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3-1

 残暑の季節が過ぎ、秋が深まってきた。空は高く、木々が冬支度を始めて色付く今日この頃、菜乃華は瑞葉に指導を受けながら工作に打ち込んでいた。


「久しぶりに来てみれば、嬢ちゃんは何を作ってんだい。学校の宿題か?」


「違いますよ。ちゃんと店主としてのお仕事中です」


 手元から目を逸らさずに、蔡倫の質問に答える。菜乃華が作っているのは、本を入れるための夫婦箱だ。本人の言う通り、神田堂として正式に依頼を受けた品物の作成である。


 本の付喪神にとって、本は命そのものだ。その本を少しでも長持ちさせる一番の秘訣とは何か。それは、劣化や破損の原因から本を遠ざけることである。


 壊れてからの修理では、結局のところ対症療法にしかならず、完全に壊れる前の状態に戻すことはできない。例え見た目上は元通りになっていても、本の寿命は確実に短くなっている。だからこそ、壊さないための対策を講じることが大事になってくるのだ。


 そのため、神田堂では本の修理以外に保存グッズの作成なんかも請け負っている。歯医者などで言うところの、予防歯科といったところだろうか。本の付喪神の町医者を自称するこの店にとって、これも大切な業務の一環なのだ。


 なお、保存グッズの作成については直接本に手を加えるわけではないため、菜乃華しか行えないという縛りはない。誰が作ったものでも、付喪神は問題なく使用することができる。これは製作を請け負う神田堂としても、かなり大きな利点だ。実際、学校がある菜乃華よりも瑞葉の方が迅速に対応できるという事情もあり、特にオーダーメイドの保存グッズ作成は瑞葉が主に担当している。


 ちなみに、瑞葉が作る正確無比な保存グッズは付喪神の間でとても好評であり、ファンも多い。その好評ぶりは、本の付喪神だけでなく多種多様な品物の付喪神が、はるばる遠方から依頼に来るほどだ。神田堂にとっては、割と大きな収入源である。


 しかし、今回の依頼については瑞葉に手伝ってもらいつつも、菜乃華が主導して行っている。その理由は単純明快、依頼人が瑞葉ではなく菜乃華を制作者に指名したからだ。


 夫婦箱の材料であるボール紙に鉛筆で線を引きながら、菜乃華はつい先日の出来事――不思議な依頼人との出会いとおかしな依頼を思い出した。



          * * *



 あれは、今週の月曜日のこと。高校の授業が終わって神田堂にやって来た菜乃華を待っていたのは、瑞葉と一人のお婆さんだった。


「菜乃華、紹介する。こちらは(ぎん)さん。和歌集の付喪神だ」


「初めまして、新しい店主さん。吟と申します。どうぞお見知りおきを」


「ご丁寧にどうも。神田堂の店主をさせてもらっています、神田菜乃華です。よろしくお願いします」


 何やらいきなり自己紹介が始まったので、事情もわからないまま、とりあえず名乗り返しておく。


 本の付喪神であり、菜乃華を待っていたということは、たぶんお客さんということなのだろう。握手を交わしながら、ぼんやりとそんなことを考える……のだが、見たところ吟はとても元気そうだ。どこか怪我をしているようには思えない。菜乃華の疑問は募るばかりだった。


「可愛い店主さん、あなたにちょっとお仕事を頼みたいんだけど、いいかしら?」


 すると、吟の方から、そのものずばりな言葉をかけられた。やはり店のお客さんだったようだ。


「お仕事ってことは、本の修理ですか? それなら、すぐにでも対応しますよ」


「ああ、いえ、違うのよ。依頼したいお仕事は、別のこと」


「別のこと……?」


 腕まくりをしかけた姿勢のまま、首を傾げる。


 吟はハテナを浮かべる菜乃華を活き活きとした笑みで見つめながら、「そう、別のこと」と弾んだ声で繰り返した。仕草や声音が、随分と若々しい。まるで少女のようだ。


 ともあれ、仕事が修理ではないのなら、土間で立ち話をしている必要もない。三人揃って、奥の居間に移る。菜乃華が自慢のお茶を淹れてきたところで、依頼話の再開だ。


 話を聞いてみると、吟は神田堂の常連さんで、年に一~二回は夫婦箱の注文に来ているらしい。本人曰く、その日の気分によって自分の本を入れる夫婦箱を変えているそうだ。


 で、吟が前回から約半年ぶりに訪れてみれば、店主が変わっているときた。そこで彼女は、一つ名案を閃いたらしい。そう、「せっかくだから、今回はその新しい店主さんに夫婦箱を作ってもらおうかしら」と……。


「いや、ちょっと待ってください。それはやばいというか、何というか……」


 一方、頼まれた菜乃華は大慌てだ。なぜなら、夫婦箱を作ったことなんてなかったから。


 店主としては恥ずかしい話だが、菜乃華にとっては修復の勉強や訓練が最優先だ。保存グッズ系の依頼は瑞葉に任せきりだったことも相まって、そっち方面の訓練は手つかずとなっていた。無論、商売として商品を提供する以上、そんな素人丸出しの状態で依頼なんて受けられない。菜乃華がやるしかない修復とは、まるで話が違うのだ。


 というわけで、その旨を吟に伝えたわけであるが……何とあっさり一笑に付されてしまった。


「だったら、ちょうどいい機会じゃない。練習だと思ってやってみてくださいな」


「いや、さすがにお客様に提供するもので練習はちょっと……」


「こちらも、あなたが夫婦箱を作ったことがないのを知った上で注文しているんです。ちゃんと使える箱さえ納品してくれれば、文句は言いませんよ。やってみてくれませんか?」


 吟が、「ね?」とおねだりするような笑顔で小首を傾げる。

 こうなると、生粋のお祖母ちゃんっ子であった菜乃華は弱い。自信はないけれど、吟の希望を叶えてあげたくて、うずうずしてきてしまう。


「お願い、店主さん。少しだけ、あたしの道楽に付き合って」


「……わかりました。至らぬ点が多いかと思いますが、精一杯やってみます」


 結局、菜乃華はそのまま吟に押し切られるような形で、依頼を受けることになってしまった。もはや完敗だ。やはりお年寄りには勝てない。


 ただ、吟がとてもうれしそうにしていたので、結果オーライかもしれない。誰かに喜んでもらえると、心の奥から自然とエネルギーが湧いてくる。おかげで、自分でもびっくりするほど気合が入った。


 さて、やるとなれば、ここからは全力だ。吟は夫婦箱として機能すればいいと言っていたが、その言葉に甘えていては神田堂店主の名が廃る。瑞葉が作るものには敵わなくても、今の自分にできる最高の作品を届けたい。

 そのためには、まず情報収集が必要だ。作る夫婦箱の寸法については、過去の記録がたくさんあるようなので、他の部分について相談していく。


「夫婦箱の色や柄はどうしましょう。何かご希望はありますか?」


「そうね……。……じゃあ、あなたに全部お任せするわ」


「へ? お任せ?」


「そう。色も柄も全部あなたが決めてくださいな」


 まさかの回答に、手にしていたペンを取り落としてしまった。

 吟は、菜乃華の反応を楽しむように言葉を続ける。


「こちらで柄なんかを指定してしまっては、どんなものができてくるかは予想できてしまう。そうなると、完成品を見た時の楽しみが減ってしまうでしょう。あたしは、どんな箱ができてくるのかを楽しみにしながら待ちたいのよ。だから、あたしからは何も指定しません。店主さんの好きなように作ってくださいな」


「でも、それだと吟さんの好みにまったく合わないものになっちゃう可能性もありますよ」


「その時はその時よ。店主さんにはまだわからないかもしれないけど、長生きしていると時に刺激がほしくなるものなの。趣味に合わないものが出てくることも、それはそれで一興よ。福袋みたいで楽しいでしょ」


「はあ……」


 唖然としたまま、どうにかこうにか頷く。なかなか享楽的な思考を持ったお婆さんだ。

 隣の瑞葉に目を向けるが、こちらはまた始まったと言わんばかりの苦笑いだ。どうやらこのお婆さん、この手の依頼をよくしてくるらしい。


 しかし、思考が追いついてくると、これは存外面白い依頼だとも思えてきた。菜乃華だって、伊達に中高と美術部に所属してきたわけではない。端的に言って、装飾をどうするか考えるのは心が踊る。腕の、というかセンスの見せ所というやつだ。


 そして、菜乃華のやる気の火種を見透かしたかのように、吟が決め手の一言を放つ。


「そうそう。瑞葉さんや前の店主さんは、同じ条件で随分と素敵な装飾の夫婦箱を作ってきてくれたのよね。あなたの美的センスは、二人を超えられるかしら」


 この言葉が、菜乃華の美術部魂に火をつけた。

 技術ではまだまだ二人に敵わないけれども、美術部で磨いたセンスは負けていないところを見せてやる。一度ついたやる気の炎は、菜乃華の中で見る見るうちに大きく燃え上がっていった。


「わかりました。瑞葉たちに負けない装飾をしてみせます!」


「まあ、楽しみ! じゃあ、あなたらしい夫婦箱を作って、あたしを驚かせてくださいな」


「もちろんです! 任せてください!」


 吟に対し、勢い込んで力強く頷く。

 こうして吟の口車に乗せられ、菜乃華は最終的に意気揚々と依頼を受けることになったのだった。


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