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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

女神たらんと欲するなれば

作者: 葉紡 未知

ちょっと胸糞悪いオチかもしれませんが。





 さびれた街の、そのまた場末のカフェ。

 色の剥げかけた棚に、ボロボロになるまで使い込まれた机と椅子。煤けた天井のすみには蜘蛛の巣が張っている。木製の机と椅子に棚があるだけ、これでも上等な方だった。

 ぼろぼろのカウンター席の向こうでは、正気かどうかも定かではないような、老齢の主人が震える手でコーヒーを淹れている。

 店のすみでは、ふるびた蓄音機が、チリチリと荘厳で優しい音を奏でていた。これは誰の、なんという曲だっただろうか?もしかしたら、もう誰も知らないのかもしれない。老店主が知っているとも見えなかった。

 そんな店内に、場違いな人間が二人、座っていた。

 ひとりは、白い杖を伴って座る質素な身なりの少女。

 それから、このご時世ではついぞ見たことのない、上等の三揃えのスーツにフロックコート、それから帽子をかぶった、得体の知れない男が、その向かい側に座っていた。

「こうして出会ったのも何かの縁だろうし……そうだ、君の将来の夢の話でも聞かせておくれよ」

 罅の入った陶器のカップからコーヒーを飲み、アルマイトの平皿から小さなクッキーをつまみながら紳士は言った。

「将来の夢?」

 瞳孔の動かない目────光を映さぬ瞳をひとつまたたかせて、少女は静かに首をかしげた。

「そう、将来の夢さ。君は何がしたい?何がしてみたい?どんな風になってみたい?どんな未来を得てみたい?」

 少女は首をまっすぐに戻しながら、ようやく微笑した。

 さわ、と音を立てた茶色の髪は、髪先からだんだんと色が抜けて、現代にも細々と作られている痩せた小麦よりも無惨なありさまだった。

 そのくせ、そのほほえみはやけに清廉で。

「人のね、役に立ちたいの」

「人の、役に?」

 紳士は問い返す。目の見えない少女の前で、彼は表情も声音ひとつも揺るがせずにいた。

 けれど、目の見える、目敏い者がいたならこの紳士の顔をどう表しただろうか?

 …きっと、目が笑っていないと言っただろう。

 紳士はそれを誤魔化すように、視線を少女の斜めに向けた。そこにあるのは、なんということもない、有名な絵画のレプリカだ。旗を掲げる女───民衆を導く自由の女神をあらわした絵。

 かつて、叡智と科学技術で以って、人類の文明諸派が栄えた時代の絵。文明のすべてが崩れ落ちた現代において、なお残るほどの名画。

「そう、誰かの役に立ちたいの。あたしは目が見えないでしょう?だからできないことがたくさんあって、ずっとみんなに迷惑ばかりかけてきた。

 ……でもね、それでも精一杯、勉強をしてきたつもりよ。だから、迷惑をかけるばかりじゃなくて、誰かの役に立てることがしたいの」

 少女は静かに微笑していたが、語るにつれ、高揚したように頬を染める。とても、楽しそうに。

「だって、ペンは剣よりも強いのでしょう?それならあたしにもきっとできることがある。そうじゃないかしら!」

 紳士は虚をつかれたように、目を瞬かせた。

 それから、くつくつと笑い出す。面白げに、愉しげに。くつくつと紳士はわらう。

「……君は、凄いねえ。こんな世の中でそんなことを考えるなんて。どうしてそんなところに行き着いたんだい?」

 少女はすこし首をかたむけて、またもとの静かに清廉な微笑を浮かべる。質素な身なり、ぱさついた髪、まるでそれに釣り合わぬ、俗に言う聖女じみたそれ。

「物語をね、教えてもらったの。たくさんの物語を書く作家の話。書いて書いて書いて書いて、どれだけ貶されてもへこたれずに書いて、そして誰もが認める名作を書いた作家の話を」

 ペンで名声を認めさせた誰かの話をして、少女はぱっと笑った。…蓄音機の針が、音が、一瞬だけぶれる。

「なら、君は作家になりたいの?」

 紳士はやはり笑顔で訊ねた。少女はしばし、かるく眉根を寄せて考えこむ。

「……ううん、作家ではないわ。誰かの心に響くものを書く、素晴らしいことだと思うけれど。……あたしはきっと、この世界に対して、反旗を翻したいのだと思う。みんなに希望を与えたい。みんなが決起するための活力の欠片になりたい。…だからたぶん、作家では足りないのよ」

 紳士はまたくつくつと笑って、優雅な仕草でコーヒーを飲んだ。それから再び、少女に訊ねる。

「では、弁舌家かな?それとも政治家?」

 すると少女は、くすくすと笑って返した。

「やぁね、そんな大層なものでなくてもいいのよ。もっと小さなもので良いわ。あたし、すごいことはきっとできないもの。だからね、欠片で良いのよ」

 紳士の唇が、音もなく皮肉げに歪んだ。

「なら、君は何を目指すんだい?作家でなく、弁舌家でなく、政治家でなく、ペンで剣に打ち勝つ者になりたいというのなら」

 少女が、はじめて答えに窮した。困惑をありありと表情に浮かべて、少女は首をひねる。んー、んー、とうなりながらしばし考えこむ。

 何度も首をひねり直してから、彼女はようやく、しかし戸惑いがちに答えた。

「明確な名前は、ないように思うの。だって、名前なんてどうでもいいでしょう?みんなのための一人、そのうちの何者かになれればそれでいいんだもの。だから“それなり”の仕事ができたら嬉しいわ」

 紳士は、今度こそ呵々大笑した。

「君は本当に…本っ当におもしろい!君みたいなか弱い女の子が、まさかそんな大志を抱いているだなんて、誰が思うだろう!明日生きるための現実ではなく、そんな幻想じみた願望だなんてね!」

 紳士は笑う。紳士はわらう。

 少女はそれを戸惑ったように聞いていた。なんと返したらいいのかわからないらしく、こてん、と首を傾げる。

 躊躇いながらも少女が口を開きかけた、ちょうどその瞬間だった。

「邪魔すんぜェ」

 ばきん、という異音がした。

 大きな音にびくりと少女は肩を震わせる。

 やはり木製の、傷だらけのドアがまっぷたつに折れて店内に倒れこんだ。げらげら、という耳障りな雑音が、蓄音機の奏でるひそやかな音に紛れこむ。

「ボッロいドアじゃねーか、蹴っただけで折れやがった」

 年季の入ったドアを、げし、と踏みつけて、どこにでもよくいる風情のガラの悪い男が、高らかに哄笑した。

 少女の背筋がちいさく震えた。こういう荒くれ者は、少女にとっては天敵らしかった。それもそうだろう、痩せた盲目の少女など、彼らにとっては憂さ晴らしの対象でしかないのだから。

「欠片が刺さってやがる、おー痛ぇ」

 などと、店に乱入した男はうそぶいた。男の、変に着色した髪の後ろから、さらにまた短い髪を逆立てた男が顔を出す。

「うっわ兄貴大丈夫っすかー?おい店主!ベンショーだベンショー!ボロいドア変えずに、兄貴に怪我なんぞさせやがって!」

 いかにもな棒読みで騒ぐ男の、その後ろからまた、同じように髪の逆立った男がベンショーだベンショーだと騒ぐ。紳士は鬱陶しそうに眉をしかめ、そっとため息をついた。

 変な色の髪の男は、ゴツゴツと靴音を立てて店内に侵入した。そして店内を見回して少女と紳士を目に留め、にやぁ、と笑った。それから、腰元に手を入れて。

「っつーことで、オマエ、死ねや」

 ぱぁん、ぱぁん、ぱぁん、と破裂音。

 どさり、と老店主がくずれる重い音。

 慌てたように少女が首を回す。破裂音だけでは状況が拾い切れていないのだろうか、表情がありありと混乱と困惑、それから色濃い恐怖ををあらわしていた。

 にんまりと、色の抜けた髪を揺らして男が笑う。

「んで次お前らな?………っつってみたいとこだが、女はナシな。ちっとモノ足りねぇが、遊べんだろ。それにそこのクソジジイ、オマエみたいなのとっちめてやったら、身代金とか…どんぐらい出てくるだろうなァ」

 脅しのつもりか、がぁん、と男がカウンターを蹴飛ばす。少女の肩がいっそう大きく震えた。

 蹴られた衝撃で、ガタン、と大きな音を立てて、年代物の蓄音機の針がずれた。途端に、奏でられる音がおかしくなる。

「一銭たりとも出ないよ。当たり前じゃないか」

 立ち上がることもなく、紳士は嗤っていた。

「すまないのだけど、少し待っていてくれるかい?」

 盲目の少女にやわらかく微笑みかけて、いったいどこに入っていたのだろうか、紳士は懐から一丁の銃を取りだす。

「コンバットマグナムの4インチ、ね。ものは悪くはないが、君の手入れも、君の使用してる弾も、不釣り合いに粗悪だ」

 紳士は楽しそうに嗤っている。

 それの銃身は、すこし青い。そして、やくざな男が使ったものよりも長い銃身は6インチほどか、ひどく優美な形をしていた。

 かしゃ、と手袋のままの指先で構え、かちり、となめらかな仕草で撃鉄を起こし、ぱぁん、と優雅な手つきで撃った。

 そして淀みない三連射。

 果たして全弾が命中、みごとに乱暴者の眉間を撃ち抜いてあった。少女はおろおろと首を回すばかり、何が起きたのかよくわかっていないらしかった。

「まったく、人の機嫌がこういう調子の時に入ってこないでほしいなあ」

 そう呟いた紳士は、いま三人を射殺してのけたばかりの銃を膝のうえに置き、また少女に笑いかける。

「─────ごめんね、終わったよ。あいつらはもう襲って来ないからね」

「えっと、はい、ありがとうございます……?」

 少女は混乱していたが、紳士にそう礼を言った。紳士はまた目を閉じる。口元は穏やかに微笑んだままだ。

「お礼はいらないよ。こちらもまあ、憂さ晴らしみたいなものだったし」

「憂さ、晴らし……?」

「ああいや、気にしないで。君はやっぱり、ああいう輩は苦手かな?」

 少女は刹那、口をつぐみ、それからそっと頷いた。

「………前に、嫌な目にあったことがあって」

「うーん、なんとなく想像がつくからなあ。まったく、穏やかじゃないよねえ」

 紳士は笑って、優雅な手つきでカップを持ちあげ、コーヒーをまたひとくち飲みくだした。

 紳士はまた、少女に問う。

「君はやっぱり、ああいう人たちの為には働きたくない?」

 少女はしばし躊躇って、答えた。

「……略奪は嫌い。それをする人も。…そうね、やっぱりちょっと、嫌かしら…」

 ふぅん、と紳士はつぶやいた。

「なら、君は彼らを見捨てるの?」

「…見捨てる?どうして。あたしたちはさんざん、ひどい目にあわされてきたのに…どうして一度でも、一瞬でも、彼らに目をかけなくちゃいけないのかしら」

 少女はすこし笑って、物騒でごめんなさい、と詫びた。

「つまり、はなから見放している、ってことかな」

「そうなるかしらね……だけど、彼らは報いを受けるべきだとあたしは思うもの」

 少女がそう言うと、紳士はくすりと笑った。

 懐から、こんどは小瓶を取りだし、留め金をくいっと上げる。中からつまみ出した、世にも稀な角砂糖なんて貴重品を、ためらいなくぽちゃりと黒い水に沈めた。

 紳士はスプーンを手に取りながら、面白がるように言った。

「ああいう輩なんてどこにでもいるものだよ、僕の故郷にもわんさといた。ある日、どこからかお役人様が来て、みぃんなお縄になったんだけどね」

 華奢なスプーンでくるくるとコーヒーをかき回しながら、紳士はまたくつくつと笑った。

「うらやましい。ここもあんな人たちいなくなればいいのに…」

「そう?」

「ええ。だって、あんな人たちの略奪がなくなれば、あたしたちは怯えたり、苦しまなくても良くなるのよ。あたしはそのほうが嬉しいわ」

「そんなにも、嫌?」

 弾んだ少女の声、つまらなさそうな紳士の声、ずれて不協和音になった蓄音機の音。

「だって…怖いわ。女子供に老人、弱者からみんな奪っていってしまうんだもの」

 少女はすこし、居心地が悪そうだった。昏い眼の視線は動かないものの、首がすこしずつ動き続けている。視界がないため状況を把握しきれておらず、また蓄音機の音も不快なのだろう。

 板がずれたのか、すこしいびつに回る蓄音機からは、嫌な音がしていた。意味のない不協和音は、紳士にとってもなかなかに耳障りだった。

「まあ、弱者は奪われるものだからねぇ。弱肉強食、世知辛い世の中だよ」

 紳士は柔らかく言って、甘ったるくなったコーヒーを飲み干し、アルマイトの小皿にたった一枚残ったクッキーを、少女の手に載せてやった。

「お食べよ、美味しいから」

「えぇと、あの、これは……?」

 紳士はぱちぱちと瞬いて、それからぷっと吹き出した。「ただのクッキーだよ。いろいろ、根掘り葉掘り聞いたことへのお詫びとでも思っておくれよ」

 君のような淑女に対する対価としては、ちょっと安すぎるかもしれないけどね。紳士はいたずらっぽくくすりと笑って、食べてごらん、と少女をうながす。

「…ありがとう。安くなんてないわよ、あたし、クッキーなんて食べるのは初めて」

 すごい役得だわ、と少女は笑った。指先でなんどもなんどもクッキーをなぞってなでて、それから、カリ、とかじった。すこしばかり湿気た、紳士からすれば安価どころか普段なら口にすることさえないそれを、少女はとても美味しそうに食べた。

 紳士はその間、少女をじっと見つめたまま、銃を懐にしまいなおしていた。

 少女はたった一枚のクッキーを大切そうに食べ終えて、もういちど紳士に礼を言った。少女はひどく嬉しそうだった。

「こんな美味しい…甘いもの、初めて食べた。ありがとう…ええと、お兄さん?」

 紳士はにっこりと、柔和に笑う。わらう。

「お兄さんとは、嬉しいことを言ってくれるね。もうそんなに若くはないんだけどな。

 ……さて、そろそろここもお暇しよか。コーヒーも飲んでしまったことだし」

「そうね、雨も止んだでしょうし……ずいぶん話し込んでしまった気がするわ。ありがとう、こんな小娘の話に付き合ってくれて」

 紳士はがたりと音をたてて立ちあがり、愉しそうに答えた。

「いやいや、いいんだよ。────若い子の話って、本当に、面白い、からね」

 紳士は少女の杖を持つと、少女が立ちあがるのに手を貸し、そのままひょいっと抱きあげてしまった。俗にプリンセス=ホールドとかいうあれである。

「えっちょ、あの?」

「ドアが壊れて、足元が危ないからね。失礼させてもらうよ」

「だけど、あの、あたし、申し訳ないから…」

 少女は暴れはしたかったが、困惑した様子で、てしてしと紳士の胸を叩いている。杖を片手に、そのうえで少女を抱えたまま紳士は微笑した。

「転ばれるのが嫌なだけだよ。気にしないで」

 少女は言うべき言葉を失って、紳士の胸を叩く手を止め、ちいさな声ですみませんと言った。

 紳士は少女を抱え、死体をさけて、ばき、ばき、とドアを踏み越えて外へ出る。

 半ばまで滅びた世界の夕暮れは、空一面が赤かった。

 店に入ったときの雨などとっくに止んでいた。

 紳士は嗤った。

「うん、いい空だ」

 紳士は、紫色の───崩れゆく現代世界の、死病にとり憑かれた者に特有の色の手足の少女をそっと下ろした。それから杖を渡し、ぽん、とその肩に片手を置く。

「いろいろと話してくれて、ありがとうね」

 紳士はそう言って、盲目の少女の前でにいっと笑った。少女の前髪を払ってやりながら、

「君に、女神の御加護がありますように」

 なんちゃって。紳士はそんなことを告げて。

 そして。

 はにかむ少女の喉に、優しく指をかけた。

「……ぅ、ぁ?」

 いきなり掛けられた負荷に少女はもがく。けれど指は頑として離れない。紳士はこんどこそ、声をあげて嗤っていた。

「君は本っ当に面白かったよ!

 どんどん地面が崩れ落ちていくこの世界で、目が見えないのは両足がないのと同じくらい悲惨なことで、そのうえ君は、四肢末端どころか、すでに肩口までも死病に侵されている。死に至るのは時間の問題だよねえ」

 少女は、まだ肌の色を保っている顔に驚愕を浮かべた。

「………う、…そ………」

「だれが嘘なんて言うものか!…ああそうか、君は見えないんだね?紫色になった自分の体も、色の抜けかけた髪も」

 この病に痛みなんてないんだよ、ただ、身体がおかしくなっていくだけだからね。紳士は愉快そうに嗤って、また語る。

「そんな死にかけの身体で、こんな大層な御高説をぶちまけてくれるなんて、僕もさすがに予想していなかったよ!しかも、あの野蛮人たちが入って来ても、君はだれを庇うでもなく、席を立ちもせず、彼らが死んでいくその目の前で震えていたんだ。ついさっき、あんな理想を語っていたのにね!!──────本当に、苛々したよ」

 けらけらと紳士は嗤う。

「ぁ……が……おに、さ…………」

 少女はうめく。もがく。泣く。

 されど紳士は嗤うのみ。

「君が成りたいのは聖女だろう?女神だろう?君が夢見ていたのは、まさに、人を、革命を導くひと柱の女神だ。

 彼女たちは、身を挺して他人をすくい導く。いうなれば救世主の劣化版」

 紳士は高らかに嗤う。

「なんで傲りだろうね!人とは概して傲慢なものだけれども、これはあんまりだろうよ!」

 本当に、いらいらする。紳士は弓を張りつめるような声で呟いた。

 紳士の指の下で、少女のもがきは、だんだんと弱々しくなっている。

「い……………や………」

 うめく少女に、紳士は笑いかけた。このうえなく優しく。

「ああ、ごめんね。苦しませるつもりじゃなかったんだよ」

 ごきり、といやな音がして、それきり、少女のすべては止まった。

 紳士はうっそりと微笑する。

「…かつて革命を率いた女神は、もうとっくに踏みにじられた。  

 苦悩の果てに名声を得た作家は、王の命で兵士に引ったてられて処刑された。

 僕の故郷の話だって、ねえ?僕が奴らの中から裏切って、奴らを皆殺しにしただけの話だ。

 ─────これのどこが、ペンは剣よりも強いんだか」

 今の世界、もうそんな俗説通りやしない。

 紳士は目をほそめて、力を失った少女の首から片手を離した。それからゆっくりと、彼女の骸をゆっくりと横たえ、開いたままの瞼を閉じさせてやる。最後に、紳士は転がっていた杖を、そのとなりに置いた。

 ふと無表情に紳士が振り返る。

「…サー=モード。またこのようなところにいらっしゃるとは」

 愁眉を寄せて言ったのは、まだ若い、憲兵らしき男だった。こんな田舎ではついぞ見かけないような、凛々しい軍服姿だ。

 紳士は穏やかに微笑した。

「ごめんね。散歩に出たら、ちょうど雨に降られてしまった。そうしたら、コーヒーの出る店があったものだから」

「そこの破落戸どものような輩に、卿がやすやすと負けるとは思っていませんが、万一がございます。お気をつけください」

 若い兵士はそっとため息をついて、ちらりと横たえられた少女の残骸を見やる。

「……失礼ですが、そこの小娘は?」

「革命家志望のお嬢さんだよ。あんまりにも無様だったものだから、腹が立ってね、つい」

 くつくつと、紳士はわらう。

「わかりました。活動家、ということで処理させておきます」

「よろしくね」

 紳士は、若い憲兵の先導で歩き出す。

「……しっかし、コーヒーも不味くなったものだよねえ」

「そうですね。こんなひなびた田舎の、こんな場所で、卿の口に合うコーヒーが出せたら、それこそ驚きですが」

 憲兵はさらりと答えた。紳士との付き合いの長さを感じさせるような、ものなれた答え方だった。

「まあ、それもそうか。………あ」

 唐突に、紳士の足が止まった。足音が止まったことで、憲兵もまた立ち止まり、すこし首をかしげる。

「………サー=モードレッド?」

「ようやく思い出したよ。あの店で掛かってた曲、アヴェ・マリアだ」

「アヴェ・マリア……ですか?」

「そうそう、カッチーニの。すこしだけ憂鬱で、美しい曲だよ」

 紳士はくすりと笑って、ちらりと背後を眺める。

 紫色の手足の少女の亡骸がそこにあった。

「─────それじゃあね、聖女にもなれなかったお嬢さん」






細かいネタバレとか裏設定とかは、割烹で。

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