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2-9

「ただ、もうこのような無茶はやめてくれ。君は、神田堂にとって大切な人間だ。君が倒れてしまっては、神田堂が立ち行かなくなってしまう。もし君がいなくなったら、多くの付喪神にとって大きな損失だ」


 安心したのも束の間、瑞葉の一言が菜乃華の胸にグサリと突き刺さった。


「そう……だよね。わたしがいなくなったら、瑞葉や……ここを頼りにしている本の付喪神さんたちに迷惑かけちゃう……もんね」


 落胆した気持ちを表に出さないよう精一杯微笑みながら、相槌を打つ。けれど、その声は震えてしまい、うまく演技できたとは言い難かった。


 わかってはいたが、改めて言葉にされるときつい。瑞葉にとって自分は、やはり『神田堂の店主』であり『祖母の代わり』でしかないのだ。


 もちろん自覚してはいたが、それでも心の片隅には『もしかしたら』という気持ちもあった。もしかしたら瑞葉も、『神田堂の店主』としてではなく『神田菜乃華』として自分を見てくれているかもしれない。そんな夢を抱いていた。


 だが……夢は所詮、夢でしかなかったようだ。


 無論、瑞葉が自分をどう見ていようが、自分がやるべきことは変わらない。祖母の遺志を継ぎ、神田堂を守っていくだけだ。むしろ片思いが望みなしとわかったのだから、これからは店主としての修業だけに集中できるというものだろう。そういう意味で、これは喜ばしいことだ。


 だから今、自分は笑わなければいけない。

 店主として、これからも頑張る。もちろん体調にも気を遣うから大丈夫。

 強がりでも構わないから、明るい顔でそう言わなければならない。


 けれど、体が言うことを聞かなかった。顔を上げなきゃいけないのにどんどん俯いていき、笑わなきゃいけないのに視界が滲んでいく。


「……いや、すまない。今のは、その……建前だ。本音じゃない」


「え……?」


 不意に告げられた再びの謝罪に、菜乃華が顔を上げる。

 同時に、瑞葉の両腕がのびてきて、菜乃華の体を包み込んだ。そのまま引き寄せられたことで体が傾き、左肩と頭が瑞葉の胸板に触れる。


 突然に事態に、菜乃華の頭は真っ白になった。おかげで、瑞葉に抱きしめられたのだと気付くまでに、少しばかり時間が掛かった。


「君がいなくなったら、私が困る。私は、まだこれからも君と一緒にいたい。だから、君に無茶をしてほしくない」


 ちょうど寄り掛かったような形のまま、瑞葉の声を聞く。触れあった部分から瑞葉の体温が感じられ、左耳から瑞葉の心音が聞こえる。少し鼓動が早い気がするのは気のせいだろうか。


「昨晩は、不安と恐怖で本当に胸がつぶれるかと思った。君が目を覚まさなかったらと思うと、居ても立っても居られなくなった」


「瑞葉……」


 菜乃華を抱く瑞葉の腕に力が籠る。まるで、親を見つけて抱き付いた迷子のようだ。触れあった部分から、もう二度と離すまいという瑞葉の意思のようなものを感じる。


 一瞬、これは気落ちした自分を励ますためのリップサービスかとも思った。だが、今はこの力強く抱きしめてくれる腕に籠った思いが、本物であると信じたい。

 瑞葉の胸に額を当てながら、その背に両手を回す。

 すると、瑞葉はさらに言葉を重ねた。


「これは私の身勝手だとわかっている。君のこれまでの努力を否定したくもない。けれど、もうこんな思いをするのはこりごりなのだ。私のためになんておこがましいことを言うつもりはないから、自分のために自分のことをもっと大切にしてくれ」


「わかった……。ごめんね、瑞葉。本当に、ごめんなさい……」


 これはもう、本格的にしばらく顔を上げられそうにない。きっと今、自分は人に見せられないくらいひどい顔をしているから。


 店主と店員としてだけではなく、瑞葉は一人の女の子として自分のことを心配してくれていた。きちんと自分のことを見てくれていた。心配を掛けたことが改めて申し訳なくて、でもそれ以上に心配してくれたことがうれしくて、溜まっていた涙が零れ落ちる。


 いいところを見せたいという不埒な動機から勝手なことをして、その結果として失敗して、瑞葉を含むたくさんの人にたくさん迷惑をかけた。それは、ちゃんと反省しよう。もうこんなことは繰り返さない。それで、瑞葉とずっと一緒にいられるように、もっと自分のことを大事にしよう。


 瑞葉の胸の中で涙を流しながら、菜乃華はしっかりと心に誓うのだった。


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