39 角と鮮血
ペタペタ。
裸足で歩く。
ひたひた、ペタペタと。
辺りは暗闇。大理石のようなつるりとした床が、ひどく冷たい。
一歩前も見えないのに、ただ前へと歩き続ける。
きっと、この先に『何か』が居るから。
それはずっと、俺のことを待っている。待ち望んでいる。
ペタペタペタペタ。
どれくらい進めば辿り着くのか分からないけれど、それでも歩みは止めない。
冷え込んだ足先は、すっかり感覚が無くなってしまい、足の指が無くなってしまったんじゃないかと錯覚する。
あれ? なんで歩いてたんだっけ?
たしか、『何か』に会いに行くんだったか。
じゃあ『何か』ってのは?
生き物なのか、ただの物なのか。
人なのか、そうじゃないのか。
そういえば、さっきは『居る』と表現したか。それなら生き物かな。
いや、俺は『何か』のことを知っているのか? 忘れているだけ?
それとも、最初から分かっていない?
思考がぐるぐると回り、頭がぐちゃぐちゃになっていく。
それでも、歩くのは止めない。
理由を忘れ、いつからそうしているのかも忘れ、ただ闇の中を進んでいく。
そもそも進んでいるのかと、歩みすら疑問に感じたとき、不意に前から光が届く。
ああ、きっとあそこが――。
=====
目が、覚める。
けれど、体を包み込む温もりに、まだ寝ていたいと全身が訴えてくる。
抱きしめている、湯タンポのように温かい抱き枕も、布団の中の幸せに貢献してくれている。
抱き枕をぎゅっと抱きしめ直し、日の光から逃れるべく顔を沈める。
「ふにゃんっ」
「んにゅぅ?」
耳元で声がして、目を開ける。すると視界いっぱいに人肌。
顔を離すことで、遅れてそれが何かを理解する。どうやら、姫さまの首元に顔を寄せていたみたいだ。
「姫さま、おはよう」
「……おはよう」
姫さまは顔を真っ赤にして目を合わせずに挨拶を返してくる。
そういえば昨日は寝るまで姫さまに居てもらって、それでもビクビクしていたから、姫さまも一緒に寝てくれたんだった。
お陰で眠ることができたけど、普段より眠りは浅いものだったらしい。変な夢を見てしまった。
取り留めの無い、何がしたいのかよく分からない内容。まあ、夢というのはそういうものだ。
「あのアカリ、起きたのなら離してほしいのだけど」
「ああ、ごめんね」
顔は離したけど、体は抱きしめたままだった。
温もりから離れるのは残念だけど、しょうがないから姫さまを解放する。
束縛から解放された姫さまは起き上がると、ベッドの上で俺と少し離れたところに座る。
俺も同じように体を起こす。割と意識がはっきりしているから、普通に起き上がったのだけど、くらりと眩暈がして映像の逆再生のように倒れた。
「どうかしたの?」
「急に起きたら、眩暈が」
チカチカとする視界が元に戻ったら、今度はゆっくりと上半身を起こす。そして軽く体調を確かめる。
まあ、今ので既に分かっていたが、まだ体調が良くない。……んーでも、昨日よりはマシかな?
「どう? 体調」
「まあ、良くなってきてはいるよ」
視界のぼやけは無くなって、視力も魔眼の補正込みのものになっている。
だけどまだ、怠さが残っているし、何より魔力が回復していない。
「そう、それじゃあ私は、一旦自分の部屋に戻りたいのだけど、アカリは一人で平気?」
「ああうん、もう大丈夫だよ。ありがとね」
姫さまもいつまでも寝巻きのままではいられないのだろう。自分の部屋へと帰っていった。
……最後までずっと顔が赤いままだったな。
=====
朝食を食べ終わったら二度寝をした。
そして起きたときには夕方になっていた。今日は完全に寝て過ごしたな。
「取り敢えず、トイレ」
何とか一人で立てるくらいには回復している。
歩くのにはまだ少し不安があるが、トイレまでならたぶん大丈夫だろう。
部屋を出て、壁に手を付きながら歩く。
時間は掛かったけど、無事トイレまで辿り着いた。
用を済ませて、来た道を戻る。
「ぜえ、ぜえ、ふぅ」
普段だったら徒歩30秒の道のりで、息が切れる。もう無理、一旦休憩。
壁に寄り掛かってぺたりと座り込む。荒くなった息を整えていると、誰かが近づいてくる気配がした。
そちらへ目を向けると、道の角からメイドさんと、そのメイドさんに連れられて二人の男女が現れた。
「鬼?」
男はヒョロ長の冴えないおっさんで、女の方は俺と同じ16歳前後の外見のツインテールをした少女だ。
二人とも灰色の髪に深紅の瞳をしている。おっさんは着流し、少女は丈の短い浴衣、いわゆるミニ浴衣を着ている。そして何より、頭に生えた二本の小さな角が特徴的だ。
「ねえ、あそこに女の子が寄り掛かっているけど、どうしちゃったのです?」
「ユミツキ様のようですね。どうされたのでしょうか」
メイドと角の少女が俺のことを気にして近寄ってくる。
「ユミツキ様、このようなところでどうされましたか?」
「お手洗いの帰りなんですが、疲れちゃって」
「ぐはっ」
愛想笑いと一緒に返事をする。すると何故か、角の少女が鼻血を吹き出した。
「うわっ、急にどうしたの」
「だ、だいひょうぶでふ」
「フェルクディ、どうした? ……ぐはあっ!」
おっさんも後から近づいてきて、同じように鼻血を吹いた。
一体何がどうしたというのか。
「ユミツキ様、失礼ですがお召し物が乱れております」
「ん? ああ、ホントだ」
言われて確認すると、確かに服が肩からずり落ちていた。
今着ているのはネグリジェのようなワンピース型の寝巻き。もともと薄着なのに、それが乱れて結構あれな状態になっていた。
注意もされたことだし、きちんと服装を整える。……あ、もしかしてこの姿を見て鼻血を出したの?
遅れてその事実に気付く。え? でも、おっさんはともかく、角の少女は今の俺と同じ女の子だよ?
「乱れた寝巻きでっ、息を乱して壁に寄り掛かっているなんて、はあはあ」
角の少女の独り言のような呟きを耳にしたことで、鼻血の理由は確定してしまった。何この残念な子。
もういいから、部屋に戻ろうと思い立ち上がる。壁に手を付いて、よろよろと進み始める。
「あら、どこに行っちゃうのです?」
「部屋に、戻る」
「辛そうだから、わたくしめが連れて行っちゃいますよ」
言うが早いか、お姫様抱っこをされる。今の俺には抵抗する力も無いからされるがままになる。
「どこです?」
「あそこ」
すぐ近くの扉を指差す。この距離でも壁を伝って歩くとなると結構しんどいのだ。
だけど運ばれるとあっという間だった。部屋の中に入り、ベッドに降ろしてもらう。
「ありがと」
「いいえー、こちらこそです。柔肌を堪能して……おっと、また鼻血が」
なんだろう、お礼を言って損だと感じた。
「わたくしめはフェルクディと言います。気軽にフェルクと呼んじゃってください」
角の少女は鼻血を拭うと、名前を教えてきた。まだ部屋から出る気は無いらしい。
「ユミツキです」
今は女の姿だから苗字だけ名乗っておく。パーティーでいろんな人に顔を覚えられただろうから、名前を伏せて統一させておいた方がいい。
「ユミツキちゃんですか。それで、ユミちゃんはどうしちゃってこんなところに居るんです? 王族じゃないよね」
「体調不良で、城の中で療養させてもらってるの」
「はー、もしかしてとてもお偉い人だったりするんです?」
「いや、そんなことないよ。城の中でこうなったから、家に帰れないだけ」
その原因が貴族たちを助けたことだから、お詫びにと良い環境に居させてもらっている。
「それって、一昨日の事件のせいだったりしちゃいます?」
「まあ、そうだね。知ってるの?」
「そりゃあもう、大事件となっちゃってますからね」
そりゃそうか。
王城襲撃なんて大事件、二日もあればどうしたって広がるだろう。目撃者も被害者もあんなに居たことだし。
「それにわたくしめの父――部屋の外で待っているあの幽霊みたいのだけど、その父と一緒にさっきそのことについてイトラース王から話を聞いたんですよ」
幽霊みたいってのはどうかと思うけど、正直言うと俺もさっき思った。青白くほっそりとした肌に白い着流しを着てるんだもん。頭に白い三角の布を被れば完璧だ。
でも城に来て直接王さまから話を聞いたってことは、結構偉い人なのかな。パーティーでは見かけなかったけど。
「フェルクディ、まだか?」
「はいはいっと。それじゃあユミちゃん、呼ばれたのでわたくしめはそろそろ行くです。さっきのはホント、眼福でした」
「じゃあね。また鼻血は出さないでよ」
「はい、またお会いしましょう」
そう言って、角の少女、フェルクは部屋を出て行った。
そういえば、あの角はなんだったんだろう。親子揃ってだから恐らく種族固有のものだろうけど、訊きそびれたな。




