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1-13

 後はみんなでお茶を飲みながら、クシャミの本の糊が乾くのを待つ。


 その際の雑談がてら柊が教えてくれたことによると、どうやら付喪神は生きていくための飲食を必要としないらしい。食べ物の味はわかるし、趣味嗜好として食事やお茶を楽しむことはあるが、あくまで楽しんでいるだけだそうだ。よって、柊が毎日料理をするのも、単純な趣味とのことだった。


 ちなみに、質実剛健かつ質素倹約な瑞葉は、付き合いや宴以外で自発的に飲食をすることはないらしい。もっとも、一応好物はあるようで、筑前煮が好きとのことだった。昔、祖母がお裾分けしてくれたものを気に入ったそうだ。菜乃華は一応覚えておこうと、心のノートにメモをした。


「……よし、そろそろ大丈夫だろう」


「お! 乾きましたか。では、僕たちはこの辺で失礼します」


 待つこと、小一時間ほど。文庫本を確認した瑞葉のOKが出たところで、柊たちが席を立つ。

 菜乃華と瑞葉も、柊たちを見送るため、店の軒先まで出ていった。


「菜乃華さん、瑞葉さん。クシャミの怪我を治してくださり、本当にありがとうございました。このご恩は一生忘れません!」


 店を出た柊は、菜乃華たちに深々と頭を下げる。

 柊の顔に浮かんでいるのは、晴れやかな笑顔だ。見れば、彼の腕に抱かれたクシャミも満足そうに「な~お」と鳴いている。


 そんな依頼人たちの面持ちに、菜乃華も胸が温かくなるのを感じた。


「こちらこそ、ご利用いただき、ありがとうございます。お大事にしてくださいね」


「ご丁寧にどうも。もうクシャミの尻尾を踏まないよう、気を付けます」


 柊と二人で、和やかに笑い合う。

 その上で、上目遣いに柊の顔を見つめる。せっかく、こんな面白いコンビと知り合えたのだ。この縁を、これっきりにしてしまうのはもったいない。


「それと、もしよろしければ、またクシャミちゃんと一緒に遊びに来てくれるとうれしいです。今度は、依頼とか関係なしに。わたし、待っていますから」


 言った瞬間、なぜか柊の頭から湯気が上がり、顔がみるみるうちに紅潮していった。


「は、はい! ぜひ、お邪魔させていただきます。それはもう、毎日でも!」


 どこか夢見心地のような表情をした柊が、菜乃華の手を握った。予想外の反応に、菜乃華も若干引いてしまう。


 あと、背後からも変な気配を感じた。こう、獲物を狙う瞬間の肉食動物的なというか、怒髪天を突いた不動明王様的なというか、そんな気配が……。

 もっとも、気配を感じたのは一瞬で、すぐに何事もなかったように消えてしまった。


「……あいつは本当に単純だねぇ~。ちょっと優しくされたくらいで、あそこまで舞い上がるとは」


 音がしそうなほど手を振る柊と、彼に抱かれたクシャミを見送っていたら、横から聞き覚えのある声が上がった。菜乃華と瑞葉が振り返ると、いつの間にか蔡倫がそこに立っていた。


「蔡倫か。お前はいつも突然現れるな」


「へへっ! まあ、神出鬼没はオイラの売りの一つなんでね。あと瑞葉、さっきの殺気はちょっとばかし大人気なかったぞ」


「気にするな」


「そうかい、そうかい。お前さんも大変だねぇ~。ちなみに今のは、父親的なあれか? それとも……」


「やかましい」


 からかうような態度の蔡倫を、瑞葉が殺伐とした口調であしらう。

 初めて見る瑞葉の態度に、菜乃華も不思議そうに首を傾げた。


「まあ、瑞葉の方はいいや。……時に嬢ちゃん」


「はい?」


「どうだい? 初仕事を終えて、何か見えたものはあったかい?」


 菜乃華を見る蔡倫の目は、どこか試すような色合いを含んでいた。何だか本物のお坊さんみたいだ。


 その横では、瑞葉も『私も聞かせてもらおう』という顔で、菜乃華の返答を待っていた。


 二人に見つめられる中、改めて自身の初仕事を思い返す。それだけで、菜乃華の胸に様々な思いが満ちてきた。

 初めて知った、仕事の緊張感。瑞葉という先生兼パートナーの頼もしさ。そして、今も心に残る例えようのない達成感。すべて、この仕事を通して得られた、かけがえのない経験だ。


「もちろんです! この仕事を好きになれるものが、たくさん見えました!」


 故に、菜乃華は蔡倫の問い掛けに対して堂々と胸を張り、力一杯頷く。

 すると、満足げに微笑んだ瑞葉が、おもむろに菜乃華の頭を撫でてきた。


「私も、君との仕事は楽しかった。改めて、神田堂に来てくれてありがとう」


 瑞葉の言葉はどこまでも優しく、頭に載せられた手は何よりも温かくて……。菜乃華の頬は朱に染まり、胸の鼓動はどこまでも高鳴っていく。


 そして今この瞬間、菜乃華は不意に気付いてしまった。自分は目の前に立つこの青年に、恋をしてしまったのだと。


 土地神様、できればもう少しだけ、このままでいさせてください。

 微笑む瑞葉の顔を見上げ、菜乃華はそう願わずにはいられなかった。


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