出生日 『ダブル・バースデイ』
「はーぁ、何か面白ぇ事ねーかな…」
後頭部で両指を組んだ男は、微かな灯りに浮かぶ天井の木目を眺めながら呟く。
簡素な寝床に投げ出す肢体に衣服はなく、惜しげもなく曝け出されたそれには丸々と脂肪が蓄えられている。
「…良く、なかった?つまらな、かった…?」
そんな彼の右脇から、多少の落胆を匂わせる野太い声が挙がる。
ふくよかな乳房に鼻先を埋める様に柔肉に縋るそれは、短く刈り込んだ頭髪を擦りながら見上げると、まるで親に叱られた子のような情けない声色で続けた。
「今日は、ナルの誕生日だから、喜んで欲しかったんだけど…ごめん」
もそもそと体を起こすと、膝を抱え込み背を丸める。筋肉の上に程よく脂の載った巨大な体躯と全身に蓄えた剛毛も相まって、まるで熊が毛繕いでもしている様な風情となる。ちなみにだが、こちらも衣服は身に付けていない。
「あ、いやいや、そう言うんじゃねーんだジェンド。良かったよ、いつも通…い、いつもより」
焦る。この巨大な図体をして、この野太い声で子供の様にしょげられると、毎度ながら。
肩を叩こうと伸ばした左手が、ぴくりと止まる。
「…しかし、いつの間にこんなの…」
その薬指に収まった金属の環。つい先刻、プレゼントだと渡された。
「へへ、おそろい」
ジェンドなる熊も、その毛深い左手をかざす。先程までの沈鬱な雰囲気は霧散した。
「さすが魔王城に近い村だよね、神聖鋼の指輪あったよ。何も効果はないらしいけど」
「神聖鋼なのかこれ!?」
思わず飛び上がる。
錬金技術も進歩した昨今、神聖鋼自体は珍しくこそあれ目にする機会はある。単に、目玉の飛び出る様な値段で取引されているだけで。
「剣だか槍だか作った端材で、鋳金師さんが作ってくれたよ。ぱぱぱっと、ちゃちゃちゃっと。お金も技術料だけで済んだから、心配しないで」
心底の安堵が吐き出されれば、冷え切った肝も幾分か温まった気がする。誕生日もプレゼントも構わないが、何はさておき金銭と言うものは、いつ何時に関わらず最大にして最強の難敵なのだ。
「僕達、もう七年目だし。そろそろ何か形として残しときたかったんだ」
「それよかお前、本当に良いのか?行きたかったんじゃねぇのか、魔王討征の方に」
床下から、微かに人の声が聞こえる。講堂で終日の祈りが始まったようだ。
「あんなに冒険者いたのにね、この村。魔王城の近くに拠点できたら、僕ら以外みーんな行っちゃった。どの国も魔王討伐まであと少しだ冒険者頑張れーって言うけど、何でそんなに躍起になってるのかなって思う」
数ヶ月ほど前まで、この村が人類と魔王軍の境界であった。故に村には魔王城を目指す冒険者が溢れ、宿屋では長期滞在を断られた。
そこで教会を訪ね、神父に掛け合った結果、日毎のお布施(家賃とも言う)を納める条件で二階の客間に居座らせてもらう事になったのだ。
「面白い事、なんて言うなら、ナルこそ魔王城行かなくて良いの?」
寝床の縁に並んで語り合う、一糸纏わぬ男が二人。その片方、体躯小さく体毛薄い方が鼻を鳴らした。
「愚問だな。俺が行っても弱い物いじめにしかならん。それに、魔王討征に意義を感じんのは俺も一緒だ。と言うより…懸念、か」
一息つき、右隣に座る熊を見据える。
「諸悪の根源とされる魔王を討てば、平和になると思うか?世界は。人間は安心して暮らせるようになるかも知れんが」
揺らぐ筈のない魔導灯の光が、微かに揺らいだ様に思えた。
「魔王軍を倒すためだけに錬磨を続けた我々冒険者は、どうなると思う?英雄として持て囃され、一生を安寧に暮らせると思うか?
…少なくとも、俺にはそうは思えない」
ジェンドの褐色の双眸が細められ、ナルの黒髪と黒い瞳を眩そうに見つめる。
「俺が王なら、そんな危険因子は排除する。そして俺が排除される側なら、必死で抵抗するだろう。人類同士で争うような、そんな時代がもう目前に迫ってる」
簡素なシーツが、大の字に伸びた豊満な柔肉を再び受け入れ、静かな悲鳴を挙げた。
「だから、さ」
床下からは祈りの締め文句が聞こえて来た。
「なぁんかねーかなぁーって。そーゆーつまんねえのじゃなくって、面白ぇ事。特に、俺の意欲を唆るような事が、さ」
「あれは?ほら、ナルが研究してるっていう…えーと、ナルシスト・インターナショナル?だっけ」
「うん、ちょっと惜しいが全然違う。全世界規模の自己愛者フェスティバルか?…やたら口外されても困るから、そのまま忘れてくれ」
口髭を蓄えた熊面が膨れる。
「んー、そう…だな、例えば」
「異界転生とか、どうだ?最近流行らしいぜ」
「…なにそれ?」
ナルに倣ってジェンドも横臥する。
「他の世界で死んじまった奴が、神の戯れとかでまた別の世界に生まれ変わるんだよ。やたら強かったりするらしいからな、そう言う奴と交流するのも面白いかもな」
ーーその時突如、寝床に伏した彼らの眼前…つまりは天井に、光り輝く軌跡を以って緻密な文字と図形が描き出された。
魔法陣だ。
「そうそう、こんな感じで、いきなり魔法陣なんかが出て来てな」
描かれた方陣の中心点を通るように細い光の線が床まで届く。
「光の柱の中から、見た事のねぇような格好の人間が現れ…
えっ……?」
細い線であった光は見る見るうちに太さを増し、数秒もせぬうちに部屋を光で満たす。
そして眩い白は全てを呑み…消えた。
「な、なん…」
「え、ナルがフザケて魔法陣書いたんじゃないの?」
「違うわ!!…いや、待て」
魔法陣から伸びていた光の柱の真下、寝床のすぐ横。明らかに先程まで無かった布がある。
「これが魔法陣から出て来たのか…」
三角に畳んだ厚手の布を端からくるくると巻いた形。ジェンドが抱き抱えたその中に埋もれるように、それは居た。
「ナル、これ、赤ちゃんだよ!!」
「!?赤ちゃ…っ」
思わず立ち上がり、覗き込む。確かに、肌の質感や様相からして生まれたての赤子だ。
「ん?でもこの子…」
よく聞く話とは、何かが違う。生まれたての赤子は、肺呼吸の開始とともにーー
「産声…息、してない…」
思考より体が先に動いた。ジェンドの言葉を聞き終わるより早く、それを奪い取り、布を剥ぎ、揺らめき立つ陽炎のように彼の掌から現れた半透明な青い球体に封入する。
「検体、確保。隔離領域内洗浄処理ならびに素霊子固定、完了。素霊子介入式機材展開」
青い球体に入った赤子は中空に固定され、それを眼前に据えたナルの周囲に四角く切り取られた半透明な板が幾つも中空から現れる。
「単に呼吸が出来ていないだけなら物理療法で間に合うが。この子はそんな、普通の状況で現れたわけじゃないからな」
両手十本の指全てが別の生き物のように板を叩く。
幾つも浮かぶ長方形のそれぞれが映す、文の羅列や人間を象った絵のようなもの。
「素霊子解析開始。類似データは…二件が該当、解析に並行して比較を開始。ジェンド、すまんが『外部応対』を頼む。誰に見られる訳にもいかんし、」
「気が散る、だね。でも、どうなの?その子…助かり、そうなの?」
ナルのこの技術は、幾度か見た事がある。何をしているのかは分からないが。
「これは…まずいな、ヒトが持ち得なければならない抗体の、過半数を持っていない。この子はこのままじゃ、この世界で十秒たりたも生きては行けんかったろう。となると…いや、まさかな」
ぶつぶつと独りごちる彼を、心配で塗り潰した眼差しで見つめる。
それに気付いてか、作業の手を止めぬまま、ほんの一瞥を差し向けた。
「並の人間じゃ無理だ。そもそも、この世界の医学程度じゃあ、到底…な。つまりこれは、俺への強い指向性を持った挑戦…いや、試練のつもりか」
「ナル、お願い…」
自分の仕事は分かっている。だから、そうとだけ言って衣服を持って部屋を出るのだ。
「任せろ、俺になら出来る。
…俺にしか、出来ない」
状況に似つかわしくなく、不敵かつ獰猛な笑みを浮かべる。
「俺を、人間と思うなよ?」