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4-11

『菜乃華、よく聞いてくれ。君には、君の祖母と同じ力がある。私たち本の付喪神を、笑顔にしてくれる力だ』


『ほんとう!』


 瑞葉を見つめ、小さな菜乃華が目を輝かせる。


 無邪気に喜ぶ過去の自分を見て、菜乃華は思った。あれはおそらく、何もわかっていない。褒められている気がして喜んでいるだけだ。


 菜乃華は、過去の自分から瑞葉の方へ視線を移す。

 きっと瑞葉だって、小さい菜乃華が理解していないことはわかっているはずだ。


 だが、瑞葉はそれでもいいらしい。彼は特に気にする様子もなく、『ああ、本当だ』と続けた。


『だから、もし君がサエと同じ志を持つことができるなら、サエと共にこの店を守ってくれないか』


 穏やかに笑う瑞葉が、過去の菜乃華の頭に手を置く。その笑顔に詰まっているのは、純粋な期待と希望だ。

 瞬間、瑞葉の言葉を聞いた大小二人の菜乃華は、驚きに目を丸めた。


『このおみせを……まもる?』


『そう。君の祖母と同じ仕事だ』


『おばあちゃんとおなじ!?』


 疑問に首を傾げていた小さい菜乃華が、一転して目を輝かせた。大好きな祖母と同じ仕事と聞いて、うれしくなってしまったのだろう。握り締めた手を上下に振り回して、喜びを表現している。


『ねえ、ミズハ! あたしがおばあちゃんとおなじになったら、ミズハもずっといっしょにいてくれる?』


 はしゃぐ小さな菜乃華が、まっすぐに瑞葉を見つめる。

 子供とは本当に恐れ知らずだ。今の自分が言いたくても素直に言えないことを、何の抵抗もなくすんなりと言ってのける。若干、羨ましい。


 そして、小さい自分の問い掛けに、瑞葉は笑みを持って応じた。


『ああ、もちろんだ。君が望むなら、私は必ず君の力になる。君の隣にあり続ける。約束しよう』


 瑞葉が小さい菜乃華に向かって、右手の小指を差し出す。

 その姿を見て、菜乃華はすべてを思い出した。


「ああ、そっか……」


 意識していないのに、菜乃華の口元に自然と笑みが浮かんだ。


 そうだ。ようやく思い出せた。あの時、自分は瑞葉の笑顔を見て思ったのだ。自分の力で、もっと瑞葉を笑顔にしてあげたい、と……。

 だから、小さい頃の自分は、迷うことなくこう答えた。


『わかった、やくそくする! あたし、おおきくなったらかんだどうをまもるひとになる! だから、ずっといっしょだよ、ミズハ!』


 隣に立つ過去の自分が記憶にある通りのセリフを告げ、瑞葉と指切りをする。


 今まで記憶の片隅から顔を出そうとしていたのは、これだ。自分と瑞葉の間に結ばれていた、最初のつながり。二人で交わした、最初の約束。今の自分にそれを思い出してほしいと、神田堂に再び訪れた日から、この記憶が必死にアピールしていたのだ。


「ほんと、何でこんな大事なことを忘れていたんだろう」


 こんな大事なことを今まで忘れていたなんて、自分は本当にポンコツだ。

 瑞葉が迷うことなく菜乃華を店主として受け入れてくれたのも、きっとこの約束があったからだろう。瑞葉は十二年間、菜乃華と交わした約束を覚えていてくれたのだ。


 そう思うと、自分は本当に情けない。祖母が道をつないでいてくれなければ、自分は危うくこの大事な約束を反故にしてしまうところだった。祖母には感謝してもし切れない。


「ごめんね、昔のわたし。ずっと気付いてあげられなくて」


『……別に謝る必要はないんじゃない? こんな子供の頃のことなんて、思い出せなくても仕方ないことだしね』


 不意に過去の菜乃華が振り向き、姿が見えないはずの自分に話し掛けてきた。いや、それだけではない。過去の自分の姿がぼやけ、豪華な刺繍が施された巫女服を纏った、見目麗しい女性が姿を現した。


 その背後では景色は白い霧に包まれ始めているし、いつの間にか菜乃華も体の色を取り戻していた。もしかしたら、夢の終わりが近いのかもしれない。


 ありとあらゆるものが劇的な変化を遂げる中、唐突に一つの記憶が蘇ってくる。それは九月に倒れた時に見た夢の内容だ。その記憶を持ってようやく、目の前に立つ女性のことも思い出した。

 彼女はその昔に瑞葉を助けた女神であり、菜乃華に大切な力を残してくれた――。


「……ご先祖様」


『正解』


 菜乃華がうれしそうに呟くと、土地神はふわりと柔らかく微笑んだ。


「この夢は、ご先祖様が見させてくれたんですか?」


『まあね。たくさん頑張った可愛い子孫へのご褒美のつもり。もっとも、あたしが手助けしなくても、あなたはいつか思い出していただろうけどね』


 余計なお世話だったかしら、と土地神が小さく舌を見せる。自分のご先祖様ながら、ものすごく可愛らしい。できればその才能も、自分に受け継がせてほしかった。

 それはさておき、菜乃華は大きく首を振った。


「いいえ。思い出すにはベストタイミングでした。ありがとうございます」


『そう。なら、よかった。――で、今の自分に至る原点を思い出した気分はどうかしら?』


「あー……とりあえず、今までわからなかった謎が一つ解けて、すっきりしました」


 土地神からの質問に、若干目を泳がせながら答える。

 なぜ、自分にも土地神の力が宿っていることを、父や瑞葉が知っていたのか。あまり真面目に考えたことはなかったが、その謎が今ようやく解けた。


 ただ、この土地神が聞きたい答えは、そんなどうでもいい感想ではないだろう。その証拠に、土地神は笑顔のまま、変わらず菜乃華を見つめている。


「すみません。答えるのが恥ずかしくて、ちょっと誤魔化しました」


『別にいいわよ。そういうあなたを見るのも、面白いし。それで、本音は?』


 菜乃華が謝ると、土地神が愉快そうにくすくすと肩を震わせた。このご先祖様は、本当にいい性格をしている。

 このままおもちゃにされるのも癪なので、菜乃華は素直に言葉を継ぐことにした。


「瑞葉は、ずっとわたしとの約束を守ってくれていた。だからわたしも、瑞葉が起きたらちゃんと約束を果たさなきゃなって思いました」


 少し頬を染めつつも、堂々と自分の気持ちを告げる。菜乃華にとって、すべてはここから始まるのだ。

 土地神も今度の回答には満足したのか、『よし、合格!』菜乃華の肩を叩いた。


『さて、そろそろ時間ね。子孫の決意も見届けたし、あたしはもう行くわ。もう会うことはないだろうけど、瑞葉と仲良くやりなさい』


 土地神が手をひらひらと振りながら、踵を返した。彼女も自分がいるべき場所へ帰るのだろう。その姿が、景色とともに白い霧の中へ消えていく。

 故に菜乃華は、夢が完全に終わる前に、力強く返事をした。


「言われるまでもありません。ご先祖様が羨ましがるくらい、仲良くしまくってやります!」


 菜乃華が言葉を返すのと同時に、夢の世界は完全に霧に包まれた。

 けれどその霧の先で、九重の土地神が『頑張れ』と言ったように感じた。


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