚無の世界。
ここが赤き月の中心核。
境界面の……内側なのだろうか?
身体が消え、感覚も無い。
でも、こうして考え続ける意識だけが残っている。
魔法、魔法の世界、魔力の渦、圧縮された魔力。
中心核は物理法則の届かない領域だ、とドラシュリアさんは言っていた。ならば「ここ」は何処で、私の体と意識は一体どうなってしまったのだろう。
死んだのなら、元の時代、二十一世紀の地球の、日本の、平和な、あの学校の図書館に戻るはず。なのに帰れない。
不安と焦りが次第に大きくなってゆく。
足掻こうにも、どうすることもできない。
デッドエンドよりも辛い、すべてが静止した袋小路。
魔法の世界と時間軸が同じ世界なら、せめてカレルレンの元に戻りたい。
その両方が叶わぬまま、真っ白な場所に、何もない虚無に囚われてしまうなんて、嫌。
カレルレンの横顔が浮かぶ。最後の別れ、間際の悲しげに揺れる表情が。
――カレルレン
もう一度、会いたい。
何の役にもたてなかったけれど。
私は魔法使いでもなんでもない、普通の女の子だった。友達の力と知恵で、おお立ち回りを演じるほど、主人公の属性だって持っていなかった。
世界なんて救えない。
でも、このまま終わるなんて悲しすぎる。
死ぬことさえできず、消えてしまう事もできず、ただ漂うだけなんて、あまるにも辛すぎる。
白く塗りつぶされた無の領域は、まるで無限地獄だ。
『――――――』
「……?」
かすかな声が、感覚が伝わった気がした。
『――――――マ』
「グレイ……くん?」
『―――ユマ』
「グレイくんなのね!?」
声が聞こえた。
グレイくんの心の声だ。
超感覚、超能力、そんな脳に直接響く声。
まだグレイくんは生きている……!
生きて、存在している!
「グレイくんっ! どこ? 何も見えないの」
姿も形も見えないけれど、何かふわふわした空気の抵抗のような何か、存在を感じる。
『閉鎖領域、多次元、余剰次元、外側、特異点』
外側? 特異点?
なんの事? グレイくんは何をいっているの?
『魔法、上位次元ノエネルギー放射、状態遷移、文明系ト異ナル』
何を言っているの……?
わからない。でもグレイくんは必死で、何かを伝えようとしている。
理解できる言葉を見つけて、伝えようとしている。
『科学――魔法』
不意に言葉が、頭の中のスイッチを押した。稲妻に打たれたように閃きが溢れる。
魔法は無限の可能性。人間の精神に呼応し、物理法則を無視した結果を生じさせる。それが、魔法。
でも私が生きていた世界には魔法なんて無かった。
あるのは科学。
物理法則とエネルギー保存の法則に裏付けられた、確固たる文明。物質が持つ性質が生む、科学反応と、エネルギーと質量の法則がすべての。
「私は……!」
『魔法ニ、囚ワレルナ――』
「私とグレイくんはっ……科学の子なんだ!」
そう認識した瞬間、白い光のなかにさざ波が生まれた。言葉が虚無の空間を穿ち、私とグレイくんの指先が触れる。
「グレイくん!」
触れた指先は明確な輪郭と、形と、熱を持っていた。
そこから波紋が広がるように、手に、腕に、そして身体へと衝撃が伝播してゆく。
再構成されてゆく。
私とグレイくんの身体が、存在そのものが。
『――自己認識、成功、存在、特定』
「そうね、私は……私達は、ここにいる!」
強く手を握り、地球人と宇宙人、二人が白い世界に風穴を開けた。
服も身につけていた物も全部もとに戻る。
瞬きの合間に、足の下に重力が生まれた。地面に足の裏がつき、体重を支える。
そこから一気に、天と地が生まれてゆく。
まるで天地開闢のように。
「わああっ! 世界が……作られてゆく」
『認識、拡張、再構成、続行』
白一色だった世界に、地平線が生まれ、空が広がってゆく。
時間を早送りしたように草木が生え育ち、草原を成す。青い空に浮かぶ雲が、私たちを祝福するかのように広がり、太陽の光が燦々と降りそそいだ。
「わかったわ、グレイくん! 私たちは魔法の世界の外側から来た。科学の世界から来た、特別な存在」
だから、この虚無の無限地獄を抜け出せた。
『魔法ノ罠、煉獄、破壊』
魔法を煮詰めて、全てを詰め込んだ領域。そこに取り込まれた魔法も魔法使いも、溶けて無くなる。
でも私達は違う。
異物だったんだ。
グレイくんは特異点と言っていた。
魔法の世界にとっての異物。だからこそ魔法使いにとっては虚無にしか成り得ない領域で、私たちは意識を持ち、存在を再認識できた。
まるで、物語を本で読む読者のように。
「あっ、あれは……!?」
天と大地が生まれた世界に、今度は次々と人影が浮かび上がった。空間に半透明の輪郭が生じ、やがて人の形となる。
出現したのは老若男女、様々な人間たち。みんな一様に驚きの表情を浮かべ、自分の手を見たり、天を仰いだりしている。
近くにドラシュリアさんが現れた。他にも数人の魔法使いらしき人たちが出現する。
「なっ、なんだ……これは!?」
「私たち、助かったの……?」
「虚無の地獄から、抜け出せたようじゃの……?」
「おぉあおおお!? 大賢者ウィキード! それにエクスプリア!」
ドラシュリアさんが歓喜し抱きつく。
大賢者っぽい風体の白ひげの老人や、紫の服を身にまとう妖艶な魔女。他にも大勢の魔法使いたちが、信じられないという面持ちで再会を喜び、涙を流している。
「ユマにグレイ、おまえたちが、これを?」
ドラシュリアさんがやがて私たちに気がつき、駆け寄ってきた。
「えと……なんていうか、よくわかりません」
私は途方に暮れた。
グレイくんの声に導かれ、意識をしっかり持った。そこで自分を認識しただけなのに。世界が突然生まれたのだ。
なんとか、言葉を選びながら、四苦八苦して経験したことを伝える。
「いやいや、まってくれ。これは、どえらいことだぞ。ユマは、赤き月の中心核の中で、別の世界を再構成しちまったんだぞ!?」
「フォフォ、どうやら、ここは赤き月の中心核の中に生じた泡のような場所、隔絶された小宇宙のようじゃな」
大賢者ウィキードと呼ばれた白ひげの老人が、私達の近くに来て語りかけた。とりあえず挨拶を交わし、握手をする。
「まずはお礼を言わせておくれ、ユマさん」
ドラシュリアさんが、魔女の中の魔女、エクスプリアだと紹介してくれた。妖艶な美女。でも何歳なのかまるでわからない。
「あたしら魔法使いでは絶対に破れない、無限の牢獄、魔術迷宮に封じられていたんだ。水晶にされて、永遠に魔力を絞り取られるだけの存在としてね」
「それを、この子らが破った。魔法力を放射させる、赤き月のコアシステムにされちまうところをな」
「いや、まだ状況は変わらぬぞ。我らは今、赤き月の中心にいることには変わらぬのじゃ。だが、どうやら『神威魔術学徒天秤派』の連中は、まだ気がついてはおらぬようじゃ。ここに隠れ里、閉ざされた空間が生じたことにのぅ」
大賢者ウィキードは白髭を撫でながら、空を見上げ目を細めた。
<つづく>




