0歳0ヶ月1日 『あなたのおなまえ』〈1〉
後ろ手に借り部屋の扉を閉め、手早く下着に足を通す。太腿辺りや胴回りが妙に苦しい。また太ったか、と苛立たしくなるが、悪態を吐いている暇はない。
ズボンを履きながら、さて何と説明したものかと思う。大半はありのまま素直に言えば良いだろう。そもそも隠し通せるものでもないし、子育ての知識など皆無に等しい。村の皆に協力を仰がねば、何も出来はしないのだから。
避けねばならぬのは、この部屋に入られる事。魔法陣から赤子が転生してきたが重篤だ、などとそのまま言ってしまったら、それこそ大騒ぎになる。そこはナルを信じて、伏せておくべきだろう。
と、なればーー
「おお、ジェンド殿!」
下り階段の途中で、階下から壮年の男の声がする。この教会の神父だ。後ろに複数人の気配があるが、恐らく終日の祈りの参加者だろう。
「シーッ」
開口一番に人差し指で場の空気を掌握する。失礼ではあるが、効果的でもある。
「下で説明します。今は、静かに…」
なるべく音を立てないよう忍び足で。
大男のそんな様子を階下の者達が倣い、一見怪しげにすら見える一行は、そろりそろりと講堂奥の一室へと向かった。
「さてジェンド殿、ご説明をお願い出来ますかな?」
最後尾の一人、すなわちジェンドが部屋に入り扉を閉めた頃合いを見計らって、神父が切り出した。
部屋には大きなテーブルが一つと、それを円に囲むように丸椅子が置かれている。使われている椅子は七つ。この教会の神父と修道女を除いても、どれも村で馴染みのある顔だ。
「はい、イカイテンセーで赤ちゃんが降って来ました。今寝てるので、静かにお願いしたかったんです。今ナルが部屋に残り、僕は皆さんに説明するために降りてきました」
とは言え、これ以上の説明を請われても困る。状況としては、これだけなのだから。
だが、その憂いも敢えなく杞憂に終わる。困惑や驚き、不安から質問攻めにでもされるかと思ったが、互いが互いに顔を見合わせ首肯などするばかりで、驚いたり取り乱したりする気配すら無い。
案外と冷静なものだ。
この村の成り立ちを考えれば、流石と言えなくもないが。
「私らはね、ジェンドさん」
口を開いたのは、この村の村長。口髭に地味な色のベストという、村人の代名詞とも言える風体の壮年の男だ。
「家にいたんだ。祈りはレゾン神父と修道女ミラシドの二人だけで行っていた」
そのミラシドが運んできた水で唇を湿らせつつ、続けた。口調からはジェンドの発言を疑ったり、単語に疑問を持ったような素振りは一切ない。むしろ、情報交換のような淡々としたものだ。
「ふと家の窓から、光の筋のようなものが教会に刺さっている様に見えてね、それで慌てて家を飛び出したんだよ。十数えるか否かくらいの短い時間だったかな」
話に頷く頭が四つ。どうやら皆、同じ状況だったらしい。
「私共は、全く気付きませんでした。音も光も、講堂には何もありませんでしたから。パーレル村長達がいらっしゃって、先の様子であったとお聞きしましたので、二階にいたあなた方の身に何か起こったのでは…と心配になりまして、階段を昇ろうとした所でジェンド殿とお会いしたのです」
丁寧に撫で付けられた白髪に触れながら、神父も自身達の状況を語った。音は無かったにせよ、目撃者の多数出るような派手な出来事だったらしい。
「しかし…最近の流行とは言え、赤ん坊が転生する時代なんだなぁ」
「セオリー通りに話の通じるような奴が来たんなら、色々仕込んだり売り付けたり出来たんだがなぁ」
熊男の、さほど大きくもない瞳が丸くなる。
「み、皆さんイカイテンセー知ってるんですか…?驚かないんですか?僕の話、信じてくれるんですか??」
「まあ、あれだけ派手に光の柱が立てば信憑性は有らぁな。それに常から召喚魔法で慣れてるせいだろうな、人ひとり転生して来た程度の話で驚きゃしねーって」
情報もある程度が共有され緊張に緩みが見えた瞬間、二度、手が叩かれる。
「事の真偽はさておき、状況は分かった。この本質は『我々が何を体験したか』じゃない。『外界にどう見えたか』…だ。特にこの村近辺にいる現役冒険者諸君や魔物達にな」
パーレルが話を始めると、空間自体が引き締まったような静寂が生まれた。
「その転生者本人やナルさんも交えて、今後の事について話し合うべきだな。明日の昼、場所はこの教会の講堂。各世帯にはここにいる全員が手分けして一人五軒も回れば通達出来るだろう。今晩はもう遅いから、明朝から行動開始だ。各員考えるべき事も多かろうが、しっかり休養を取るように。以上、解散」
「「「「「了解!」」」」」
この村では、こう言う風景はたまに見る。
部屋を後にする村人の背中を見送りながら、思わずため息が溢れた。
「さすが、元精鋭冒険者達…」
「まあ中規模ギルドでしたがね。解散に際して、およそ半数はこの地に残り村落を作った。そして、今も昔もリーダーはパーレル。彼以上の指揮官は、見た事がありません。
…あれからもう二十年も経つんですね」
閉まる扉を見ている筈の視線は、それよりも遥か遠くへと落ちている。
「私はまだこの村に来て三年くらいですが、やはりいつ見てもカッコ良いです。現役のうちから『引退したらこの村に住みたい!』って思ってましたもん」
恍惚か矜恃か、コップを片付けるミラシドの頬にうっすらと朱が射すようだった。
「この、『セカンドライフの村』に!」
「隠居する気満々のネーミングですね」
さすがに後進に舐められると思ったのか、略して『センライの村』と名付けたそうだ。
「さてさて。村長も言ってましたが、早めに休みましょう。寝て起きたら朝から忙しいですよ」
興奮に頬を染め上げる若者の覇気を優しく宥めるような耳触りの良い壮年の声が、議談に幕を引いた。
「…とは、言っても、なぁ」
『外部対応』に事なきを得た安堵も束の間。まだ部屋には入れない。ひとまずは行くあてもなく村内を徘徊するくらいしか、持て余した時間を潰す手段がない。
「イカイテンセー…異界転生、ねぇ?そんな有名な事なのかな」
突っ掛けが足の裏を打って鳴らす規則的な音を引き連れながら、なるべく民家から遠く、しかし真っ暗でもない程度の芝生を歩く。
ズボンは履いているとは言え上は下着一枚だ、変質者に見紛われないとも限らない。
「…そうだ」
ふと、思いついた。暇潰しを。
棒立ちのまま両手を腰の裏に回し、掴む。抜き放ち、左前の半身で腰を落とす。
当然、何も携えてはいない。持ったつもり、なのだ。
妄想戦闘…つまりは、武器を構えたつもり・相手がいるつもりで行う、空想組手。
得物は刃渡り50cm、重量2kg程の双短剣。これが習得している武器種の中では最も習熟度が低い。
相手は自分自身。ただし得物は最も習熟度の高い大剣、それもお気に入りの片刃の斬馬剣だ。
「ふっ!」
短く吐き出した気合を遥か後方に、軽量武器の機動性を生かして肉薄、左右から同時に斬り掛かる。金鳴り。捉えるはずだった肉は剣の柄を軸に宙を舞う。
中空、不安定な体勢から掌底が来た。独楽の様に二度三度身を捌く。着地から地を這うような回し蹴り。左足の脹脛に受け、転倒。
そこへ、巨大な魔物ですらも両断する強烈な唐竹の斬り下ろし。
受けるは愚策、剣ごと真っ二つ。ダメージのない右足で地を蹴り左に一転、しならせた身体のバネと横転の反動で、弾け独楽の左切り上げ。初撃、背を捉えるも浅い。
一旦距離を置くため後退ーー
瞬間、背後から猛烈な殺気。近距離から突き抜く、研ぎ澄まされた槍。身を捩り、回避。まるで質量を持ったような殺気が左耳を掠める。避け際に二閃、槍に見舞うと、無理な体勢ではあったが有効打ではあったらしく、うねる槍の様な殺気は霧散した。
「お見事。回避のみならず破壊まで試みようとは」
芝を踏む足音と柔らかな声色。手にした魔灯が、先程目にした口髭を映した。
「そ、村長…なんで、こんな所に」
「どうもこうも、ここは私の家の裏ですよ」
「えっ、あ…」
つい思いつきで始めた妄想戦闘であったゆえ、場所を良く確認していなかったようだ。
「全く、あなた方には驚かされてばかりだ。『称号』は最下級のままだし、徒党も組まず二人きり。あの腕前を見ていなければ、ただの無知で無謀で命知らずの青二才としか思えなかった。低レベル帯エリアに即送還レベルのギルティですよあれじゃ」
魔灯の明かりで足元を確かめながら、パーレルは壁際…彼の家の外壁に凭れるように腰を下ろす。
「いや、目立ちたくなくて…」
「逆に燦然と悪目立ちしてますって。冒険者に用意された全ての項目を丁寧にこなしたベテラン勢が六人徒党組んで生きるか死ぬかの、お遊び要素皆無なガチの超高レベル領域で、まるで基礎を知らないポッと出みたいな場違いなペーペーとか、槍玉に挙げられて某掲示板で名前晒されても可笑しくないですよ」
そんな説教を苦笑いで受けつつ、ジェンドも倣って彼の隣に腰をーー
……バリッ
腰を下ろすべく曲げられた両足、その股の辺りから、悲鳴にも似た音が鳴る。
一瞬の硬直。気取られてはならない。
「今、何か…」
誤魔化さねばならない。
「か…蛙でも鳴きましたかね」
何食わぬ顔で、腰を下ろす。それで良い。
心当たりなら、ある。ゆったりとした余裕があるので、ズボンではない。
そう、その下だ。
「…『称号』とは、冒険者という職業の中で個人の成長進捗を測ったり役割を明示するための肩書きであり、名乗る『称号』によって各種ステータスなどに補正を受ける事の出来る、言わば冒険者の職業内職業ですよ!
最重要事項ですよ!?
それがネタ称号の『夜の帝王』と『キノコ大好き』とか…」
悟らせない事に成功したのか、悟られた上でパーレルが気を効かせてくれたのかは図り得ないが、ひとまず話題の矛先はパンツから逸れた。
剣の鍛錬を積めば剣の、魔法の修練を積めば魔法の習熟度、つまり水準が上がり、一定レベルに達すれば相応しい『称号』が解放される。例えば片手剣ならレベル5で『見習い剣士』、レベル10で『剣士』と言う具合に。
それに加えて盾レベル10で『戦士』が、属性魔導いずれかの属性レベル10なら『魔法戦士』の称号が解放され、それぞれに見合った能力補正を受ける事が出来るというシステムだ。
レベル10を刻む毎に『称号』を変えても適応され続ける系統特有の永続技能が付与され、最終的に師範水準となる100を目指す事になる。
レベル自体は際限なく上がり続けるが、称号と永続技能はレベル100以降は実装されていない。
通常であれば一系統をマスターレベルにまで修練するために15~20年はかかるものを、20を超える武器種と5系統に各5属性…つまり25種ある魔導系統から好きな物を選んで鍛えろと言うのも乱暴すぎるので、冒険者統括機構が把握出来る程度で『称号』獲得レシピは公表されている。
このような形式上、レベルと言う場合は現在までに習得した全系統の合計レベルを指し、『称号』を含めて名乗る場合は「『聖堂騎士』レベル250です」…と、なる。
ちなみに『聖堂騎士』の称号解放条件は、片手剣レベル75・両手槍レベル75・盾レベル50・旺性魔導・陽属性レベル50だ。
「き、『キノコ大好き』便利ですよ!毒キノコ含め、どんなキノコでも生で食べられるし…下からも」
「え?今何か…」
「いえ、何も」
ちなみに『夜の帝王』は、夜行性になる特殊効果がある。多少夜目が効くようになり夜が明けるまで眠くならない代わりに、寝たら昼まで目が覚めない。
『キノコ大好き』は初級納品民間依頼、『夜の帝王』は日没から日の出までの活動時間200時間以上で獲得可能だ。
「もし本当に目立たないように冒険者を続けるなら、もう少し常識を調べた方が良い。どこでどんな悪評が立つか、分からないですよ」
「…肝に銘じておきます」
本音で言えば、悪評は気にするに値しない。気にする程、一般冒険者と行動を共にする機会は無いし、日常に於いて気にできる余裕もない。
先駆者の諌言を無碍にする訳にもいかないので相槌を打ったまでだ。
「本当に、正気の沙汰じゃないですよ…ナルさんは後衛最高峰の称号『識者』、貴方は前衛最高峰の称号『最終兵器』を修めていながら名乗らないなんて。どちらも冒険者なら血眼になって追い求める最終目標ですよ」
魔灯の照らす顔が、赤みを帯びてきている気がする。
興奮、している。
「『最終兵器』は武器20種、『識者』は魔導系統5種それぞれ5属性…つまり、25種全てを、マスターレベルの100まで育ててようやく解放される、エンドコンテンツ顔負けの地獄すら生ぬるい鬼畜道ですからね」
随所に震えと吐気が滲む。
「その名は知っていたよ。統括機構が嫌味のように公表していたからね。けど、仲間達…私達『蒼の衝撃』のみならず、第一期魔王城侵攻組の他のいくつもの超巨大ギルド、それに今までこの村を訪れた冒険者を含めて誰一人として獲得し得なかった称号なんだ。それを…」
仄かに怒りすら混じり始めた。
「この村の唯一の民間依頼を受けたいと言うから受注要件の確認のため、冒険者証を確認したら
『キノコ大好き』レベル2,145と
『夜の帝王』レベル2,724と来た!
あまりの衝撃に腰が抜けたよ…しかも、それも30歳になるかならないかくらいの若者が、だ。第一線は退いたとは言え『竜槍士』レベル351程度でギルドマスターなどと威張っていた自分が情けなくなる!」
「あ、ナルは今日が誕生日で丁度30歳になりました。僕はまだ28歳ですけど…」
「そんな事はどうでもいい!」
「え、今歳の話が」
「アンタ、こんな夜更けに何やってんだい!」
突如、頭上に明かりが灯り、壮年女性の罵声が降り掛かってきた。
「ら、ラライ…」
村長の家の二階、恰幅の良い女性が窓から身を乗り出す。村長の奥方、ラライだ。
「おや、ジェンドさんかい。てっきりアタシゃ旦那が軒先で抜け抜けと逢い引きでもしてんのかと」
「ど、ども…こんばんは」
窓明かりに照らされたパーレルの顔が、あからさまに怯えている。
「末の娘が泣きながらアタシを起こしに来たんで何事かと思ったら。迷惑にも程があるよ!」
まさに鬼神の如き剣幕のラライに隠れるように、少女の姿があった。歳の頃は8~9歳といった所か。
「す、すまないラライ…つい話に熱が篭って」
「そんなに熱っぽいならアタシが冷ましてやるから、さっさと家に入りな。骨の一本二本は覚悟しとくんだね」
下手な言い訳は身を滅ぼす。冬眠中の熊のように身を縮ませたジェンドは、心做しか、そう悟った。
「あ、ジェンドさん。明日の集会にはアタシも行くよ。赤ん坊が相手なら、子育て経験のある者がいた方が良いだろ」
鬼の形相がころりと変わる。穏和で気風の良い、いつものラライだ。
「あ…た、助けて…じゃない、助かります!」
そのまま後退るように何度も頭を下げ、おやすみなさいと連呼し、パーレルの無事を祈りながらその場を後にした。
どれほど時間を潰せたか正確には分からないが、静寂が降ってくるような深夜特有の気配と、微かに目の奥を脅かす眠気が、それなりの時間経過を物語っている。
そろそろ部屋に戻ってみようか。こっそり戸を開けて、まだ終わってないなら静かに外に出れば良い。教会の正面扉を静かに押し開け、そろりそろりと講堂脇の階段から二階に昇りながら思案する。
明朝は早くから忙しいので当然ではあるが、神父も修道女も起きている気配はない。
部屋に近付くにつれ、忘れそうになっていた不安が夜闇を連れて四肢を冒す。
ざわざわと、皮膚に嫌な感触が走る。
ーー赤ちゃん、大丈夫かな。
急激に増殖したその感覚は手指の震えを呼び、触れたドアノブをやけに冷たく感じさせる。
…静かに、ゆっくりと、回し…開ける。
片目だけで室内を伺うと、魔灯の微かな明かりが闇に造形を削り出していた。
ナルが赤ん坊を入れていた青く光る球体は、見当たらない。
どうやら、処置は終わっているようだ。
さらにドアを開き、室内を探す。
丸めた背をこちらに向け、部屋の片隅に座る男…ナル。
その腕から、見覚えのある布がはみ出ている。赤ん坊が包まれていたーー
「ナ…ル……?」
緊張に掠れた声が、ようやく喉の奥から這い出た。ゆっくりとこちらを振り返る彼の、瞳ーー
涙。
今まで感じなかった嫌な予感が、笑い声を挙げながら全身を蝕む。最後に心臓を鷲掴みにして、最悪の想像を実らせる。
まさか…失敗…助からなかっーー
「似てる…いや、似せるしか、なかった」
意味は、分からない。
「動いてたのは…ちゃんと、動いてたのは、脳と心臓だけだった…人肉で作った人形みたいな塊の状態で、この子は転生させられたんだ」
静かに、独白のように、呟きが流れる。
「抗体が足りないだけじゃなかった。ほぼ全ての臓器も、筋組織も、機能してなかった。だから、類似データを参照して、大部分の素霊子構成を書き直すしかなかった」
濡れた双眸が、ジェンドを捉える。
「類似データ二件のうちの一つ、俺の新生児期のデータの大部分を、模写するしか」
そんな事を聞きたい訳じゃない。赤ちゃんは…
「素霊子とはつまり、霊位構成に於いて魂が作り出す霊質の基礎であり最小単位。簡単に言えば、肉体の設計図となる遺伝子を、霊位観点から書き直した事になる。
書き直された素霊子の構築意思は物質に反映され、物理体構成を変質させる事で、臓器も筋組織も正常に動作させる事には成功した」
座ったままこちらに向き直るナルの、腕の中。穏やかに眠る赤子からは微かな寝息が聞こえる。
鷲掴まれた心臓も、不安に冒された四肢も、その十倍以上の質量を持った安堵に引き摺り下ろされる。立って居られず、思わず膝から崩れ落ちた。
「だが、新生児期の俺のデータを移植しただけだ。悔しいが、この子はもう、俺の模倣でしかない。脳が正常に機能している分、完全な模倣ではないにせよ、何かしらの使命や特異能力を持って転生してきたのであれば…それは、失われてしまった。こんな救い方しか出来なかった自分に腹が立つ」
眉が顰まり、赤子の頬に涙が落ちる。
「ナル、ありがとう」
笑いの止まらぬ膝を推し、震える腕で彼を抱く。何を言っているのか大半は分からないが、しかし。
「この子は、ナルが何とかしてくれなきゃ死んでた。そう、でしょ」
大きな瞳が間近にある。愛する者の泣き濡れたそれがあれば、自然と視界が滲むのも無理はない。
「ジェンド…」
「だから、ありがとう。良く分からないけど、イカイテンセーしてすぐ死なないで済んだのは、ナルのおかげ」
頬を、熱い水が垂れた。
「『赤ちゃんが転生して来たけど、今寝てるから静かにして』って言った。教会の外からは、光の柱が見えたって。村長さんが、明日のお昼にここの講堂で集会開いて、赤ちゃんとナルと、みんなで話し合おうって」
「やけに上手い言い訳考えたな…」
頬を擦り、鼻を啜る。照れくさそうに朱の差した頬には、相棒への感謝が滲んでいた。
「僕も、一生懸命、した。ナルだけ大変なの、嫌だもん」
髭面に満面の微笑みを浮かべ、彼の頬に額を寄せる。
「だとすれば、日が昇ったら大忙しだな。今、赤ん坊の寝てるうちに、俺らも少しでも寝とかなきゃな」
そう広くはない寝床の中央に赤ん坊を横たえると、自らは壁際の左端に横臥する。
「集まったみんなで手分けして、全部のおうちに連絡して回るんだって。僕達も、行かなきゃ」
空いていた右端に、大熊が横たわる。
「そうだな…それは良いとして」
うっすらと視線に剣呑な輝きを宿し、続ける。
「お前、俺のパンツ履いてったろ」