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4-13

 瑞葉が無事に意識を取り戻してからは、なかなか慌ただしい一日だった。


 朝一で様子を見に来た蔡倫、「昨日からろくなもの食べてないでしょ」と全てお見通しでお弁当を持ってきた母、蔡倫から事情を聞いてお見舞いに来た柊とクシャミ。他にも、様々な方法で瑞葉の負傷を察知した付喪神をはじめとする神様たちが、一目散に駆けつけてくれたからだ。


「みんな、瑞葉が心配で来てくれたんだね」


「本当に有り難いことだ」


 最後の見舞い客を見送りながら、横に立つ瑞葉に目を向けた。


 過去はどうあれ、今の瑞葉は皆から愛される存在である。駆けつけてくれるたくさんの神様を目の当たりにして、菜乃華は改めてその事実を実感した。


 ともあれ、お見舞いラッシュも夕方には一段落した。今、神田堂にいるのは菜乃華と瑞葉だけ。先程までの賑やかさが嘘のような静けさだ。


 けれど、この静けさはゆっくり話をするにちょうどいい。今朝はうれしさのあまり言葉が出なくなってしまったが、今なら落ち着いて話すことができるはずだ。


「ねえ、瑞葉」


「ん? なんだ?」


 名前を呼ばれた瑞葉が、菜乃華の方へ向き直る。涼しげだけど温かい瑞葉の瞳に、神妙な面持ちの菜乃華が映った。

 まず言うべきことは、すでに決まっている。不思議そうに首を傾げている瑞葉へ、菜乃華は勢いよく頭を下げた。


「瑞葉、昨日は助けてくれて、本当にありがとう! それと、怪我をさせちゃって、ごめんなさい!」


「なんだ、そのことか。別に気にすることはない。あれは、君の責任ではないのだから。むしろ、君に怪我がなくて、本当に良かった」


 瑞葉が朗らかに笑う。


 この神様は、本当に優しくて頼もしい。だから、いつも甘えてしまう。その頼もしさに寄りかかってしまう。

 けれど、昨日の昔話を聞き、あの記憶を思い出した以上、それでは駄目なのだ。


 決意を瞳に宿し、菜乃華は瑞葉を見つめる。


「瑞葉、わたしね、神田堂の店主になるよ。ただ本の付喪神を修復できるだけの店主じゃない、本当の『神田堂の店主』に!」


 瑞葉は、神田堂を付喪神たちが集える場所だと言っていた。これからの神田堂がそういう場であり続けられるかは、すべて菜乃華に懸かっているのだ。


 となれば、今までのように本を直す技術を磨くだけでは駄目だ。それも大事だが、それだけでは足りない。

 必要なのは、心。神様さえも安心させてしまう、大きな器を持たなければならない。

 そう。瑞葉が「太陽のよう」と称した、大好きな祖母のように――。


「今はまだ半人前だけど、必ずなる。小さい頃、瑞葉に言った『神田堂を守る』って約束を果たす。それで、胸を張って瑞葉の隣に立つ。だから……」


 覚悟を決めるために言葉を切り、息を吸い込む。

 そして、心臓が大きく鼓動するのを感じながら、自身の素直な気持ちをありのままに曝け出した。


「だから……わたしが一人前の店主になれるか、最後まで見届けてくれますか?」


 菜乃華の若干上擦った声が店の中に反響する。

 緊張のあまり、声が若干裏返ってしまった。大事なところで何ともかっこ悪い。

 それに、わかってはいたけれど、これではまるで告白だ。恥ずかしさのあまり、瑞葉の顔が見られない。目を固くつぶったまま俯いて、縮こまってしまう。


「……すまないが、それは無理だ」


 すると、頭の上から瑞葉の声が聞こえてきた。それは、予想に反する拒絶の言葉だ。嫌な意味での驚きに、思わずつぶっていた目を見張ってしまった。


 もしかして、自分は瑞葉に見限られてしまったのだろうか。先程の「気にするな」というのは、もしやここで終わりの関係だからという意味だったのか。

 溢れ出るネガティブな考えに飲み込まれ、不安に駆られたまま瑞葉を見上げる。


 瞬間、菜乃華は頭の上にクエスチョンマークを浮かべてしまった。瑞葉の表情が、想像とは正反対の穏やかなものだったからだ。


「菜乃華、これを覚えているか?」


 戸惑う菜乃華の前で、瑞葉が懐から直り立ての和装本を取り出し、とあるページを開いた。十二年前、菜乃華が修復したページだ。


「君がこの本を直すと言った時、私は一も二もなく悟ったよ。サエの心と力は、この子に引き継がれたのだな、と……。あの時の君の目には、初めて会った日のサエと同じの輝きが宿っていた。これなら自分の本体を任せられると、すぐに思ったよ」


「それって……」


 菜乃華も気付いた。だからあの時、瑞葉は自らの魂である本を預けてくれたのだ。試すという意味合い以上に、幼い自分を祖母と同様に信頼してくれていたのだ。

 その信頼がこの上なく誇らしくて、菜乃華の目に涙が滲む。


「結果は、やはり私の思った通りだった。君は見事に、私の本を直して見せた。そしてあの日から、君は私とサエの新しい夢になった」


 当時のことを思い出したのだろう。瑞葉は懐かしげな口調で語る。彼が留守番中の出来事を話した時、祖母はとてもうれしそうに興奮していたらしい。菜乃華が自分の意志と力を引き継いだと知り、誰よりも喜んだのは祖母だったのだ。

 そして、祖母は瑞葉と共に一つの夢を思い描いたという。


「君が作る神田堂を、この目で見てみたい。いや、君と一緒にこれからの神田堂を作っていきたい。それが、私とサエがずっと持ち続けていた夢だ。だから、君が本気で神田堂の店主を目指すのなら、見届けるだけなんてできない。君が立派な店主になれるように、サエの分までしっかり鍛えてやる」


 語る瑞葉の表情は、菜乃華がこれまで見た中で一番晴れやかな笑顔だ。

 瑞葉は本を持っていない方の手を、菜乃華の方へ差し出した。


「他人行儀に『見届けてくれるか』なんて尋ねてくれるな。あの時に約束したはずだ。私はいつまでも、君の隣にいる。だから菜乃華、私に私たちが思い描いた夢の先――君が理想とする神田堂を見せてくれ」


 期待の眼差しを向けられ、思わず気後れしてしまいそうになる。それでも、腰が引けそうになるのをぐっと堪えて、背筋を伸ばす。

 菜乃華は決意も新たに、瑞葉が差し出した手を自身の両手で包み込んだ。


「――はい!」


 木漏れ日のように明るく温かな微笑みで、力一杯返事をする。それは、新たな誓いだ。

 瑞葉は、自分が作る神田堂を楽しみにしていてくれている。亡き祖母の分まで、菜乃華を支えると言ってくれている。そして、これからも一緒に歩もうとしてくれている。


 ならば、是非もない。自身が夢見た理想の『神田堂の店主』となり、瑞葉に最高の夢の続きを見せる。それだけだ。


「じゃあ、わたしからも改めてお願い。――瑞葉、わたしも店主のお仕事を頑張るから、一緒に素敵なお店を作ろう。天国にいるお祖母ちゃんにまで噂が届くくらい、素敵な神田堂を!」


「心得た」


 夕陽に輝く光の部屋が、菜乃華と瑞葉を優しく包み込む。まるで神田堂の新たな門出を祝福するような金色(こんじき)の輝きの中で、二人は互いを慈しむように微笑み合うのだった。



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